ぽよち "考察する若者たち" 2026年5月25日

ぽよち
@emichanichi818
2026年5月25日
考察する若者たち
母に刷り込まれた、「母の意向に従うことこそが正解であり、それ以外は報われない、愚者の道である」という価値観に抗うことに、自意識が芽生えた後の人生の大半の時間を使ってきた気がする。 「感情だけでは足りない。行為をした意味がないと報われない。」 自分も、何かと報われるための行為を選んでしまう。親に好かれたい、褒められたい。他者より優れている人間と思われたい。それこそが報われ、自分の行為に意味付けできると。 本を読むこともそう。報われるためと。「褒められたい」と思いながらした行為は、褒められなかったら無意味なのか? そんなわけない。 「たしかに私たちは怖がっている。失敗を、恥を、後悔を、報われない努力を、何にもならない時間を、何の意味もない感情を、誰にもわかってもらえない感想を。  プラットフォームがいいものをおすすめしてくれる時代に。ネットに最適解が転がっていそうな時代に。なぜ報われないことを、自分がしなくてはいけないのか。」 自分は、失敗を過度に恐れている。 怒られること、間違うこと、他人の思惑と異なることを、過度に恐れている。 求められたキャラを演じるのが、楽で最適な正解だと思ってきたからこそ、そのための努力をした。 しかし、環境が異なると、正解も変わるものだ。自分がしてきた努力は報われなかった。報われないと知るやいなや、全て無意味に感じてしまった。何もする気が起こらない鬱状態に陥った。努力の反動もあった。死にたかった。全て無意味だから。 ただ、死ねなかった。また新しい正解を探そうとした。報われるために。自分のしたいことに焦点を当てると言いながら、結局誰かに必要とされるための職業を選んだ。それが最適解だと思った。 「言葉にしていくと、自分の思考はなかったものにはならず、どんどん積み上がっていくのである」 積み上げてどこに行きたいのか? 「適していなくても、報われなくても、キャラに合わなくても、自分の感情を大切にするのは楽しいことなのだ。」 自分の感情を大切にすること自体が楽しいことであると。『楽しい』という感情を重視することこそが意味のあることだと。 「やりたいことなんか、ないほうがきっと失敗は少ない。それでも、自分の感情や欲望は抑圧しすぎないほうが、人生は楽しい。報われなくても。後悔が増えたとしても。」 「人生を振り返ると、間違いばかりが存在している。賢くない自分が、過去にはたくさん存在している。  でも、それでいいのだと思う。後悔するとしても、自分の欲望や感動を探して、自分なりの解釈を、批評を、探したほうがいい。私はそう思う。」 恥ずかしくないのか?間違いは。後悔する、恥ずかしいと思う、けれども、それ以上の感動や楽しさがそこに存在するから結局報われるということか? 「最適化するあなたに意味があるのではない。あなたの固有性のほうがずっと意味がある。だから報われなくてもいいのだ。時間がかかってもいいのだ。」 思い出した。母が、私を通して自己実現しようとして、私の固有性よりも母にとっての正解を優先され、私が透明になっていると感じていたとき。祖母は「勉強するのは、学歴を得るためではなく、誰にも奪われないあなただけの頭を鍛えるためだ」と伝えてくれたことを。今になって、よりその言葉の重み、有難みが心に沁みる。私にとって、勉強が「固有性を失うための行為」から「固有性を得るための行為」に変えてくれた言葉だ。あの言葉があったから、自分はここまでやってこれた。沈んだ心がなぜ沈んでいるのか、考えるための種をくれたから。 今もずっと、自分は最適化された自分になろうとしてしまっている。他人から求められた自分を生きることに意味を見出そうとしてしまっている。だから息苦しいのだ。 本当の自分は何がしたいのか、日々、自問自答し続けることに、日々をダンスするように生きること自体に価値を見出そう。
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