糸太
@itota-tboyt5
2026年6月21日
完全に平等で、非常に差別的な
キム・ウォニョン,
牧野美加
読み終わった
20世紀の革新的なダンサーたちに言及しながら、西洋で生まれたバレエという権威的な形式が、どのように拡張されてきたかを紐解いていく。
踊る意味を根源的に問い直すうえでは、西洋に対するところの東洋の「未開の野蛮さ」だけではなく、身体的なハンディキャップという健常者には持ち得ない感覚も、無視できない大きな鍵となる。著者のキム・ウォニョンさんも障がいを持つダンサーであり、自身のこれまでの経験も、本の内容をより豊かなものにしてくれている。
たとえばこうある。
『わたしたちは、各自の行為を規律する多様な社会的「振り付け」の中で生きていく』が、『その規則の権威よりもっと大きな正当性の源泉がわたしたちの中にあ』り、『政治や法、芸術における進歩や革新は、時に「いま存在している形式よりもっと賢明で、もっと大きな何かがある」という確信によって推進される』
無意識下の常識を、「社会的振り付け」と呼ぶのは、とても腑に落ちる。自覚のない身体の反応によって引き起こされる差別は確かにある。ここに違和感を持ち、より大きな正しさに身を委ねることで、私たちは世界を更新してきたのかもしれない。
でもキムさんは、『正当性の源泉を「われわれ」だけに限定してはならない』とも釘を刺す。正しさを自ら塗り固めて肥大させていってしまう、現代のエコーチェンバーも頭をよぎる。
『反応とは、ある外部刺激に対し社会的・生物学的に決められたいくつかの標準的な形式を迅速かつ効率的に取捨選択する、わたしたちの戦略的な対応策だ。(中略)その反応に対するわたしたちの反応として可能な選択肢は「相手を攻撃する」または「自分を破壊する」だろう』
これでは望むべき進歩へは向かえない。そこで思考の補助線として引かれるのが、コンタクト・インプロビゼーション(CI)である。
CIとは日本語にすれば接触即興となり、複数人が身体の一部をくっつけたままダンスをするジャンルだという。身体の動きには他人からの制約がかかるが、逆に自分一人では発想されなかった身体運用へと導く可能性にも開かれる。
『より大きな接点で(複数の)他人とつながることで、パターン化された少数の選択肢から抜け出すことが可能になるのだ。これを、反応(react)と区別して対応(response)と呼ぶことにしよう。CIをおこなう二人は「反応」から「対応」へと移っていく』
私なりに解釈すると、この「対応」へと身体が開かれることで、大きな正当性が具体的なダンスとして宿り始めるのだと思う。そうした過程を踏むことこそが、あるダンスを「善い」と感じるときの判断材料にもなろう。
ここには健常者も障がい者もない。もちろん、これから新たに投げ込まれる視点もあるに違いない。でも本書に出会えたことで、ダンスに触れる作法の現在地については、ひとまず確認できた気がしている。



