糸太
@itota-tboyt5
- 2026年1月3日
暁の寺三島由紀夫読み終わった転生はしたのか。そもそも転生する主体とは何なのか。いや、むしろこれを感じ取っている本多の世界の方が、あまりに不確かで疑わしいのではないか。 幼い月光姫は日本人の生まれ変わりを訴える。しかし脇腹に黒子は見えない。この不在が本多の心の底と共鳴する。 「救われるという資質の久如。人が思わず手をさしのべて、自分も大切にしている或る輝やかしい価値の救済を企てずにはいられぬような、そういう危機を感じさせたことがなかった。(それこそは魅惑というものではないか。)遺憾ながら、彼は魅惑に失けた自立的な人間だったのである」 この自覚が屈折した恋心に変わる。不可能を前提とする「純粋」への、矛盾を孕む希求と重ね合わせながら。 そして、この欲望の成就する世界が、インドで体験した世界の在り方とも響き合う。アートマンとブラフマンに融け合う世界。阿頼耶識に触れては消滅していく世界。月光姫は言う。 「小さいころの私は、鏡のような子供で、人の心のなかにあるものを全部映すことができて、それを口に出して言っていたのではないか、思うのです。あなたが何か考える、するとそれがみんな私の心に映る、そんな具合だった」 黒子が見えるか見えないかも、そうなのかもしれない。世界をどう見たいのか。いま生きている世界もこんな理知や意志の入り込む隙もない不確かさの上にしかない…でも、本当にそうだろうか。 世界とは隔絶した存在もまたある。象徴的に描かれているのが、富士山と月光姫であるように思った。結局、本多の預かり知らぬところで月光姫は死んだ。しかも20歳で。 第四巻では転生がどう成されるのか。矜持をも失ってしまった日本人の群衆が、これでもかというくらい醜く描かれるような予感もする。 いよいよ最後か。どきどきしながら読み進めたいと思う。 - 2025年12月26日
奔馬三島由紀夫読み終わった若者の内にある「純粋」は美しく、これ以上なく強く人を惹きつける。 でも、いざ誰かと分かち合おうとすると、簡単に穢されてしまう。瞬く間に強さは失われ、世の中に均されてしまう。 だから「純粋」をそのままの姿で捉えるには、本人からの働きかけが為されるより前に、周りにいる人間が自らのうちに見出してやる必要がある。 勲の同志たちもしかり。だから決起へと向かう際には、リーダーの掛け声よりも人智を超えた神の言葉が必要だった。 でも「宇気比」はおりてこず、結果的に心の「純粋」には蓋がされ、各々が持っていた悪か蒐められて「裏切り」を招くことになった。 いや、むしろ血盟こそが悪の本質なのでは、と勲は疑う。血盟とは「もう少しで真理に手を届かせようとしては死によって挫折して、又あらためて羊水の中の眠りからはじめなければならぬ、あの賽の河原のような人類的営為に対する、晴れやかな侮蔑だったのだ」 であれば、「純粋」は世の中にどう存在しうるのだろうか。 松枝清顕は死んだ。そして飯沼勲に転生し、「純粋」は本多の心の中に見出された。ここまではいいのだ。他人さえ巻き込まなければ。 さて、物語の次なる舞台はどこだろう。20年後と考えれば、サンフランシスコ平和条約あたり。そして第四巻は高度成長期になろうか。 そう単純に、転生ストーリーが続くとも限らないか。 面白すぎる。はやく第三巻に進もう。 - 2025年12月13日
春の雪三島由紀夫読み終わった今年は三島由紀夫生誕百年らしい。年末になって気がついて、これもなんかのタイミングだと手に取った。 遺作ということもあり、どうしても割腹自殺と結びつけて文章を追ってしまう。もちろん真意など知るべくもないが、それでも物語を通じて描き出される世界は美しくありながら雄弁である。 「個性のことを考えているんだ」 たとえば清顕の友人である本多の語りには、明治が過去になりつつある時代ならではの苦悩が滲む。 歴史の大きな流れに比べたら、個人などないに等しいほど小さい。とは言え、小さくとも自分の成し遂げたことが、未来に社会を変える一助になるかもしれない。でも、もう生きてはいない自分にとって、そこには何の意味があるだろう。 「それが歴史というものだ、と人は言うだろう」 頭ではわかる。けれども本多は、自分が意志の人間であることをやめられないと嘆く。そして、自分には理解できない佇まいでこの時代と向き合う清顕に、寄り添っていくことを決める。 「海と陸とのこれほど壮大な境界に身を置く思いは、あたかも一つの時代から一つの時代へ移る、巨きな歴史的瞬間に立会っているような気がするではないか。そして本多と清頭が生きている現代も、一つの潮の退き際、一つの波打際、一つの境界に他ならなかった」 タイトルを思い起こさせる。どこまでも広く深い海は、どんな比喩をも溶け込ませてしまう。 それにしても、不勉強ながらあらすじも知らずに読み始めたものだから、最後の一文には結構な衝撃を受けた。 嘘だろ。 どうすんのよ、これから。 はやく第二巻を求めなくては。 - 2025年12月1日
ICHIKO AOBA 15th Anniversary Book橋本倫史,野田祐一郎読み終わった近ごろ音楽はもっぱら仕事をしながらのストリーミング再生である。私が選ぶのは最初の一曲だけ。あとは次から次へと好きそうな曲を勝手に流してくれるが、ときおり強く惹きつけられて仕事の手がとまることがある。青葉市子さんの音楽とは、こうして出会った。 本書では、15年の音楽活動を振り返りつつ、青葉さんが音楽とどう向き合ってきたかを、ほんの少しだけ垣間見ることができる。その時そのときの自分と真摯に向き合って、必死に産み落としてきた音楽なんだなという印象を強く持った。 これは作品制作だけではなく、演奏についても同じ。弾いた弦の響きはその時のものでしかないから、空気にかき消えてしまうまでの全責任を負う、みたいな覚悟さえ感じた。 ストリーミングで聞き流している場合じゃないな。生で聴ける機会も狙いつつ、とりあえずファーストアルバムから、時系列をたどって聴いてみようと思う。 - 2025年12月1日
ポストヨーロッパユク・ホイ読み終わった生まれ落ちたのが、すっかりアメリカ化された日本である私にとって、思考の個体化はいかにしてなされうるのだろうか。 難解な内容に読み進めるのも骨が折れたが、それでも綱渡りのように理解された内容を寄せ集めていくと、それはそれで恐ろしいことが書かれているようにも思えた。 つまり、言葉(もしくは「舌」)を超えて思考せよ、と言われている気がする。そこにこそ、個体化への希望が残されている、と。 もしかして全く的外れなのかもしれない。けれども、私の中ではぎりぎり繋がっている。 100年単位の未来を見据えたときに、ポストヨーロッパ的な思考が求められるのは間違いないのだろう。この前提に立ったうえで、足がかりにできるヒントが、この本には存分に詰まっていることは感じるのだが、いかんせん難しい…。 - 2025年11月30日
ポピュリズム大陸 南米外山尚之読み終わった日本にいると自然とニュースは欧米もしくはアジアに偏る。これが地球の裏側にある南米となれば、どうしたって縁遠い。 だからだろう。大きな出来事があっても、大雑把な理解だけで済ませてしまう。 そんな時、たとえば「お祭り好きな南米の気質」みたいなのは、私にとって物事を単純化するのにとても都合がよくて、つまり「考え方のデフォルトが違うのだからこんな事が起きるのだ」などと、ほとんど何も分かろうとしていない態度で納得してしまうことが多い。 この本を読んで、そんな「南米気質」の根っこにある前提を学び直すことができた。まずは植民地支配に端を発する格差社会がある。日々の生活がままならない中に差し込む希望の光にも、読書前よりも深い解像度をもって想像を広げられた。 すると不思議なことに、歩んできた歴史が全く異なる日本の中にも、たびたび同じような風景が見つかる気がしてきた。もちろん違う。けれども民主主義を使いこなすうえで、南米諸国から学ぶべき点は数多くある。 外山さんの言葉を借りるなら、「政治を動かしているのは、(中略)顔の見えない属性ではなく、人々の熱意」である。地球の反対側だろうが、その真理は変わることはない。 - 2025年11月17日
歴史修正ミュージアム小森真樹読み終わった私にとってミュージアムは美術品を鑑賞しにいく場所でしかなかった。展示されているのは世にも貴重な芸術品で、だからこそ敷居が高く、足を向けるのには多少の緊張が伴った。 でもそれは違う、と本書は教えてくれる。 そもそもコレクションは恣意的な視線を通じて行われたものであるし、展示にはその時代の空気による編集を加えたものにしかならない。そして、そのような「歴史修正」は絶えず更新され続けており、私のようなアートに気後れするような人々の手にも、ひろく委ねられている。 もちろん無視しようとすればできるけれど、その態度はけっして、未来の社会に好ましい結果を導きはしないだろう。 色眼鏡をはずしてみる。案外、ミュージアムの側からは、手を伸ばしてくれているのかも。 - 2025年11月10日
柳宗悦 無地の美学佐々風太読み終わった柳宗悦の美について語られるとき、浄土真宗の「他力」がよく取り上げられる。たとえば、自らのはからいを超えた他力に委ねた造形にこそ美は宿る、といった具合に。 そのたびに、じゃあその造形を美しいと感じる心からは、はからいをどう排除できるのか、というのがいつも疑問だった。 本書の第四章では、「見る」-「見られる」の構造として、これと似た問題に触れられている。自分の中の疑問が氷解したわけではないが、考えるヒントをたくさんもらえた気がしている。 さらに、もっと対等に美と付き合いたいなと普段から思っている私にとって、第五章から終章にかけては、すこしの希望も感じられた。 「私たちは、知らず知らずのうちに無地の美をーあるいは無地的なる言動をー生んでいる可能性があるということを、柳の無地論は示唆する」なんて、とても心強く響いた。 - 2025年11月10日
読み終わった土地の凹凸はどうしてこんなにも心を湧き立たせるのだろう。足の裏からダイレクトに伝わる刺激が、目の前に広がる景色を後退させ、その土地のもう一つの姿を浮かび上がらせてくれる。 この本が見せてくれるのは、そんな遠い昔でもない「武蔵野」である。何世代か遡るだけなのに、とんだ異世界が広がっている。でもその場所は、不思議と居心地がよかった。 本文中には武蔵野を描いた文学作品が多く紹介される。さまざまな角度からの描写に触れるたび、その景色を知っているような気さえしてくる。 このあり得ない既視感のなかに、なぜか居心地のよさが潜んでいる。 光の歴史だけではなく、闇があってもなお。 人間が自然とのあわいに生きてきた記憶は、案外、いろんな所に転がっているのかもしれない。 祖父母のちょっとした仕草や神社の大木の根元に生える雑草とか、または、いま踏みしめている土地の凹凸にも。 - 2025年10月29日
生類の思想藤原辰史読み終わった生類から描きだされる世界に頷きつつも、この視点に立ったとき、実際にどう行動していけるかを、考えながら読み進めた。結局私には分からずじまいだったが、最後の章に朧げながらの道標があるように思えた。 たとえば「すでにその効力を失いつつある「人権宣言」をつくりなおすことはできないだろうか」とある。そして、作りなおすための始点は「お互いの微生物を食べ合うこと、リスクを顧みず意識的に微生物を共有しようとすることへの執念だけ」と言い切る。 フランス革命から200余年、理想に近づこうと人類は歩みを進めてきた。三歩進んで二歩下がりながらも、たえず次の一歩を踏み出してきた力は執念とも言えるだろう。 いま、ここで一度、立ち止まること。 人とは何かを改めて捉えなおし、その上で人としての在り方を世界に謳いあげること。 百年単位の未来へ。 大きな課題が突きつけられている。 - 2025年10月20日
人間には12の感覚がある 動物たちに学ぶセンス・オブ・ワンダージャッキー・ヒギンズ,夏目大読み終わった感覚を揺さぶられる読書体験とはまさに。それぞれの章が独立して一つの本になるくらい、面白さが詰まっている。 五感の延長として捉えられる感覚にも興味津々だが、本書の後半部にある「方向感覚」と「自己受容感覚」には、かなり興奮した。 近ごろ、行きすぎた自己中心性への反省からか、身体感覚への関心が高まっているように感じられる。その意味では、マダコの意識を考えることは、現代の私たちに素晴らしい問いかけをもたらしてくれるような気がする。 人間の環世界を拡張するテクノロジーに期待すると同時に、自分を手放すための知恵を与えてくれそうな研究には、やはり胸が躍る。 - 2025年10月10日
読み終わった生きていくうえで必要なこと。これまで沢山学んできたはずなのに、こと心の扱いについて、すっぽり抜け落ちていることに気がつかされた。 必要なかったと言えばそうなのかもしれない。でも、だから知らなくても良い、というわけでは決してない。むしろ知っていればよかったなと、それこそ心から思った。 何が変わったわけでもないだろう。でも「自分」って思ってるほど絶対的ではないよ、と気づけているだけでも、すこし楽な気持ちになる。 正しく向き合うためには他人が必要不可欠。それもカウンセラーのような赤の他人の方が適しているのも納得。 とくに今、私に「破局」の予感があるわけでもない。でも、なにかの折に立ち止まれる場所があり、「変化」を促せる多くの専門知が揃っていると知っておくことは、生きていくうえで何より心強い。 - 2025年10月5日
読み終わったよくヨガなんかで、頭に浮かんできたことを判断を加えずにそのまま感じてみてください、とか言われる。これ、相当むずかしい。できた試しがない。 古賀さんの文章を読みながら、そんなことを思い出した。たぶん違うけど、似ている部分も大いにあるように思う。 例えば、美味しいと感じたことを美味しいと言う。すごいと思ったことをすごいと言う。まず受け入れるという、こんな当たり前の態度が、実は私も含めてほとんどの人に足りていないのではないか。だからこそ、備忘録的に書かれた日記が、こんなにも魅力的に感じられるように思える。 言うほど簡単ではない。古賀さんだからできる、かなりの高等スキルなのは分かる。でも…できることなら私もそんな風に世の中を見てみたい。 見たことや聞いたことに対して、反射的に距離を取ってしまうのは、私の悪い癖だ。まずは心からの素直さを持って、その事象を捉え直してみたらどうか。例えば「鼻につく」を「憧れる」に言い換えてみるとか。 悪くない気がする。やっぱり、かなりの難易度ではあるけれど。 - 2025年9月29日
呪文の言語学角悠介読み終わった言葉の誕生は遠くの他人を動かせるという点で画期的だった、という話を聞いたことがある。その不可思議な力を活用し続けられるよう体系づけてきたのが、現代に残る「呪文」なのだろう。では普通の言葉と呪文の境目はどこにあるのか。そんな筆者の問いは、簡単に馬鹿にできない、とても魅力的なものに思える。最後に披露された挑戦的な実践も含めて。 巻末インタビューのエリーザさんの語る、「胸」と「頭」の話も印象的。割り切れないものの中にこそ、本当があるような気がする。 - 2025年9月19日
世界自炊紀行山口祐加読み終わったユリイカの自炊特集は何か月前だったろうか。自炊はいま、皆が語りたくなるテーマなのかもしれない。そのくらい自炊の形が変わろうとしているタイミングだとも言えるだろう。 これが世界的であることを本書は教えてくれる。つまり日々のご飯について、どこの国の人たちも似たような悩みを抱えていて、解決をしようともがいている。それぞれの打開策や発想の転換には目を開かされたりもするが、やはり印象に残ったのは世界的な流れだ。 悲観的に捉えることは容易い。でも抗いようのない大きな流れの中で、世界中の人々が似た気持ちで料理をしていることを知るだけで、なんか心強い気持ちになったりもした。 - 2025年9月19日
会話の0.2秒を言語学する水野太貴読み終わったどの章も興味深い。でもページ数が少なすぎやしないか。もっと読みたい。巻末に言語学の先生方の文献も紹介されていたが、いや、そうじゃない。水野さんの文章で、さらに詳しく紐解いてほしいのだ。 と、勝手なことをお願いしたくなるくらい、素敵な書き手だと思った。やはり次回作を期待してしまう。 - 2025年9月19日
「風の谷」という希望安宅和人まだ読んでる「総論賛成、各論反対」という言葉はよく聞く。反対とまではいかなくても、それぞれの立場から個々の正しさを主張して、全体としては結局すこしも前に進めていない、なんてケースは飽きるほど目にする。 それでも諦めたりせず、目標に向かってどう歩みを進めていけるか。そのヒントがこの本には詰まっている。緻密で地道。でも実際に取り組んでいる実例であるのだから説得力は強い。 すこしずつ読み進め、ようやく2/3くらい来ただろうか。残りもちょっとずつ楽しもう。 - 2025年9月19日
美術の物語エルンスト・H・ゴンブリッチ,大西広,天野衛,奥野皐,宮腰直人,林道郎,桐山宣雄,田中正之,長谷川宏,長谷川摂子読み終わったたとえば写真がなかった時代、人々にとって絵画のインパクトはいかほどだっただろう。 紀元前に描かれた作品から、すこしずつ時代を追いながら美術の歴史を辿っていく。もちろん擬似的にではあるが、それでも現代から遡って鑑賞するのとでは、まったく異なる体験の連続であった。 とくにモナ・リザ。見飽きるほど出会ってきたはずなのに、こんなに心が動いたのは初めて。正直に言えば、気味悪いくらいゾワっとした。 私が読んだのはポケット版。こんな小さな図録でこれなんだから、その当時に本物に対峙したらどうなってしまうことやら。 - 2025年8月11日
作文小山田浩子人はそもそも聞きたいことしか聞かない。記憶もそう。覚えたいことだけ覚え、その中から誰かに話したいことだけを話す。 さて、語り継ぐと言ったときに、その対象はどこまで本当と言い切れるだろうか。直接の体験者であろうとなかろうと、語られるということは、それ自体に意味があるのであって、もしかしたら内容は二の次のような気もしてくる。 広島への原爆投下を語り継ぐとき、この「作文」という小説が取った方法は、類まれなる有効打であるように感じた。疾しさが疼くという、その点において。 - 2025年8月8日
「イスラエル人」の世界観大治朋子読み終わったテルアビブ大学のダニエル・バルタル氏の言葉として、紛争など惨状のなかにある人々に共通する3つの心理的要素が語られている。 「道徳からの乖離」と「道徳的な権利」と「道徳的な沈黙」。 自然な感情として、どれも当たり前に頷けるものばかりだ。でもこうした気持ちを一度棚置きし、冷静に捉え直す態度こそが、負のループを断ち切る可能性を秘めているのだろう。ヒントは「対話」であり、「物語」でもある。 今年は戦後80年である。単に過去を振り返るだけではなく、ガザの現状と地続きに考える視点を失わずにいたい。
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