村崎
@mrskntk
2026年6月11日
ユリイカ(2026 5(第58巻第5号))
大友良英,
大胡田なつき,
奥田亜紀子,
安彦麻理絵,
岡藤真依,
川内倫子,
文月悠光,
曽我部憲一,
藤沢周,
角田光代,
雨宮処凛
読み終わった
魚喃キリコさんが亡くなっていたというニュースを聞いたとき、悲しいとか寂しいとか単純にショックだとか、そういう感情を飛び越えて、ただ自分の一部が欠けたような気がした。そしてその欠けはきっと二度と元通りにはならないんだろうなという感覚があって、それがなんだかとても切なくて、でもどうにもできなかったから、ずっとそのままになっている。
満たされなさ、どうしようもなさ、痛々しさ、そういったものが皮肉にも綺麗にまざったようなそんな切なさを、魚喃キリコの漫画を読んでいたときも感じていたと思う。
上京して、たぶんどこかのヴィレッジヴァンガードで表紙が目に入って、絵のタッチが好きだと思って手に取った。10代の頃だったと思う。描かれているのはどうしようもない恋愛をしている女性で、私も当時はどうしようもない男をすぐ好きになってどうしようもない恋愛をしていて、どうしようもない自分に溺れて、どうしようもなくなっていた。
魚喃キリコの漫画に出てくる登場人物に自分を重ね合わす人は多いだろう、というか重ね合う人が読んでいたんだろう。
べつに救われないし、かといって突き放されるわけでもない。ただ、自分も感じている切なさが平熱のような温度感でそこにあって、泣くほどの力ももらえないのに、読めばいつでも泣ける準備ができるような漫画だった。
大人になって、10年以上魚喃キリコの作品を読んでいなかったというのに、訃報を聞いたとき、喪失感があった。それも、一年前に亡くなっていたという。その1年間で私は一度でも魚喃キリコを思い出しただろうか。もしかしたら一度も思い出していないのに、どうして一年も教えてくれなかったんだという理不尽な怒りすらあった。
魚喃キリコがもういない、いっそその事実は一生知りたくなかった。たとえずっと作品を発表していなくても、思い出すことがなくても、魚喃キリコがこの世にいないことを知っただけで、どうしてこんなに切ない気持ちになるのかわからなかった。
ユリイカへの寄稿のほとんどが、みんな自分の話をしていた。もちろん作品の論考や表現から汲み取れるテーマなどの解説もあったけれど、それでもやっぱりみんな自分の話をしていた。
それで、共通して感じるのは、ぽっかりした寂しさだった。咽び泣いたり絶望したり、極端な感情はなく、ただ静かに魚喃キリコがこの世界にいたこと、そして今はいないことを受け止めていた。
作品が発表されたいたのは主に90年から2000年初頭。20年以上の月日できっとほとんどの人が変化していて、けれどたしかに痛々しく生きていた自分がいたことを、魚喃キリコの作品を読むと思い出すのだとおもう。
あのころはよかった、なんてよく言われるし私もときどき思うけど、それでも良くないことだってたくさんあった。今よりずっと孤独感に押しつぶされそうな夜もあった。暗い空気も流れていた。でも、魚喃キリコの漫画があった。
訃報を聞いたとき、作品を読み返そうか迷って、結局今も読めずにいる。訃報を知ったからという理由で読んでしまったら、自分の欠けた一部分がぜんぜん違う形で埋まってしまうような気がして、それがなんとなく嫌だった。あんな痛々しい自分忘れちゃいたいのに!
あのころ、魚喃キリコの漫画を読んだ人たちが今もどこかで暮らしていること。その事実が、当時の自分の孤独さを、今になってやわらげる。