本所あさひ "なぜ人は自分を責めてしまうの..." 2025年3月23日

なぜ人は自分を責めてしまうのか (ちくま新書 1845)
・きっっっつい。読みながら何度も泣いた。親の立場の人間にはかなりシビアだと思われる内容の数々。でもすごく真っ当な主張だと思った。自分が親にされてきたなと感じて胸がヒリつく事例と、自分が我が子にひょっとしたらそうしてしまうかもしれないと想像して肝が冷える事例が多くあり、決して長くない新書のなかで感情が幾度も乱高下させられた。 ・自責感と罪悪感は似て非なるもの。後者は社会的規範ないし信仰を侵犯した際に覚えるのに対し、後者にはそうした枠組みがない。自分で自分を責める感情。その感情は、文脈のない理不尽な社会の中で最も合理的に自分の存在に納得を持たせることができる。「虐待的環境を生きるということは、自分の存在を否定することで、世界の合理性を獲得することなんですね。すごいことです。自分を徹底して否定することで、世の中が説明できる。世の中はそれなりに合理的なんだ、なぜなら自分が悪いから。」 ・根源的受動性。「言い換えると、「ぜんぶ受身」ということですね。子どもは、何ひとつ選んでない。性別も、名前も、顔も、身長も。生命すら選んでいない。  この根源的受動性というのは、子どもとともに語られないといけない。」「子育てにおいて子どもは、「解決の見通しがない世の中に生まれさせられたんですよ、あなたは」ということを誰かに承認されなきゃいけないんです。 承認するのはだれか。第一は親だと思います。 こういう世の中だけど、私はあなたを産みました。あなたに責任はありません。産んでしまったことを、私はちゃんと認めてますよ。」 ・あなたが生まれてきたことにあなた自身の責任は何ひとつないということを親が承認する。その承認を得ることで初めて、自分の人生は自分のものなのだ、自分の痛みは自分だけのものなのだと思うことができる。それこそが真の愛着形成である。 ・自分の経験が誰かの希望になり得るということ。小説を読むこと、書くこととカウンセリングの親和性。
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