いぬすけ "水中の哲学者たち" 2026年6月9日

水中の哲学者たち
p86. 「ここには、わたしの好きな木があったのよ。いつもお家の前を掃除するとね、この大きな木が目に入って、あいさつをして。でも、あるとき、しらないひとたちがきて、許可もなくこの木を切っちゃったの。かなしかった。ほら、切り株になっちゃってるでしょ。〜高いところにいる人たちの話はぜんぜんわからないけれど、この木のお話は、あなたに聞いてほしかった。くだらないこと言ってごめんね。  おばあさんはそう言って私の両手を握った。いえ、さっきの対話にあったどんな発言よりも価値のあることです、とわたしは涙をこらえて言った。生まれてはじめてひとにやさしくされた気がした。」  好きな木が切られて、かなしかった。 ここからでも哲学を始めることができるのだと、筆者は述べる。「哲学」と言われると難解な専門用語や概念を扱う学問で、私達の日常生活とは縁遠いような気がしてしまうが、そうではない。永井玲衣さんの哲学に対する捉え方はやわらかくて、私達の普段の感覚やふとした疑問を出発点に、そのままブクブクと潜水していくイメージだ。 「水中の哲学者たち」とあるように、この 何かを深く考えること=水中に潜ること という比喩は作中においても多用され、非常に印象的である。 p216 「考えているとき、人はいわば意味の海の中で、同じ海にすむすべての人々とつながっている」 人と人の、そのわかり合えなさに時々泣きたくなる。誰とも会いたくなくて、ひとりきりで哲学的なことを考えている時、私はその水平の深みの中で、それでも誰かと繋がることを求めているのだろう。 私もまた、水中の哲学者たちなのだと思う。
水中の哲学者たち
Michael
Michael
@238143
「人と人の、そのわかり合えなさに時々泣きたくなる。」という一文が印象に残りました。 考えることは孤独な営みのようでいて、実は誰かとつながろうとする行為なのかもしれませんね。 最後の「私もまた、水中の哲学者たちなのだと思う」に、とても共感しました。
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