@s_ota92
2026年6月8日
p10
「非常に些細なことのように思われるかもしれないが、人生が方向を変える最初の弾みとは、えてしてこの程度のものだろう。」
p26
「「以前に一度あったんだが……、コピィした偽物とすり替えておいて、発見を遅らせるわけだ。それで、別のところに隠したブツをゆっくりと運び出す。たとえば、梱包された荷物、建築の部品、機械のメンテナンス、そう言った偽装をしてね。それが奴の手口だ。」」
p32
「一つには、ずいぶん以前に別れた妻のこと。」
p33
「もう一つも、やはり女性のことで、情けない。かつての直属の部下だった。」
p43
「知らないことほど幸せなことはない。予感もせず、予測もしないことは、晴れ渡った空のように清々しいだろう。」
p48
「奴の好みの絵があっただろうか。少なくとも、この部屋にあるような抽象画は、奴の専門領域ではない。」
p62
「「元気?」「元気です。みんな元気です。声が聞きたかっただけ。」」
p85
「かんのんさま。かそうば。らじお。あいしています。わすれないで。」
p89
「暗い道を歩いていくと、門のところで彼女が待っていた。その住まいは彼女のものではない。どこかの金持ちが、古い建物を移築し、ここで保存している。彼女はその管理人として住んでいるのである。そういった過去の人脈が今の彼女を支えている。私自身もその一人といえる。僅かな額を届けている。それは彼女というよりは、彼女と私の息子の学費に消えているだろう。逆にいえば、その状況のおかげで、私はこんなに長く仕事を続けられたのである。」
p100
「生まれたときから、人はそれぞれに与えられたものを持っている。自分の意思で選べるものは少ない。途中で取り替えられるものなどほとんどない。そんなことは、子供の僕にでもわかることだった。だから、僕はまだ檻の外へ出たいとは考えなかった。」
p108
「そういう話を聞いていると、僕はなんだかうっとりとしてしまうのだった。眠くなる、という意味ではないけれど、とてもゆったりとした気持ちになって、ゆっくりと呼吸をして、瞬きをするときにも目を少しだけ長く閉じていようとする。植物に還って、もう少しゆっくりと生きていたい、そういう思いが、つまり、安心する、という気持ちの基本のようにも思えた。眠りたいという欲求も、その頃の生き方を懐かしんでいるのにちがいない。」
p111
「不安におののいて見ている者など誰一人いない。目を顰め、困った顔を造ってはいても、結局は喜々として、最高に悲惨な結末を期待しているのだ。そんなものはもう、火をつけた花火と同じで、ここまできたら爆発しなければならない。大きな音を立てて輝き飛び散ってしまわなければならない運命にあるのだ。そうでなければ、人々は満足しないのだ。」
p115
「僕は、関係という言葉が嬉しかった。これこそが貴重なもので、いつまでも永く大切に、壊さないよう努力しなければならないものだ。」
p117
「「躰が固くなると、いろいろできないことが増えるんだ。それと同じように、脳が固くなると、いろいろ考えられなくなる。なにも考えず、新しいものを受けつけない、決まったことだけを毎日するようになってしまう、それが大人ってわけだ。」」
p121
「「それはね、檻の中にいる君が、出たがっているせいだよ。」」
p131
「プリズムを手に入れたかったけれど。僕の内側でそれが輝くのを見たかったけれど。」
p159
「「失望は期待の終わりっていうでしょう?期待をしては駄目。流れに身をまかせ、どんぶらこどんぶらこ、とお話しにとけ込むの。」」
p169
「こうして、私はいつも、そうだったら良いのに、を繰り返し、泣いている目に、ごめんなさい、を繰り返し、忘れられない、という名の小さな種が、自分の頭にもまだ残っているのでは、と思いだして、知らず知らず髪に指を入れているのである。」
p211
「山吹の友人で、海月及介という変わった名前の男だ。中学生のとき、白刀島に一年間だけ住んでいたことがあり、そのとき山吹と同級生だった。」
p217
「山吹は五月生まれだ。安易な山吹家の命名方法である。」
p219
「「よおく考えてごらんなさい。貴女と私、どっちが料理が得意?」」
p224
「「でも、諏訪野が風邪をひいたとき、あんな年寄りでもまだ風邪をひくのねっておっしゃったの、叔母様ですよ。」」
p228
「「あ、彼が噂の海月君です。」山吹は微笑んだ。「及介、こちらが西之園さん。」」
p245
「トロントしてる。」
p266
「「いえ、犀川先生が思考派で、西之園さんが行動派かなって。」」
p280
「「僕の身内。」医師は答える。」
p280
「「あれはね、グライダだよ。」微笑みながら彼は話した。「ラジコンのグライダ。あの人の趣味なんだ。」」
p283
「「現実っていうのは、常に釈然としないものかも。あぁ、これって、犀川先生入ってるなあ……。」」
p286
「「刀之津診療所の謎についてです。」「うん、僕は、もう全部わかったよ。でも、君にはわからない。」」
p288
「「まあ、現実って、こんなものですよね。脈絡もなく、もともと突飛で、ばらついているし。」」
p288
「「無関係のものを無理に結びつけて、物語を作ろうとするのが、人間の想像力。」」
p289
「「あ、そうだ、叔母様、PQRって、なんだと思います?」」
p289
「「うーん、三つとも非対称。」」
p289
「「見くびらないでね。西之園は、ローマ字だと、すべて点対称ですよ。」」
p290
「「叔母様、お食事中にそんなことしたら……。」西之園は言いかける。「諏訪野に叱られる、でしょう?」佐々木が微笑んだ。」
p290
「人間というのは、ときどき、こうして未知の領域へなにげなく足を踏み入れることを好む。この性状は他の動物には滅多に見られないものであり、これこそが人類の主たる特性といえるものだろう。」
p291
「≪PQR≫も非対称だが、≪刀のつ≫も同じく非対称だ。「なんだ、そういうこと。」彼女は小さく呟いた。」
p291
「突然、ガラガラと音を立ててガラス戸がスライドする。目の前に同年輩の男が立っていた。診療所の医師だろう。白衣を着ている。」
p292
「「≪刀のつ≫というのは、横を向いていますけれど、FとGとJですね?」」
p292
「「アルファベットの大文字の中で、線対称でも点対称でもない、非対称なものは、F、G、J、P、Q、Rの六文字です。それが書いてある。」」
p292
「「では、グライダを飛ばしにくる人って、あの方だったのね?そう、背の高いボーイッシュな感じだったわ。どうして、この島で一緒に住まないの?」「彼女は仕事があるんですよ。」男は答える。「振袖を着ていたのは、貴方だったわけ?」」
p293
「「そうか、少林寺かなにかね?」」
p293
「「さあ、とにかく、中へどうぞ。」彼は手招きした。「懐かしいなあ。お茶でも淹れましょう。フランソワ。」」
p297
「しかし、これはトンネルだ。いつかは出口が必ずあるはず。ここに立ち止まっていたら永久に出られない。前に進むしかないのだ。」
p314
「午前と午後が背中合わせ。それが小川君のものだ。」
p319
「男は、美術品の鑑定を依頼されてここに絵を見にきた、と語った、名前は椙田というらしい。」
p322
「「それを見ていなかった。」椙田は答えた。」
p324
「椙田事務所・所長・椙田泰男。美術品鑑定、各種調査、ほかにも小さな文字が続く。」
p324
「「もしよければ、僕の秘書になりませんか?」」