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@nininice
2026年6月3日

神の旅人: パウロの道を行く
森本哲郎
読んでる
『サハラ幻想行』の余韻から抜けきれず、他にも同著者の本をと、こちらの本を手にとった。
正直、いまのところパウロという伝道師にあまり興味がなく、昔から、そもそもなぜ自分の信仰を他人にも分けようとするのか、改宗させることを目指すのかよくわからないと思っている。なのでサハラの旅ほど楽しめてはいない。
キリスト教の「一粒の麦」の話はわたしでも聞いたことがあるくらいに有名だ。著者は港町カイザリヤで海を眺めながらこの一粒の麦について考える。
道端に落ちた種というのは、神の声をきいても悟らない者のことである。神の声を喜んで受ける人、それが石地に落ちた種である。喜んで受け入れても、根がないので、困難にあうとすぐつまずいてしまう。茨のなかにまかれた種とは、神の声をきいても、現世の欲望にまどわされて、実を結ばない人のことだ。真に悟ることのできる人、これこそが「良い地」に落ちた種なのである。(略)すなわち「良い地」とは、希求する人びとの魂にほかならない。
この部分を読みながら、わたしの宝物のように大切な本、詩人蒲原有明の『夢は呼び交す』の夢の場面を思い出した。主人公鶴見が青い夢を見る。神馬に乗る栂尾上人が、従者と共に柔らかく耕された畑に、優しく丁寧に一粒一粒茶の種を撒くのだ。するとみるみる内に芽が吹き出してくる。
「種も粒選りであったし、日もよかったし、気分もすぐれていたし、それにここの畑土は肥えているのだ。三拍子も四拍子も揃っていたからだな」
「おれは信の種を播いたのだよ」
「良い地」でないと芽の育たない種を、育たないものは育たないものとしてあちこちへと播く者と、畑を整え、丁寧に一粒一粒種を播く者。播いている種は同じだろうに、なんという違いだろう。
