がちゃまる "たゆたえども沈まず" 2026年6月9日

たゆたえども沈まず
史実を元にしたフィクションということを前提として、それでも本書に描かれているフィンセントやテオの心の動きや葛藤、執着といったものは実際の彼らとオーバーラップしているのではないだろうかと感じさせてくれた。社会的な背景や当時の文化が美術的な面にどう波及していったのかという歴史を元に描かれていて、そこに生きる人達の息遣い、街の匂い、日差しの暖かさまで感じさせてくれたからだ。確かにここにはこの兄弟の生きるための足掻きがあったのだろうとそう思う。美術に関して浅学なため、一般教養としてフィンセントが弟の支援に頼り、心を患いながら作品を生み出し、若くしてその生涯を終えるという知識しか持ち合わせて居なかったが、繊細で脆くて生きることに不器用なフィンセント(そしてテオ)が描いたものがどういう意味を持っていて、どの様に受け取れれば良いのかという示唆を与えてもらった。登場人物は折りに触れ陰影を湛えた河川に思いを巡らせ思慮にふける。光や水面は大きな器としてその人の希望や絶望を投影させるモチーフとなっていて、思いの本流の中にまさにたゆたう様子を描いていた。フィンセントの生み出す作品はまさにそのたゆたう形の結晶であって、私たちがその作品を見るとき、まるで大河を眺め見るように、自身の思いを投影してしまうのかもしれない。本書は時系列ごとに細かく章立てされていて、各章で読者の注意や興味を引くための仕掛けが散りばめられており、さながら連続ドラマを見ている様に引き込まれ、次の章へとついつい手が伸びてしまう。作中で人々が求めているのは”ロマン”でありそれはつまり”物語”であると書かれているシーンがあるが、まさに章の一つ一つに物語が描かれている。また、登場する絵画作品の描写も見事で構図と印象を端的に表現していてとても読みやすい(翻って自分の感想はなんと冗長で読みにくいことか!笑)。それでもできれば作品を検索して見てみると良いと感じた。小説の中にある作品が現実にも存在すること(当たり前だ)が没入感を高めてくる。そのためフィンセントの顛末を知っている身としては、読み進めるにつれて胸騒ぎが止まらなくなり、どうにかこのフィクションと現実を分岐させる事は出来ないのかと祈りながらページを捲った。人間の強さと脆さ、信念と諦念、生きることの糧と失うことの恐怖、繊細さと敏感さは他者を求めるがゆえに自分自身を傷つけてしまう。結局人は社会的な生き物で、一人という言葉は他社が存在するから生まれるもので、独りでは生きていないのだろう。たゆたうことは人の中で生きるということなのかもしれない。
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