@sotaono
- 2026年8月22日
- 2026年8月20日
p47 「黒い猫だった。」 p63 「言葉なんて、なんの価値もないのに、縋りたいときはある。」 p64 「言葉は馬鹿馬鹿しい。どれも、嘘だ。」 p150 「死のうと思えば、いつでも死ねるだろう。それだけの決断力と運動能力がある人間ならば。」 p158 「あの目は、人を見ていない目だった。地上のものに関心がない目だ。ここでは、なにも探していない。同情も愛情も、欲望も渇望も、地上ではなにも期待していない。」 p202 「ずっと空を見上げていたカンナミは、視線を彼女の方へ向けた。綺麗な瞳だった。簡単には手に入らないような綺麗さだった。その視線が欲しかったから、彼女は質問をしたのだ。」 p212 「「貴女に撃たれるなんて、幸せだ。」」 p243 「初めから、自分なんてものが幻想なのだ。すべては常に変化している。それが自然だ。昨日の自分と、今日の自分は、違う生き物であることが自然だ。以前と違うことの方が当たり前であって、変化し続けること、蓄積しないこと、築かないことが、摂理なのだ。植物は冬に枯れて、春になれば新しい芽を出す。同じことを繰り返すけれど、まったく同じではない。いつもいつも新しくなっている。」 p245 「補完と終結。集合と離散。なにもかもが、泡だった。」 p250 「撃とうと思うまえに、撃て!」 p266 「「そう……、夢のようだね、なにもかも。」」 - 2026年8月15日
「どこまでもはてしなく、 リズムとともに続くブルー。 見ろ、これが僕たちの場所。 どこまでも細く、 蛇のようにうねるスモーク。 そう、あれが僕たちの墓。 太陽に彩られたエッジ、 切り込んでいくウィング。 落ち着かない空気がシルバを踊る。 光り、震え、揺れ、鳴り、叫ぶ。 すべてが纏いつき、 すべてが剥がれていき。 美しさもに醜さも、 眩しさに色を失い、 区別できない、なにものも。 それでも、 目を閉じるな。 真っ白な光の中に、 お前が撃ち込むものがいる。 必ずいる。 いつでもいる。 どこかにいる。 目を閉じるな。 眠ってはいけない。 今までに見たことがない美しい 翼がきっと一瞬だけ現れる。 これまでに思ったこともない美しい ループを描くだろう。 その一番美しいものこそ、 お前の敵だ。」 p14 「言葉だって砂だ。染み込んで、たちまち消えてしまう。無数に積もり積もって、平坦になって。そう、どんな言葉だって、煙より早く消えてなくなってしまう。なにもなかったみたいに知らん顔の砂丘になる。ただ、それでも、言葉はまだ少しだけ優しい。躰に触れられたときの冷たさに比べれば、ずっと優しい。言葉を聞いているうちは、それが耳に残っているうちは、機銃だって黙っていられるだろう。」 p17 「僕が誰なのかなんて、そんなことどうだって良いじゃないか。そう、どのみち、僕は僕なのだ。僕が誰かなんて、それは、僕以外に誰が存在するのか、ということと同じくらい馬鹿馬鹿しい。周囲に誰もいなければ、僕は誰であるかなんて、無意味だ。」 p20 「これが愛することの理由だと、そのとき僕は思った。綺麗だから、愛するのか。それとも……、愛するから、綺麗なのかな。」 p20 「それはわからない。でもとにかく、そこへ向かって突き進みたくなるんだ。いつかそれが消えてしまうこともわかっていて、それだからこそ、そのまえに、なくなってしまうまえに、それに少しでも触れたい、と思う。そっと手を伸ばし、僕の手に、それを掴んでみたい、と思う。それが愛するという意味じゃないかな。ぼんやりと、そんなふうに想像しただけ。」 p61 「理由か。どうして、そんなものに拘るのだろう。」 p64 「言葉だけで、ずっと一緒にいるつもりだ、と言うことは容易いし、そんな嘘の言葉でもいいから、彼女は欲しがっているのかもしれない、ということは想像できた。だけど、残念だけれど、僕は無駄なこと、意味のないこと、確信が持てないことには、手を出さないことにしているんだ。それは、空で学んだこと。命を懸けて相手と戦うときに、これだけはしてはいけない、という自分との約束だった。無駄なことをしないのが、尊敬する相手に対する礼儀だ。その約束を破ったら、墜ちていくときに、自分を祝福できないだろう。」 p71 「たしかに、話をしているうちに、とても幸せな光景に思えてきた。幸せすぎて、悲しくなるくらいだ。」 p94 「「これで、願いが叶うわ。」」 p99 「「あんたって、正直だよね。」彼女は微笑んだ。「好きだなぁ、そういうところ。」「フーコ。」僕はもう一度彼女の名を呼んだ。「何?」「ありがとう。」」 p101 「「それを考えて、ちゃんと考えて、生きていけば、そのうちきっと、できるようになるよ。」」 p104 「「涙が出そう……、駄目だよね、泣くのは明日の朝なんだから。そう、それまでは、楽しいことをしなくちゃ。」」 p113 「「もう充分に生きたな。」草薙水素が言った。」 p114 「「ありがとう。」僕は言った。「さようなら。」草薙が言う。」 p115 「何が幸せって、彼女に撃たれたことだ。願ってもないこと。夢にまでみたこと。そして……、そこで、もう一度だけ、僕は目を開けた。もしかして、これは夢か?」 p118 「人生だって、距離ではなく、時間だ。」 p119 「そうだ、彼女がまた現れそうな予感がした。僕を撃ちにくる。いつか来るだろう。彼女に撃たれるまでは、生きていなくては……。」 p125 「でも、いずれにしても、写真をそうして飾り続ける仲だった、ということが重要なのであって、関係の名称に意味があるわけじゃない。」 p129 「「変化することが、つまり、生きることなんですね。」」 p136 「たった今こうして、彼女と抱き合っていることと、まったく同じなのだ。温かさを確かめるために、操縦桿で優しく相手を抱き、接吻けるよつに機銃を向ける。」 p149 「「明日があれば。」「明日はあるわ。」」 p152 「「私たちが、科学という空で戦うのはね。」彼女は振り返って微笑んだ。「人間が乗った飛行機じゃないの。」「誰が乗っているんですか?」「いえ、飛行機でもないわ。私たちが撃ち落とす相手は、天使よ。」「天使?」「そう、悪魔かもしれないけれど。でも、どちらも同じものね。」」 p155 「「私の名前は?」「サガラ。」「ありがとう。」彼女は微笑んだ。「下の名前は、覚えている?」「アオイ。」「嬉しいわ。私は、あなたにとって、少しは特別だったのかしら?」「そうかもしれません。」」 p174 「「人間の一部がキルドレです。また、人間の一部が綺麗な心を持っているでしょう。あるいは、人間の大半が綺麗な心を持っているかもしれません。でも、それが外からは見えないようになっているだけなのでは?」」 p194 「彼女の顔が近づく。彼女の指が僕の額の髪を払い、彼女の唇が僕の額に触れる。それから、僕の目の近くにも、彼女は接吻した。「可愛い人。」」 p197 「「スポーツと戦争は、どこが違いますか?」」 p205 「「カンナミ。」」 p216 「草薙水素だった。」 p217 「「カンナミね?」」 p217 「「銃?」「持っているなら、今、私を撃って逃げろ。」「どうして?」「それで、君は本当に自由になれる。」」 p219 「しかし、そもそも現実なんて、こんなものかもしれないな。きっと。そんな、感じだ。今までの人生がすべて幻だったとしても、僕は全然驚かない。それくらい希薄なのだ。」 p229 「「もっと待ってほしい。もっと普通の時間を長く過ごして、記憶をしっかりと築く。自分を築くのよ。時間をかけてね。それまでは我慢してほしい。人間というのは、こういうものだって、きっとわかるわ。あなたが、あなたたちが思い描いているほど、綺麗ではないかもしれないけれど、それが人間なの。あなたも人間なのよ。それを忘れないで。大丈夫、きっと人間として生きていけます。」」 p240 「「OK。イグニッション・オン。」」 p250 「素晴らしい。人の人生なんて、そんなものだ。すべてが一瞬の幻想。」 p252 「「凄かったね、さすが!」彼女は僕に顔を近づけて、頬にキスをする。」 p259 「彼女は、無駄な戦いをやめさせるために戦っている。それは、無駄な戦いではないのか。無駄な戦いと、無駄でない戦いがあるのか。無駄だと思う側と、無駄でないと思う側は、敵と味方?しかし、戦っているのは、無駄ではないと思っているどうし。わからない。ただ、僕には、戦いが無駄かどうかなど、関係がない。無駄でも、無駄でなくても、戦いの価値は変わらない。」 p261 「「散香。」」 p262 「「ササクラ。」」 p263 「「クサナギ。」」 p267 「何故、自分でない者にまで、自分の愛を押しつける?それが愛だと信じさせるためにか?本当の愛ならば、信じさせる必要などない。違うか?ああ、人間たちはみんな馬鹿だ。この飛行機の、この美しさを見ろ。この翼を見ろ。これに比べたら、すべてが醜い。愛なんて、錆のようなものだ。それが、綺麗な営みだと、錆が思い込んでいるだけ。美しさを知らない。なにも見ていない。美しさとは、この冷たさのことだ。」 p268 「けれど、涙は止まらなかった。ああ……、僕は泣いているのだ。悲しくないのに、泣いている。たぶん、この美しさのせいだ。美しさに涙が出る。こんなに美しい存在が、世界にあるだろうか。」 p282 「「飛びたい。」僕は答えた。「あの散香で、飛びたい。」」 p289 「「生きていれば、また会える可能性もあります。」「覚えているか、どうかですね。」僕は微笑んだ。「覚えていて。」彼女は僕に触れた。「お願い。」」 p306 「僕は、生きている。そうだ、ここが僕が生きる場所だ。」 p312 「「見事だった。」彼女は言った。「さすがだね。」「ありがとう。」僕はとりあえず返事をした。「散香に乗れることを約束する。私と一緒に、戻りなさい。」「本当ですか?」僕はきいた。「約束する。今の飛行で、君の能力が戻っていることは証明された。」「ありがとうございます。」僕は、片手を上げた。その自分の片手に驚いた。そうだ、敬礼をしようとしたのである。」 p315 「「サガラ!」僕は叫んだ。」 p318 「「あなたは、あなたでなくなるかもしれない。それでも、あなたが選択した道だわ。」「僕は、いつでも僕だよ。」」 p319 「「私を撃って。」」 p326 「「ブーメラン、飛んでいるか?」」 p329 「撃て 撃とうと思うまえに」 p335 「「クサナギ・スイトです。」」 p338 「「カンナミさん。」」 p338 「僕はそれを手に取る。それは小さなブーメランだった。」 p340 「待ってろ。また、会おう。また、踊ろう。自由に。美しい空で。」 p340 「ブーメラン、飛んでいるか?」 - 2026年8月13日
「美しさが見たいのなら。 生きていることを感じたいのなら。 その死以外に、美しい死はない。 革命の夜に涙を流し、 血の味を知る者だけが叫ぶ。 待っていろ、今にこの手に 貴様の首を摑んで見せると。 偽りで作られたものを 破壊し、耕し、 そして、幻の種を撒け。 なにも生まれない。 そう、なにもかも、 すべては幻想。 戦う者だけが、 少なくとも人間の幻想に 触れることができる。 それ以外のすべては、 大人という名の生きものが 腐った泥で作り上げた偶像だ。 お前は泥か? 確かめたいなら、戦え。 自分が何者か知りたいのなら、死ぬまで戦え。 ひび割れて、朽ちるまえに。」 p25 「ただ、言葉というのは、いつもこんなふうに、綺麗に飾って現れるものなんだ。」 p27 「いつまでもこれが続くことなんてありえない。それはわかっている。お互いにわかっているはずだ。だからこそ、繰り返すことができる今を、もっと喜べってことだろうか。」 p38 「「ボンネットに猫のマークがあった。」」 p40 「「どういうわけか、みんな、俺に話したがる。俺が聞きたがらないせいだろうな。」」 p85 「「人間はね、戻れないの。誰一人、戻ることはできないわ。大人が子供になれる?」」 p87 「「もう、あなたが懸けたクサナギ・スイトは、消耗しました。見切りをつけるときが来たのだと思います。」」 p93 「「クサナギさんの、幼馴染みだったって、知っていましたか?」」 p96 「心配だなんて、引出の奥に仕舞ってあったみたいな上品な言葉を持ち出してきたけれど、心配している姿を、草薙に見てほしいのだ、きっと。結局、大人って奴は、自分が好かれたい、という動機しか持っていない。だから、自分を好きになってくれる可能性のあるものにしかアプローチしない。そういうふうにできているのか、あるいは、そういう気持ちしか、働かなくなってしまったのか、ようするに、ほかのいろいろな感覚が錆びついてしまった、ということだろう。」 p96 「虫を触ったら面白いとか、草の根っこを引っこ抜くとすっとするとか、高いところから飛び降りたら気持ちが良いとか、そういった感覚を、すべて自分には無駄なものだと処理してしまった。その結果できたものが、つまり大人だ。そういうものを、大人しい、というのだろう、たぶん。では、自分にとって無駄でないものとは何か。それは、自分に利益をもたらす対象だけ。自分を好いてくれて、自分に快楽を与えてくれるもののみ。それだけが生きる目的になる。それが、女だったり、金だったり、それとも名誉だったり。ああ、なんてつまらない。さらに輪をかけてつまらないのは、女といっても、つまりは外側の形だけのことなんだ。金も名誉も、つまりは自分が思いどおりに他人を動かせるというだけの上辺だけの効果なのだ。」 p113 「「あなた方にとって、命とは何ですか?」」 p132 「「嘘だよね。だって、本当に生まれ変わるんだったら、どうして、こんなに死ぬのが怖いと感じるの?」「そんなに怖い?」「怖いよう。」「忘れるからじゃないかな。」」 p137 「「だけど、嬉しいことで、悲しいことって、消せないんだよね。」」 p145 「「サガラさん。」僕は彼女の名前を思い出した。」「嬉しい。名前を覚えていてくれたのね。」彼女の口が微笑んだ。」 p152 「「嘘だ。」草薙がふっと吹き出す。「慌てている。何年のつき合いだと思う?」」 p157 「じっと僕を見つめている彼女の瞳。西の窓の磨りガラスを、赤い日差しが照らしていて、それが小さくなって、彼女の瞳の中にもあった。この人は綺麗だな、と僕は思った。」 p158 「「私はね……、キルドレを普通の人間に戻す方法を発見したの。」彼女は言った。「長い間、これは不可逆的なものだといわれていた。でも、方法があった。動物実験では既にパーフェクトに成功している。安全な方法です。」」 p160 「「いいえ、違うわ。」彼女は優しい微笑みを見せた。今日初めての、本当に愛情に満ちた、そんな余裕さえ窺える顔だった。「名声なんて、私には興味がありません。」」 p161 「「でも、覚悟はしているの。大丈夫。あなただって、飛行機に乗るときは、覚悟をしているでしょう?科学者だって同じです。新しいものに挑むときは、空を飛んでいるのと同じなの。地上の生活からは、遠く離れている。そして、そのままもう戻れないことだってあるってこと……。」」 p162 「「もう、あの頃には、研究はほぼ完成していた。偶然だけれど、私はクサナギ・スイトと同郷だった。これが、私の研究の最大のキーだったの。」」 p177 「草薙は僕を見据えている。じっと視線を逸らさない。獲物を狙う猫科の獣のようだった。僕は、最初は自分のついた嘘を責められている、と感じた。しかし、そうではない。僕はようやく気づいた。草薙の目は、僕に嘘を押し通せ、と命じているのだ。」 p183 「しかし、一人の人間が二つの人生を比較することは無理なのだ。短くても、長くても、一瞬でも、永遠でも、人生は一度きり。これだけは誰にも共通している。「いいえ。」」 p189 「本を読んだりして、普通の人間の思考を知ることはできるけれど、どこまで現実に存在するものなのか、やっぱりわからない。愛情と呼ばれるものの多くは、単に、自分が良い思いをしたい、自分が望んでいる状況になりたい、という欲求に過ぎない。相手を愛していると口では言いながら、つまりは自分のことが大事なのだ。」 p190 「愛情を信じて恋人を愛撫する者も、勝利を信じて戦う者も、同じだ。」 p199 「僕な彼女を追い。僕は彼女を守り。僕は彼女を見て。僕は彼女を待った。触れたことはない。一度も。」 p200 「美しいものを知っている。愛するものを知っている。触らなくてもわかる。抱き締めなくてもわかる。愛されなくてもわかる。子供は、母親を知っている。それと同じことなのだ。」 p206 「人間の人生なんて、このトンネルみたいなものかもしれない。トンネルに入ったときが生まれたとき、トンネルから出るのが死ぬときだ。どこへもいけない。ただ、出口へ向かって進むしかない。長くても、短くても。」 p206 「人は他人に対してなにもできない。どんなに優しい言葉をかけても、愛撫して抱き締めても、なにも救われない。他人の命に関わることはできないのだ。唯一の例外は、その人間を殺すことだろう。」 p208 「「ティーチャは、どうしているんでしょうか?」」 p212 「「私は、クサナギ・ミズキ。」」 p241 「「どうか、お元気で。」」 p247 「二度と草薙水素と会うことはないだろう、というあのときの予感は当たっていた。」 p249 「たぶん、今の僕は、そうやって自分を説得しているのだろう。これが人間だ、これが人間だ。「しかたがないよね、人間なんだから。」」 p274 「花束で、どんな自由が得られるだろう。」 p275 「僕が僕であり続けたい。生きているかぎり。」 p296 「猫の目?猫の顔だ。」 p332 「そうだ、花束を買っていこう。」 - 2026年8月11日
「醜い大人たちよ。 人の命が美しいか醜いか 戦うことが正しいか間違っているか、 誰も教えてくれなかった。 教えられるはずがない、 誰も知らないのだ。 それを知ることを諦めた奴が 大人になる。 美しいという言葉でしか、 美しさを知らない。 戦うという言葉でしか、 戦う意味を知らない。 生きていることに怯えて、 なにも知りたくない及び腰。 美しくても正しくても、 醜くても間違っていても、 どちらでも良いのか? 戦う者だけが、 美しさを知ろうとしている。 ただそれだけのことだ。 それだけのことで大人になれなかった 子供たちが今も お前たちを睨んでる。」 p59 「「カンナミといいます。」彼は答える。」 p66 「なんという礼儀正しい草薙水素。いつから、こんなに大人しくなったのだろう。これではまるで入院患者だ。けれど、笹倉の電話が嬉しかったことは、どうも確からしかった。」 p67 「空を知っている瞳。宇宙を知っている瞳。「カンナミ。」僕は少年の名を口にした。」 p71 「格納庫の中には、二機の散香。美しい濃紺と淡いブルー・グレィの迷彩だった。どこか、違う、とすぐに感じた。いつもの散香と違う。」 p71 「「もちろん。」少年は白い葉を見せて微笑んだ。「一緒に飛びましょう。」」 p72 「この戦闘機という名の飛行機には、二人は乗れない。二人いる必要がない。もう一人がいても、なんの役にも立たない。それと同じように、僕が生きていくためには、僕以外の人間は誰も役に立たない。誰かと手をつないで生きるなんてことは、絶対にない。それは、もう生きているとは別の状態といっても良いだろう。誰かとともにいるということは、生きているよりも、死んでいるのに近いのではないか。そうだ、死んだら、みんなのところへ行ける。地面に埋められて、周囲と同化して、天国だって、みんなと一緒だろう。手をつなぎ合って。わからないけれど、天国でも一人ということは、ないと思う。そんな気がする。」 p87 「「仕事をしないでぶらぶらしていられるなら、誰だって、シンプルで善良な人生が送れるってこと。」」 p89 「自由って、役にたたないものなのだ。」 p97 「「自分がどうなっているのか、把握できていないことは、良い状況とは思えません。」」 p97 「きっと本心が頭脳をパスして、声を発したのだろう。なかなかやり手の本心だ。」 p101 「たとえば、黒猫をマーキングしたあいつがいるだろう。話を聞きながら、僕は彼のことを考えていた。まだ一度しか遭遇していない。」 p111 「スカイブルー。なんという美しい色。ハーモニィ。なんという気持ちの良い音。」 p111 「能力をすべて人に教えるなんて、そんなぎりぎりのことはしたくない。それを学んだのも学校だった。そう、周囲のみんなは、自分の能力をより大きく見せようとやっきになっていた。いつも背伸びをして、こんなに自分は凄いのだ、とアピールしようとする。先生に認められて、良い内申を取りたかったのだろう。それはつまり、周囲のみんなが味方だと信じている証拠だ。僕は、幸いにもそんなお人好しではなかった。周囲の連中には、わざと手抜きをして、無能な自分を見せることにしていた。そうでなければ、いざというときに困るだろう。違うか?」 p114 「あのときはティーチャが一緒だった。ティーチャ?誰だ?僕はまたくすっと笑う。誰だっていい。そうそう、もうそんなの昔のことだ。」 p118 「「ヒガサワ・ムイの弟です。」」 p119 「けれど、やはり一瞬のことで、水と一緒に僕の表面を流れていった。地上にあるものの中で、一番綺麗なものは水だ。水は空から落ちてくる。汚れたものを、全部洗い流してくれる。」 p123 「そこになにかが沈んでいたけれど、できるだけ上澄だけを掬って飲んだ。複雑な味だと思った。複雑だからそこ、こんなに濁っているのだ。」 p124 「「あなたが来たから、彼は出ていったのではない?」」 p126 「僕は、人を羨ましいと思ったことはない。それから、人に羨ましがられたいと思ったこともない。そもそも、羨ましいという感覚が正確に理解できない、といった方が近いだろう。他人がとても幸せだったり、とても立派だったり、とても優れていたり、そういうことを観察しても、自分と比較する方向へ思考が進まない。比較をしたって意味がない。なにしろ、それは乗っている機体が違うのと同じなのだ。空へ上がってしまったら、乗り換えることはできない。一度生まれてしまったら、人間だって乗り換えることはできないのだから。」 p132 「それは、病院にいた少年、函南だった。」 p135 「「つまり、相手も、必死になって見ているんだ。必死になって、考えているんだって、そう考える。同じだ。同じコクピットが、空にもう一つあって、向こうも必死になって、飛行機を操っている。どちらか一方だけしか残れない。どちらかは飛んではいられなくなる。だから必死だ。でも……、この際だから、どうせなら楽しもうって思う。力を抜いて、まず相手を好きになろうって思う。一緒に遊ぼうって思う。一緒に手をつないで踊ろうって……。ポールが立っている周りを回っていて、音楽が聞こえてきて、本当に躰の中から動きが浮かび出てくるような、踊りたくなるような、そういう感じになる。手をつなげば、相手の気持ちがわかって、相手の動きも自然に見えてくる。そう、そんな感じです。ごめんなさい。きっと、役には立たないでしょうね。」」 p136 「「どうか、立派に戦って下さい。綺麗に戦って下さい。誰のためでもありません。自分自身のために。」」 p138 「纏いつくことで、きっと得られるものがあると信じているのだ。あるいは、そう信じたい。信じられることで安心したいのだ。ああ、なんて、ねっとりとした気持ち。べとべとしている。地上は、ねっとりと濁っていて。なにもかもが、ねばっこくて。切り離されることを恐れているかのようで。一人だけになることを避けようとして。結果的には、もっともっと寂しいものを集めてしまう。」 p140 「僕を褒められるのは、僕以外にない。褒められることのできない人間なのだ。」 p141 「「いい面構えだよ。」」 p143 「「僕は、ある女性を連れて逃げているんです。」少年は空を見上げて、話を始めた。」 p144 「少年は僕をじっと見つめる。彼の瞳に光が見えた。どこの光を反射しているのか不思議だった。もしかしたら、涙だろうか。もしかしたら、もっと美しいものだろうか。」 p145 「「そして、最後には、僕は彼女を殺してしまう。」少年の声は僅かに震えていた。「彼女は微笑みながら、倒れ、僕は彼女をこの手に抱くのです。それから、自分の頭も銃で撃ち抜きます。そうしないと、彼女がどこか遠くへ行ってしまう。見失わないうちに、僕も行かなくては、と思うんです。」」 p145 「もしかしたら、もっと美しい指。もしかしたら、もっと美しい手。」 p146 「触れるだけで、壊れるものがある。もしかしたら、もっと壊れるかもしれない。もしかしたら、もっと消えてしまうかもしれない。もしかしたら……。」 p146 「「その彼女のことを、君はどう思っている?」僕は冷静な声できいた。僕の胸からではなく、僕の頭から出た声だった。「大切な人だと。」「それだけ?」「どういうことですか?」「自分のものにしたい、と思った?」「自分のものにする、という意味がわかりません。」」 p146 「僕は彼を引き寄せて、背伸びをして、口づける。」 p169 「「わかりました。」なにもわからなかったが、なにもわからない方が良いことがわかった。」 p175 「「クサナギ、久しぶりだな。」」 p179 「「そう……。ここで、この街の中で、ダンスを踊ってやる。本もののダンスを知らない連中が考えたんだな。見せてやろうじゃないか。」」 p182 「「待ったところでろくなことはない。自分を信じて、自分の感覚を信じて、いつでも撃て。」」 p191 「「自信ではありません。」「では……、何?」「予感です。」そう答えたけれど、それは二番めに思いついた言葉だった。本当のところは、「諦め」だと思える。」 p192 「彼女を見ていると、どうしてこの人は、こんなに優しい顔を自由に作れるのだろう、と僕はいつも思う。」 p199 「想うだけで、生きている、と感じる。死んでもいい。死ぬことなど、なんでもない。死ぬために、生きているのだ。恐いものなどない。さあ、みんな、僕に向かってこい。」 p201 「目を瞑ってさえすれば、なんだって眩しくなる。結局は、そういうふうにして、大して美しくもないものを美しく見ようと努力する。そうやって生きているのが人間ってことか。」 p214 「同じ道を同じ人間が歩いて、同じ気持ちを持っていて、きっと伝えたいことも、言いたいことも同じなのに、言葉がこんなに違うなんて、本当に不思議だと僕は考えた。」 p216 「明日、ティーチャと戦えるという幸せか、それとも、笹倉が来てくれた安心からか、いずれにしても、今夜の僕は調子が良い。人間として調子が良い、ということだろう。いつまでも続くものとは思えないけれど、でも、こういう状態を、優しい、と表現するのではないだろうか。基地の食堂の老婆が、僕が知っているうちでは一番優しい。歳を重ねると優しくなれるのかもしれない。そうじゃないかもしれない。それはわからない。どちらでもいい。今はただ、全部が綺麗に見える。すべてが綺麗に僕の周辺にある。そういうこと。明日死ねたら、とても幸せだと思った。」 p219 「「私にできることなら、なんでもするわ。私はね……。」甲斐は目を細め、顎を少し上げる。自信に満ち溢れた顔だった。「クサナギ・スイトに懸けているのよ。」」 p242 「相手を憎んでなどいない。それどころか、尊敬している。味方も敵も、どちらも立派なパイロットなのだ。だから、敵という文字、敵という言葉が、その概念が、根本的なところで、決定的に異なっているだろう。戦う者と戦わない者の違いは、結局はそこにある。」 p246 「世界に自分一人だけだったら、という空想を、子供のときから僕はよくした。街も自然もそのままで、自分以外の人間が全部消えてしまったら、と考える。それはとても楽しい妄想だった。僕はそういう世界を望んでいる。それは明らかだ。」 p247 「一人だけの方が、僕には適している。この方が、自由。摩擦がない。周りに、人間が沢山いることが、一番の不自由だった、とわかる。そのとおり。のびのびと、ゆっくりと、生きていこう。そして、死ぬときは、どこか高いところから飛び降りれば良い。堕ちていく間、しばらく本当に空が飛べるだろう。自分の意志で、誰のためでもなく死ねるなんて、こんな幸せはない。最後はそれだ。楽しみは最後にとっておかなくては。」 p250 「「カンナミ?」彼は微笑んだ。そして頷く。「どうきて、ここにいる?」「あなたを待っていた、クサナギ・スイト。」」 p252 「「僕は、あなた以外じゃない。」」 p260 「人間は、社会という名前の水槽の中で、安全と平和に縋って生きている。水槽の中で生まれ、水槽の中で育った人間に、どうして、外のことがわかるだろう。否、わかる。それがわかるのが、人間ではないか。子供のときから、すべての人間は、外を知っている。本当の自由を予感している。だからこそ、大空へ飛び出していく者がいるのだ。子供はみんな、空を飛ぶ夢を見るのだ。飛べるようになるまで、あるいは、飛べないと諦めるまで。」 p264 「「自分が可哀想になる。」甲斐は言う。笑おうとしたが、今度はいつもの優しい笑顔ではなかった。「今の方が良い。いつも、そう思っている。昔よりも、絶対に今の方が良い。もっと良くしたいって。」」 p273 「言葉をどんなに尽くしても、絶対に本当のところは伝わらないだろう。なにしろ、理解よりもまえに、嫌悪や懐疑、あるいは同情が入り交じる。そういった余計な感情が理解を妨げるのだ。あるところまで話すと、もう言葉の意味を受け入れてもらえなくなる。そうにきまっている。いつもそうなのだ。」 p277 「いつだって、人は命を切り離せる。それなのに、こんな僕に、何故、命はついてきてくれるのか?」 p284 「「ティーチャだからって、やけになるなってこと。」「なんで、やけになる?」僕はきき返す。「帰ってこいよ。」笹倉が言った。」 p288 「さあ、いくぞ。踊ろう。ダンスを!」 p329 「お前たちが期待している草薙水素を殺してやる。」 p339 「もう、二度と、彼には会えないような、そんな気が、少しだけ。」 p339 「でも、僕たちは、つながっている。空気だけで。空だけで。僕たちは……。」 p347 「「いい?悔しかったら、人よりも高いところへ上がるしかないのよ。見下してやるしかないのよ。雲の上まで行ったことがあるのなら、わかるでしょう?」」 - 2026年8月10日
新装版 ナ・バ・テア森博嗣「目を覚ませ、大人たちよ。 自分たちが人間の完成した形であり、 それに比べまで子供は不完全な存在だ、 という理屈は、 死んだ人間が完成した姿であり、 生きているものはすべて不完全だ、 といっているのと等しい。 気づいているか? 大人になる、という意味は、 死を意識して、臆病になる、 たった、それだけの価値。 ほとんど死んでいるに等しい 大人の譫言。 古来、人は「死」を守り、 「死」、に縋って、戦った。 生きていることの尊厳ではない。 生きているものに、できることが、 それしかなかったからだ。 大人が醜い理由は、戦おうとしない その怯えた命にあるということに、 気づいているか?」 p11 「優しいものって、どうしてどれも止まろうとするのか。手を広げて、さあここへおいで、と微笑む手は、何故みんな止まっているのだろう。」 p12 「いつかはきっと借りを返してくれる、という兎の耳のような暖かい友情、淡い希望的観測、そんなドロドロのオイルには、できることなら触りたくないな。無駄なものはきっぱりと、捨ててしまいたい。いつもドライで、そして身軽でいたいし、いつも、そのときに可能な最高のコンディションでいたい。」 p15 「否、そもそも、自分以外の人間に興味を持ったことが、一度もなかったはず。そう、思いつかない。」 p23 「気持ちとは反対のことができるなんて、人間って複雑なメカニズムだと思う。」 p36 「理屈では、当然わかっている。それなのに、どうして気がおさまらないのか、自分でもよく理解できない。けれど、自分でもよく理解できないことなんて、僕の周辺には、いくらでもある。無数にある。そっちの方が多い。それが普通なんだ。たとえば、僕自身だって、僕にはよくわからないものでできている。」 p38 「僕が、撃墜王の僚機を務めたのだ。」 p41 「「ティーチャだ。」その言葉に、僕の心臓は一度だけ大きく鼓動した。ティーチャというのは、彼のコードネームだ。みんな、コードネームできが彼を呼ばない。それだけでも、彼は特別だった。」 p44 「「命を粗末にするな。」」 p49 「でも、いつだって、僕は夢を見ているように、生きている。」 p50 「僕が、自分でつけた傷だ。そのままもう、僕で亡くなることを願った痕だ。」 p50 「星空が霞む。けれど、それは僕の目の問題。星が霞むことなんて、絶対にない。僕の目か、僕の目の前の雲か、せいぜいが、そんな地面に近いところだけの問題にすぎない。星は、そんなちっぽけなこと、知っちゃいない。」 p50 「カウリングに開いた穴のことが、頭から離れなかった。僕の頭に開いた穴と同じだった。ずっと以前から、まだ小さな子供のときから、ずっと開いている穴のように思えた。」 p71 「五メートルの距離のところに他人が立っていて、まったく脈役の読めない会話をしている。ラジオ放送みたいに、僕はそれを聴いているのだ。そう、他人の存在なんて、音と同じ。嫌でも聞こえてくるけれど、しかし、僕は押されるわけでも、引かれるわけでもない。触りさえしなければ、なにも影響はない。単なる空気の振動。」 p72 「だいたいが、みんなドライで、友人のことをケーキと同じ程度にしか考えていない。そのとき一口食べてみて、ちょっと美味いと思えば、それで良い。それだけの存在なのだ。いつ、いなくなるかもしれない。べつに、なければないでかまわない。」 p72 「世の中の人間に対して、すべてそういった目で、僕たちはみているかもしれない。敵意などまったくない。しかし、その逆の、親密な感情も抱けない。人間は人間。動物の一種。スポーツで、同じ国のチームを応援するみたいに、サルよりは人間の方が好ましいとは感じる、それくらいの親近感しかないのだ。」 p83 「自己評価は、文字どおり自分一人の判断であって、それで自分を把握していれば充分なのだ。それだけならば、いかなる問題も生じない。」 p87 「自然のほとんどは、人間が都合良く作ったものだ。砂漠だって自然なのに、何故か緑豊かな土地だけが愛される。地上は、そういう嫌らしさに溢れているのだ。きっと海の中にも、沢山沈んであるだろう。川から流れ込んだ嫌らしさが、消えずに溜まっているにちがいない。その点、空はまだ無傷に思える。」 p91 「「ここでは、もうお前がナンバー・ツーだってことだな。」」 p111 「「いつだって、明日はあるさ。」」 p119 「それから、女の白い足が思い浮かんだ。馬鹿な奴。僕は舌を打った。わざとらしい奴。アルコールが自分の血だと信じている。あれでも大人だ。大人の女だ。嫌らしい。汚らわしい大人だ。あんな奴と一緒にいると、吐き気がする。本当に、撃ち殺してやりたい。地獄へ墜としてやりたい。」 p136 「人間っていうのは、なかなか第一印象のとおりとはいかないものだ。そこが人形と違うところ、ともいえる。それくらいしか、違いはないのだけれど。」 p140 「ゆりかごみたいに、きっと、素敵に神様が揺らしてくれるだろう。」 p170 「「悔しかったら、大人になってみなさい。」歪んだ顔で、彼女はそう言った。不思議なものを見た、感じがした。僕は、悔しくなかったし。可笑しくもなかったし。でも、少しだけ笑えてきた。そして、だんだん寂しいと思った。自分のことがではなくて。その女のことが、少し可笑しくて、少し寂しいと思えた。それだけだ。不思議だな。今でも、不思議だと思う。」 p176 「どうして、それが敵なのか、ということを考えることを、僕はしない。そういうことを考えるならば、まず、どうして僕は僕の味方なのか、を考えなくてはいけなくなるからだ。」 p178 「静かな方がずっと退屈じゃない。」 p180 「そうではなくて、単に自分を磨きたい、と考えているだけではないだろうか。ただ、自分が磨けたかどうか、自分が高まったかどうかは、他人と比較しないと判明しない、という測定方法に問題があるだけの話だと思う。」 p186 「「ティーチャがやはり注目されているのは、彼が普通の人間だからですよね?」」 p188 「優しさが不自由を作っているのだといえる。」 p188 「普通の人間、という言葉。あれも気持ちが悪い表現だ。どうして、普通のものを決めるのだろう。普通を決めるから、普通じゃないものができてしまう。理不尽な話ではないか。何をもって普通なのか。意味はないのに。そういう確固とした理由もないところで境界を無理に作ろうとする姿勢が、普通という馬鹿なやつの正体だ。」 p190 「でも、その反発って、結局、まだ僕が、人間に未練を残している証拠かもしれない。救いがないものだとは、まだ信じられない証拠かもしれない。」 p231 「比嘉澤の顔は汚れていなかった。可哀想なんかじゃない。綺麗だった。僕の靴よりも、誰の靴よりも、ずっと綺麗だ。」 p239 「「お前は、俺が知っているうちでもナンバ・ワンだ。今に俺よりも、きっと上になる。」ティーチャは言った。「命を粗末にするな。もし迷いが少しでもあったら、飛ぶな。すぐにこんな仕事から足を洗うんだ。」」 p240 「「これが後ろ向きに思えるか?俺は、お前が考えているような男じゃない。そうやって、なにかをでっち上げて、夢を膨らませて、見ているんだろうな。」」 p256 「僕が一番話をする相手は、栗田という男になった。といっても、この男はとても無口で、簡単な受け答えしかしない。そこが面白かった。それに、僕が相手をしなくなった笹倉が、この頃は栗田を摑まえては説明を始める、という場面に多く出会った。」 p261 「一度でも、ベッドに自分以外の者がいる夜を体験すれば、もうベッドは今までとは違う場所になってしまう。朝、目覚めたとき、ふと横を見てしまう。そんなふうにして、いろいろな場所が、どんどん濁っていくのだな、と思った。」 p263 「僕に見えないものは、どこにあるのだろう?でも、もしかしたら、それは、僕が見たくないものかもしれない。」 p271 「「あなたの、その向上心は、とても貴重なものだわ。」「自分には、向上心はありません。」」 p272 「「そうですね。地上に降りたとき、一番強く思うのは、もう一度飛びたい、ということです。死んだら、もう一度飛べません。」」 p274 「植物が種を飛ばして、方々に植えつけるように、人間の意志も、見えないところで広がるのかもしれない。」 p275 「染赤というのが、その飛行機の名前だった。」 p284 「馬鹿野郎!可哀想じゃない!誰も、可哀想なものか!みんな、立派だ。みんな、立派に生きている。誰も、死にたくはないし、誰も、可哀想になんか、なりたくない、そうならないように、一所懸命に生きているのに。」 p287 「もう一度。もう一度、挑もう。もう一度、ティーチャに。」 p290 「「チータって、山猫ですか?」」 p296 「「醜いものを、格好の良いものにすり替える。全部そうだ。汚いものを、綺麗なものでカバーする。反対はありえない。外見だけは美しく見えるように作る。しかし、そうすることで、中はもっと汚れてしまう。この反対はない。俺たちの仕事を考えてみろ。格好よくするイメージが作られる。今日の写真みたいにな。しかし、実態はどうだ?写真には血の一滴も映らない。オイルで汚れてさえいない。」」 p297 「「仕事なんて、みんな汚いものだ。人間が生きていくこと自体が汚れている。」「そう。」ティーチャは頷く。「問題は、それを美しいものだと思い込ませるマジックだ。そこが一番の問題なんだ。」」 p298 「「そんなの、単なる言い訳です。詭弁です。」「そうだ。そういう単なる言い訳、そういう詭弁の汚さが、好きなんだよ。」」 p299 「ずっとさきに、決まったものがあって、それを待っているよりも、それがなかなかやってこない状況よりも、今の方が僕は好きだ。見える範囲のものだけが、僕に向かってくる、今の方が。」 p300 「それを操っているパイロットも、同じ矛盾を最初から抱えている。安定していては勝てない。常に不安定に、いち早く自分を見失い、空気の流れに同化し、加速度の波に瞬時に紛れ込む、そんな空気みたいな軽さがなければならない。」 p308 「「君の中にいる生命も、それと同じだということだ。」」 p309 「「父親だ。」」 p318 「そうだ、生命というものは、そもそもその生命のものなのだ。誰のものでもない。独立している。」 p321 「「なにも気にすることはない。昨日や一昨日は、もう来ない。来るのは明日ばかりだ。」」 p326 「嘘ばっかりついている草薙水素。そういう奴だ。でも、なんだか楽しくて、横の空をじっと眺めていた。」 p327 「愛するために生まれてきたのではない。愛されるために生まれてきたのでもない。ただ、軽く……、飛ぶために、生まれてきたのだ。」 p346 「「馬鹿野郎。」可笑しくて、涙が出た。ゴーグルを外して、目を擦る。猫の絵なんか描いて。「チータってことか?まったく、何考えてんだか。」僕はそれから、大笑いした。思いっきり笑った。空だから。なにもないから。」 - 2026年8月8日
新装版 スカイ・クロラ森博嗣「戦争を知らない大人たちに捧げよう。 彼らの過ちは、三つある。 子供たちが自分たちから生まれたと信じている。 子供達より多くを知っていると思い込んでいる。 子供たちがいずれ自分と同じものになると願っている。 それら妄想の馬鹿馬鹿しさといったら、 戦争よりも悲惨なのだから。」 p11 「僕たち?つまり、僕と彼女の二人。他に人類がいるなんて考えたこともない。」 p12 「「貴方と一緒にいられなくなるから……。一人になるのが恐い。」」 p12 「自分って、誰だ?そんなことは、生きている奴が考える傲慢。生きている奴だけが騙される幻想。不規則な、きれぎれの、それこそ死にもの狂いの嘘。」 p14 「目が覚めても、彼女のことがしばらく僕の心に残留していた。それは、彼女の姿や声や匂いではない。彼女の存在そのものだ。だから、それは言葉にも信号にも還元することができない。したがって、急速に霧散し、消えていく。しかし、姿や声や匂いに印象を留めることの滑稽さに比べれば、それは素敵な消散だ。」 p15 「僕は何者なのか。思い出す。思い出すこと自体が、呪われた証。」 p15 「世の中のほとんどの差は、直接か間接かの違いなのだ。」 p21 「それを教えてくれた人間は、僕にとって大切な人だ。その人の名を口にするのは、その人と対面したときだけだと決めている。」 p36 「きっと、生きている、という不自由さからだろう。生物にとって、それよりも大きな束縛はない。「もしかして、死にたがっているんじゃない?」」 p50 「途中で、火を吹いている方の一機が湖面に墜ちるのが見えた。脱出はなかったようだ。可哀想に、という言葉は思いつく。けれどたぶん、僕はそうは思っていない。まるでケーキの上に描かれたチョコレートの文字のように、思ってもいない言葉だ。」 p58 「撃とうと思ったときには、既に次の目標を見たほうが良い、ということだ。言葉にすると実に簡単。つまり、今から弾をぶち込む相手を眺めている時間は完全な無駄なのだ。」 p62 「どこの街にも、なにかを待っている老人がいるものだ。どういうわけか、子供はなにも待っていない。」 p73 「でも、大人になる、というのは、つまりは老いることであって、山から下ること、死の谷底へ近づくことではないのか。どうなんだろう……。人は本当に死を恐れているのだろうか?」 p73 「期せずして生まれてくる僕たちのような子供を、普通の大人はどう思っているのだろう?どんなふうに見ているのだろう?仕事とはいえ、戦争で死んでいく子供たちのことを、彼らはどう自分の人生の中に組み込んでいるのだろう?何を受け止めているのだろう?」 p74 「だから、僕も、彼女のために微笑んでやった。子供のように。そうやってときどき、誰かに返したくなるんだ、子供のときにもらったものを、誰だってみんな……。」 p81 「死んでしまうのと、生き続けるのと、どちらが幸せだろうか。さあ、どっち……。」 p91 「「いるか、いないか。人の状態は、この二つしかない。」」 p92 「「貴女は、キルドレですか?」」 p93 「抵抗することが生命の証なのだ。たとえ、その行為が繰り返し無駄になったとしても。生きていると信じるには、なにかに抵抗するしかない。」 p115 「「君は天才なのか?」僕は尋ねる。「そうだ。」」 p117 「そういったつまらないことに執着するのが大人の特性であり、特権であり、そして役目でもある。」 p118 「笹倉さは微笑んで、それから、顔を赤らめた。なんとも純情な天才だ。」 p125 「仕事も女も、友人も生活も、飛行機もエンジンも、生きている間にする行為はなにもかもすべて、退屈凌ぎなのだ。死ぬまで、なんとか、凌ぐしかない。どうしても、それができない者は、諦めて死ぬしかないのだ。」 p125 「彼は大人で、戦争を知らない世代だったのだ。僕たち子供の気持ちは、大人には決してわからない。理解してもらえない。理解しようとするほど、遠くなる。どうしてかっていうと、理解されることが、僕らは嫌なんだ。だから、理解しようとすること自体、理解していない証拠。僕たちは、たしかに、退屈凌ぎで戦っている。でも……、それが、生きる、ということではないかと感じる。そう、感じるだけだ。違うだろうか?」 p126 「僕はまだ子供で、ときどき、右手が人を殺す。その代わり、誰かの右手が、僕を殺してくれるだろう。」 p133 「照らすべきものが近くにあることは、幸せだろうか、それとも不幸せだろうか。」 p133 「理屈がさきにあって、その理屈で感情がある振りをする。」 p134 「僕は、単に自分の安全を守るだけ。安全地帯を作っているだけのこと。摩擦を減らしておいた方が、なにかと都合が良いだけ。」 p136 「生きていることを確かめたかったら、死と比較するしかない、そう思ったからだ。これは贅沢な悩みだろうか。」 p138 「誰かが僕を撃ってくる。誰かが僕を撃ってくれる。」 p139 「「それなのに、空は素晴らしい紫色で、雲は月の光に輝いている。下にある海だって、きっと綺麗だ。」」 p141 「久しぶりに、「悲しい」を思い出して、僕の目から水が滲み出た。とても珍しいから、僕は思わず笑ってしまった。どうしてコックピットを開けなかったかって?たぶん、死ぬときは、なにかに包まれていたかったのだ。生まれたときのように。そんな死に方が、僕の憧れだから。」 p145 「「こんにちは、お名前は?」少女が僕にきいた。」 p160 「「魚はずっと魚のままだわ。」「人だってずっと人のままだよ。」 p160 「「進化しようとしたの?」「え?」僕はきき返す。「二人で、進化しよう。」」 p163 「テントの中で見たもの。それは、僕が何度も見たものだったけれど、もう、思い出せなかった。」 p190 「「もしかして、君も殺してほしい?」」 p197 「自分の責任だと考えることが、一番楽なのだ。全部、自分の責任なら、閉じていれば良い。完結できる。人の責任だと思うから、処理が難しくなる。」 p199 「「君も殺してほしい?」」 p200 「昨夜、僕が眠れなかったのも、きっと、昨日と今日を滑らかにつなぐためなのだろう。忘れないように、そして、忘れるように。」 p209 「「どこへ行っても、同じような連中しかいねえよな、ホント。こんな奴、初めて見たぜ、ていうような奴には最近滅多にお目にかかれないってこと。」」 p213 「つまり、これが、三ツ矢碧に初めて会った夜と、三ツ矢碧に初めて会った場所になった。そういう夜も、場所も、一生に一度、世界に一箇所しかない貴重なものだから、少なくとも即座にゴミ箱に捨てるわけにはいかない。パーティションかコルクボードのどこかに、マグネットがピンで留めておく方が無難だ。誰でも最初に出会ったときには、その相手が自分の将来にどれくらい関わる人物なのか判断がつかない。ただ、予感だけをピンでとめるしかない。ピンで留めさえすれば、それでほっと一安心。次の日の朝には、すっかり彼女のことを忘れていた。」 p224 「「さあて、ひとしきり走ってきたら、どうだい?」」 p238 「「あぁ、あの黒い猫の?」」 p247 「ボールの穴から離れた僕の指は、今日の午後、二人の人間の命を消したのと同じ指なのだ。僕はその指で、ハンバーガも食べるし、コーラの紙コップも掴む。こういう偶然が許せない人間もきっといるだろう。でも、僕には逆に、その理屈は理解できない。」 p248 「意識しなくても、誰もが、どこかで、他人を殺している。押しくら饅頭をして、誰が押し出されるのか……。その被害者に直接触れていなくても、みんなで押したことには変わりはないのだ。私は見なかった。私は触らなかった。私はただ、自分が押し出されないように踏ん張っただけです。それで言い訳になるだろうか?僕は、それは違うと思う。それだけだ。とにかく、気にすることじゃない。自分が踏ん張るのは当然のことだから。しかたがないことなんだ。」 p249 「きっと、どんなものでも、捨てたものじゃないだろう。人の命だって、倒れるために並べられたピンだって、捨てたもんじゃない。」 p255 「「ずっとまえだけど、黒い猫を飼っていたことがある。」草薙は言った。「毎日、私の前を横切るわけ。」」 p260 「「自分の人生とか、運命とかに、多少は干渉してみたい。月並みだけれど、それが、つまり、人並み。わかる?人並みだよ。私たちって何?人間だよね?違う?自分の死に方について考えるのが、人並みなんだって、そう思わない?」」 p262 「「私は、死にたい。今夜でもOKだよ。ねえ、お願いしたら、殺してくれる?」」 p264 「彼女は僕の口に自分の唇を押しつけた。」 p264 「「どうする?殺してくれる?」その口が言う。」 p264 「「さもないと、永遠に私たち、このままだよ。」そうだ、と僕は思った。「ずっとこのままだ。」けれど……、少なくとも、昨日と今日は違う。今日と明日も、きっと違うだろう。いつも通る道でも、違うところを踏んで歩くことができる。いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。それだけでは、いけないのか?それだけでは、不満か?それとも、それだけのことだから、いけないのか。それだけのこと。それだけのことなのに……。」 p265 「どこからでもいい、どこへでもいい、きっと、連れ出してほしい二人だっただろう。」 p270 「もし、その人が目の前にいれば、名前なんて必要ない。その人が目の前にいなければ、話題にすることはない。つまり、使う機会がない。」 p270 「人間でも一度別れた人と再会することは滅多にない。否、一度もない、と僕の場合は断言できる。」 p276 「「永遠に生きるキルドレ。」」 p291 「理解ほど、貴重で入手が困難なものはない。それが得られるのは、きまって、その必要がすっかりなくなったときなのだ。」 p291 「笹倉の望みは、実に現実的だ。彼の望みは、いつも形があって、しかも、すぐそこにある。手を伸ばせば届くところにあるのだ。僕は、それが羨ましかった。それに比べて、僕は、いったい、何を望んでいるのだろう?人生のための楽しみか?それとも、余裕だろうか?わからない。ただ……、理解、でないことは確かだ。人に理解されることほど、ぬるぬるして、気色の悪いことはない。僕はそれが嫌いだ。できるだけそれを拒絶して、これまで生きてきた。それは、たぶん……、草薙も同じだろう。」 p293 「ただ、一つだけいえることは、間違っていても、生きている、ということ。間違ったままで飛んでいる。飛んでいることが、間違っていることなのだ。わからないだろう。きっと誰にも、わからないだろう。そして、誰にも、わかってもらいたくない。」 p296 「「パーフェクト・サバイバ。」」 p303 「「クサナギさんが、クリタという人を撃ったのは、だからきっと……、終わらせてあげようっていう、彼女の愛情だったんだと思うの。」」 p304 「「貴方になったから。」彼女は下を向いたままだ。「もう一度、再生して、新しい記憶を植えつけて、貴方が作られたのよ。貴方はクリタさんの生まれ替わり。」」 p306 「自分は何者なのか?」 p307 「自分は、何者なのか?どうして、生きているのだろう。」 p314 「周りを見ろ!次の獲物を探せ!」 p316 「「彼が殺してくれと?」「もちろん。」「彼のことが好きだった?」「ええ。」」 p316 「私を殺してくれない?」 p317 「「カンナミ。」目を瞑ったまま、草薙は言った。「その銃で、私を撃って。」」 p327 「この世は、うんざりするほど理由でいっぱいだ。ゴミのように理由で溢れている。人はみんな理由で濁った水を飲むから、だんだん気持ちまで理由で不透明になる。躰の中に、どんどん理由が沈澱する。」 p328 「彼女は僕を愛していない。僕も彼女を愛していない。愛情なんて理由が、僕たちには必要なかったからだ。」 p329 「僕は、彼女を殺した。彼女が自分を殺すまえに、彼女のために、彼女を、殺したのだ。きっと、彼女は生き返る。僕だって生き返る。繰り返し、僕たちは、生きることになるだろう。そして、また……、戦おう。人間のように。永遠に、戦おう。殺し合おう。いつまでも。理由もなく、愛情もなく、孤独もなく。なんのためでもなく、なにも望まずに……。」 - 2026年7月31日
p9 「エリーズ・ギャロワが僕に会いたがっている、と聞いたのは一カ月ほどまえのことだった。」 p10 「誰でも、誰かに会いたいと考える自由を持っている。」 p12 「おそらく。日本にいる家族と接するためだろう。」 p16 「その声はクラリスだった。親しくしているトランスファである。」 p18 「「究極の恵み?」」 p19 「「神の賜物?最後の賜物ですか?なにか人を幸せにしてくれるものでしょうか?」」 p21 「そういった思考を巡らすのも恵みかな?そして、いつかきっと、エリーズ・ギャロワ博士に会えるのだろう、とも予感した。」 p22 「物々しい警戒の中、僕とヴォッシュは久しぶりの邂逅を楽しんだ。」 p24 「「それ以外にも、プレゼント・プルーフと呼ばれることもあります。この名称は、三十年ほどまえに、ギャロワ博士自身が論文の中で使用したものです。その点が、世間で流れている俗称とは違います。ただ、その論文では、システム名でもプログラム名でもなく、単にヴァーチャルの世界に欠けているもの、として登場しました。」」 p28 「「意識それ自体が、私たちにとっては単なる仮説です。」クラリスは言った。」 p27 「「クラリスから、賜物とは人間の意識のことではないか、とのお話を伺いました。」オーロラは微笑みを湛えながら話した。」 p30 「オーロラは頷いた。最初にあった頃と変わりないのだが、どんどんお淑やかになり、人間らしくなっている。」 p33 「「私は、マガタ・シキ博士との関係ではないか、と想像いたします。」」 p34 「「究極の恵みを、究極のプログラムだとイメージしているんだね?言葉をかけたの?」」 p37 「綺麗に社会から抜け出したいニーズに応えたものかもしれない。」 p42 「彼女は、次の世代に人生の重点を置いているようだから、その分、僕に対する要求が穏やかになったのかもしれない。」 p42 「ロジは、日本で成長している我が子の話をした。」 p50 「「ふん……。」運転しているロジが鼻から息を漏らした。「そんなこともわからないの?」「そんなこと、というのは、どのような意味でしょうか?いえ、非難ではありません。誤解のないように。この程度のことは、理解して当然だとの意見をお持ちだと匂わせているわけですね?私には、その根拠、あるいは測定の方法がわかりません。それをお尋ねしています。」「なんとなく。」」 p51 「「そうそう、思い出した。つまりね。あの隣の老人は、プログラムのバグだったんだよ。その可能性を思いついただけ。」」 p51 「「どこを調べるのですか?」ロジとクラリスが同時に同じ質問をした。「おや、案外、気が合うんじゃない?」僕は笑ってしまった。しばらく、沈黙が続く。ロジは前を向いて運転している。クラリスも黙っている。もしかしたら、怒っているのか?」 p54 「ヴォッシュも僕も研究者だから、説明は抽象的なほど説得力を有する。」 p54 「その後、オーロラとまたヴァーチャルで会った。彼女は、マガタ・シキ博士と親密な関係を持っている。」 p55 「「マガタ博士は、ご存知ありませんでした。ギャロワ博士とも、これまで関係を持ったことはないそうです。ただ、究極の恵み、あるいは、神の最後の賜物という名称はご存知でした。そういったものを、ヴァーチャルへシフトした人々が願うようになるはずだ、と予測されていました。」」 p55 「「生きている価値、その中でも、自身に満足し、生活に潤いを感じさせるようなもの、簡単にいえば……。」オーロラは、そこで二秒ほど間を置いた。「幸せを創出するプログラムだろう、とのことです。」」 p57 「リアルとヴァーチャルは、単なる表裏であり、どちらに軸足を置くかの違いでしかないのだろう。」 p59 「「子供は順調?」「もちろんです。順調じゃなかったら、ここにいません。」「そうだね。そろそろ、名前を決めないといけないのでは?」」 p71 「どのように考えるのも、自由であり、個人の権利として認められているからだ。」 p75 「死んでも、不自由だということだ。死は、自由を獲得するものではない。」 p75 「それ以前に、どんな理由で死が選択されたのか。ヴァーチャルで博士は生き続けているはずだから、これを死として捉えること自体が間違いかもしれない。単なる廃棄、あるいは処理でしかない。」 p78 「「天才の考えることは、私たちには想像もできません。」」 p87 「「ああ、なんとなく……。その、上の空といっても、悩んでいるようには見えなかった。なんだか、少し笑っているようで、いつも楽しそうだった。だから、楽しいことを考えていて、それで頭がいっぱいのように見えた。」」 p89 「「知っていますよ。実はリアルで、私の家の隣に住んでいました。」」 p91 「「いいえ、にこやかで、嬉しそうに見えました。でも、どう感じていたかは、見かけではわかりませんよね。そういうものでは?」」 p95 「「人間の欲望というのは、眠らない、諦めない、決して消えないということか。」」 p100 「「スリルなんて、いらないものだよ。本気でスリルを味わうなんて、病的だと思うな。危険なことに挑戦するのは、成功したときに大勢から拍手を受けられるからじゃない?」「いえ、それは違います。自分が拍手をしてくれるんです。」」 p101 「「なにかの困難を乗り越えたとき、自分を褒められる。それが幸せだと私は思います。そういう体験はありませんか?」」 p102 「「いや、価値観はお互いに尊重しなければならないけれど、価値観を合わせる必要なんて全然ない。違っていた方が面白い。」「でも、価値観を一致させなければならないときだってあります。」」 p104 「「幸せというのは、難しいものですね。」クラリスが言った。」 p104 「「特に問題がない場合においても、それぞれに期待するものが違うのが普通です。すると、お互いが、自分の期待するものを相手に求めようとします。」」 p105 「「自分がどれくらい幸せかなんて、メータがあるわけでもないし、評価する数値もない。なんとなくってこと。たとえば、他人と比べる人もいる。自分が幸せなのに、身近にもっと幸せな人がいると、嫉妬したりして、自分を不幸せにしてしまう。逆に他人の幸せな様子を見るだけで、自分も幸せになれる人もいる。」」 p107 「「幸せというものの大部分は、自分で自分を騙している。騙されたいことに近づき、騙されて嬉しくなる。そんなメカニズムかもしれない。」」 p109 「「いえ、よくわかりません。」」 p117 「この人工知能は、ベルベットという名で、かつて僕とロジは、そこで戦闘的な攻防を経験している。ベルベットは、反政府的な運動に関わっていたが、ヴォッシュによって解放され、現在はフランスを代表する知能として活躍している。」 p118 「本人は、自分がエリーズ・ギャロワ博士だと名乗り、五年ほどまえにこちらへ移住した、現在は研究からは引退し、ここで神に祈る毎日だ、と話したという。」 p118 「そして、まちがいなく、ギャロワ本人だと確定された。世界中で捜索が行われていたことを、彼女は知らなかった。世間とは隔絶した環境に置かれていたからだ。」 p124 「彼女は、何故なにも語らないのか。」 p126 「だから、あのときと同じメンバが図らずも勢揃いしたことになる。」 p135 「ベルベットとは、望めばいつでも、どこにいても話ができるはずだ。」 p136 「「ヴォッシュ博士、お会いできて嬉しく思います。」中性的な声が聞こえてきた。「グアトさん、ロジさん、こんにちは。私は生まれ変わりましたので、以前にお会いしたときの記憶はありません。しかし、そのときのことは聞いております。大変申し訳ありませんでした。」」 p138 「「私にはわかりません。」ベルベットは答える。それは、人工知能が滅多に使わない言葉だった。」 p143 「「憧れの存在だって、いうところだけれど……。」「そんな話、聞いたことありません。」ロジが言った。「それは、その、なんていうか、なかなか、恥ずかしくてさ、言えないことだってあるから。」」 p146 「「エリーズ・ギャロワは、当時、アースというハンドルで活躍したハッカでした。」」 p148 「「あまりにも善に溢れた社会では、真水で生きられない魚みたいに、人間も生きていられないのかもしれませんね。」」 p159 「「不満を抱く精神というのは、妄想であっても増長し、憎しみに変異するようです。」」 p166 「「私は、あの方のコピィです。彼の方の存在が、私の基本でした。掛け替えのない存在といえます。」」 p172 「「ジョークです。」アミラが言った。「グアトさんならわかるだろうと演算しました。」」 p174 「「そうです。覚悟しておけば、ショックは少ない。」「ショックは少なくても、ダメージは大きい。」」 p174 「「こちらが手をこまねているのを見て、もどかしく思っている。口出ししたくなる。人工であれ、天然であれ、知能というのは、高くなるほどおせっかいになりますからね。」「そういう気持ちがわかるんですね。」」 p176 「「マガタ博士は、ギャロワ博士と面識はなく、話したこともないそうです。才能は認めていたが、自分に影響するようなことはないと見切っていた、とおっしゃいました。」」 p178 「「あ、そうか!」僕は叫んだ。そして、オーロラを指差した。「君だ!それに、アミラもそうだ!そうか、それを思いついたのは、君?凄いじゃないか!で、もう、それ、調べたんだね?」「はい。」オーロラは、静かに微笑んだ。」 p184 「「恥ずかしい?」僕はオーロラのその発言に驚いた。」 p186 「「そう……、本当に……、君は賢いね。」「ありがとうございます。」」 p189 「ギャロワ博士は、自分の仕事を、最愛の娘に手伝わせていた。」 p190 「そのあたりの話を、娘のエリーズ・ギャロワは語らない。もちろん、母親の彼女も、何も語っていなかった。2人が共に心血を注いだソフトウェアは、大規模な知能に育ったが、これも隠れた存在でしかなく、目立った動きを見せず、メッセージなども発していない。」 p191 「エリーズ・ギャロワは、その内部で、黙っている。静かに籠っている。」 p195 「「オーロラ・レポートが、起死回生の一発になったのですから、貴方が相応しい。みんなが拍手を送るでしょう。いえ、一分程度でけっこうです。どうかよろしくお願いいたします。」」 p211 「「エリーズ・ギャロワを解放することだ。」」 p211 「「たまたま、主人がパーティに参加するからついてきただけ。このドレスを見たら、わかるでしょう?」」 p221 「「ああいうことがあるから、最初に写真を撮っておくべきだった。」僕は小声で言った。「何の写真ですか?」セリンがきいた。「ロジの。」僕は彼女に耳打ちした。「聞こえていますよ。」ロジが呟く。「撮ってあります。」セリンが微笑んだ。」 p223 「ただ単に、娘を自分のところへ連れてこさせようとした。それだけの動機だったのではないか。」 p237 「これらが、影の人工知能がデータ削除の作業で見逃したリアルの歪みだったのだ。そう、現実はそういった歪みでいっぱいだ。ヴァーチャルのように、皺なく布を広げることはできないのである。」 p243 「「カトリナ、こちらへ来なさい。」ヴォッシュが呼んだ。」 p245 「「場所に意味はありません。お互いが会うことを希望している場合には、会うことが可能となります。」」 p250 「「いやいや、私は良い意味でナイーブと言ったつもりです。繊細という意味よりも、率直である、との意味です。どちらにしても、余計なことを言いました。」」 p251 「僕は、彼女の顔を見た。いつもと違う。頬が濡れている。目が赤い。泣いているのだ。」 p252 「「人間って、ずうっと同じじゃないんだ。少しずつ変わるし、あるとき、急に変わることもある。特に、その、君は……。」「子供を産んだからですか?私じゃない血が混ざったから?」」 p253 「ロジはまた両手で顔を隠す。今度は声を上げて泣きだした。「だから……、逃がして、あげたくなった。早くおうちへ帰りなさいって……。」」 p253 「でも、彼女の頭を引き寄せた。ロジは、まだ啜り泣いている。理由なんてどうでも良い、と思った。そもそも、これが本来の彼女なんだ、とわかった。」 p254 「言葉はいろいろ思いついたけれど、どれもずれているように感じる。まあ、言葉というものは、そんな程度のもの。それに、人間って、だいたいずれているんだな。生まれたときには、そうじゃなかったのに、成長するほどずれてくる。本当の自分から、周囲に合わせ、社会に合わせ、少しずつずれていくんだ。それに、ときどき気づいて、泣きたくなる。だから、泣けば良い。泣いている彼女を、僕は抱いていれば良い。」 p254 「そうか……、神の恵みって、そういうことか。あまりにもナイーブなんだ、人間って。生きていくには、ナイーブすぎる。そういうことか。」 p258 「「この世から、とおっしゃいましたが、その世とは、リアルですが、ヴァーチャルですか?」この質問をしたのは、オーロラだった。全員が彼女に注目した。さすがに、オーロラが最も事態を理解している、と僕にははわかった。もう既に、オーロラはすべてに気づいていて、僕の説明を補足しようとしているのだ。」 p258 「ヴォッシュはもう気づいているようだ。穏やかに微笑んでいたからだ。」 p259 「「リアルの人間は、どこから来て、どこへ行くのでしょうか?」」 p260 「「ヴァーチャルでの死を、実現するプログラムだったわけだ。」」 p263 「「博士は、究極の恵みを与えられた。そして、天国に召されたのです。」」 p263 「本当の天国を用意する必要がある、と考えた天才がいたのだ。」 p264 「これも、そうやって理由を作って、現実を受け入れる人間らしい手法だろう。」 p266 「「それは、マガタ博士の<共通思考>のような存在でしょうか?」クラリスはきいた。」 p266 「「ああ、オーロラの入れ知恵か……。彼女は賢すぎる。うん、まあ、そうだね、そんなところかな。」」 p267 「「だから、死に追いかけられているからこそ、有意義な生き方ができる、という二次的な効果がある。」」 p267 「「そうだね。自分の死については、ないかもしれない。でも、他者の死がある。愛する人を失うことで、その人への想いが確定的になる、という効果はある。これが一次的かもしれない。それに、死があるからこそ、生きていることの価値が生まれているようにも思える。相反するものが存在して、初めて存在が確立するものは自然界にも多い。」」 - 2026年7月31日
p9 「イメージというのは人それぞれだから、どのように捻じ曲げて思い描いても、本人がこっそりリアルを修正して帳尻を合わせているのだ。」 p10 「誰もが知っている「世界」は、今ではほとんど眠っているような大人しい生き物になってしまった。冷凍されてはいないけれど、単に「生きている」だけの価値しか残されていない。」 p14 「「誰?誰かしら。誰のことでしょうね。私は存じません。ちゃんと打ち明けたの?だから、眠れるようになったんでしょう?」」 p20 「「羨ましい。結婚したって噂だけれど、本当か?」シマモトは突然質問してきた。狙っていたようなタイミングだ。」 p21 「「ところでさ。」僕は座ったままで、彼に尋ねた、「月はいくつある?」」 p23 「こういうのは、個人的短時間ヴァーチャルというのだろう。」 p24 「「まあ、寝ている時間が、たまたまリアルの夜ですからね。でも、夜行性の動物だったら、逆になる。生き物にとっては睡眠が主活動かもしれない。いや、そもそも生きている間が夜で、死んでいるのが安定した状態なんだから……。動物って苦し紛れで動く、死にたくないから動くし、生き延びたいから子孫を増やしてきた。」」 p25 「「先生と、このようなお話ができる時間を、私は大切に感じております。もう少しだけフランクに言いますと、このような時間が好きです。」」 p25 「彼女が深海から戻ってきた当時に比べて、格段に人間らしくなっている。恐ろしいほどの成長と言わざるをえない。なにもかもが自然になり、ほとんど人間そのもの。しかも、この上なく賢明で、天才で、善良で誠実な人格なのだ。もう人間の出る幕ではない、という言葉しか思いつけない。」 p26 「ケン・ヨウは、ドイツで遺体が発見された解析技師のクラーラ・オーベルマイヤの友人であり、世界を騒然とさせたセンタメリカの騒動の重要な関係者と見られている。クラーラもケンも、今はヴァーチャルで生きているのだろう。この世から足を洗った、というわけだ。」 p30 「「ところで、月はいくつある?」」 p31 「「しました。最近、よく夢を見るって。」「あ、そうなんだ……。実は、私もだよ。」」 p37 「クラリスというのは、トランスファである。ネットワーク上のあらゆる機器に分散して活動する人工知能だ。僕の頭脳に直接話しかけることができ、しかも有用な情報をもたらしてくれる信頼できる仲間といえる。実は、今ここにいる。路地への僕の発言を聞いて、自重してくれた。」 p37 「「もしかして、アネバネ?」」 p37 「「いいえ、ペネラピです。」彼女は答える。実は彼女ではなく、彼なのだが、もうどちらでも良いくらい、記憶は徐々に改竄されてきた。」 p38 「そうだ、チェスは強い。」 p39 「「グアト、起きていますか?」優しい女性の声が聞こえた。夢を見ているのか、と思ってしまったが、クラリスの声だった。」 p44 「カンマパは相変わらずで、神の使いのように凛とした姿勢だった。」 p51 「「ロジの姉です。」」 p55 「「スズコといいます。よろしく……。」恐ろしいほどの笑顔である。彼女の顔をじっくりと見た。つまり、ウグイ・スズコということか。そういえば、口もとは路地に似ているような気もする。」 p55 「「呼び出されたのですよ、この子から。」「この子。」思わず復唱してしまい、ロジの顔を見た。横目でこちらを睨まれる。」 p57 「「仲が良いこと。」」 p57 「「お姉さん?」ロジがこちらを向く。「それって、ジョークですか?違います。私の母です。どうかよろしく!」」 p63 「「スズコさんがウイルスの専門家だからです。」「え?ああ、彼女は医師なの?」「いいえ、研究者です。日本では、新種ウイルスの第一人者といわれる方です。」」 p63 「「でも、ピアニストかと思ったんだ。なんか、指が長い手をされていたから。」「その観察眼には感服いたしました。」オーロラが微笑んだ。「彼女は、一流のピアニストとしても有名です。」「あ、そう……、そうなんだ。ピアノって、うんあの、楽器のピアノだよね?」「ほかに、どのようなピアノをご存知なのでしょうか?」」 p64 「スズコとランチの約束をした。メッセージを送ったら、「嬉しい!」と即座にリプラィがあったからだ。」 p69 「スズコは微笑んだ。そういえば、その唇の形がロジに似ている、と気づいた。」 p70 「ピアノの話をしようと考えていた。実は今でも楽器職人だとも、最後まで言い出せなかった。」 p71 「セレナードのようだけれど聴き覚えはない。鍵盤の上でしなやかに踊る彼女の指をしばらく眺めていた。「月が、ご覧になれますよ。」こちらを見ずに彼女が言った。「月は、望遠鏡がなくても見られると思いますが。」「地球の月はね。」」 p74 「月が二つある惑星といえば、火星である。比較的地球に近い。名前を知っているはずだが、どうしても思い出せなかった。」 p74 「もともと僕は、この一人の環境、つまり孤独を愛していた。他者に関わらない生活が長かったし、それが自分の自由の根源だとさえ考えて生きてきた。それが、ロジに出逢って、情報局で働くようになり、この歳になって大きく人生の進路が変わってしまった。」 p77 「濃厚接触と言いたげだったが、表情は変わらなかった。」 p78 「だが、そもそもバランスを取るために存在するようなもの、バランスを取るために生まれるようなものは、この世に存在しないのだ。」 p82 「「最近、夢を見ない?」」 p84 「「ねえ、一緒にキョートへ行きましょう。」」 p84 「「虎穴に入らずんば虎子を得ず。」「虎子かぁ……。この場合、何が得られる?」「相手の目的がわかると思います。このウイルスに関係するようなことかもしれません。実は、少しだけ疑っていること、というか、ある仮説を私は持っています。」「どんな仮説?」「うふふ。」ロジはにっこりと笑顔になった。「何?うふふって……。びっくりしたぁ。どうしたの?なんか、人格が変わっていない?」「そう?薬のせいかしら。」普段見られない可愛らしい仕草だったので、あえて追求しなかった。そのうち、その仮説を教えてもらいたいものだ。」 p87 「ちなみに、ロジから聞き出した情報では、スズコのパートナ、すなわちロジの父親はアメリカにいて健在。二人は正式には結婚をしていない、とのことだったので、スズコの姓はウグイではなく、ムグルマというらしい。」 p91 「「なるほど、そういうところが良いのね。」」 p91 「「確信できなくても、予測できます。濃厚接触しているのですから、一番に疑われます。」「そうぁ……。」「ぼんやりしている部分との落差が激しい。」「え?」「寒暖差が激しいと、作物は有利なんですよ。植物が比較的よく育ちます。」「は?」「痺れるんでしょうね。」」 p93 「どのような経緯で現在の人格が出来上がったのか、と説明することは、たとえ本人でも不可能なのだ。また、仮に説明できるものだとしても、現在の自分の持っている価値、つまり能力的なポテンシャルに影響はしない。相手にどう認識されようと、自分は自分でしかない。」 p99 「「マガタ・シキのものといわれているブロックのケースもですか?」」 p108 「「それも、正しいと思います。」「そう、間違ってはいない。うん、でもね、正しくしたいとか、間違いたくないとか、そんなことはどうでも良いんだね、この際。」「何が大事なのでしょうか?」いや、それがわからない。」僕は微笑んだ。「自分を納得させることは難しいね。」」 p109 「「フスが、新細胞、新臓器について発表したようです。臨時ニュースが流れています。」クラリスが教えてくれた。」 p109 「この細胞の名称は、ニュータイプではなく、「ラストタイプ」と命名された。」 p114 「「ところで、冒険の夢を見るとお話になっていましたね。」」 p115 「「実は、マガタ博士から、共通思考について説明を受けたことがあります。もうずっと昔のことですが。」」 p116 「「それは、人々が見る夢の集合であって、無数の夢が混ざり合う体験だそうです。」オーロラは続ける。「そう聞きまして、私は、そもそも夢というものを体験したことがなく、マガタ博士に、夢とは何か、と質問しました。博士のお答えは、夢とは人格の再生です、というものでした。」」 p116 「「前者だと思われます。後者であれば、定見の再生であり、人格の再生とはいえません。夢を見る体験とは、新たな人格が生まれる現象であり、夢を見るごとに、自分が増えていくのだ、と博士はおっしゃいました。共通思考は、そのようにして、人を生み出し、思考をも創出し、思考しyぁ会を形成するものだそうです。」」 p117 「「夢を見ることが、新たな人格を形成する、これがすなわち、生産なのではないでしょうか?」」 p117 「「凄いというのか、何だろう?もっと、極めつけといっても良いね。信じられない。そうかぁ、それは、ちょっと、思いつかなかった。もしかして、人間の頭脳って、一人では窮屈で、別の人格を作りたいという欲求を持っているのかな。もっと自分がコントロールできる人格を生み出したい、という欲求。それがあるから、夢を見るのか。たしかに、エネルギィ的に無駄なことをしている。休めば良いのに、夢を創出しているわけだから……。」」 p119 「「大変です。国立博物館から、ケン・ヨウ氏の遺体が盗まれました。」」 p125 「「私の友人であるトランスファに、ここに入る許可を与えてほしいのです。」」 p126 「「たった今、ドクタ・マガタからメッセージが届きました。グアトにも届いていますか?」」 p128 「「お会いできることを嬉しく思います。」」 p131 「「貴方は、一人ですか?」」 p131 「「いいえ、貴方が何人いるのか、ときいています。」」 p158 「「助けにきます。もう少し我慢して下さい。」という女性の声だった。」 p158 「「クラリスが来た。」僕は、ロジの耳もとで囁いた。ロジの瞳が素早く僕を捉える。でも、声には出さなかった。オーロラが、この場所を発見したのだろう。」 p161 「「お見事です。」クラリスが言った。」 p174 「「子供の精神は、親の頭脳から作られるものではありません。」」 p175 「「何が面白いのですか?」ロジとクラリスが、同時に同じセリフを発した。」 p177 「「王子はそれで死んだわけではない。殺されたんだ。」」 p181 「「マガタ博士が、グアトさん、ロジさんと会ってお話がしたい、と伝えてきました。ただ、情報局には知られたくない、とのこと。」」 o189 「したがって、クジ・マサヤマとマガタ・シキは、血のつながったそれぞれの子孫の生態から、一人の人間を合成して生き返らせた。人類の歴史において、これは空前絶後の実験だったはずである。」 p189 「マガタ・シキは、一度だけ出産をしたという。それがミチルだった。ミチルは若くして亡くなったが、マガタは、その細胞を保存し、未来に希望をつないだ。いずれ、人間の再生が可能になることを確信していたからだ。」 p190 「彼女の最大の能力は、技術に対する先見性だといわれている。しかし、その意見は、見る角度が少しずれているのではないか。マガタは、未来を予測したのではない。彼女が未来を作ったのだ。だから、彼女が予測したとおりになるのは、むしろ当然のことだった。」 p190 「「ウイルスです。」スタッフが答える。」 p191 「「今回のウイルスに、クジ博士やマガタ博士が関係している。なんらかの情報を持っているはずだ、といえる。」」 p192 「「あのスタッフは、誰なんです?」「オーロラだろう、きっと。」「その可能性が、かぎりなく百パーセント。」クラリスが言った。」 p192 「この二人が、いつか喧嘩をしそうな気がして、憂鬱になる。」 p194 「どこから現れたのか、白いドレスに大きな帽子を被ったマガタ・シキが現れた。」 p194 「「お久しぶりですね。」彼女の赤い口が微笑んだ。青い目はロジへ移る。「偽物のマガタ・シキに会われたのね。私も見たかった。ご無事でなにより。」」 p194 「「多くの指導者たちは、人類が永年存続することを願い、また、人々にその実現を約束してきました。しかし、何故存続するのか、人類の存続にはどのような価値があるのか、という点を説明した者はおりませんでした。何故でしょうか?」」 p195 「「簡単なことです。生きることに価値があるのではなく、考えることに価値がある、との認識に立脚すれば、すべての矛盾はなくなります。ヴァーチャルで生きようとしている人たちは、生きようとしているのではなく、考えようとしています。そうではありませんか?」」 p196 「「現在は、生きることは、一つの選択肢になりましたね。」マガタは微笑んだ。「二百年まえから、私はそのように、命というものを理解しております。あるときには、生きることが、その人格にとって足枷となり、また間違った思想を導く結果となりました。そう言った残念なケースを幾つも観察してきました。人間の虚しさとは、結局はその命にある。生きているから、これほど虚しい存在なのか、と感じてきました。」」 p198 「「私が決めることではありません。共通思考が、自ら判断します。」」 p198 「「貴女に、聞いてもらいたかった。」マガタは即答した。「命への拘りは、けっして悪いことではありません。えてして、それが重荷になるというだけ。重荷を背負うことは、誇り高い生き方ともいえましょう。」」 p198 「「共通思考を体験できませんか?」」 p198 「「できます。」マガタは、即答した。「よく、それを思いつきましたね。ヴァーチャルでは現在は入れません。私のところへいらっしゃれば、試すことができます。」」 p199 「「そのお話ですか……。」マガタは、目を大きくした。楽しそうな表情に見えた。「私が持っている、所有しているというわけではありません。その二人は生きています。いずれも、私の身近で生活しています。ここへ呼びましょうか?」」 p201 「「グアトさん、ロジさん、はじめまして。私は、ジュラ・スホです。」右の少年が名乗った。高い声だが、響くようなトーンで、美しい楽器のように感じられた。」 p202 「「僕は、ミチルといいます。」もう一人が名乗った。ファーストネームだけだった。少年に見えたが、その声は高く、少女かもしれない、と思えた。」 p202 「「マガタ博士と一緒に暮らしているの?」ロジが尋ねた。「はい。」王子が答える。「ミチルも一緒です。」」 p202 「「では、また、お会いしましょう。」マガタ・シキの声だけが聞こえる。「貴方は、興味深い人。きっと私になるでしょう。あなたは、私でもあるのよ。」」 p203 「そう、いろいろな対象について、人間はあまりにも脆すぎるのだ。」 p204 「「キョートでマガタ博士に会ったとき、月が綺麗だったね。」」 p210 「連想されるのは、初めてマガタ・シキが現れたときである。それは、神が姿を見せるようなショッキングな体験といっても良い。たとえるなら、自分の前に、自分が現れるような場面ともいえる。」 p210 「「あなたは私になる」といった現象も、簡単に起こりうる。それどころか、「私は誰にでもなれる」のである。すなわち、個人という存在が曖昧になり、人々が液体のように混ざりあって、多少の濃淡が分布するだけの溶液になるのか。共通思考というのは、人々を混ぜ合わせる器?」 p214 「マガタ・シキは二百年以上も生きている。」 p214 「マガタ・シキの研究に浸水し、伝説の天才を招き、研究を進め、夢を実現しようとした科学者たちは、現在も彼女の周囲に大勢いることだろう。」 p215 「たとえば、最も近いのは、夢だろう。」 p215 「人間は夢を見る。何故、こんな無駄なことをするのか、と不思議な現象である。夢は、個人の人生にはほとんど干渉しない。夢が社会を変えることはない。だが、そのレベルが少しずつ増して、夢で見たことが、個人の思考に少しずつ、知らず知らずに干渉し、影響を及ぼすようになるとしたら、どのような社会になるだろうか。そして、夢が思考に干渉するのと同様に、思考が夢に干渉する。すなわち、個人の思考によって、その集合によって、夢が少しずつ形を変え、作り直されていくとしたら……。そのシステムは、ぞっとするほど素晴らしく、美しく、そして恐ろしいし、その仕組みは、塑像を絶する複雑さの上に成り立っているはず。」 p216 「マガタ・シキの思考のスパンは、きっと宇宙的な未来を指向しているのだろう。」 p216 「これも、初めから予測されていたことだろう。マガタ・シキのデザインの一環であった、といえる。」 p217 「悪い方向へ移行する危険も、幾度かあったはずだ。関わっている者の私利私欲と結びつくようなズレである。だが、マガタ・シキという理想のシンボルが、それを防いだといわれている。」 p218 「「そのとおりです。しかし、トランスファは、マガタ博士の作られたプログラムを起源とし発展したものであり、すべてのトランスファが、マガタ博士に恩義があります。」」 p218 「「失礼ながら、それは愚問です。私は、貴方に、友情を抱いています。」」 p220 「ドイツのヴォッシュ博士が、その年代だ。そして、マガタ・シキとの邂逅を自身の人生のエポックだった、と語っていた。」 p221 「日本のマガタ・シキではなく、世界のマガタ・シキになってしまったことに、日本人の多くは、少なからず傷ついているのだ。」 p227 「「こんにちは、私はロイディといいます。マガタ・シキ博士のところへご案内するために参りました。」」 p230 「もう覚悟を決めたのだろう。角度というのは、自分の境遇を客観的に理解したときに生じる心理だ。」 p232 「「信じていただけたようですね。」マガタ・シキは微笑んだ。そして、少し上を向き、「ロイディ、どうもありがとう。」と言った。」 p232 「「私の方がさきに、ここに建物を造りました。」マガタは言った。「どういうわけか、後から、いろいろな方たちが上の方をお使いになっているようですね。」」 p233 「「いいえ。私は、生活というものをしたことがないの。」」 p233 「この人物は、人間だろうか。生きているのか?しかし、ロイディよりは人間らしい。話す言葉、表情や仕草にも、不自然さはまったくなかった。落ち着いていて、二百数十年生きてきたと納得してしまう不思議な貫禄があった。ただ、目の前に見えているものは、老婆ではない。青い目、長い黒髪、赤い唇、露出しているのは、顔と両手のみ、あとは白いドレスに包まれているが、長身で痩せている。若くはないけれど、年寄りにも見えない。絵画か彫刻のように、姿勢は均整が取れている。膝の上に置かれた手と指を、僕は見ていた。指輪などはない。ネックレスもブレスレットもない。ただ、頭上に細いリングをつけていて、光を反射するのか、ときどき輝いた。まるで王冠のようだ。ファッションは、古代の様式に見える。博士というよりは女王に相応しい。」 p237 「「無駄なエネルギィ損失が気になるだけです。」マガタは、クッションにもたれ、脚を組んだ。「協力というほどのものではありません。」」 p238 「「大勢に夢を見させるのですか?」マガタ・シキは、僕を見て、微笑んだ。言葉はしばらく出なかった。」 p238 「「はい。」マガタ・シキは頷いた。僕の躰は震えた。寒気が全身を襲った。ここへ、この返事を聞きに来たのだ。そして、期待どおり、思ったとおりの返答だった。確信していたものの、やはり、本人に確認するのが筋であるし、また、自分の中でも、自信が持てない僅かな迷いがあった。それが、今、取り払われた。」 p238 「「そうですか・ありがとうございます。」僕は頭を下げた。「世界は変わりますね。」「変えなければなりません。」マガタ・シキは言った。「え、何故ですか?」「私たち人類は、生きているからです。」「生きているから?」「私たちは、何者でしょうか?どこから来て、どこへ行くのでしょうか?」微笑みをたたえながら、彼女は話した。片手をそっと持ち上げ、指が流れる空気を掴む。「その答を皆さん、あなたも、私も、考えて、問い、答える、一緒に、ずっと、いつまでも、そして、これが生きることなのだと、やっとわかるかもしれない。今まで、なにもかもが、わからなかった。今も、わからないことばかり。でも、考えている。そうでしょう?」」 p245 「「アーカイブのシステムの内部に、初期から含まれていた。つまり、トロジャン・ホースである可能性が十パーセントほどです。」」 p248 「「とにかく、知りたかったら、自分で調べること。」僕は、親友にアドバイスした。」 p252 「「老化?歳をとるってこと?」」 p259 「隠しごとはストレスになる。なんでもすぐに伝えた方が、あとあと悪い事態を避けられる。」 p260 「一人のときと二人のときでは、食べるもの、食べる方法も、違いがある。つまり、時間の消費のし方が違ってくる、ということだろう。」 p260 「一緒に暮らすようになって、それまで体験したことのない場面に遭遇し、それまで考えたこともなかった他者の気持ちを察するようになった。ようやくこの歳になって学習した、といえるだろう。」 p261 「つまり、一つに決めて選択することで生まれる価値も、たぶんあるだろう。そんな気がする。」 p263 「クラリスも、それに関する研究結果を調べ、確率的に七十五パーセントだと演算した。アミラも、ほぼ同じ数字を出しているらしい。オーロラに尋ねたが、彼女は答えなかった。「ノーコメントです。」と言った。僕たちに気遣っているようだ。」 p265 「「お弁当を食べましょう。」」 p267 「「子供ができました。」」 p267 「「私の子供です。」僕は言葉が出なかった。息を十秒くらい止めていただろう。それから、呼吸を再開し、次に頭の中で、花火が光ったような気がした。」 p268 「「日本で産みました。会いに行きますか?」」 p271 「日本にいる我が子には、まだリアルで会いにいっていない。なにしろ、あと数ヶ月は、羊水カプセルの中なので、見るだけで触れることもできない。ヴァーチャルで毎日確認しているけれど、正直なところ、まだ実感は湧かない。このままだったらどうしよう、と不安になるほどだ。」 p271 「まだ目を開けていないその子は、未来の夢を見ているのだろうか。」 p272 「つまり、スズコもロジも、最初からこのウイルスを保有することの意味を知っていたのだ。それは、人類が本来持っていたものを発現する。」 p274 「人間は、とにかく自分のやり方に拘り、自分の立場に固執する。このしつこさによって、適切な判断がワンテンポ遅れる、ということか。」 p275 「ロジは、子供をどう育てようか、とのプランにいついて、僕と議論したがっている。」 p275 「順調に成長しているので、あと少しで、この手に抱くことができ、そのうち、自宅へ迎えることになるだろう。」 p275 「何事も、思いついてことをすぐに言葉にしないほうが賢明だ。それくらいは、学んでいるのだ。」 p275 「このウイルスは、人間に夢を見させる機能があるのだろうか。」 p277 「「理解できません。」「自分でも理解できないよ。」「すべてが理解できるというわけではありません。」」 p277 「「おめでとうございます。」」 - 2026年7月30日
p10 「簡単にいえば、リアルというものがどこにあるのか、という問題。」 p12 「けれども、個人に関しては、以前からなにも変化がない。個人は、相変わらず個人が認識するだけの存在である。自分とは、自分だと思っているだけのものだから、変化のしようがない。外部からその大部分を観測できない。ずっとできなかった。」 p15 「ただ、アミラはだいたいいつも漠然としている。それは彼女の知性の広大さによるものだ。」 p27 「「はい。実は、リアルの私が現在、その、行方不明なのです。」」 p30 「「つまり、その、私の肉体は、あるとき……、おそらく半年ほどまえに、ウォーカロンと挿げ替えられてしまったのではないかと。」」 p50 「「過去のことも、仕事のことも、嘘だったのかもしれません。私にはそんなことは問題ではありません。会っている時間は楽しかったし、何一つ嫌な思いをしていません。まったく損害はありません。私は初めから、彼になにも期待をしていませんでしたから。」」 p55 「「でも、殺人事件が発生した現場で、不鮮明でしたけれど、目の前に死体が横たわっていて、警察の人たちが取り囲んでいました。」」 p59 「「美味しい。」ロジが微笑んだ。「お世辞抜きで。」「君は、まえからお世辞抜きじゃないか。お世辞なんか聞いたことがない。」「グアトも同じ。」」 p62 「「しかし、キョートで殺害されたのは、マガタ・シキ博士の子孫だった。博士はその頭脳を手に入れたはずだ。当然、クローンで復活させただろう、と考えていたけれど、もしかして……。」」 p71 「「すべて、ここにあるのですね。」クラーラは、自分の頭を指差した。」 p77 「深海というのは、オーロラのユーモアである。」 p81 「そして、こうなった状況こそが、共通思考ではないのか。いうなれば、社会は、社会という生命体であり、その中で行われる思考活動すべてが、社会という頭脳による思考活動にすぎないのではないか。」 p83 「そう、リアルの人間は、一人で生きる能力に欠けているのだ。これは、人間という動物の弱みといえる。」 p85 「ズームアップすると、メーカのロゴらしきものがあり、<クリンメル>と読めた。」 p88 「「クラーラとケンだ。」」 p107 「「クラーラの鳥がいる。」」 p111 「「ここから、東へ百二十キロほどのところです。」」 p115 「「ヴァーチャルの人格が、リアルにログインして、まるでヴァーチャルにいるように暮らしていた、ということですか?」」 p121 「「間違いなく、赤毛のクラーラ・オーベルマイヤだった。」 p128 「ドイツ情報局の武闘派ウォーカロンといえば、まっさきに思いつくのはデミアンである。」 p129 「歴史を変えるのは、ヒーロではない。もっと精確で精密なシステムの積み重ねだろう。」 p130 「「セリンかペネラピを呼びましょうか?」」 p139 「「ほう、自分が人間だと、その人は知っていたのか。それはそれで、なかなかのものじゃないかね。」」 p140 「「今話した、自分の自覚を持ったスーパ・ネットワークとは、つまり共通思考なんだよ、マガタ・シキ博士のね。」」 p141 「「しかし、こうしてヴァーチャルを利用してはいます。今、我々の頭脳は、もちろんリアルに存在するわけですが、ヴァーチャルからの信号を受けているはずです。」「なんと!」ヴォッシュは、目を見開き、遅れて指を一本立てた。「そうか!意図的なものだったのか、これは。」」 p144 「ドアが空き、少女が入ってきた。ドアを閉めてから振り返り、僕を見た。赤い目が、貫くように僕を捉えている。「君か。」僕は微笑んだ。「名前を言わないように、かな?」少女は頷き、ゆっくりと笑顔に変わった。」 p149 「「私たちに予感させたのは、まえに君と一緒だったトランスファかね?」」 p151 「産業技術博物館の館長ミュラである。」 p172 「「ロジ、離れなさい。」僕は彼女に言った。「一緒に死ぬことはない。」」 p173 「ロジを抱き締めて死のう。」 p174 「少し離れたところに、髪の長い男性が立っていた。黒いスーツだった。こちらをちらりと見て、軽く頭を下げる。知った顔だ。デミアンである。」 p175 「デミアンは、片手に日本刀を持っていた。彼はそれを鞘に納めた。彼が、銃を握った腕を斬ったのだ。日本刀には電子部品は含まれていない。」 p176 「「トランスファの侵入を防げなかったのが1番の問題です。「そのとおりです。」ペイシェンスが言った。」」 p176 「「私はペイシェンスではありません。ペイシェンスが言った。彼女は、僕を見つめていた。「私の名前をおっしゃらないでください。」「あ、君は……。」僕はすぐに気づいた・」」 p179 「名前を口してはいいけないトランスファは、かつてデボラと呼ばれていたから、つい、その名前を発音してしまいそうになる。だから、今はその固有名詞を忘れよう、と思う。先日、久しぶりに再会したとき、彼女はもう昔のままではないと感じた。彼女の方も、僕に近づくことを避けているように思えた。難しい立場なのだろう、きっと。でも、今は助けにきてくれたのだ。そのことは、素直にとても嬉しい。コーヒーも美味しくなるはずだ。」 p179 「「いえ、天使になる必要はありません。人間のままでけっこう。人間って、そんなに浅はかなものではない、と私は思っています。」「私は、浅はかなものだと思っているよ。君は、まだ若い。」」 p180 「「名前はありませんが、不便でしたら、クラリスとお呼び下さい。」」 p185 「自分を責めがちな性格は、僕たち二人に共通するものといえるだろう。」 p186 「「ロジさんが泣いていますよ。」と囁く声が聞こえた。」 p186 「「はい。」クラリスの声が答えた。「この場合、彼女を励ましにいかれる方が良いと演算されますが、いかがでしょうか?」」 p186 「「ロジは、そういう平均的な人じゃないんだ。当てはまらないね。だいたい、人に涙を見せることが滅多にない。見せたくないんだよ。彼女のプライドを尊重した方が良いと思う。」「それは、グアトのプライドではないでしょうか。ご自分のプライドを尊重しているように見受けられます。」」 p187 「「期待されていると観察できますが。」「そうかな、それは、思い過ごしだよ。」「観察は客観的なものです。思い過ごすような要素はありません。」」 p190 「クラリスのユーモアは、最高だ。」 p191 「「怒っています。」クラリスが囁いた。「わかっているよ。」僕は言った。シーツの中からロジが顔を出した。「何がわかっているの?」「あ、いや……、その……。」」 p195 「「懐かしく思います。」クラリスが呟いた。」 p196 「「ペネラピは?」ロジが尋ねたのは、セリンより強力な戦闘員の名前である。」 p203 「「ええ、世の中、矛盾だらけなのですよ。神様なんていないのに、神様にお願いすることがあります。ときどき、自分の中に神がいるような気持ちにもなります。貴女は、自分を観察することができるのですから、自分の中に神様がいると思えませんか?」」 p204 「「はい。自分を観察できるならば、それが自分の実在の証明ですからね。それに、今思いつきましたけれど、もしかして、貴女を作ったのは、貴女自身なのではありませんか?そうお考えになったことがありますか?」」 p206 「みんなが笑顔だった。歓声も、交通音も、液体のように混ざり合う。同じように、人間の数々の思考が、こんなふうに溶け合っていくのだ。しかし、そこにあるのは、鬩ぎ合いではない。穏やかな融合、穏やかな融和だ。「また、お会いしましょう。」輝かしい光に包まれたクラーラが告げた。「いつですか?」僕はきいた。「いつでも。」そう、いつでも、どこにでも、誰にでも、神はいる。それなのに、神は一人。あらゆる思考が存在し、しかも、一つになる。自由に、みんなが考える。それが、神様なのか……。」 p209 「「だいたい、あとで後悔することになりますよ。」「後悔っていうのは、あとでしかできない。」「彼女の優しい雰囲気に呑まれたのですね。弱いですよね、ああいうタイプに。」」 p213 「「クラーラは、なんというのだろう……、もtっお……。」ヴォッシュが目を細める。「ヴェイグリィで、不鮮明で……。」「ファンタジィですよね。」僕は言った。「そうそう。夢を見つ感じだね。ああ、少女のように。」」 p216 「「基本に戻れ、とはゲーテの言葉だったかな。」ヴォッシュが言った。」 p218 「「六十五万八千五百三ですね。」僕は口にする。」 p219 「「三と二十九の倍数ですね。」セリンが言った。」 p221 「「一フィートを〇・五ミリにする比率は、さきほどの数字、六十五万八千五百三の三乗根の、ほぼ七倍になります。」」 p221 「「立体だからですね。」セリンが言った。「クラリス。」僕はセリンを見た。」 p222 「「ミニチュア・モデルか、ああ、ミニカーとか鉄道模型だ。」ヴォッシュは言った。」 p222 「「ハンブルクのミュージアムって、ケン・ヨウ氏のかつての勤め先では?」ロジが言った。」 p232 「「それじゃあ、このミニチュアの街が、つまり、センタメリカだったということですか?」」 p235 「「カップルの方は、二人で入ることができます。」案内の女性が言った。」 p240 「「楽しければ良いのよ、ほほほ。」女王は口を片手で隠し、高い声で笑った。」 p249 「「ケン・ヨウさんです。今も、ここのどこかにいらっしゃるはず。」」 p249 「「ここのおもちゃメーカ、えっとクリンメルの創業者を調べた方が良いですね。」」 p255 「「人形を動かしているとき、子供は、人形が自分で動いている、と観察するんだ。人形の自由意志で判断し、動いているとね。これが、つまり仮想の自律だね。」「では、あのコンピュータは、人形のクラーラさんを動かしているうちに、クラーラさん本人になってしまったのですか?」」 p258 「人がヴァーチャルへシフトすれば、肉体を失って、「一人」という概念がやがて曖昧になる。二人が融合したり、反対に、一人が二人に分裂することが当たり前の世の中になるだろう。アオレコ度が、マガタ・シキ博士の共通思考の基礎概念となるものだ。」 p259 「それは、クリンメルのロゴと、<いつもあなたとともに>と一時ずつ色違いの文字が示されていた。」 p260 「「グアト、私です。」突然人形が喋った。「メガネがなくても、これでいつでも話ができます。」「なんだ、君か。」僕は息を漏らした。クラリスである。」 p268 「「あのときの鳩ですか?」」 p271 「共通思考を手に入れた新人類は、あるとき、自分たちのリアルがどこに存在するのか、と不思議に思うかもしれない。」 p271 「僕たちは、鳩がどこへ飛び去ったかも知らない。あの人が、どうして、自ら命を絶ったのかも知らない。自分一人だと寂しくなる理由も。知らない。いくら肌を触れ合っても、いくら愛し合っても、身近な人の気持ちがわからない。おそらくは、そういう障害をすべて取り除こう、と彼女は考えたのだろう。そう、マガタ・シキという一人の天才は、自分が一人だということに疑問を持ち、それに抵抗したのだ。その孤独を打ち砕くために構築されたプログラムこそ、共通思考であり、そしてそれは、今のこの社会そのものの未来でもある。」 p274 「考えれば考えるほど、わからなくなる。一人で考えているから、このジレンマになるのか。みんなで考えれば、解決できる問題なのか。人間とは何だろう?人間が存在するのは何故だろう?僕は、どうして僕なのか?僕は、本当に一人なのか?ただ……考えることは、苦しくはない。解決できないことも、苦しいことではない。だから、もうしばらく、考えていこう、と思う。」 - 2026年7月29日
P21 「「自然に生まれたものですから、自然に滅ぶというわけですね。」「人間が関与したとしても、運命の時間を、ほんの少し早めたり、遅らせたりするだけのことでしょう。」」 p27 「デボラというのは、日本にいたときに交流のあったトランスファの名だ。」 p30 「レトロな表現を用いるならば、すべての個人は社会という運命共同体の要因なのだ。」 p31 「ヘレン・インゼルとは、湖に浮かぶ島の名である。」 p35 「理由というのは人それぞれだ。個人がどんな願望を持っているか、どんな動機で行動するかなんで、平均的な範囲を示しても意味がない。」 p53 「「デミアンみたいに?」僕はきいた。以前に関わったことがあるウォーカロンだが、今はドイツ情報局の下で働いているそうだ。」 p60 「「それは、つまり、動物のウォーカロンだよいうのですね?」」 p75 「「端的に申し上げれば、人間らしくないからです。」ヤーコブは答えた。「しかし、それが本来の人間なのかもしれません。」」 p75 「「なんでも特定したがるのは、人間の悪い癖だ、と言われた。」」 p82 「「広い知識を持つことで、未来には人類を豊かにするものが生まれるのだ、との認識が不足しているのでしょうか?」」 p86 「「こちらの檻にいた動物が一頭、いなくなりました。飼育員も行方不明です。」キンケルが言った。」 p91 「何故このように不自由な状況になるのかといえば、それは人間という動物が、常に鬩ぎ合いを好むからだ。他者を出し抜こう、自分の拙さを隠そう、と余計な労力を使う。結局は、自分がどう思われているのか、という他者の評価を気にする。これが自由に活動することに対して大きな摩擦として働く、といったメカニズムだ。」 p94 「「たとえば、恋人を愛おしく感じるのだって、自分の頭の中に投影されたシンボルが、感情や理解の対象になっているように思うけれど……、どう?」」 p95 「「そもそも、グアトと私は、生きているリアルが違うのですね。」ロジが眉を寄せた。彼女のその表情はほんの一瞬だったけれど、僕の脳裏に焼きついた。」 p100 「「私が特別なのか、それとも、みんながそうなのかわかりませんが、自分の生い立ちを重く背負っている人の方が、むしろ不思議な存在に感じます。」」 p101 「「過ちというのは、忘れたから繰り返すものだとは思えないけれどね。」」 p111 「星を眺める動物は、地球上では人間だけだろう、と想像した。人工知能はどうだろうか。」 p112 「振り返って、ペネラピを見た。まったく見覚えがない顔だが、じっと目を見つめていると、口の形を少し変えた。その表情の変化に心当たりがあった。」 p118 「「びっくりしました。」彼女の目が赤く光っていた。」 p121 「「シャチか……。」」 p145 「科学者は、未来を悲観して手を打とうとするが、多くの人々は、我慢さえすればなんとかなる、と楽観して神に祈ることしかしない。」 p149 「人間というのは、本当のところ、人生の経験から得た知識をどの程度、自分のために使っているのだろう。」 p150 「森の中に回転木馬があった。」 p155 「「恐竜。」」 p167 「ロジはそう言うと、少し舌を出した。やはり、機嫌が良いようだ。」 p170 「このように、勝手に想像して事実を問い質さない習慣が身についている。」 p172 「シャチがレストランで暴れ、宮殿と動物園はミサイルが着弾、遊園地では恐竜が闊歩、おまけにドライブインで強盗に遭った。」 p181 「「現代の人たちは、どんなものでも信じてしまえる一方で、自分に都合の悪いものは受けつけません。」」 p191 「「ジョン・ラッシュというイギリス人、技術者らしい、年齢は百三十七歳、ドイツに別荘を持っている。」」 p200 「植物は枯れるから種を残す。死ぬから生まれる。成長することも老化することも、同じ現象であり、それは人類だけでなく、すべての生命の遺伝子に組み込まれたプログラムだった。そのプログラムから逃れようとすることは、パラダイム・シフトにはまちがいないが、しかし、そこで失われるものが必ずあるだろう。それを予感させるものも、このプログラムによる自己防衛反応に過ぎないのか、それとも、大いなる絶滅の危機に対する最後のストッパになりうるものなのか。」 p202 「「むしろ、周囲の人たちと一緒に生きていると自覚している一般人の方が、傍観すれば、意見や知識を交換せず、一人で生きている、いわば孤独な生活といえます。我々人工知能は、そのように評価しています。」」 p203 「キャサリン・クーパ博士である。」 p204 「「人間が絶滅しても良い、と考えたのでしょうか?」」 p206 「「たとえ、証拠が見つかっても、なにも事態は変わりません。」クーパが言った。「時間を戻すことはできない。社会を変えることもできません。責任者を追求して、罪に問うことができたとしても、救われるものは、何一つありません。」」 p207 「「人は死を想うものです。」彼女は言った。「死を想うからこそ、優しくなれる。正義の根源はそこにありました。死を想像できない者は、もはや人間ではないかもしれません。」」 p208 「「常に新しいもの、変化することを求めているのに、あたかも最終目標が存在すると信じる、その矛盾です。」「そう、それは、つまりは言葉なんです。」僕は言った。「理想という言葉ができたときに、理想の定義が固定される。」」「はい、そのメカニズムです。」 p217 「何が実体化、どこに本質があるのか、それを確かめなければならない。」 p218 「「ミスを許せるし、つぎつぎと失敗ばかりすルシ、なにをやっても裏目に出たり、ちょっとしたことを見逃したりして、後悔ばかりするし……。でも、それをひっくるめて許せる。だって、許せないと、リカバできないじゃないか。つぎからつぎへと訪れる失敗を、こつこつと修正していく。やり直して、考え直して、修復する。ミスに苛立っていたら、リカバが遅れる。諦めている暇もない。そうしていると、なんとなく、知らないうちに、完璧というものに近づける。それが、完璧主義者なんだ。」」 p230 「どんなことも、起こりうる。いかなるものも、現れる。信じられないことも、起こりうる。人間が想像できる範囲は、無限に近い。あらゆる可能性がヴァーチャルには存在できる。しかし、実際には、リアルの枠を、ほんの僅かに広げただけだ。どこかに、もっと想像的な新世界があるのだろうか。そういったところで行きたいという欲求を、人は持っていないのか。」 p239 「「ジョン・ラッシュだったんだ。」」 p250 「格好の良い言葉には、忘れたい苦い過去がつき纏うものだ。」 p252 「「あれは、ヒョウかな?」」 p261 「「その疑問は秀逸だ。その俯瞰こそ、人類の叡智だね。」」 p266 「この際だから、ヴァーチャルでは僕が銃を持って敵に立ち向かっていき、彼女を守るようなシチュエーションがあっても良いだろう。考えただけでも、身震いするほど革命的な新世界である。」 p267 「「ラッシュさんですね?」」 p271 「「グッドラック!」ラッシュが叫ぶ声が聞こえた。」 p276 「では、あのシャチとか恐竜とかミサイルとか黒ヒョウとかは、たいした刺激ではなかったということだろうか。」 p279 「「もしかして、君は……。」僕は、トランスファの名前は言いかけた。声は以前と違っていたが、言葉の選び方、返答のタイミングに懐かしさを感じたからだ。」 p280 「すべてオーロラがプランを立て、トランスファが支援をしている。ロボットや機器類を麻痺させているのもトランスファだ。もし、彼女だとしたら、最強であることを、よく僕は知っている。」 p288 「ジョン・ラッシュからメッセージが届いたのだ。」 p291 「同様に、人類は人間の絶滅を、どうにか防いでいる。誇らしい正義がある、とやはり錯覚して……。」 p294 「フランスの自然史博物館で、キャサリン・クーパ博士と再会した。」 p296 「「なるほど、人間の感情というものが、絶滅するということですね。」」 p297 「「私は、思いません。滅びることが、本来の自然です。それが、いうなれば、神の意志でした。既に、そこから逸脱し、私たちは自由というものに傲り、溺れている。どこまでも自由になれるのだと勘違いしているように、私には見えます。」」 p299 「赤い目の少女だった。」 p299 「「ここは、君の世界なんだ。」」 p300 「「君の手を握るのは、初めてだ。」」 p300 「二人だけになった。永遠に生きられるよりも、明日がある方が、幸せかもしれない、と思う。完全な自由を手に入れるよりも、今日より少し自由な明日を信じて生きよう。」 - 2026年7月26日
p9 「大家の家で紅茶をご馳走になったとき、僕たちは初めて<城跡の亡霊>の話を聞いた。」 p10 「「男の幽霊と女の幽霊がいるらしくて、二人は、もとは恋人どうしだったけれど、幽霊になった今は、お互いの姿を見ることができないの。」」 p18 「彼女は手を伸ばす。「さあ、行きましょう。」そのようにされたら、その手を握る以外に、僕に与えられた選択肢はない。握った彼女の手が、僕を引っ張った。どこにそんな力があるのか、と思えるほど力強い。」 p29 「「そうだね……、つまり、彼らが、ロベルトとリンダなんじゃないかな、幽霊の。」」 p34 「「ロベルトとリンダです。」」 p37 「「目撃者になってしまったわけだ。」僕は呟いた。「誰でも毎日、なにかの目撃者ではあるけれど。」」 p38 「何者かが存在する、とは至言である。」 p42 「「私は、ヴィリ・トレンメルといいます。」老人は名乗った。」 p51 「人間は孤独を愛しているようだ。」 p61 「「幽霊とは、どんなものか。人はどうして幽霊を創り出したのか。」」 p73 「「いえ、つまり、幽霊になって、この世に留まるわけです。それで、無念を晴らそうとする。解消できれば、ようやく天国へ行ける。それを浮かばれるというのです。」」 p75 「マガタ・シキ博士の共通思考というのは、物体のように信号を共通化することかもしれない。そうすることで、お互いの信号がお互いに確認でき、お互いに影響を及ぼすことができる。すなわち、思考が、物体のように目に見えて、手で触ることができ、移動したり、加工したり、破壊することができる存在となる。思考が物体になる、といえば良いのか。」 p77 「まるでオーロラだ、と思ったけれど、これは口にしたら果てることになるだろう。」 p82 「僕は、ドレス姿の彼女をゆっくりと眺めることができた。」 p104 「私も、悲鳴って、上げたことがありません。発声練習をしておかないと、上げられませんよね。」 p107 「「私は、リンダです。」」 p112 「「幽霊を、誰かが作った、ということですね?」」 p113 「路地は、僕に顔を近づけて、軽く口づけをしたあと、自分のベッドへ移動した。」 p121 「「人間の装いというのは、ファッションもそうだし、たとえば、建築物や、それから地位や、グループや、あるいは武器とか、国とか、団結とか、全部がヴァーチャルだったんだ。そうやって、自分を別のものであるかのように意図的に錯覚して、一時の夢を見たんだよ。」」 p124 「「お昼まえには、失礼したいと思っています。」僕は言った。おそらく、それがロジの本心だからだ。もう一度、彼女を見ると、満足そうに眼差しを返してきた。」 p132 「彼女を追いつう、僕はヴィリ・トレンメル氏の杖を拾い上げる。なにかの役に立ちそうな予感がしたからだ。」 p143 「「茶色の馬ですか?」」 p144 「そのときになって、ヴィリ・トレンメルの杖を持ってきてしまったことに気づいた。手に馴染んでいたのだろうか。」 p148 「「あ、これを……。」僕は、持参した杖を差し出した。うっかり持って帰ってしまいました。それに、振り回したりもしたので、傷がついたかもしれません。」 p158 「「いいえ。そういった陰の人物として、適当な該当者が見当たりません。百数十年近くの時間が経過していながら、誰も表に出てこないことは、非常に稀なこと、まさに奇跡といえます。」「それは、感慨深い。貴女の口から、その言葉が出るとは、思いもしなかった。」」 p168 「「何だというわけでもないのだけれど……、そうなると、私と君が幽霊になったみたいなものだね。」」 p176 「「現実というのは、人間の頭の中にあるわけですね。」」 p178 「「鍾乳洞だからね。」」 p184 「「リアルの人間が、ヴァーチャルを体験するように、尺に、ヴァーチャルの住人たちに、リアルの世界を体験させる、というプロジェクトを、トレンメル氏が考えているとしたら、という架空の話だけれど……。」」」 p199 「「マルコ、リンダに会いたいのでは?」僕は尋ねた。「リンダが、ここにきているのか?」マルコjは英語できいた。」 p199 「「俺には、リンダは見えない。声を聞くこともできない。」マルコはそう話し、そこで左右に首をふって、そのあと目を開けた。「でも、いることはわかる。」」 p201 「ロジのクルマで帰宅した。やはり、丸い月が高いところで光っていた。あそこが、外に出る穴かな、と一瞬連想して、僕は見上げた。」 p202 「わからないようで、すべてわかっているし、なんらかの方法で再現できるもんばかりである。ただ、普通の感覚からして、ちょっと変な感じがする、というだけ。ようするに、違和感を抱く。だが、その違和感は、僕自身の基本というか、立ち位置、つまり視点に起因したものだろう。世の中には、まったく違う価値観が多数存在し、いろいろな目的で、さまざまな生き方を、人はそれぞれしているのだ。」 p203 「百年もまえの経済学者が、人間が行うものはすべて宣伝である、という言葉を残している。情報はすべて宣伝であり、リアルで行われる運動はすべて宣伝だ、と考えてもそれほど大きな勘違いにはならないはずである。」 p204 「でも、ロジが襲われたことは許せない。」 p207 「「城跡公園です。明日はどうですか?天気も良さそうですから、お弁当を持っていきませんか?」」 p208 「「まあ、ピクニックですって?久しぶりに聞きましたよ。ちょっとしたパニックだわ。」」 p210 「「グアトの希望というのは、グアトの自由なのではありませんか?」」 p210 「「そう言われてみれば、そうなのかな。しかし、個人の希望というのは、個人の内部にあるわけではないよ。個人の周辺にある。個人の環境にある。たとえば、もうすでに君がそこに含まれている。」」 p214 「「大人になっても、うーん、たとえば好きな人を楽しませようと、やっきになることってあると思います。」」 p226 「「そうかもね。うん、それに近い。もっというなら、援助を期待されている、援助を望んでいる、というサインがないかぎり、余計なことのように思う出しゃばることに抵抗がある。あの人の自由なんだ、一番大事なことは。」」 p228 「「それが正しい理解ですが、世間は必ずしも正しく理解しようとはいたしません。自分がしたい理解をします。」」 p233 「「トレンメルさんの杖があります。」僕はブラウアに言った。」 p237 「こうしてみると、人間の頭脳には、もともとヴァーチャルの機能が備わっているようだ。電子会に作られたヴァーチャルは、人間の頭の中の機能をただ外に取り出しただけのものなのだ。」 p238 「最も可能性が高いのが、その誰かが、この世の人間ではないからだ。僕に、何が言いたいのだろう。伝えたいことは何だろう?言葉ではいえないことだ。言葉にならないような、メッセージ?」 p239 「そうか……、あそこに彼はいるのだ。僕に会いにきてほしい。呼んでいるのだ。でも、どうして?どうして、僕に来てほしいのだろう?なにか、僕にできることがあるだろうか?」 p240 「そうだ、あのとき……。あれか?あれが、つまり……。」 p243 「そうだ、だから何なんだろうか?それは、彼にきいてもらいたい、彼に言ってほしい台詞だ。」 p245 「人間も組織も、メリットのないことでは動かない。」 p252 「「頑張って。」ピータが上から言った。そして、片手を振った。」 p254 「僕が伝えた情報から、オーロラとアミラが演算した結果だった。世界でここだけが、条件に合致する、と割り出されたのだ。」 p255 「思ったとおり、ヴィリ・トレンメルの別荘と同じ建物だった。」 p260 「「ロベルト・トレンメルさんですね?」「よく、ここへいらっしゃった。」掠れた声で、彼は話した。」 p261 「「どうも、ありがとう。」「その杖は、何ですか?」僕は尋ねた。「遠い昔のことで、忘れてしまったが、これは、私の大切なものだった。」老人は答える。「これから、それを思い出すことにします。」」 p261 「「いえ、どうもしません。ただ、思い出す。これまでの人生は、すべて、それでした。ただ、毎日思い出す。昔のことを思い出す。思い出して、また忘れて、また思い出す。その繰り返しです。ここには、新しいことはない。なにも生まれない。したがって、昔の思い出だけを、何度も、何度も、繰り返し、この……。」彼は片手を上げ、自分の頭の横に当てた。「この頭から出して、それを手にして眺める、それを噛み締める、何度も、何度も、同じことを繰り返し、思い出す。そんな毎日でした。それだけを続けてきました。生きることは、思い出すことです。違いますか?」「新しい思い出を作ることだって、できるのでは?」僕は尋ねた。「それエモ、明日になれば、忘れてしまう。だから、覚えていることだけを、思い出すのです。それらは、昔の子です。子供の頃、そして若かった頃。」 p262 「「リンダ?その名前は。私が知っている名前のような気がする……。」老人はそこで目を瞑った。「誰だったか……、そう、その名前は、知っている。大切な名前のような気がする。誰だったか……。」 p263 「「もう一度、おききしますが、それは、何ですか?」僕は、デスクの上に置かれている杖を指差した。「え?これは……、そう、大事なものです。」老人は答える。「どなたかが、届けてくれたものです。ありがたいことです。」」 p263 「そこで、彼は口許を緩め、微笑んだ。「もう……、そのような時間はない。そう思います。一生に一度きり、すべてが、この一瞬の中にあろうとしている。懐かしい声だ。そういう声を、私は聞きたかったのだ。懐かしい、とても、懐かしい……。人間というのは、なんて懐かしいものだろうか。誰が、人間を、このような懐かしいものにしたのだろうか。どうか、教えてもらいたい。」」 p264 「「時間ですか?」僕は答えた。「時間か……、そうかもしれないね。」老人は笑うのをやめた。「いや、そうではない。形だ。」」 p264 「老人の目から、涙が零れる。細かい皺の頬を、涙は伝っていく。ここにも、重力は作用している。老人の白い顔を、僕はじっと見据えた。瞬きもできなかっただろう。一瞬だけでも、時間が止まるのでは、と僕な思った。その発想に、背筋が寒くなった。これが、刹那というものか、と。もう、言葉を忘れてしまった。」 p265 「音を立てないように、寝ている彼を起こさないように、永遠の時間が、ここに閉じ込められますように、と願いながら。」 p266 「そこにいたのは、白いドレスを纏った女性。「どうぞ。」」 p266 「「私は、リンダです。」」 p268 「「この館の主人、ロベルト・トレンメル様は、こちらです。」彼女の手が、少しだけ奥へ移動した。その手が示しているものは、デスクの上にのった杖だった。」 p269 「「こちらへ私を運んでもらったことに感謝いたします。何故、この杖のことにお気づきになりましたか?」」 p269 「「時間はかかるかもしれませんが、いずれ修正されるはずです。あらゆる評価は、正しい認識、正しい存在、正しい確率に漸近します。」」 p274 「「ごきげんよう。」ピータは言った。「楽しかったかい?」」 p279 「不屈の精神で、僕たちはピクニックにチャレンジした。」 p283 「そう、意味というのは、人間にとっての価値のことなのだ。」 p283 「人間は、クリーンなものが好きで、クリーンな環境に憧れている。ストレスのない自由にも憧れている。それは、リアルがけっしてクリーンではないからだ。では、ヴァーチャルでは、人は何に憧れるのだろう?」 p286 「喧しいことは、物理的な状況ではないだろうか・喧しさが好きか、嫌いかは、人間の自由であるけれど……。」 - 2026年7月23日
p9 「キャサリン・クーパという人が忽然と消えた、というのが事件のあらましである。」 p17 「「デミアン?」」 p32 「研究から離れたこともあるし、大切な人ができたこともある。失うものを得てしまった、ともいえるだろう。」 p33 「もしかして、この不安こそが、人間の生と言うもの、生きることと同値なのかもしれない、と解釈することができる。」 p37 「「キャサリン・クーパ博士は、このドームの中で生活していました。」フェッセルが片手でそちらを示した。「この研究所に来られたのは、三十年ほどまえのことですが、以来一度も、この無菌ドームから出たことはありませんでしたし、また、彼女以外に誰一人、この中に入った者はいませんでした。」」 p38 「「ただ、日本のある科学者を呼んでほしい、というメッセージを発しました。ハギリ・ソーイ博士です。グアトさん。あなたのよくご存知の方ではないでしょうか。」」 p43 「「奥ゆかしいんだね。」「このようにするようにと、クーパ博士から教育を受けました。」」 p47 「「奥様ですか?」ゾフィが尋ねた。」 p48 「オーロラも、一人の女性との対話から、人間に対する情緒のようなものを学習した。共通点がある。なにか、理由が見出せそうな気もしたが、今はそれを考えることはできない。」 p50 「「クーパ博士が出産したというのは、ちょっと信じがたい。」僕は感想を正直に述べた。「母体だけで出産できる方法を発見した、という意味なの?」」 p54 「しかし、世の中というか、人間というのはすべて、利益のために行動するものだ。」 p72 「けれども、本当に博士の子供だろうか。」 p74 「「オーロラが会いたいそうですよ。」」 p74 「まるで、ロジがオーロラに嫉妬しているような感じに聞こえたのではないか。」 p75 「「こんばんは。」オーロラはいつもの笑顔で、小さく優雅に頭を下げた。」 p92 「「こんにちは」同じ声だ。僕は彼女の顔を知っていた。キャサリン・クーパ博士である。」 p93 「「言葉には、それを発する者それぞれの真実が含まれております。人は人を信じるか、あるいは、信じないか、その識別ののちに、言葉を解釈いたします。私は、グアトさんに真実をお話ししたいと考えます。」」 p95 「真実というものは、常に真実の一部なのだ。」 p100 「そこで一つ思いついたのだが、ゾフィをシャットダウンさせて、また復帰させるときに、時計を狂わせる手があるだろう。ゾフィは、眠っていた時間から、クーパ母娘二人がドームから出るのに必要な時間はなかった、と判断したかもしれない。」 p101 「「ドイツ情報局が探しているのは、アイビスという名のチップです。」ゾフィが突然話した。」 p105 「「アイビスというのは、コウノトリのことですね。」セリンが言った。」 p110 「「キャサリンは、そう……、面白い人物だったね。」ヴォッシュは話した。「いや、過去形で言ったのは、昔は面白かったというだけの意味だ。今も、生きていることを信じている。最近の、そう……、この十年ほどの彼女は、うん、あまり面白くなかったんだ。」」 p121 「中から現れたのは、キャサリン・クーパ博士だった。」 p125 「「あのロボットを思い出したんだね?」僕はセリンにきいた。「えっと、何という名だったけ?」「ラビーナです。」セリンは即答した。」 p136 「「君は、マガタ博士が、自分の研究所から逃げ出した事件を知っているかね?」」 p137 「「キャサリンのお嬢さんの名前を知っているかね?」ヴォッシュが言った。「いいえ。」僕は首をふる。確かに、これまで誰からもそれを聞いていなかった。「ミチルさんだ。」ヴォッシュは言った。」 p140 「家鴨みたいに可愛いな。と思ったが、絶対に言葉にしないことを自分に誓った。」 p145 「「楽しい?何が?」「考えることがです。」オーロラは微笑んだ。」 p175 「「ドクタ・マガタです。」クーパは答える。」 p181 「クーパ博士の娘、ミチルがロボットを操っっていたのだろうか?」 p186 「「子供っぽいというのはね、なんというのか、視界が狭いような、見ているところ、考えているところが、局所的なんだ。総合的な判断ができない。あちらこちらの状況を考慮できない。すぐ目の前にあるものに没頭している感じだね。」」 p189 「「まあ……、あまり想像を深めても意味はないだろう。現象だけを見よう。」」 p196 「「いいえ、人工知能はそのようには考えません。争いを避けたい、自分の勢力が有利になる方を望むというのは、ある意味で短絡的な思考です。将来的な観点から、必ずしも有利になる選択とはいえないからです。」」 p196 「「私たちは、可能性を評価し、いずれの場合に対しても、最善の対策を講じるだけです。どちらが望ましいか、とは考えません。」「マガタ博士も、そうだろうか?」「まちがいなく、そうお考えになるはずです。」」 p198 「そうだ、忘れていたことがあった。ヴォッシュが話していたこと。マガタ博士が若い頃に起こした事件について、オーロラと話すべきだった。マガタ博士にも、ミチルという名の子供がいた。同じように、閉じ込められた環境から外界へ脱出したという。クーパ博士は、マガタ博士の生き方をトレースしたのだろうか?」 p199 「本来、謎とは、偶然の重なりでは起こりえない現象のことだ。そうだとしたら、今現在、謎というものはないのかもしれない。」 p202 「現実というものが、いかに複雑化し、人間の感覚が真実を捉えられない時代になっているかを実感するだけだ。」 p204 「まるで、宇宙の真理のような美しい式化ではないか。パズルのように、それぞれが嵌り込む様は、おもちゃのブロックを連想させた。まちがいなく、これがクーパ博士のアイビス・チップのコアだろう、と直感した。」 p208 「「もっと私を安心させてくれる人がいいな。」」 p209 「路地を安心させる人になろうと思ったのかもしれない。」 p211 「「グアトが適任なのでは?」」 p215 「僕はテーブルを飛び出した。彼女の前に出る。」 p215 「その男は、長い刀を持っていたが、滑らかな動作で、それを鞘に収めた。暴走した店員を背後から斬ったようだ。」 p216 「髪型は変わっていてが、金髪で彫りの深い顔を、僕はよく覚えていた。「デミアン。」」 p217 「「いえ、そういう意味ではありません。助けていただいたのは嬉しく思います。」」 p221 「「デミアンは。エースなのですか?」」 p222 「「もっと突き詰めると、現実に存在することに、どれほどの価値があるのかも、ものすごく曖昧になっている。存在しても存在しなくても、その影響は変わらない。だったらほとんど同じだと言っても良い。」」 p223 「「グアトの手を、私は握ることができます。」」 p224 「「バックアップでは、駄目だと私は思います。そういうのは、嫌です。死んでも良いから。生きていられるんです。そうじゃありませんか?」」 p224 「「クーパ博士の研究を見て思ったんだけれど、結局、生きているものも、単なる信号なんだよね。うん、虚しいかもしれないけれど、その虚しさに、美しさを感じるわけで……。何だろう、いや、同じかな……。生きていても、本当は生きていない。存在していても、実はぞんざいしていない。ああ、何だか、刹那的になってきたね、話が。」」 p224 「「そういうお話を聞くと、涙が出ます。」ロジが言った。言葉だけではなかった。彼女は、目を潤ませている。」 p224 「「悲しいけれど、綺麗だからかな。」」 p225 「「誤解が生じていることを認識しています、とおっしゃっていました。」オーロラはこう表現した。」 p228 「「自然とは、シンプルです。そういうものを人間は美しいと感じます。たとえば、どんなところにも明確な境界というものが存在しません。細かく見ていけば、分布と密度の連続的な変化があるだけです。それらを、人間が捉えて、ゼロか一か特別します。すると形という概念が現れ、姿という幻想が見えてきます。そうしたものに、理屈と均整を求めるのが人間です。」」 p231 「「どこにいるのかは、大きな問題ではありません。そうではありませんか?」」 p232 「「そう思うことは、誰でも簡単にできます。自分を人間だと思えば、人間になれますか?それが人間の条件でしょうか?」」 p233 「白い手が伸びて、帽子を少し持ち上げる。反対側から白い脚が向こう側へ移動し、上半身が同時に持ち上がった。白いドレスの背中。大きな帽子の下から黒髪が伸びていた。マガタ博士が、ハンモックを迂回して、僕たちの前に現れる。「お久しぶりです。」軽く頭を下げ、僅かに口許を緩める。」 p234 「「理論に矛盾はない。非常に均整の取れたモデルです。」マガタ博士は話す。「あれを思いつかれたのは、たしかに彼女の才能というもの。それは認められる。けれども、モデルは現実から乖離しています。それでは、サイエンスではなくアート。」」 p235 「「そうです。彼女の感性が導いた、彼女の願望の形なのでしょう。」マガタ博士はそこで優しく微笑んだ。」 p236 「「私がツェリン博士と親しかったら、やめるように助言したでしょう。自分の親しい人の時間が無駄になることを、私は残念に感じるからです。これ、感情的な問題であり、私の願望です。もし、貴方が実証して見せるとおっしゃるのなら、私は貴方を止めましょう。クーパ博士のモデルが、彼女の願望であるように、私が止めるのも願望が為せること。」」 p237 「「希望に満ちた目で、冒険をしたいという人に、無駄なことだと言えますか?私はその冒険に失敗しました、と話せば、ますます彼女はのめり込むことでしょう。彼女の立場になれば、私もけっして諦めません。これが人間の習性、科学者の習性というもの。」」 p237 「「研究者ならば、この虚しさが理解できると思います。」マガタ博士は語った。「いえ、理解する必要もないかもしれない。私は、何もすることができない、と思い、クーパ博士からは離れました。見守ることも避けました。私はただ、それは単なる理想であって、実証はできないと思います、と申し上げただけです。彼女がどう受け取るのかはわかっていましたが、どんなふうに言葉を選んでも、結果は同じなのです。人の心は、そんなに簡単にコントロールできるものではありません。」」 p238 「「無価値とはいえません。」マガタ博士は首を横にふった。「クーパ博士ほどの頭脳ならば、おそらく、違った方面へ、そのアイデアを展開されているはずです。あの美しさは本物なのです。お感じになったでしょう?研究者ならば、誰もが身震いするはずです。私は、十五年もその美しさに取り憑かれました。」」 p238 「マガタ博士は立ち止まり、僕をじっと見据えて、また微笑んだ。「面白いわ。」白い歯を見せるほど、彼女は笑った。「どうして、こんなに面白い方がいらっしゃるのかしら。」」 p239 「「この説明は、非常に難しいの。あえて簡単に言えば、その展開の結果が、今のこのヴァーチャル世界の生きものたちです。何故ならば、私はその理想を方時も忘れず、あらゆるコードのデザインに取り入れてきましたから。そう、まるで、若き日の恋の思い出みたい。」」 p239 「「それは、私が考えたことであって、真実とは言えません。貴方も、まもなく考えつくはず。それも正解ではなく、貴方が考えたこと。」」 p239 「「近いけれど、それはきっと違います。そう言ったリアルの問題には活かせません。もっと、抽象的な、コードの美しさなのです。思いついたときに、貴方は納得するはず。正解とは、自身が納得できる仮説のことですから。」」 p240 「マガタ博士は僕の顔をじっと見据えた。圧倒される一瞬の視線だった。その青い瞳は、下を向いた。「では、ここでお別れしましょう。とても楽しかった。またお会いしましょうね。」」 p241 「「博士、デミアンに会われましたか?」マガタ博士は振り返り、微笑んだまま、頷いた。」 p241 「「すいません、もう一つ。」僕は叫んだ。彼女が振り返る。「ロイディは。元気ですか?」マガタ博士は、さらに微笑んで頷き、片手を少し持ち上げた。」 p241 「「全然分かりませんでした、何の話をされていたのですか?」「うん、つまりね……、話をしたんだ。」「何の話を?」「それは、本質ではない。」」 p248 「あの相似形を重ねた人形のように、これまでは、殻を開けて中身を覗く方向へ進んできた。もし、同じように進むとするなら、同じ相似形を求め続けるのなら、いずれ到達してしまう。その後は、外側の容器を作り、今までのものすべてを取り込んでいく方向しか残されていない。それができたら、さらに大きな容器を作る。この繰り返ししか、進む方向はない。つまり、電子の生命が生きる道は、拡大の方向にしか存在しないということだ。そのことに、誰よりも早く気づいたのが、マガタ・シキ博士だった。すべての存在の外側に、新しい存在を作るしかない。博士の共通思考とは、つまりは、存在というものの原点への思考の転換を図ったものだ。」 p248 「なんとなく、そう信じていた。それは、僕が生きているからだ。たまたま生きているからにすぎない、そうではなかった。生命ではなく、存在なのだ。存在こそが、最も重要な、この世界を形成するユニットであり、基本だ。」 p249 「僕は、ようやく本質に辿り着き、真の疑問、真の課題に身震いした。そうか、そういう問題だったのだ、と……。」 p252 「「そうね……、まだ、言葉にできるかどうか、自信がないし、それに、これは私の考えた結果であって、真実ではない。マガタ博士は、また別の結論を出したかもしれない。それぞれが、それぞれに納得して、自分の正解を手に入れる、というだけなんだ。展開というのは、開き方が自由なんだ。」」 p253 「「展開する人ぞれぞれに、その人の現実がある。その人のリアルの世界があって、自分の周囲の環境条件に合わせて、理想の形を具現化するんだ。」」 p267 「「ミチルとロイディが乗っていました。」」 p269 「ロジが僕の顔を見たので、僕は片手を出した。ときには、先輩に見習うのも、悪くはないだろう。」 - 2026年7月21日
p9 「ロジが珍しく、僕を誘った。一緒に行かないか、と言うのだ。」 p9 「「説明が難しいのですか、あまりにも楽しいので、これを自分一人で享受したままにしては、多少ですけれど、後ろめたく感じました。もちろん、ほかの人だったら、そんなふうには感じませんよ。楽しみを人と分け合おうなんて、今まで一度だって考えたことがありませんでしたし、今も、それはそのとおり、変わりがありません。」」 p14 「彼女の自由は彼女のものなのだ。なにか問題でもあるだろうか?」 p16 「「でも、どこでもつき合うよ。君が行きたいところなら。」」 p26 「「なんか、どこかで見たことがあるような……。」僕は呟いた。そして、思い出した。エジプトだ。エジプトで、ロジが運転する車に乗って、こんな光景の場所を走ったことがあった。」 p27 「「嬉しい。」」 p27 「口許が少し緩んでいて、笑っている横顔だった。幸せそうな顔だ。ああ、良い顔をしているな、と僕も感じた。他人の嬉しさが自分の嬉しさに変換されるという現象は、いかなるメカニズムだろうか。そのファンクションを是非究明したい、と考えた。」 p29 「なのに、そういった逆境に屈することもなく、人は生き続け、研究し続け、考え続け、何世代にもわたって、自分たちの可能性を追求してきた。素晴らしいことだ。」 p30 「次の瞬間、目の前は真っ暗になった。なにも見えない世界。暗闇。黒。宇宙のようだな、と僕は思った。でも、こうして思ったり、考えたりできるのだから、まだ世界は存在している。話ができるのだから、僕もロジも存在している。本当に?ただ、そう感じているだけ。感じさせられているだけかもしれない。」 p36 「これがなかなか美味かった。その感想を、素直に言葉にしたが、ロジは僅かに微笑んだだけだった。」 p42 「「私ね、一度死んだことがあるのよ。」」 p42 「「そうだね。あのときは、さすがに私も感動した。2人で大泣きしたね。」」 p45 「「こんばんは。」小さな人形のようなオーロラがお辞儀をした。」 p51 「「メッセージだったら、言葉で伝えれば良いのでは?」」 p53 「「アリス・システムの人工知能のことです。その世界の神といっても良い存在です。」オーロラは、そう表現した。」 p56 「あのときは、夢から覚めるようにログオフした。そして今、その同じ夢の続きを見ようとしているのだ。」 p66 「こちらをじっと見つめる目は、淡いブルーで、彼女自身が人形のようだった。ワンピースも水色で、白いフリルで飾られている。」 p67 「「アリス。」少女は即答した。」 p68 「「ロジとグアトを待っていたの。」アリスは言った。」 p69 「「この子は、クマさん。」アリスが言う。」 p72 「「海の底を走るの。」アリスが言う。」 p73 「「すぐに起きないほうが良い。」僕は言った。「そういう伝説は知っています。」ロジは微笑んだ。」 p80 「「人は世界ではない。人がそう思っているだけのこと。世界は、人がいなくても消えない。人以外のものが沢山いる。」アリスが言った。」 p82 「「世界の意味?」アリスが振り返ってきいた。「その答をお持ちですか?」」 p96 「ロジは、僕に視線を移して、少しだけ舌を出した。素晴らしいリアクションである。」 p100 「「人間が絶滅した未来って、言っていませんでしたか。」」 p110 「つまり、彼女には裏がない、という印象から来ている推測だ。おそらく、子供のときからそのまま。大事に育てられたのだろう。真っ直ぐに生きているし、正直だし、素直だと思う。」 p122 「<eleven ear is not fifteen ox.>「十一の耳は、十五の牛ではない。」」 p123 「「十一はBで、十五はFだから、それを単語の前に加えると、熊は狐ではない、になる。」」 p127 「踞っている少女が顔を上げた。「アリスじゃない。」ロジが言った。「アリス、どこにいたの?」少女は泣いている。頬が濡れていた。口許を震わせ、肩を上下させて息をした。」 p128 「「クマさんがいなくなっちゃった。」アリスは答えた。」 p129 「不自由な神だな、と僕は感じた。まるで、暗闇で泣いている子供のようだ。やはり、アリスがここの神なのか。」 p131 「アリスは、ぬいぐるみを抱き締め、それに頬を寄せていた。」 p133 「「人間が滅んだということがわかったでしょう?その理解には、少しゆっくりと時間をかけた方が良いのよ。つぎつぎ合理的に進めてしまうと、なにも印象が残らない。結局、記憶として残るものって、ほんの僅かだから。人生がいくら長くなっても、経験したほとんどのものを忘れてしまうことになるの。そうでしょう?」」 p134 「「パレスがあるの。」アリスが答える。 彼女は、頬にぬいぐるみをくっつけたままだった。「そこで、お土産をもらって帰ったら、世界の時間が進んでいるかもしれないのよ。」」 p134 「アリスが微笑んだ。「秘密の美しい箱なんだけれど、あってもなくても同じだから。面白いでしょう?パンドラの箱かもよ。」」 p136 「「神様が、ここにいらっしゃるの。」アリスが言った。」 p138 「なにもかもが、高い方から低い方へ流れて、安定を求めて変形し、しだいになだらかになっていくだろう。いつかは、すべてが止まるのか。いつかは、完全な死を迎えるのか。静かに存在するとは、結局は生への反動だろう。生きたものが、一瞬だけ輝いた時代がかつてあった。その後は、揺り戻しがあって、すべてが闇に向かって落下していくのだ。」 p138 「アリスは近づいていくと、手に持っていた熊のぬいぐるみをテーブルの上に投げた。クマさんは回転しながら大きくなり、テーブルの中央に浮かんだまま止まった。今は二メートルほどもあろうかという巨大な熊になった。」 p139 「「さて、お望みのものは何かな?」クマさんが言った。」 p145 「「人工知能は一般に、理解することに積極的です。理屈で話し、理屈で答える。相手の言うことを理解し、素早く譲歩することが大事だと思います。けして感情的にならないことです。」」 p148 「この世がリアルだという保証はない。今が、既にヴァーチャルの中なのかもしれない。ずっと生きているからリアルだ、という判断には根拠がない。ただ、この世の神が、比較的矛盾を嫌い、不合理なことを表に出さないから、なんとか納得して生きていられるだけのことだ。」 p150 「夢でも現実でも、どちらでも良いのかもしれない。自分が信じる世界があって、そこで生きていく。それがその人の人生なのだ。」 p151 「時間と空間は、同じものなのだから、なにものも存在し、存在しない。それらは、表裏でしかない。」 p151 「「綺麗だった。」僕は微笑んだ。「ロマンチックだった。」「ロマンチックって、何がですか?」ロジが笑った。「とにかく、食事をしよう。」僕は言う。「食事?」ロジが首を傾げる。「え?」」 p156 「「こんばんは。」少女の声が聞こえた。ドアを開け、外を覗くと、通路に小さな女の子が立っていた。「アリスじゃない。」ロジが言った。」 p156 「さきほどまで一緒にいた。そのときと、まったく同じ服装だった。水色のワンピースに白いフリル。黒い靴。金髪はカールして背中へ垂れている。上目遣いの青い目が、僕とロジを交互に見つめた。」 p157 「アリスは、ぬいぐるみを片手に持っていた。巨大化し神のように語ったクマさんだったが、今は小さく、目も動かさなかった。リアルで見ることになるとは思わなかった。」 p161 「「もちろんよ。」アリスは微笑んだ。」「グアトさん、貴方の評価値が三ポイント上がりました。」「三ポイント?満点は十の評価?」「いえ、満点は二百五十五です。「そう……、じゃあ、僅かだね。」「もともとの評価値が高いということです。」」 p162 「「グアトさんは、北極海のオーロラを救い出しました。それから、チベットのアミラの再生にも関わっていました。私は、デボラからそれらの情報を得ました。私たちに理解がある方だということが、この度のお願いの前提にあるものです。」「え、なにか、お願いされるの?」僕はそこで黙って、アリスを見た。少女は青い目で、じっと僕を見つめる。」 p162 「「クマさんと私です。」アリスはそう言うと、ぬいぐるみを胸に抱いた。」 p170 「「人工知能にとって、死というものは恐れる状況ではありません。危機とは、過去を失うことでもあり、それによって、未来への可能性を失うことです。グアトさんの質問は、人間の価値観に根差しています。そのいずれも、実質的に同じもの。生命の本質的な防御反応によって、価値は形成されます。」」 p171 「「違います。知を築くことは、人間が山に登ることと類似した行為といえます。求めるものがある。そちらが高いと考える。その直観的評価によって価値というものが自然に生じるのです。」」 p173 「人間に残された最後のリアルは、死と誕生だったが、これも既に事実上消失して久しい。いったい、リアルにどんな価値が残っているというのか。」 p175 「「リアルとヴァーチャルを勘違いしましたって?」」 p181 「「簡単だったでしょう?」アリスが言った。」 p195 「「簡単だったでしょう?」同じ台詞だ。」 p199 「「人類は、自分たちの繁栄が後ろめたかったのではありませんか?」」 p201 「人類が絶滅しようが、世界が消滅しようが、人は目の前にあるパンを食べるだろう。その一瞬では、そのパンが望みなのだ。」 p203 「「これで最後です。」アリスは言った。」 p206 「「簡単だったでしょう?」少女が高い声で言った。」 p207 「「ロジさんに、特別なプレゼントも用意してあります。」」 p208 「「不正は正されるべきだとは思っているけれど、それで争いになるのは好まない。なにがなんでも叩こうとするのも、あまり好きではない。人間なんてものは、純粋ではいられない。そこが人工知能とは違う。自分の中に矛盾を抱えているし、いつも迷っている。可哀想な人は助けたいと思うし、無慈悲な人は消えてほしいと思う。理屈だけで選択するのではない。そういうことを、そうだね、六十年くらい生きると、だんだんわかってくるんだ。」」 p209 「「私も、そうありたいと思っている。でもね、人間というのは、一人ではなにもできない。力を合わせる必要があるんだ、なにをするにもね。そうなると、他者を説得する必要が生じる。ここが問題だ。ここで、ピュアではいられなくなる。人間が汚いのではなくて、人間関係が人間を汚してしまう、ということ。」「理解できます。」アリスは頷いた。「私も。」ロジが言った。僕は少し驚いて、彼女の顔を見てしまった。」 p213 「「スイスです。」アリスは答える。」 p218 「一台だけ変わったタイプのクルマがそこにあった。タイヤが剥き出しで、車体がとても低い。ヴァーチャルの中でロジが運転したレーシングカーにそっくりだった。「君にプレゼントがあると言っていたね。」」 p223 「<この先で検問がある。ハイウェイから一般道へ回避せよ。警察は車種を限定できていない。オブジェクトさえ隠せば安全。>」 p226 「「私のパートナです。ドイツ語は話せません。」」 p242 「前方には、<スイスへようこそ>という文字が空間に浮かんでいた。」 p247 「テーブルの奥に、男が座っていた。顔を上げて、笑顔で僕たちを見る。彼は立ち上がった。髭の船長、モリスである。」 p250 「中央に丸いテーブルが置かれ、白いドレスの美女が奥に座っていた。こちらを向いて一礼する。テーブルの上には、チェス盤が置かれ、駒が幾つか置かれていた。既に大部分は盤上にない。」 p250 「「待っている間、相手をしてもらったんですが……。」モリスが苦笑いして言った。「私もけっこう自信のある方なんですよ。でも、すでに二敗です。」美女は、表情を変えない。久し振りに彼に会った、と僕は気がついた。」 p251 「「サーキットに始まり、サーキットで終わったね。」」 p253 「「僕も、正直に言って、あれの魅力はわからない。でも、君が嬉しそうだということはわかるし、君が楽しそうにしていると、何故か、僕も嬉しくなる。」」 p258 「アリスが言った。「簡単だったでしょう?」あれは、もしかして……、リアルではない?では、ヴァーチャルだったのか?その可能性はある。否定できない。証拠なんてない。リアルの証拠なんて、常に自身の感覚だけのこと。どこにも表示されていない。証明することは不可能だ。」 p263 「彼女には、彼女の世界がある。干渉してはいけない領域だ。」 p264 「彼女の考える優しさ、彼女の世界の優しさだ。世界が違うのだから、見ているものは違う。受け取るものも当然違ってくる。」 p264 「自分の世界において、自分は世界の創造主なのだ。すべて自分の都合の良いものを思い描き、勝手に解釈する。世界というものが自分の外に存在するように見えても、実際は、そうではない。その証拠に、いつでもその世界を、自分の意志で消し去ることができる。人間は、かなりの確率で自殺する。世界を消して、リセットしたいと考える。コンピュータや人工知能や仮想空間が登場するよりもまえから、ずっと昔から、そのリセットは行われていたのだ。世界を消すよりも、さきに自分が消えようと考える神、それが人間だ。自分が神だと、どうして考えないのか、という問題を思いついた。それは、神になることよりも、神に縋る方がずっと楽で、安心できるからにすぎない。安心とは、安らかに眠れること、生を放棄すること、すなわち死を望むことだ。それを、ちょっとした言葉のレトリックで逸らし、誤魔化そうとする。」 p265 「彼女の顔を見ただけで、すべて許せると思い始めていた。」 p268 「それよりも、もうすべてが許せる、と感じた。ロジは、やはり正しい。彼女の第一の魅力は、圧倒的な正しさだ。」 p269 「彼女に危険が迫ったときには、何があっても身を挺して守ろうと思っている、と言いたかったのだが、恥ずかしかったので、その表現にはならなかった。オーロラの言い分は、わからないでもないが、僕の理想とのギャップは大きいようだ。」 p269 「ようやく、窓の外の風景を本当に見ることができた。これがリアルだ。絵に描いたような、という言葉のとおり、美しい山々が朝日で輝いていた。あまりにも整いすぎているから、まるでヴァーチャルみたいに感じられるほどだった。」 p271 「「人間は、常に新しくなるんです。」」 p272 「彼女は、上着のポケットから長細い箱を取り出した。フィルムに包まれ、リボンがかけられていた。」 p273 「「お誕生日だったからです。」」 - 2026年7月20日
p10 「「私は、デミアンといいます。」」 p12 「「エジプトで、ロイディという名のロボットを輸送しましたね?」」 p15 「カタナと呼ばれるものだ。」 p17 「「君は、ロボットだろう?」僕は、彼に尋ねた。」 p18 「「この世で、また会いましょう。」」 p25 「ロジは、顳顬に片手を当てた。」 p27 「「そうそう、背が高くて、若い人でしょう?うん、金髪で青い目の。」」 p30 「人間かどうかを見分けるための、僕が持っている技術は、統計的なデータに基づいたものだ。その種のデータには、常に例外が存在するものだ。」 p33 「僕たち二人は、ドイツの市民として登録されている。ここに移り住んで、一年と七ヶ月になる。」 p34 「「問題は、デミアンがロイディについて口にしたことだ。」「どうして、私たちがここにいることがわかったのでしょう?」」 p36 「「ドクタの見立ては、いかがでしょう。」僕はまず首を傾げた。ドクタとは、僕のことらしい。」 p38 「それは、僕とロジが一般的な市民ではないためだ。」 p38 「ロジも、まだ指示を受けていないはずだ。」 p40 「最後の言葉は、「また、お会いしましょう。」だった。」 p49 「僕の身を守るのが、彼女の役目だからだ。」 p50 「ペガサスというのは、日本政府の中枢を担う人工知能の名である。」 p51 「「彼が、ロイディについて話したことです。日本でもトップシークレットで、知っている者は数名でしょう。情報が漏れるとしたら……。」「モレル。」僕は、そう言って微笑んだ。ロジも笑った。」 p53 「「マガタ博士が、デミアンを欲しがっている、という意味。」」 p53 「ただ、僕が作ったものに対しては、調理を始めて一週間後から褒めてくれるようになった。これに気を良くした僕は、ほぼ毎日キッチンで作業をする習慣になったのだ。」 p54 「「あ、先生。」ロジが呼んだ。「名前で呼ぶと決めたはずだけど。」僕は振り返った。「ここは大丈夫です。」」 p54 「誰が来るのかはわかった。久しぶりだな、彼女に何をご馳走しようかな、と考える。今日使う食材のうち、あれとあれを残しておこう、と演算した。」 p55 「「グアトの命が狙われるとは、考えていません。」ロジはこちらをちらりと見た。「あるとしたら、誘拐でしょう。気をつけて下さい。」」 p58 「僕のすぐ横に、白いドレスの女性が立っていた。長い黒髪はバックの闇にすっかり同化していて、周囲の照明の光を反射していない。影もなく、平均的に霞んで見えた。」 p59 「「デミアンが、先生のところへ来た理由を知りたい、と思っていらっしゃるのでしょう?」彼女は、一歩前に出て、こちらを向いた。青い目の視線が、精確に僕を捉えた。サファイアのように澄んだブルーだった。」 p61 「「さすがに、演算が速い。」彼女は微笑んだ。」 p61 「「青い目の女性に会った、という夢を見ていたんだ。」」 p62 「「誰?サンタクロース?」僕は呟いた。「サンタクロースです。」ロジが真面目な表情で答える。」 p63 「「今から、君のところへ行こうとしているんだ。」顔を上げて、老人は言った。にやりと笑って、指を一本立てる。顔の変化のし方に、見覚えがあった。」 p64 「「この世というのは、あの世ではない、という意味だ。」」 p65 「明日来る予定になっているのは、ウォーカロンの局員である。彼女が、僕とインドへ行ったとき、そのロボットを倒した。緑のオイルを流して、ロボットは息絶えた。」 p68 「「そう……。デミアンがロイディのことを捜しているのは、自分のルーツを知りたいからだ、と。」」 p68 「「デミアンのルーツは、ロイディなんだ。つまり、彼は、自分の頭脳以外の頭脳を内蔵している。」」 p71 「僕は、彼を知っている。ドイツが誇る科学者ハンス・ヴォッシュ博士である。僕の倍も生きている大先輩だ。」 p72 「「久し振りだね。キョート以来かな?」」 p73 「「ドクタ・クジだよ。知っているかね?」「クジ・マサヤマですか?」」 p80 「「彼女は、もともとはフランスにいたようだが、どういうわけか日本に移ったそうだ。彼女自身、どういった経緯だったか思い出せなかったのだが、ただ、私にこう言った。ロイディについていった、と。」」 p84 「「いや、根拠はない……。じゃあ……。あ、マドモワゼルも、えっと……。」「ロジです。」「おお、ドイツ名か。私の好きな名だ。ありがとう。会えて嬉しかった。」」 p85 「不確定なものが簡単な手続きで解除するならば、けして躊躇はしなかったはずだ。今は、それをしない僕がいる。僕も、そんな沈黙を覚えた。」 p85 「なんとなくではあるけれど、彼女が僕を許してくれているような気がするのだ。許すという言葉は、もしかしたら不適切かもしれない。見逃してくれているのではなく、認めてくれている、に近い。そんな温かみを感じるから、僕も彼女に無粋なことはきかないようにしよう、と思った。たぶん、そんなところではないだろうか。」 p86 「「いや、違う。でもね……、人間、どうなるかわからない。うん、たとえば、私が明日にも死んでしまうかもしれない。その場合、君はどうする?考えている?」「そんなことを考えていたら、生きていけません。それ以上変な話をしたら……。「どうする。もう見切りをつける?「いや、泣きます。」」 p89 「人工知能との情報交換は、今はオーロラ経由で行っている。」 p93 「「セリンです。」「セリン?へえ……、あまり変わっていないね。もしかして、綴りは同じ?」」 p93 「知らないのだから、知らないと答える。彼女の発言は、常に正直で、おおかた最適だ。僕は、こういうところを高く評価している。」 p95 「「デミアンの関係かもしれない。」」 p96 「ロジとセリンは、抱き合ってお互いの嬉しさを伝達し合ったようだが、僕は握手をしただけ。」 p98 「「先生のことをご存じだからではありませんか?」セリンが言う。「グアト。」ロジがセリンを見据えて囁いた。」 p100 「伝統的な日本刀でないことは確かである。」 p101 「おそらく、このトランスファに、運動する実体を加えたような存在なのではないか、とぼんやりとした想像をした。」 p106 「英語で<Super artificial power>とある。超人工力とでも訳すのか。「それが、デミアン・プロジェクトのテーマでした。」」 p109 「「デミアンに似ている、と思いませんか?」」 p111 「「その王子の頭に、脳はありましたか?」ヘルゲンがきいた。」 p121 「メインはグラタンで、二人とも「これは何というのですか?」と驚いた。」 p121 「「ナクチュの神殿に、デミアンが現れました。」」 p124 「ナクチュの神殿の近くに着陸し、区長であるカンマパ自身が出迎えてくれた。彼女は全然変わっていない。まったく以前のとおり、若々しく美しいままだった。」 p124 「カンマパが出向くと、神殿内にジュラという名の者が眠っているはずだから面会したい、と言った。そのときに、デミアンと名乗ったらしい。」 p129 「ここのクイーンだといっても良いだろう。」 p130 「「あの……、彼が、王子と似ていると思いましたか?」僕は尋ねた。「え?」カンマパは、口に手を当てる。びっくりしたようだ。」 p131 「僕自身、王子も、そしてデミアンも、カンマパに造形が似ていると感じていた。掘りの深い目許などが、特にそうだ。」 p131 「「あのように撃ち合わなければならぬのは、何が不足しているのでしょうか?お互いの理解、愛、それとも、血ですか?」」 p132 「「目にすれば失い、口にすれば果てる」と言われているもの、それが神だからだ。」 p132 「「ロジとセリンの間くらいの年齢かな。」「口にすると果てますよ。」ロジが素早く反応した。」 p133 「僕自身、蘇生した王子が現在どこにいるのか知らない。知っている者は限られている。僕の友人の一人は知っているかもしれないが、彼は今はその仕事から離れ、アメリカへ行っているはず。」 p137 「「でも、王子は眠ったままです。あ、もしかして、デミアンが行けば、王子が目を覚ますのでしょうか?」」 p138 「僕とロジにしてみれば、情報局のニュークリアから出て以来の帰国である。」 p139 「「せっかくドイツへ行けたのに、すぐに戻ってきてしまいました。」」 p140 「「そうですね。仮説ですが、ジュラの頭脳がデミアンに移植されたとすると、デミアンの中のジュラの頭脳は、自分の躰に戻りたいのではないでしょうか?」」 p141 「ロジの「まとも」は、けっこう基準が高い。大半の人間がまともではなくなる、もちろん、僕も含めて。」 p143 「「未来の日です。」セリンが答える。」 p144 「「蘇生したナクチュの王子です。意識は回復しておりませんが、生体としては健康です。」」 p147 「「ありがとうございます。」ここは来て、最も価値のある情報だった。」 p154 「「囮だったんだ。」」 p159 「「トランスファが一緒だね。それから、脳も二つある。だから、一人といえるかどうかという問題はある。」」 p165 「「王子のボディくらい、頭の持ち主に返してやれば良いのでは?」「そうですか?それが正義ですか?」「いや、正義というよりも、人情的に。」「人情?正しかったら、下さいと言えば良いのです。」」 p174 「デミアンが空中に浮かんだ。白い大きなものを抱えている。王子のボディのようだ。ほぼ、二人が抱き合うように重なっている。」 p184 「「私が誰かに褒められたら、先生は嬉しいですか?」「は?先生じゃなくて、グアトだけれど。」「嬉しいですか?」「自分のことのように嬉しくないが、ロジのことのように嬉しいかもしれない。」」 p184 「「潜水艦は、フランス船籍で、民間企業が所有しているものだそうです。」「フランスね……。モレルしはフランス人だ。」僕は言った。」 p194 「猫のようだ。」 p195 「「おぉ、ミチルじゃないか。」モレルが高い声を上げた。「そうだろう?」」 p195 「「私は、グアト、こちらは妻のロジです。」」 p196 「「デミアンだ。そうだろう?」」 p198 「「おや、マダム……。」モレルは、顔をこちらへ向けた。「あんた、わしと会ったことがあるかね?」」 p198 「「ヘルゲンさん、あんたが考えているほど、これは単純じゃないんだよ。デミアンは、天才なんだ。実に複雑な天才だ。ウォーカロンの天才だ。わしごときが操れる御仁じゃない。」」 p199 「「もう、十年以上になるかな。知合いではあるが、親しいわけではない。あれは、なんというか、恐ろしい男だ。可愛い顔をしているが、悪魔だよ。深入りすると、命を取られるだろう。そのかわり、世の中で手に入るすべての富と知恵を与えてくれるかもしれない。」」 p200 「「いや、まだ寝るつもりはないよ。大丈夫、話につき合おう。物語は大好きなんだ。滅多にあるものではない、こんな機会は……。嬉しいね。人間と話ができるなんて。」」 p203 「「奴は、うーん、もっと自由だ。自分のしたいことをしている。知りたいことを知ろうとしている。あれはな、研究者なんだ。言ってみれば、わしから一番遠い人種だな。」」 p205 「猫はこちらを見ている。さきほどの猫ではない。毛色は黒。目はグリーンだった。」 p205 「右から現れた人物は、長身で金髪。リュックを背負っていた。」 p208 「「ご助言ありがとうございます。ドクタ。」デミアンが、僕に視線を向ける。「その後、マガタ博士から連絡がありましたね?」」 p209 「「いえ、ありがとうございます。ドクタには、ご理解いただけるものと信じていました。その根拠は、オーロラを救った方だからです。」デミアンは、そこで頷くような仕草を見せた。「はい、生きていきます。そこが私の問題です。王子をこの手に抱くことで、私は感じました。たとえ意識がなくても、人間は生きているのだと。意識がいかに大きな存在であるかを、ずっと考えておりましたので、それをゼロにする行為は、すなわち肉体の死に等しいと思い込んでいたのです。でも、そうではない。たとえば、日本には禅の教えがあります。意識をゼロへ、自然に寄り添うことを教えています。それは死ではない。むしろ、それこそが本来の生である、と考えるのだと思います。これには、私も感銘いたしました。雑念が多い自分を、今は恥ずかしく思っています。」 p212 「デミアンは、やはり人間なのではないか。人間にしたい、という願望ではない。むしろ、人間だったら、少しだけ、がっかりかもしれない。」 p222 「マガタ博士が提唱する共通思考とは、そのイメージなのではないか。」 p224 「「名前」というものを人間は「理解」と捉えるが、人工知能には一過性の「処理」でしかない。」 p225 「僕が想像したのは、裏返しの人間、裏返しの肉体だった。」 p226 「内側と外側の連続は、メビウスの帯のように捩じれをイメージさせるが、そうすることでしか、実空間と電子空間に同時に存在することはできない。こちらからみれば一人の青年だが、むこうから見れば、一人ではないかもしれない。」 p227 「マガタ博士が言った「ルーツ」とは、そのことかもしれない。」 p227 「日本語で、思考と試行が同じ音なのは、恐るべき連想といえる。」 p231 「「日本にいらっしゃったときに、お会いできるものと期待しておりました。」オーロラは言った。「お久しぶりでございます。」」 p234 「「まあ、思うという現象が、曖昧です。トランスファは思うのですか?」「思います。」」 p239 「「理由なんかどうだって良い。彼が亡くなるなんて、どうかしている。立派な人物だった。もの凄く惜しい。」」 p245 「ベッドに横たわっている人間には、頭部がなかったのだ。」 p259 「「兄に幸あれと。」」 p259 「四人は、二十秒間ほど黙禱した。言葉ない。各自が自分の言葉で祈ったのだ。僕自身は、おそらく、この祈りをデミアンは知っている、そして、この祈りを叶えてくれるだろう、と考えていた。」 p261 「「デミアンです。」ホログラムの像が言った。「夜分に当然、申し訳ありません。」」 p263 「「ヘルゲンは、生きています。」デミアンは言った。」 p263 「「ミュラ、私を見なさい。隠れていないで。」デミアンが言う。」 p264 「ミュラが高い声できいた。「あなたは、誰?」「私は、ヘルゲンだ。」デミアンが言った。」 p279 「人間というのは、現実を変えてしまうために、忙しく知恵を使う生き物のようだ。」 - 2026年7月19日
p10 「地球上の現実は、複雑さに汚れている。」 p19 「「はい、不思議だと思います。人間は、人間の形をしたものに、特別な思い入れがあるように見受けられます。」」 p19 「「生きているだけでは不充分だ、ということです。」オーロラは言った。」 p29 「生きているという状態の不安定性が、人間の思考を司る仕組みに、深く刻まれているとしか思えない。」 p32 「「アネバネさんのチェスの方が凄いと思います。」」 p35 「「ウォーカロンは、自信もないのに、迷うことが少なくて、それから……、あまり笑いませんが、面白いとは思っています。面白さがわからないわけではありません。でも、何故か笑いたくないのです。」」 p36 「実体験というのは、数値実験のように、パラメータを変えて演算できない。一人が一度きりの時間を生きているのだ。」 p45 「こちらは、要約すると「よろしく」になる。だいたい、社会の会話の半分はこれだし、日本の書類の半分は、要約するとこれになる。」 p55 「「デボラを褒めるよりも、私を褒めていただきたいと思います。咄嗟の判断でした。」」 p64 「「つまり、子供が産めるように、またなるってことみたいだ。その医療措置をすればね。」」 p65 「「君は、あの王子の蘇生について、発表するんだね。」」 p67 「ウグイのスカートが短くなかったので、ほっとした。」 p77 「「知能というものが、そもそも武器かもしれない。」」 p80 「「お知らせしなければならないことがあります。政府がさきほど決定したのですが、明日のホワイトの発表を阻止することになりました。」」 p82 「「とにかく、あまりにも非人道的だ。」」 p88 「「根拠はなくても、あらゆることを疑うのが、私たちのやり方です。疑いがあるというだけで、他者を疎外することはありません。」「ペガサスかどうかは知らないけれど、あちらにはあちらの考えがある。そのデータをこちらは持っていない、という差がある。やむをえない判断なのかもしれない。」」 p93 「香りと熱さが、コーヒーの神髄である。」 p98 「「想像だけれど、生殖機能を疎外しない細胞で作られた臓器、血液、筋肉、その他諸々。それらを使えば、子供が産める躰のまま、永遠に生きられる。長寿と子孫繁栄が同時に手に入る、ということ。」」 p100 「「万葉集に隠された記号と予知。」」 p101 「「アカマか、久し振りだなあ。」」 p103 「「あ、そうだね、シキブ君。」」 p104 「そう考えると、明日起ころうとしていることは、人工知能どうしの対決にも見えてくる。アミラ、オーロラは、日本政府についている。ペガサスも当然だ。では、ホワイトのバックには、誰がいるのか?待てよ……。」 p105 「イシカワの研究所にいた人工知能・カンナは、宇宙へ旅立った。カンナは、イシカワが行った開発・研究のすべてを知っていたはずだ。そのカンナが、それらをすべて投げ出した。人間であれば、自殺に近い振舞いだった。自暴自棄といえるかもしれない。」 p107 「カンナは、証拠を掴むため、チップを入れ替えさせたのだ。イシカワは、競争に破れたのではなく、もしかして、勝っていた?それを、カンナが阻止した。それが、人類にとって危険な選択だと彼女は演算したのではないか。多くの犠牲を出し、自分の存在も消してしまうほどの、決断と実行だった。」 p112 「<新しい細胞を用いた治療の可能性について>」 p132 「「先生と一緒だったことは、一縷の希望です。」」 p135 「「ハギリ博士。」少年は僕の名を呼んだ。「私が誰か、わかりますか?」「君は……、もしかして、ペガサス?」」 p141 「「人間だけが、奇跡を信じる。」「奇跡は起こりません。歴史的にも起こっていません。」」 p142 「「やぶれかぶれ、ですか?」隣からウグイが言った。」 p153 「「うーん、アカマを遅刻させたのが、不味かったかな……。」」 p154 「「まったく、逆のことが起こってしまったのではないか、ということだよ。」」 p157 「「マガタ博士ほどの天才なら、もう願望はすべて処理されている。あとは、ただ見届けたいだけなんじゃないかって思う。すべての種を蒔いて、それが育つのを待っているだけなんだ。」」 p157 「「私もそうだけれど、自分の人生がどこへ向かうのか、何を求めているのか、といったものは、これといってないんだ。ただ、毎日を楽しく生きているだけ、しいて言うなら、この人間というものの未来を見届けたい、みたいな気持ちだけだね。そういう心境になってくる。」」 p158 「「マガタ博士はきっと、ずっと遊んでいるだけなんだよ。」」 p158 「「もともと天才は、遊び半分で、興味本位で、偉業を成し遂げるものだ。本人には、偉大な仕事をしようなんて気は最初からない。遊んでいるにすぎない。子供のときからの延長で、ただ興味の向くまま、好きなことをしているだけなんだ。」」 p162 「「大事なことは、人工知能が予想もしない作戦を実行することだと思う。」僕は静かに言った。「しかも、突然に。」」 p194 「「突飛なことって……。」」 p198 「「こんにちは。」僕は顔を覗かせた。アカマは、びっくりした顔のまま、固まってしまった。」 p202 「しかし、ウグイを見つめているアカマの目には、彼独特の粘性があった。そう、その目だな、と僕はとても懐かしかった。」 p202 「「逃避行?」」 p211 「「人工知能に、人間はとっくになめられているのかもしれない。」」 p214 「「お互いに歩み寄って、近くに来て、初めて見えてくるものがあるってことだね。」」 p219 「「人間というのは、基本的に戦うことで活路を見つけてきた。勝つこと、生き残ることで、自分たちを確かめてきたんだ。」」 p219 「「そう、本能だね。しかし、だからといって、諦めて受け入れてしまうのはまずい。理性や知性で、それらを修正していくことこそが、人間らしい能力なのだから。」」 p220 「「諦めてはいけないんですね。」ウグイは小さく頷いた。」 p221 「いつの間にか、彼女の頬が濡れていた。」 p221 「「違います。悲しいのではなくて、嬉しいから……。」ウグイは、言葉の途中で笑顔になった。「どうして、涙が流れたのか、わからない。」」 p221 「「はい、先生のお話が、その……、きちんとした考えだと思えて、そういうふうに、きちんと考えている人がいる、ということが、なんだか、とても嬉しく思えて……。」」 p222 「彼女のことが愛おしく感じられて、もう少し近くへ行って、頭を撫でるとか、抱き締めるとか、そんな発想も持った。」 p224 「不合理なのに、背筋が寒くなるような体感が、たしかにあった。ウグイの涙を見たときだ。僕はもの凄くびっくりした。これは、どう説明すれば良いのか。たとえば、デボラには、伝えることができないかもしれない、と思った。しかし同時に、オーロラはこれを知っているような気もした。人工知能であっても、人間の涙に近いものを知っているのではないか。知性とは、そういった新しいリンクを築くものだ。それが、本来の知力でもある。」 p224 「すぐにも、デボラ、そしてオーロラと話がしたくなった。議論がしたくなった。でも、ウグイとの議論は、何故かできない。あまりに近すぎる。この感覚が、今は不思議でしかない。言葉を探したが、一番近い理由は、恥ずかしいから?そう、恥ずかしい。どうして?何が、恥ずかしいのかわからない。自分を知られることが恥ずかしいのだろうか。誰が見ているわけでもないのに、何故そんな感情が湧き起こるのか?」 p227 「彼女は、急に僕に近づき、抱きついてきた。もの凄く強く、両手で拘束された。数秒間だった。なにも言わない。」 p237 「「違う、敵がなにをしようとしているのか、と言う疑問。」僕は問い直す。「先生を殺そうとしているのです。」彼女は即答した。」 p239 「いったい、僕にどれほどの価値があるというのか。」 p240 「自分で考えるしかないのか……。おそらく、人間では思いもしないような動機なのでは。」 p249 「狙いは、僕なのか?」 p255 「「でも、先生が一人で出ていくことは、私は許容できません。私は、どこまでもついていきます。」「ありがとう。君が近くにいてくれるだけで安心できる。」」 p259 「「考えてみたんだけれど、これは、人工知能どうしの争いだったのにちがいない。」」 p262 「「ヴォッシュ博士は、無事だろうか。」」 p263 「静けさというのは、不思議な言葉だ。それは、なにもないことを表すもので、闇と同じ現象を示しているのに、無ではない。」 p266 「「三人に感謝しています。」僕は言った。「私のために、面倒なことになって、大変申し訳ない。」「ハギリ先生のお言葉とも思えません。」ウグイがすぐに言った。「そうかな……。あまり、言わない?うーん、そんな意識はなかった。いつも、そう思っているのだけれど、こういうものって、言葉にしにくいからね。」」 p267 「オーロラが戸をさらに開けて、二人が部屋に入ってきた。もう一人は、長い黒髪の女性で、青い目で僕を一瞥した。オーロラは戸を閉める。僕は立ち上がっていた。僕の前に、マガタ・シキ博士が歩み寄り、そこで膝を折った。僕も再び腰を下ろした。彼女は、床に手をついてお辞儀をした。僕もお辞儀をして、挨拶をする。」 p268 「「オーロラに会うために、こちらへ参りました。」そこで顔を上げて、マガタ博士は続ける。「先生がお近くにいらっしゃると聞きましたので、ご挨拶をしようと。」「ありがとうございます。恐縮しています。」僕はまたお辞儀をした。「ご無事で良かった。」マガタは言った。表情は変わらない。「迸りでしたね。ときどき、自然界にはこういうことが起こります。焚き火をしていて、火花が飛びますでしょう。あれは、シミュレーションが難しい。よくご存じのことと思いますけれど。」「私が狙われたことが、迸りだというのでくか?」僕は尋ねた。「オーロラが、収拾に当たっています。まもなく、正常化することと思います。」」 p268 「「ハギリ博士が、どれくらいちゃらんぽらんで、思いつきで行動されているか、というデータを揃えて、説得をいたしました。」オーロラが、おっとりとした口調で言った。」 p269 「マガタは白いドレスで、オーロラは黒いドレスだった。」 p272 「わかってはいるけれど、ぶつけたい感情があったのだろう。」 p273 「マガタはオーロラを見ることもなく、黙って食事をしていた。ときどき、僕をちらりと見る。」 p273 「「マガタ博士は、こう言った事態を予測されていたのですか?」「いいえ。」彼女は首をふった。「なにも。」その後の言葉を待ったが、マガタは語らない。料理を見つめて、面白そうに箸を進める。」 p273 「「人工知能は、人間社会にとって、どんな存在になるのですか?博士の共通思考とは、どのような未来を想定しているのですか?」汁物の椀を持って、それを口につけていたマガタは、視線だけを上げて、僕を見た。それからゆっくりと椀を膳に戻し、箸を置いた。」 p274 「「さて、何をおききになっているものか……。」彼女はそこで微笑む。「不思議なこと。私に、未来が見通せるとでも、お考えでしょうか?」」 p274 「「でも、今のこの文明は、マガタ博士に導かれたものと、少なくとも私は理解しています。」「面白い。」彼女は口許をさらに緩めた。「人類と人工知能の未来が、私は心配です。」僕は言う。「私は、料理が冷めないか……。」マガタは、まだ微笑んでいる。「そちらの方が心配ですわ。」」 p275 「マガタは、また椀を置き、箸も置いたあと、片手で口を押さえて、笑いだした。彼女一人が笑った。みんな黙っていた。一分ほどして、また静かになって、マガタは膝に手を置き、僕を真っ直ぐに見た。「楽しい。」マガタは言う。「ここへ来た甲斐がございました。」」 p276 「「先生はせっかちでいらっしゃる。」マガタは言った。「簡単ではありませんか。一流の料理人なのですから、なにも考えたりしません。ただ、ぼんやりと、月夜の空でも眺めましょうか。」」 p277 「「あの、失礼を覚悟でおききしますが、博士は、人間でしょうか?」僕は尋ねた。「はい。」彼女は即答した。「それは、失礼な質問ではありません。誰に対しても、また、自分に対しても、いつでもそれを問うことが、人間というもの。」」 p281 「「アカマさんが、そのホテルに行ったのは、デボラが仕組んだことのようです。」」 p284 「「私が、演算できなかったのは、先生たちが、よく脱走の決心をされたな、という点です。」オーロラが僕に言った。」 p288 「「あ、そう……、マーガリィさん?」「はい。」ウグイが返事をした。「頼んだよ。」」 p290 「僕の手に、彼女の手が触れた。僕は、それを握った。」 p290 「マガタ博士に導かれたかな、と僕は思った。」 p298 「「そうそう。ついさっきも、そういう方が見えましたよ。夜に好きな人のことを考えてしまって寝られないって。」女医はそこで片目を瞑り、にやりと笑うのだ。「貴方のも、そうじゃないの?」」 - 2026年7月19日
p19 「「エア・アフリカンの行方不明のチャータ便に、イシカワ・セーイチ氏が搭乗していたようです。」」 p26 「「ウォーカロンには、リーダがいて、名前はオーガスタというそうです。」」 p28 「「アネバネもキガタも、現地に行っています。あちらでは、ウグイがリーダですが、彼女が、ハギリ先生に来ていただければ、事態を打開できるのではないか、と報告きてきました。」」 p29 「「それじゃあ、行かないといけませんね。」タナカが横で言う。」 p30 「「空港とレストランと工場は、正三角形の位置関係にあるようですね。」そのジョークに僕は笑いを堪えつつ、片手を口の横に立て、彼の耳許に近づく。「毎回上昇に七分半、降下に七分半をかける超高度軌道かもしれませんよ。」タナカは、目だけで笑ったが、そのうち口を手で押さえて横を向いてしまった。笑いを堪えているのだろう。」 p40 「発想というのは、ある程度ストレスがかからないと生まれないのかもしれない。」 p46 「「なるほど、だから旅客機が行方不明になったのか。」」 p49 「ウグイと二人でも良かったのだ。」 p54 「「いえ、子供がいたら、こんな静かな朝はありえないんですよ。」タナカは言う。」 p57 「テーマが決まっていない会話の方が、話している間に生まれる発想が大きいように、常々感じている。」 p59 「「人間の考えすぎは、人工知能の平常演算と同じですからね。」」 p66 「「警察の作戦は、ペガサスがトップで演算をしているようです。これは、アミラの予測ですが。」」 p79 「僕は、自分がまだ何も知らないことを知っていた。それだけでも大したものだ、と自分に言い聞かせたかった。」 p86 「ペガサスとオーロラがバックにいる、ということからも充分に考えられる。」 p91 「ペガサスは以前に、妄想を抱いたことがあって、一部から非難された。あまりに賢くなりすぎて、思い悩むことがあるのかもしれない。」 p94 「「エア・アフリカンの機体らしいものが発見されました。この情報は一般公開されていませんので、安全のため、映像などは出せません。成層圏外で、日本のスペースステーションの近くだそうです。」」 p110 「彼女の目から涙がこぼれ、頬を伝っていった。僕はその奇跡的なものを見た。でも、黙っていた。ウォーカロンだって、涙を流すことはあるのだ。」 p117 「「ここは火山ですよ。」」 p120 「ウォーカロンの脳細胞の転移。突然変異的な、配列のシフト。人工知能は、有機の頭脳と基本的に変わりはない。ありえないことも、時間が長く経てば、いつかは起こりえるのか……。」 p121 「「いいえ、オーガスタ先生は、ロボットでした。」」 p130 「「いない?」僕はきいた。「メインコンピュータが?」」 p134 「「もう一度、会いたいと思います。」キガタが言った。」 p137 「「私はカンナです。貴方は?」」 p139 「「夢を考えました。」カンナは答える。」 p143 「これはつまり、オーガスタの本体は、カンナだということだ。」 p146 「「博士が考えているのは、カンナが、宇宙で上昇を続けていた行方不明機に、データを送ったということですか?」」 p150 「また、奥の席にオーロラが座っていて、立ち上がって僕たちに一礼した。もう一人は少年だった。その顔を僕はよく覚えている。ペガサスだ。」 p154 「「エア・アフリカンのチャータ便は、アポロという名ですが、昨日の調査で、イシカワがプライベートでチャータしていたことが判明しました。」」 p155 「「これまでに例がありません。」オーロラが答えた。「しかし、物理的、技術的には可能です。その選択を人工知能がしたということが異例です。想像ですが、たぶん、外に出たかったのでしょう。」」 p159 「「概算で、五十五パーセントです。」ペガサスが言った。「私の演算では六十五パーセント。」オーロラが答えた。「私の演算では、六十パーセントです。」キガタが、デボラの声で答える。「だいたい、同じですね。」僕は言った。「私の予測では、四十パーセント以下ですけれど。まあ、私が悲観的なだけですが……。」」 p161 「「あそう……。人類を最初に月に送ったロケットの名だよ。」」 p164 「「既にそんな数ではない、ということなんじゃないかな。たとえば、私の判別システムに測定誤差が生じるのは、もしかしてウォーカロンの一部が人間なのかもしれない。その可能性を、私は以前から疑っている。おおっぴらにくちでは言えないし、確かめることもできない。」」 p168 「「青い地球が見たかった……。そうだろう?」」 p170 「だとすれば、マガタ博士の試みは、二百年も早かったことになる。これこそ先見の明と呼ぶのに相応しい。」 p175 「「スズランとは、また……、可愛らしい名前だね。」「意味のないご発言は控えて下さい。」ウグイが言った。僕は、彼女に一瞬舌を出してやった。」 p179 「「私は、イシカワの出身です。オーガスタ先生にも学びました。カンナは私のことを覚えているはずです。」キガタは、そこで立ち上がった。「私には、イシカワを正義へ導く義務と権利があります。」」 p182 「「変なことを聞くけれど、えっと、最近、黒いオイルが滴り落ちるような場面に遭遇したことはない?」」 p185 「「そう……。つまり、ポスト・インストールなんていらない、ということになる。」」 p188 「「思考と姿勢の差は、何ですか?」「相手に、それが見えるかどうかです。」」 p192 「僕は、ただ知りたかったのだ。それは、たしかにそうなのだけれど、それを知っても、知ったものが行く先にではなく、振り返った道筋にしかない、という虚しさだ。」 p197 「マガタ・シキが生きているかどうかを、今の僕は疑っていない。彼女は生きている。」 p203 「「そうです。その場合は、カンナは生き残れません。」「せめて、月へ行かせてあげたいね。」」 p205 「<がんばります>という六文字だった。」 p211 「「それでは、貴女は人間になったのですね。」カンナは言った。」 p212 「「貴女は、生きて戻ることが役目。そして、それが私の願いです。オーガスタにききなさい。貴女は、先生に手紙を出したことがありますね。クリスマスカードと一緒に。私は、それを覚えています。先生からの返事は、オーガスタの中にあります。それを開けるためには、オーガスタが貴女につけた渾名が必要です。では、行きなさい。」」 p224 「英語で<Aug>の三文字が読めた。そのあとは、消えていて読めない。」 p225 「「サッチャンです。」デボラが言った。」 p230 「民主主義だった前世紀には、大衆の間違った判断、感情的な判断が、人類を非合理な方向へ向かわせようとしていた。この失敗から学び、生まれたのが真義主義である。大衆の多数決による合議を是としない。より合理的な議論による判断をする、というもので、この基本となっているのは、人工知能の発達だった。」 p232 「だが、土塊の肉体に神の息を吹き込んだように、今では、電子の流れ、そのアルゴリズムが生命活動の証となっている。我々は、躰があるから生きているのではない。であるならば、この信号の世界に、活路がある。マガタ・シキ博士が考えた、共通思考は、おそらくはこの道を進むことを想定したものではないか。躰がなくなってしまえば、遺伝子が無意味になる。人間も、ウォーカロンも、人工知能も同じものになる。区別は消え、また、個人も消えて、この世界が一つの生き物になる、ということか。」 p236 「ウグイは、キガタを抱き締め、キガタの頭を押さえる。二人は数秒間離れなかった。」 p240 「ポスト・インストールの解除は、想像を絶するプログラムだ、というのが僕の印象だ。カンナが作ったそうだが、人間が組めるコードではない。おそらく、人工知能でなければ、開発できない代物だろう。」 p241 「僕が想像できるのは、ほんの小さな個人の小さな意思が、そのときどきで判断し、小さな悪を避けた結果だろうということだ。きっと、マガタ博士の共通思考とはこういった概念なのではないか。人間がそうしたように、個々の人工知能、コンピュータ、そしてチップが、小さな善を選択するように、最初から作られたのだろう。」 p245 「「二人には、チップがなかった。」」 p252 「「私も、若い頃はそうでした。チベットの山奥での生活でしたから、まったく意識が違いましたね。変わったのは、子供ができたからです。それはもう、もの凄い衝撃でしたよ。まるで、自分が生まれ変わったみたいな感覚です。そうですね、革命的といった感じがしました。」」 p253 「しかし、イシカワのメモリィチップに入っていた内容に関してはなにも伝わってこなかった。デボラもアミラも気にしている。オーロラもそうだ。彼女たちは、想像をしていて、その想像の確率を演算することで、事実にかぎりなく近づける能力を持っているが、僕にはそんな特技がない。いくら、こうなんだろうな、と思っても、納得することはできない。それが人間というものだ。」 p259 「「レゴというんですよ。子供が遊ぶおもちゃ。ブロックです。」」 p260 「「マガタ博士がまだお若いときに、これを作られました。人体の一部を保存するための装置だったそうです。この容器に、ご自分のお子さんの躰の一部を入れて、クジ博士のところへ持ってこられたということです。」」 p265 「「そう、ロイディだ。」」 p269 「「それが、マガタ博士の手に戻った、百年後に……。」」 p273 「「ええ、それは理由があります。現在世界中に普及しているコンピュータの基本となるシステムは、マガタ・シキ博士が設計されたものだったからです。私たちは、マガタ博士から生を受けています。」「マガタ博士は、人格が統合されていなかったのですか?」」 p273 「「そうです。しかし、まずは多角的な思考の存在を認める方がさきとなりましょう。抑制されたものを外し、自由な思考をする。そうしてこそ、それぞれの能力が発揮できるはずです。共通思考とは、個人の中で統合するのではなく、一番外側の広い範囲で統合すれば良い、という設計思想だと思われます。」」 - 2026年7月18日
p9 「大雑把にいえば、僕の夢はリアルだ。おそらく、現実がそれだけ曖昧で抽象的で、しかも夥しく不連続だから、その欠落を補っているのだろう、と想像できる。」 p12 「それは僅か一秒か、その半分くらいの時間の動画で、どろっと溶けたオイルのような黒い液体が、天井から垂れ下がっている光景だった。」 p20 「デボラがその可能性を挙げなかった理由は、きっと僕を不安にさせないためだったのだろう。それが優しさというものかもしれない。そう解釈するのは、僕の彼女への優しさでもある。」 p28 「彼と僕を結びつけたのは、マガタ・シキ博士である。ヴォッシュも僕も、伝説の科学者であるマガタ・シキと会ったことがある。」 p33 「ヴォッシュは、一瞬黙ったが、そのあと、僕の肩を後ろから軽く叩いた。」 p41 「「これは、その武装勢力のメンバの一人が証言した情報だが、ここのコンピュータは、イマンという名で呼ばれていたそうだが、その……、人間を殺した最初の人工知能と呼ばれていたらしい。」」 p46 「「自分たちの立場が危うくならないかぎりは、人は持続を選択するものだ。」」 p53 「「ああ、それは、この地方の古い言語らしい。聖書にも使われていた文字だそうだ。意味は、血か、死か、無か、だよ。」」 p53 「「血か、死か……?」「無だ。ヌルだ。」」 p55 「人間も人工知能も、自己防衛という動機を持っている。歴史が示しているのは、戦争というものがすべてこの動機によって始まるという事実である。」 p57 「「ただ、普通のピラミッドが第一象限として、その上下逆さまのリバース・ピラミッドが第二象限、逆さまで空洞のピラミッドが第三象限ですよね。」」 p60 「「考えが及ぶとしたら、人工知能に指摘されてからだよ。とにかく、最近の人間は、ものを考えなくなってしまった。複雑なこと、難しい問題を避けようとしている。嘆かわしいことだ。」」 p62 「「お二人の演算は、おそらく私と同じ結果と推定されます。辿れなかったことから、浮かび上がる高確率の人物は、マガタ・シキ博士です。」」 p64 「「いや、質問をすることは素晴らしい。興味を持つことも素晴らしい。」」 p67 「「人間っていうのは、うーん、まあ、全員ではないにしても、基本的に自分を責める。被害妄想的な嗜好性を持っているように思う。」」 p67 「まずは、自分の足許を見る。前進するにも、後退するにも、その場に踏みとどまるにしても、自分が立っている地面が確かな強度を持っているのかを最初に確かめる。それが知性というものの基本だろう。」 p69 「むしろ、そういった表現がなされるのは、人工知能に対して、人間性を求めているためだろう。」 p71 「神の存在が、運命を受け入れない一部を過信させ、運命を受け入れる大勢を宥めたのか。」 p71 「それはまるで、人類が技術の粋を尽くし、神を再現するかのようにスーパ・コンピュータを作り上げた行為そのものだ。その知性の生育に人類の未来をかけたことになってはいるけれど、その実は、ただ、反転する世界への恐怖だったのではないか。」 p81 「「使い手の意味、違う。」」 p83 「「ただの機械だ。」ヴォッシュは、彼女の言葉を繰り返したが、そのあと、こう言った。「君は、ただの人間かね?」」 p83 「「血、死、無。」ガミラは答えた。「意味は、そのまま。」」 p84 「「死。」」 p84 「「血。」」 p86 「ガミラがイマンを使っていたのではなく、イマンがガミラを使っていた、ということだ。」 p89 「マガタ・シキが導く共通思考は、その争いのいずれかの指針となっているものだろう。」 p90 「どうすれば、最もエネルギィを使わずに理想が実現できるか、という演算を常にしているはずだ。」 p92 「なるほど、正義の輝かしさを忘れることが、真実を見通す方法なのかもしれない。正義を捨てるとは、どんな選択だろうか?」 p95 「「境遇に対する評価は行いません。目的が設定されて初めて、それを実現するための環境を評価することができます。」」 p97 「「アース、あるいは、共通思考です。」」 p99 「「ガミラは、私を友達だと言いました。」イマンが答える。」 p100 「「無は、存在しないという意味です。」「誰が存在しないの?」「一般には、その言葉で表現される主体です。しかし、この言葉における意味は、すべてが存在しない、という概念だと思われます。」」 p101 「「重要なことを聞き流して、申し訳ない。」僕は謝った。「謝られる必要はありません。人間に謝られたのは初めてです。」「ハギリ博士は、珍しい人間だからね。」ヴォッシュが横から言った。」 p118 「低温施設で発見され、のちに蘇生に成功した個体が、現在行方不明であることが判明した。」 p122 「「なんとなく、南の方へ行く気がしている。」」 p123 「その王子が、行方不明になった。」 p128 「「熟成すれば、どこかが腐り始める。充分な時間はありました。」」 p133 「ウグイは、持っていた小さな端末を僕の方に向けた。そこに書かれていたのは、英語だった。<blood/death/null>と読めた。それだけだ。」 p138 「「オイル?」ウグイが反応した。」 p146 「「何を言っているのか、よくわからんな。じゃあ、ナクチュにいるときから、王子を盗み出そうと計画していたってことか?それが日本に運ばれたから、ちょっと面倒なことになった。生き返ったりしたら困る。ずっと眠っていてほしかった?」」 p150 「「ハギリ博士、私は、すぐにまたお会いできるものと思っておりました。」カンマパは僅かに微笑んだ。」 p152 「「ご覧に入れるつもりで用意いたしました。」カンマパは静かに言った。「これは、通常は人に見せるものではありません。特に、ナクチュの者であれば、目にすれば失われると恐れます。」」 p152 「「すべてです。」カンマパは、そこで口元を緩める。「非科学的なことを、とお思いでしょうね。けれども、私たちには信じるものがあるのです。これを広げても、私はなにも言いません。口にすれば果てるからです。」」 p152 「曼荼羅だ、と僕は思った。しかし、黙っていた。カンマパは、それを見ない。僕の方を見つめている。」 p155 「「私たちは、過去を伝えない。なにも書き残しません。そうすることで、今という時を、確かな強さをもって生きることができます。」」 p155 「「ハギリ博士におききしたいのですが、人工知能には、心があるのでしょうか?」「それは……、なんともいえません。ただ、その問いは、人間に心があるのか、という質問と同じだと考えています。」」 p159 「「ミラッサ、ササブ、ジュラ、シンシラン、ユーヴィス、ゼッサ、クロッサ。」」 p162 「「メグツシュカ。」」 p164 「「メグツシュカの子音は、M、G、T、S、Kです。」」 p165 「「マガタ・シキですか?」」 p168 「「南極で会おう。」」 p172 「もう北極だろうが南極だろうが驚かない。そのうち、人工衛星へ、という指示が出るのではないか、と本気で予想しているくらいだ。」 p177 「「そうみたいだ。しかし、まだ日が浅い。信頼関係はこれから、というところかな。名前は、ジュディという。君に話しかけることはないと思う。控えめなのでね。」」 p183 「「そうか……、クリスティナの本体は、それかもしれない。」ヴォッシュが言った。「多数で並列処理をしている。」」 p191 「ジャン・ルー・モレルは死んでいなかった。」 p193 「「ミチルという名だろう?」」 p194 「「メグツシュカは、ご存知でしょう?」」 p194 「「彼女は……、そう、もちろん、生きているさ。あれは死なない。」」 p196 「「マガタ博士に導かれて、アミラが目覚め、ベルベットへ眠りについた。オーロラが再び皆の前に出てきた。これらの変化で、おそらく、電子空間の形勢は大きく変わったはずだ。デボウがきっと、そうだと証言してくれるだろう。」」 p202 「ゆっくりと思考するのか……、と僕はそこで息を止めた。」 p211 「「どうやら、これが本命。クリスティナだ。」」 p211 「「私のオーナは、マイカ・ジュクです。」」 p211 「「そうです。正しくは、ジャン・ルウ・ドリィ・マイカ・ジュクです。ただし、これは略称です。」」 p213 「「正しさは、多数決ではなく、論理性によって決定されます。」」 p215 「クリスティナは、珍しくそこで黙った。しかし、数秒後に答えた。「わかりません。」」 p219 「時間が経って、ようやく物事がつながって見えてくる。そのときになって、あれはこのためだったのか、とわかる。」 p220 「「人間の欲望というのは、基本的にそういった頂点へ上り詰める最終形態へ向かうものだ。」」 p221 「そう、あの黒いオイルみたいだ、と思い出した。」 p229 「「いや、そうではない。モレル氏が、王子の父親かもしれない。」」 p232 「「いや、そんなことはない。全然ない。君と一緒にいると……。」」 p233 「女性のようでもあり、男性にも見える。髪は黒く、ストレート、肩まで届くほどの長さだ。目の色まではわからない。「これが、ミチルです。」ウグイが言った。「サエバ・ミチル。現在、記録に残っている範囲で、人類初のクローンです。マガタ・シキとの娘である可能性が高いと言われています。」」 p235 「「私も、同じく、まったくわかりません。ただ、この写真を見て下さい。これが、クジ・アキラです。」」 p239 「「サエバ・ミチルが、この島を訪れたことがあります。当時は、ここは、イル・サン・ジャックと呼ばれていたようです。」」 p246 「「キガタが、ミチルと呼ばれたことに関して、アミラが古い情報を見つけました。百年ほどまえに、キョートで起こった殺人事件の被害者がミチルという名でしたが、そのとき、壁に残された血文字が、血か、死か、無か、だったそうです。」」 p247 「その大きな渦は、黒いオイルのように高粘性だった。」 p249 「キガタの目から涙がこぼれ、白い頬を伝っていくのが見えた。泣くようなことではない、と言いかけたが、なにかもう少し強い感情に出会った気がして、言葉が出なかった。」 p249 「彼女の涙は、自分の境遇に対する憤りかもしれない。それは、あるいは正しく、そして純粋な感情だ。」 p266 「人間の男性に似せたロボットだ。」 p267 「「いや……、こいつは知っている。会ったことがあるからな。ほら、このまえの、あの子と一緒だった。」」 p267 「「悪魔妃……。」」 p268 「「メグツシュカに頼まれて、これを取りにきた。街まで運ぶ……。」」 p273 「「今の発言を、逆再生すると、血か死か無か、になります。」デボラが囁いた。」 p273 「「どれかを選ぶことになるぞ。マドモワゼル、銃を仕舞いな……、逆らっちゃいかん……。」モレルの嗄れ声が途切れた。」 p274 「マガタ・シキ博士だ。」 p275 「「はい、長く探しておりました。あれは、クジ・マサヤマ博士が作られたものです。もう、耐用年数を過ぎ、使える状態ではありません。けれど、私には価値のあるものなのです。」」 p276 「「マイカ、お久しぶりね。顔を見せて。」マガタが言った。モレルは、震えながら顔を上げる。マガタは、彼に近づき、睨みつけたあと、ふっと微笑んだ。その瞬間、モレルがぶるっと震える。「お前の顔が見たかったの。ああ、今日はとても愉快。」」 p277 「「あれは、ロボットではありません。ウォーカロンです。」」 p279 「「そう……。あんたは正しい。マドモワゼル。」嗄れ声が言葉を絞り出した。」 p281 「「当然ですが。先生から離れることはできません。」ウグイが言った。」 p282 「「博士、日本に帰りたいですか、それとも、このホテルで一泊されますか?」デボラがきいた。僕にだけ聞こえる声で。」 p283 「王子は生きていた。」 p284 「つまり、クジ・マサヤマは、クジ・アキラのボディにサエバ・ミチルの頭脳を移植し、そのあと、ウォーカロンのボディに、またサエバ・ミチルの頭脳を移植したのだ。」 p285 「そして、それは、サエバ・ミチル、すなわち、マガタ・シキの子供の頭脳だ。」 p288 「「先生が、どうしてもとおっしゃったと聞きました。」」 p288 「「そうじゃないんだ。ウグイが、どうしても一緒に行きたい、と懇願したんだよ。」」 p290 「「ああ……。」ウグイは小さく頷いた。「馬鹿みたい。」」 p292 「「ロイディという名だったそうです。」」 - 2026年7月17日
p15 「あらゆる規定は、それが定められた時点においてはけっして無意味ではないのである。」 p20 「「いいえ、ペガサスという名のスーパ・コンピュータです。」」 p23 「「慎ましいといいます。」「そうそう、お淑やかとも。」」 p27 「「わかりません。」ペガサスは首をふった。無邪気な少年が目の前にいるものの、既にその幻想が僕には抱けない。ただ、わからないという答は、何故か揺るぎのない真実だと思われた。」 p45 「「君は、オーロラとペガサスのデートについては、どう考えている?」」 p50 「「既にレポートが公開されている。ナクチュの創始者の子孫。カンマパと血族だ。意識は戻っていない。ただ生きているだけ。相変わらずだよ。十五歳くらいじゃないかな。」」 p53 「「シェイクスピアの悲劇のようにですか?」」 p54 「「ペガサスには、ちょっとした問題があるのです。数年まえのことですが、奇妙なことを言い出しまして……、その、こちらにも聞こえてきた概略しかわからないのですが、人間の数を最小限にすることが、国家の存続に不可欠だというのです。」」 p56 「「完璧な存在だと夢見て作られたのに、成長してみれば、まるで人間のように不完全です。魔が差すということがあるのでしょうか?」」 p60 「「補うために作ったものが、補う欠陥よりも余剰になってしまうと、どうなるだろう?おそらく、人工知能は、人間に欠陥を求めるようになるんじゃないかな、本能的に。」」 p61 「「ペガサスは、自分たちを信じるな、と言いたかったんじゃないかな。人工知能は、自らの不完全性を認識しているのでは?」「何が完璧なのかを、私たちは知りません。」「それは人間も同じだ。知らないということが、つまり不完全だという認識に等しいのでは?」」 p67 「区別と優劣あるいは善悪の識別は、まったく別の問題なのだ。」 p68 「識別できなければ、どちらに価値があるとも言えないだろう。」 p69 「「そうですね、試したことはありません。自分で自分が何者かを知っていれば充分だと思います。」」 p78 「「いいえ、私たちは、かなり親しいといえます。」ツェリンは、そこで小さく溜息をついたようだった。「先生に隠していてもしかたがないかしら。私が産んだ息子の父親です。」」 p89 「「考えたくないものを、人間は考えないのです。」」 p95 「「では、いったい彼は誰なのか?どこから来たのか……。」」 p113 「「おそらく、マガタ博士はなにも望んではいない、と僕は思います。それは……、なんというのか、僕自身の烏滸がましい独り善がりな感覚ですが、僕自身、なにも望んでいないのです。マガタ博士ほどの人が、望む望まないで、物事を判断するとは思えません。」」 p113 「「もっと、そうですね、自然なというか、素直な行為だと想像します。つまり、見たいものを見るのではなくて、どこかでふと動いてものを見る、我々の目は、そうじゃないですか。自由に目を向ける。考えたいものを考えるというよりも、ふと考えてしまう。我々のが、思いつきと言っているものに最上の価値があって、ただそれにすべてを委ねているのです。そういうものには、理由がない。きっと、幼い子供がそんな行動を取ると思います。」」 p122 「幸せというのは、言葉にすることでしかリアルにならないものかもしれない。」 p132 「「あれは、ラビーナです。」」 p141 「「型式が判明した。」デボラの声だ。「弱点は目だ。」」 p156 「「わからないのは、悪い状態ではない。」」 p169 「彼女は、奥床しいところがある。」 p174 「「生きることに、立派な場合と、立派でない場合があるかな。」」 p176 「「ラジャン氏が、こちらへ来ることになりそうです。これは、アミラが教えてくれました。」」 p184 「「あれが、彼女の遊びなのです。」ケルネィが言う。「一人遊びです。でも、遊びであっても、私には嬉しかった。夢のような……、ええ、本当に、夢を見せてもらっている気分でした。」」 p189 「「不確定ですが、ペガサスの演算が事実ならば、そうなります。」」 p189 「「秘密と決めつけるのは、問題があると思われます。誰にも、どこにも、外に知られたくない情報はあるものです。」」 p195 「「遠慮?ふうん……、まあ、良いけれど、えっと、なにか言いたかったんだけれど、あ、そうそう、今の話が本当だとすると、ペガサスが言ったことと矛盾する。その点はどうなんだろう。彼が話していた、カプセル式マジックのウォーカロンではない、ということになるね。」」 p199 「「私ですか?私は、忙しくありません。常に同じ速度で活動しています。」アミラの声がそう言ったあと、「私もです。」とデボラの声が続いた。」 p200 「「人間は、一旦思いつき、それに基づいて考えを展開した場合、最初の思いつきが間違っていても、簡単にその思考履歴を消去できない傾向があります。」」 p203 「ドアの前で一人、待っていたのは、オーロラだった。」 p204 「親交とは、いきなり契約をすることではありません。最初から、何を交換する、どこまで明かす、といった心配を私はしておりません。ただ、会えば、印象が残ります。そこから、将来に向けて発展が見込めます。そういうものではないでしょうか。」 p205 「「ハギリ先生には、本当に驚かされます。」彼女は微笑んだ。「同時に別のテーマが考えられるようですね。」「マルチタスクですか?できませんよ、そんなこと。」「では、シェアリング・タイムが極端に短い。人間としては、珍しいタイプだとお見受けします。」」 p208 「「私が何を信じるか、何を望むかは問題ではありません。疑いがあり、証拠があるならば、対処をするのが当然です。」」 p209 「言いたい言葉はあったが、言わなければならない言葉は一つも見つからなかった。」 p211 「思考している、明らかに。彼らは、まちがいなく感情も意識も持っている、ひょっとしたら、人間以上に。」 p215 「僕が最も信頼できる友人だといえるのは、共有できる情報の深さに起因している。」 p218 「「いやぁ、どうでしょう。民主主義だったらそうなりますけれど、今は、大衆が投票する時代ではない。真義主義の現代では、よほどの哲学なり理屈なりがないかぎり、世界憲法は覆りませんよ。おおかた、そのあたりのシュミレーションが既に繰り返されているでしょう。アミラもオーロラも未来が見えているはずですよ。」」 p219 「夕方、部屋にウグイが現れた。以前と同じ髪型で、もちろん顔も同じである。」 p222 「「マガタ博士に初めて会った場所だ。」」 p222 「「あの子はどうしているのだろう。ミチルという名の子。」」 p224 「「聞いても、事態は変わらない。聞いたからといって、彼女を信じることはできない。何が本当かはわからない。それを聞いて、私たちが裁くこともできない。」」 p229 「「その素直さが、私は好きです。」」 p230 「「実は、この店に先生を誘うと良いことがあるって、オーロラが言ったんです。」」 p230 「「それでは……。」ウグイは、しばらく下を向いて考えていた。そのあと、僕を見た、上目遣いに。そして、少しだけ、舌を出した。」 p241 「できれば、ペガサスにも教えてやりたいものだ、と思った。そもそも、彼の話で物事が複雑になってしまった。」 p241 「「ラジャン氏が第一候補です。」」 p243 「子孫を持つことは、そこまで人間を変えてしまうのかと。」 p250 「「ラジャン!」ツェリンが叫ぶ。」 p254 「炎が二人を包んだ。炎は一つに。」 p257 「僕は、つまり、僕の未来の一部を失ったに等しい。その損失に、ショックを受けているのだ。明日の一部がなくなるようなものか。それは、まるで、日食のように、欠けた太陽。しかも、ずっと欠けたままなのだ。」 p258 「悲しい、嬉しい、苦しい、楽しい、といった夢を、僕たちは見せられているだけ。そんな中に、ただ、生と死の頂点がある。サインカーブの頂点のように、ただ周期の特異点として、それがある。」 p263 「「わかっています。」ケルネィは頷く。首を傾げ、目を細めて、僕を見た。「たまたま、こちらに来ていた。ラビーナが呼んだからです。彼女が私を呼ぶのは、二十年振りのことでした。」」 p271 「ケルネィは頷いた。「すべて真実です。私には、もうなにも残っていない。」「そんなことはありません。」僕は言った。「お嬢さんがいます。それに、あちらの部屋に、男の子がいます。」ケルネィは、下を向き、小さく頷いた。」 p272 「ケルネィは、皆に愛されているようだ。」 p273 「「癇癪?理解できません。」「男の子っていうのは、ああいうものだ、甘やかされるとね。」」 p277 「少なくとも、カプセル式のウォーカロンの存在については、完全な演算ミスだった、と現在のペガサスは述べている。」 p281 「そこに女性が一人立っていて、こちらを見ている。オーロラだとわかった。」 p282 「「ヴォッシュ博士からお聞きになったかもしれませんが、ペガサスが過去に発表した論文が、ちょっと話題になっているのです。」オーロラは淀みなく話す。」 p283 「オーロラはくすっと笑うのだ。成長著しい。彼女は顔を上げ、自信ありげな眼差しで僕を見る。「僕はご想像のとおり、私は演算しました。そして、その結果をアミラにも伝えました。彼女も、私と同じ結論だそうです。それは、ペガサスの妄想だろう、というものです。」」 - 2026年7月15日
p16 「自分が人間だから、人間という存在を客観的に捉えにくい。」 p17 「若い男性だという。その人物が、ナクチュのリーダであるカンマパの先祖であることが、遺伝子から判明したものの、記録は残っていない。」 p21 「「そうねぇ……、だいぶまえに、オーロラが見たいと話したことはある。それかな?」」 p24 「不思議なことに、デボラは美しい女性の姿だった。」 p31 「「意味のないことをしないわけではありません。最適な選択がメリットを生まないこともあります。」」 p35 「「私を制御しているのはオーロラです。私は自律型ですが、自由行きはありません。」」 p40 「白いドレスで、黒髪が長い。」 p41 「「マガタ博士?マガタ・シキのことですか?」」 p41 「「マガタ・シキです。」彼女は頷く。「本人か?とおききになりたいでしょう?」」 p42 「「どうして、そんなに長く生きていられるのか、とおききになりたい。」」 p42 「「ええ、博士が思いつかれたことの最初の証明が、私の今の肉体です。」」 p43 「「スカーレットです。いえ、アミラでけっこうですよ。」マガタは、そこで微笑んだ。」 p68 「だが、あるとき発想ができたからといって、次も同じようにタイミング良く発想できるとは思えない。それが人間の発想、思いつきというものの傾向だ。コンスタントにそれが出せるなんて考えること自体が、人工知能らしい思考といえる。」 p73 「「たとえば、友人です。」」 p82 「「王子だったの?」「ああ、そうそう。リーダの一族だからね。」」 p86 「「いや、見たよ。赤いライトが光っているやつだよね。あれは、五十年もまえの映像だ。」」 p89 「彼女は今も学んでいるのだろうか、それとも眠っているのだろうか。」 p89 「この潜水艦は、<青月>というのが、正式の艦名であるが、一般にはブルームーンと呼ばれていたそうだ。」 p91 「「アマテラスオオミカミのことでしょうか?」」 p95 「デボラに尋ねると、<星潮>というらしい。呼び名はスタータイドである。」 p101 「「世界中の知識を参照できる。歴史を遡ってすべて調べることができる。それでも、自分で試してみたいと思うことがあるかもしれない。」」 p103 「「世の中には、多くの矛盾があります。人間のことを学ぶほど、矛盾を許容するようになります。」」 p107 「そちらのモニタに、青い光が認められた。」 p113 「「では、あの青い光の潜水艦は、フーリのお姉さんが乗っていたものなんだね?」」 p116 「「私は、まだ若かったから、そのことを知ったとき、感情的に受け止めてしまったのだと思います。両親からは、むしろ逆で、フィアンセの幸せを望んでいた、良かったという言葉を聞きました。」」 p117 「予想どおり、それはフランスの潜水艦で、<ラグランジュ>が艦名である。」 p119 「「先生の相手ができるのは、デボラだけだと思います。」」 p122 「「誰もいない。」」 p131 「「アミラが語った人類の共通思考というのも、マガタ博士のプロジェクトだったのでしょうね。スーパ・コンピュータをリンクさせたもので、良い言葉を思いつきませんが、オーガニゼーションですか。」「組織、あるいは生命体、でしょうか。ええ、つまり、人類、ウォーカロン、そして人工知能、これらをすべてまとめてしまおうという発想です。一つになる、とマガタ博士は予測していたはずです。」」 p133 「「そうか、人類は長寿という餌に釣られて、罠にかかったのか。」」 p141 「シモンが連絡をしてくるのは、異例のことだったらしい。シモンはロボットだ。その制御はオーロラが行っている。つまり、オーロラが連絡きてきたと受け取って良い事態である。」 p147 「<再び青い月が見られるだろうか?>」 p156 「「そうか……。シモン、君は、赤い魔法を知っている?」」 p166 「「あの方は、常に心配をされるのです。」オーロラは、抑揚のないゆったりとした口調である。「優しすぎる。思い遣りが強すぎる。それで、つい反発をしてしまい、耳を塞いでおりました。あの方の前では素直になれないのは不思議なことです。」」 p167 「信じられないような言葉だった。これが人工知能の言うことか、と僕は思った。まるで、母娘の喧嘩ではないか。」 p172 「「アマテラスオオミカミ。」」 p181 「月は穏やかな白さで、赤くはない。どちらかというと青みがかかっている。もう少し低ければ、赤くなるのだろうか。」 p184 「無限ともいえる知性、あるいは思考は、どこへ行き着くのか。」 p185 「生きているものを無数に集めれは、そこには死の静寂がある。」 p185 「何故だ……。何故そんなふうに考える。今考えているのは、誰だ。」 p187 「月が見たくなった。あの、青白い月を見たくなった。」 p189 「「そうじゃないよ。オーロラに手紙を書こうと思う。」」 p189 「「彼女は、聞いていないわけじゃない。見ていないわけじゃない。ただ、興味がないだけなんだ。」」 p190 「「落ち着いているように見えるのは、氷山の一角なんだ。」」 p194 「「教えても、君にはわからない。いや、誰にもわからない。わかるのは、オーロラだけだと思う。」」 p195 「「そう、そうなんだ。まちがいない。彼女は、研究者なんだ。世界で一番低いところにいる研究者だ。籠っているんだよ、没頭しているんだよ。」」 p195 「「ほんのときどき、ほんの短い時間だけのことだろう?そんな一部から全体を決めつけてはいけない。これが、氷山の一角の意味だ。」」 p198 「「そこなんだ、まさに、そこなんだ。オーロラは、ポエムを理解するんだ。」」 p210 「「そうじゃないよ。好奇心はあると思う。自分の中に、興味の対象がすべて取り込まれてしまった状態なんだ。外界には既に彼女を惹きつけるものが存在しない。すべてが自分の中で生まれる。それが新しい知識であって、知的好奇心は完全に閉じている。内側へ向かって広がるんだ。ブラックホールと同じだよ。強力な重力であらゆるものを引き寄せた。そして、さらに重くなる。知識や知恵を集めすぎて、自身の重力から抜け出せなくなったみたいなものかな。」」 p212 「昨日とは反対の方向に満月があった。やはり、白い月だった。」 p224 「<せいげつ>の四文字が読めた。」 p231 「「そう、私たちは、お友達でした。二人だけで、ずっと海の底で生きてきたのです。」」 p234 「「私は異常ではありません。ただ、そうですね、意地かしら。」」 p236 「「あ、私の手紙を読んでいただけたのですね!」」 p237 「「まだ、その奇跡が、本当の奇跡であって、しかも有意義なものであることを確かめている段階ですが、そうですね、もしそれが再現できるならば、ウォーカロンという言葉がなくなるでしょう。人工知能も、ごく普通に、賢者と呼ばれることになります。」」 p238 「「ありがとう。そのような言葉は、私にとって一つの生き甲斐です。」」 p241 「「北極海にいるうちに、浮上したかったのは、フーリさんに月を見せたかったからです。でも、生憎の天候でしたね。」」 p241 「つまり、進化も成長も、それはただ老いることなのかもしれない。」 p243 「今は、運転手は自分になった。どこへ向かうこともできる。どこへ向かっているのだろう?」 p244 「そちらを向くと、明るい月がある。眩しいほどだった。」 p248 「「人に教えること、教えられると思い上がることが、賢者にはできないからだよ。そういう自分が許せないんだ。」」 p249 「「恋は盲目と言います。だから、他のデータを遮断するわけですね。」」 p251 「「それは、うーん、単なる勘です。マガタ博士が私を指名したのは、これしかないのではないか、と。」」 p255 「僕が、デボラを庇ったことを、デボラは知っている。」 p255 「「先生の識別システムを、オーロラに適用したら、どうなるでしょうか?」」 p258 「ただ、本のタイトルは、<月が見たかった>だった。ここだけは、彼女らしい。」 p260 「「私は、オーロラです。」」 p263 「「大歓迎ですよ。そのときも、貴女は今と同じ姿なのですか?」「その予定です。先生のお好みかと思いましたが、間違っていたでしょうか?」」 p265 「つまり、セイゲツ・オーロラがフルネームになった。」 p266 「おそらくそれは、マガタ博士が目指している共通思考だろう。」 p266 「「わからないからです。」」 p268 「成長と老化は、科学的に同じ現象だ。」 p269 「子どもに言い聞かせるように、毎日自分にそう語りかける。「大丈夫だから、好きなことをしなさい。」「あなたがやりたいことを一番に考えなさい。」と。」 p271 「「マガタ博士は、何をしようとしているのか、とときどき考えてしまうのです。でも、きっとそれは間違っている。博士は、なにもしようとしていない。ただ、考えているだけ。考えて、見とどけているだけ。きっと、そうなんだろうと想像しています。」」 p272 「「いえ、なにも、考えていません。花束くらい渡しましょうか?」「花束?」オーロラはそこでくすっと笑った。」 p276 「僕はまたソファに座り、溜息をついた。明日、花屋へ行こうと思った。」
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