
エル・エックス@日常と癒し
@lx7422890
2026年5月27日

推し、燃ゆ (河出文庫)
宇佐見りん
読み終わった
〜家庭の敗北、ケアの敗北〜
分量は150頁程度と少なめですが、流石は芥川賞、余韻の強い小説でした。
ここでは、推しを持たない人間の視点で、極力ネタバレ控えめにレビューしてみたいと思います。
推し活に邁進し、私生活も呑み込まれていく主人公のあかりをみていて。
私はなぜか、『ぼっちな食卓』と『ルポ 誰が国語力を殺すのか』
の2冊を思い出してしまいました。
前者では、家族が別々に食事することが当たり前になり、後に家族が疎遠になっていく現実を。
後者では、家庭の会話が減少することによる、子どもの国語力の低下の現実を。
それぞれ明らかにした、一度読んだら忘れられない衝撃作です。
勿論、これらを安易に当てはめることに、異論は大いにあるでしょう。
あかりには、少なくとも両親や姉がおり、勉強を教えようとしたり、推し活にのめり込む彼女を現実に引き戻そうと努力する程度には、愛情があります。
そして、あかりには推し活についての長文のブログは「書ける」程度の国語力はあります。
しかし。
彼女は。
生身の人間を相手にすると。
自分の気持ちを表現することが非常に不得手な様子がみられます。
家族を信頼していないこともあり、
さらに言語化できるほど自分の気持ちもわかっておらず、あらゆる助言が通用しません。
この会話の成立しなさは本当にリアルなので、ぜひ実際に読んでみて欲しいです。
そして。
ここまでの危機に聞く耳を持たれない家族は。
私自身のことを棚に上げて、非常に厳しいことを言うならば。
ケアの積み重ねとして敗北したということなのでしょう。
虐待とはいわないにしても。
本人の特性もあってか。
あかりは自己肯定感が育たず、
家庭が憩いの場となりませんでした。
ぼっちな食卓だったのかはわかりませんが、少なくとも家庭で思いを腹を割って話せる雰囲気になかったことがはっきりと伝わります。
そんな環境では、
「自分の気持ちを理解し、表現する」意味での国語力の強化にはつながらなかったでしょう。
家庭が憩いの場とならなければ、戦いの場といえる学校等でも安らげるはずはなく…
生身の人間を避け、重たい自身の体をある意味忘れ、生きる意味を見い出せる、
推し活に救いを見出したのは、
必然だったと言えるでしょう。
そして、もっと厄介なのは。
あかりのような人々は実際に数多く存在するということです。
『ぼっちな食卓』や『ルポ 誰が国語力を殺すのか』で取り上げられていた家庭には、一般的な所得層の家庭も多く、決して一部の恵まれない人々の話ではありません。
幼い頃からのケアの積み重ねによる信頼関係がないと、
あとからのケアでは間に合わないこともある。
改めて、人間には衣食住と並んでケアが必要なのだと実感するばかりです。
どうか。
家庭に、いやこの世界に葛藤を抱え、自身の体を手放したくてしょうがない全ての皆様に。
自身が犠牲となるのではなく、
ケアを求めるに値する存在であることを、人の温もりを持って実感することができますように。


