いぬすけ "水中の哲学者たち" 2026年6月9日

水中の哲学者たち
p86. 「ここには、わたしの好きな木があったのよ。いつもお家の前を掃除するとね、この大きな木が目に入って、あいさつをして。でも、あるとき、しらないひとたちがきて、許可もなくこの木を切っちゃったの。かなしかった。ほら、切り株になっちゃってるでしょ。〜高いところにいる人たちの話はぜんぜんわからないけれど、この木のお話は、あなたに聞いてほしかった。くだらないこと言ってごめんね。  おばあさんはそう言って私の両手を握った。いえ、さっきの対話にあったどんな発言よりも価値のあることです、とわたしは涙をこらえて言った。生まれてはじめてひとにやさしくされた気がした。」  好きな木が切られて、かなしかった。 ここからでも哲学を始めることができるのだと、筆者は述べる。「哲学」と言われると難解な専門用語や概念を扱う学問で、私達の日常生活とは縁遠いような気がしてしまうが、そうではない。永井玲衣さんの哲学に対する捉え方はやわらかくて、私達の普段の感覚やふとした疑問を出発点に、そのままブクブクと潜水していくイメージだ。永井さんは全国の学校や自治体などで「哲学対話」という場を設け、ファシリテーター(進行役)を務めている。そこでは参加者全員が輪になるように座って、みんなで決めた一つのテーマについて話し合う。基本的には自由形式だが、対話促すための工夫として最初に幾つかの簡単なルールを設定するのだという。そうしたルールや永井さんの進行に背を押されて、次第に議論は盛んになっていく……。    哲学対話という手法に興味を惹かれるのと同時に、こうした場やルールがないと、私達が哲学的なことについて話し合うのは困難なことなのかもしれない、ということを考えた。ーー哲学とは問うことだ。問うこととは立ち止まって考えることであり、立ち止まって考えるための時間はいつも限られている。時間に追われて生きている以上、哲学をすることは無駄なことだと思われがちだ。だからこそ速度や効率、必要(無駄ではないこと)を求めて、誰もがせわしなく生きている。 それでも問いの方からこちらにやってきて、ぶつかってしまう瞬間がある。その時、人は立ち止まって考えざるを得ない。 いつまで働きつづけなければいけないんでしょうか。 ひとを愛するって、どういうことなんですか。 普通って、何ですか。 わたしは、生まれてきてよかったですか。 「水中の哲学者たち」とあるように、この 何かを深く考えること=水中に潜ること という比喩は作中においても多用され、非常に印象的である。 p216 「考えているとき、人はいわば意味の海の中で、同じ海にすむすべての人々とつながっている」 人と人の、そのわかり合えなさに時々泣きたくなる。誰とも会いたくなくて、ひとりきりで哲学的なことを考えている時、私はその水平の深みの中で、それでも誰かと繋がることを求めているのだろう。 私もまた、水中の哲学者たちなのだと思う。
水中の哲学者たち
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