いぬい "死神を祀る" 2026年6月5日

いぬい
いぬい
@inuiru
2026年6月5日
死神を祀る
その町には三十日間参拝すると恍惚のなかで死を迎えられる神社がある──てなことで安楽死の賛否を問う話かと思いきや、そうシンプルでもない。 現実が苦しくて、どうしようもなく死に惹かれるひともいるし、死を救いだと思うひともいるし、好奇心をいだくひともいるし、どんな事情でも自殺はよくないと考えるひともいるし、死のうとするひとを止めたいと思うひともいる。死ぬと決めたことで自由になれたり、死ぬことでじぶんの人生に意味を見出したりするひともいる。もちろん、死ぬのをやめるひともいる。 何も知らず、ただの「神頼み」で参拝してしまうひともいれば、家族を連れて行こうかと考えるひともいる。その神社を知らない相手に、「魔が差して」教えてしまうひともいる。噂を聞きつけて他県からやってきたひともいて、お金を落としてくれるおかげで潤うひともいる。死を求めてくるひとのお金で、寂れかけていた田舎町が活性化する。それをよろこぶひともいれば、複雑なひともいる。 噂を検証しようとしたYouTuberが生配信で死亡し、神社の評判は一気に全国へ広がる。安楽死に賛成するひともいれば、神社や自治体を批判するひともいる。神社のことを調べようとやってくるジャーナリストもいれば、「真相」を隠そうとする関係者もいる。 とにかくいろんなひとがいて、いろいろなことを考えている……というのがこの小説の肝だと思った。いろんなひとがいて、いろんなことを思っていて、しかも、それはいつも揺れている。 ひとの思いや言葉や行動が、またべつのひとの思いや言葉や行動に影響する。それらは思いがけないところでつながっている。ほんの些細なことが、だれかには運命ってこともある。一見しただけではつながって見えないこと、真逆のようなことが、つながっていることもある。生と死みたいに。 ケーキ屋さんの話が秀逸だった。 「死神は甘党」という噂のおかげで儲かってしまったことを、ケーキ屋の主人公は微妙に憂いている。このひとも死ぬのかと思いながらケーキを売っていて、止めに来た家族に詰られることもあった。インターネットでは「役に立たない老人を神社に連れて行け」などという過激な意見もあり、主人公は店の売上を素直によろこべない。 主人公には認知症でろくに意志の疎通も取れなくなってしまった母がいる。ただぼんやりと目を開けているだけの母を見て、主人公は「神社へ連れて行くのが母のためなのだろうか」と悩む。一方で、妻は店が儲かったことをよろこび、浪費するようになる。「もう着ることないでしょ」と、主人公の母の服やアクセサリーを勝手に売りさばいてしまう……。 話の終盤、この妻が泣き崩れるシーンで思わず泣いてしまった。ひとの思いというのは、言葉や行動に表れるものだけではない。本人すら言い表せない、自覚すらしていない感情だってある。「ほんとうの思い」というのがあるのかあやしい。いつだって揺れていて、迷っているのがひとなんだと思う。 これだけいろいろなひとを書きながら、作者がだれにも肩入れしていない、どのひとに対してもフラットな書きかたをしているのはすごいと思った。 神社の周辺を見まわりながら、「じぶんも死のうと思うことがある、だけど人生には何が起こるか分からない、だからもう少し生きてみないか」と語る刑事がいて、しいて言えばこれが作者のスタンスなのかな。 しかしながら、「その気になったら楽に死ねる」と思いながら生きるのって、ただ生きるのとは全然べつのことだなとも思う。なんか大昔にそういうの読んだよな。町にだれでも自由にくびを吊れる場所があって、毎日のようにだれかがそこで死んでいる。それを見ながら、きょうは生きるのかどうかと自問する、みたいな話。だれのなんて小説だったか全然思い出せない。 それにしても、ひとを生かすのって「希望」や「未来の可能性」なんだろうか。少なくとも、私はそういう感じではない。ただなんとなく生きていて、あまり何も分かっていないのだが、それでも、きょうよりはあしたのほうが人生を知っているだろう、とは思っている。
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