
いぬい
@inuiru
2026年5月26日
依存症と回復、そして資本主義
中村英代
読み終わった
ざっくり言うと「変えられないものを変えようとすること、苦しみをかかえて孤立すること」が依存症の原因となるらしい。なるほど。ほんとうはもうじぶんではどうしようもないのに、「意思の力で酒をやめられる」と思っていて、けれどやめられなくて、やめられないことで周囲の信頼をうしなっていく……というひとは実際よく見る。
よって、依存症からの回復にはまず「かかえた苦しみに対して私は無力である」と認めること、そして「変えられること」と「変えられないこと」を見きわめることが重要だ。そのためには、じぶん自身に正直になる、ごまかさず、偽らず、じぶんのことを理解する必要がある。しかしこれは結構、かんたんなようで難しい。なぜなら私たちは常に物事を評価し、値踏みし、評価され、値踏みされている。そういう社会にあっては、私たちはどうしても嘘やいつわりで、じぶんを大きく見せようとしてしまう。
……というような話。ざっくり言うと。
これを読むと、回復のプロセスというのは、ビジネス書で読むような「目標を立てて達成する」「セルフコントロールする」などとは真逆だというのが分かる。「より上へ」「より高く」「より多く」と常に最大化を目指す社会にあっては、個人の意思の力は過信される。意思があり、行動があり、その結果があると考える。が、実際のところ私たちは、自身のことすらコントロールするのは難しい。
" ベイトソンは〈酔い〉によって〈醒め〉の状態の誤りが修正されているという観点から、アルコール依存者の〈醒め〉の状態の誤りをとらえなおした。"
「経験する機械」を読んだあとだったので、この話はすごく面白かった。アルコール依存者にとっては〈酔い〉の状態こそ「エラーが修正されている」状態だという。〈醒め〉は、彼にとって「エラーが発生している」状態だから、それを修正しようとして酒を飲むのだ。
「経験する機械」によれば、不安障害者は自身の内的な状態に非常に注意を払っているにもかかわらず、実際の状態を正確に把握していないことが多いらしい。自身に対する誤った情報を、本人は非常に正確だと思いこんでいる状態だ。
つまり人間は、自身をコントロールできないどころか、分かってさえいない。だから自身に対して誤った前提を持ち、そこに適合しないじぶんを修正しようとして苦しむ。うーん、あるある過ぎる。
この本ではベイトソンの分裂生成理論と依存症研究を中心に、依存症の回復コミュニティや支援者の話も書かれている。
世界的な回復コミュニティである「アルコホーリクス・アノニマス」では「大いなる存在」(神)が重視してされていて(もともと宗教コミュニティから派生したらしい)分かるような分からんような……というところもあったんだけど、「じぶんの力ではどうにもならんことがある」というのを受け入れるためには「大いなる存在」というのが分かりやすいんだろう。実際、べつにそれはどの神でもいいらしい。日本人的な感覚なのかも知れないが、私からすると自然とか宇宙とか漠然としたでかいもののほうがイメージしやすいな。
「いいな」と思ったのは、AAの創設者であるビル・ウィルソンが、「他人に酒をやめろと言ってまわっているあいだだけは、飲まずにいられた」というエピソード。AAではスポンサーシップというのがあって、新参メンバーが先輩メンバーから一対一でサポートを受ける制度があるんだけど、これはまさしくそのエピソード、「他人をサポートすることでサポートされる」に基づいている。
これって、私が寄付をするときの気持にも似てるなと思った。ブックサンタに寄付金を送るとき、「本をもらった子どもや家族の声」みたいなの読むのも楽しいんだけど、それ以上に「本が読みたくてたまらなかった子どものころの私」がよろこぶような感じがする。だれかに何か与えてるんじゃなくて、そうすることでじぶんの何かが埋めあわせされてんだよね。
足りないものを、欠けてるものを、埋めようとして、エラーを修正しようとして何かに依存する。依存症は孤立の一形態だと書かれていた。そして、回復に必要な「つながり」は必ずしも物理的な人間関係だけではなく、本を読むとか音楽を聴くとか、そういうことも他者とのつながりと言える、とのこと。それは私もそう思う。ここのところ「経験する機械」とか「植物に死はあるのか」とか「センス・オブ・ワンダー」とか読んでたから、ほんとうはひとは世界とつながってるんだよなってことをよくよく実感するようになった。

