
たまご
@reading-egg
2026年7月5日
異彩を、放て。
松田崇弥,
松田文登
読み終わった
「宮沢賢治の『雨ニモマケズ』が、亡くなる2年ほど前に、体が弱っているときに自分自身に向けて考えを書き留めたもの」がるんびにいの作家たちの姿と重なったというのを読んで、創作ってはじめは自分のためのものなのかもしれないと思った。
そしたら、すぐ後に出てきた美術館の板垣さんの話で、同じことを言っていた。
「人が何か表現するというのは、最初、自分自身に対して表現することからはじまるんです。絵の場合であれば、自分はこういう色を見たい、形を見たい、線を見たいと思って、その自分自身の求めに対する応えとして、まず表す。「ああ、この色だ、形だ、線だ」というのを自分自身との対話として描くんです。」
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ふたたび板垣さんの話から。
プリントした生地で作ったネクタイではなく、「織り」で作品を表現したネクタイを見たとき。
「これは原画の翻訳だ、と思いました。本来の作品を表現するには、絵の色彩と形をただ機械的に似た色の糸に置き換えるのではなく、どんな「織の言語」に置き換えるべきなんだろうと試行錯誤を繰り返し、織りの言語で作品を再構築する。」
ここにも翻訳があった。
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松田兄弟も、板垣さんも、「アート作品を生み出す障害者本人の大事なもの」が踏みにじられることがないようにと願っている。そこに感じ入った。
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「障害は、「障害者」にあるのではない。社会の方にあるのだ。」