シクロ "教養としての新宿・歌舞伎町" 2026年5月26日

教養としての新宿・歌舞伎町
基本的に「教養としての○○」という本のことを毛嫌いしているけど、この本には違和感がなかった。「興味ないけど教養として知っておくか」という怠惰な読み手の態度を見越しての「教養としての」ではなく「これくらいは知っておいて、これ以上は踏み込んで来ない方がいい」ということを示す意味での「教養としての」だからではないかと思った。思いやりのある「教養としての」だ。 歌舞伎町(というかゴールデン街)のお店に度々行くし、通ることはよくあるので、立ちんぼ・トー横・キャッチ・ホストそれぞれを見ながら、何かの違和感は感じていた。それぞれの歴史・実態・証言を読むことで、間違った認識が正されたり、違和感の理由に触れることができた。 この本に出てくるヤクザは必要悪だけど良いヤクザだ。確かにそういう人は存在するのだと思う、けどその割合がどれくらいなのかとかちゃんと忘れないようにしておいた方が良いだろう。 世の中の大体のルールって、一手先しか考えられていないと思う。「あれが悪い、だから禁止」と。でも、その打った一手によって、事態は大体悪い方へ、より巧妙な方へ、地下の方へ行く。悪いのに存在しているということは、元々一定の理由がある訳で。必要悪を必要だからOKとは言えない時代になっているのだから、理性と合理性と透明性が求められる世の中なのだから、ルールは直観と理想に基づいてじゃなくて理性と現実に基づいて定められるべきなのだと思う。と書きつつ、様々な法律・条例が施行される前のヤクザが取り仕切る時代の歌舞伎町に自分は踏み込めていたかというと分からないから、今のルールがよくなかったとも言えない。暗部を考えることは一筋縄でいかないから難しい。でも、自分の中の何かを照らして考えるようでもあって面白い。 社会のルールがもし無かったとして、その時でも倫理に則った判断が出来るのか、自分の美学を貫けるのか。アウトローに学ぶこと・見習うことは多い。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved