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たまご
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@reading-egg
  • 2026年8月16日
    おくれ毛で風を切れ
  • 2026年8月7日
  • 2026年8月6日
    おくれ毛で風を切れ
    古賀さんの日記。 いくつか順不同に読んでいるけれど、「子どもたちの父」にはじめて出会った。山に住んでるのか。 子どもたちはおかわりをしない、というエピソードがさらりと出てきて、一つ前に読んだ『おかわりは急に嫌』でしっかり書かれたエピソードだったので、あ! と思った。 古賀家の事情、というか生活は自分とは全く関係のないものなのに、知っている話が出てくるととたんに近しい気がしてしまう。
  • 2026年8月5日
    おかわりは急に嫌
    富士日記を読んでみたくなった。 人の日記を引用して、まつわるエッセイを書く。この形式ははじめて読んだ。
  • 2026年8月3日
    おかわりは急に嫌
  • 2026年7月31日
    伝える準備
    伝える準備
    アナウンサーは、「そんなつもりで言ったわけじゃないんだ」が許されないということをひしひしと感じた。 日常からこんなに言葉に真剣に向き合っているから、とっさのコメントで練られた言葉が出てくるんだなぁ。藤井さんは「言葉を煮詰める」と表現していた。 思いがけず、日記について書かれた本だった。日記が藤井さんの言葉を作っているんだ。
  • 2026年7月29日
    オケ飯!
    オケ飯!
  • 2026年7月29日
    戦争と五人の女
  • 2026年7月29日
    はじまりのスープ、夏ゼリー
  • 2026年7月27日
  • 2026年7月26日
    ファイア・ドーム(下)
    第五章。 やっぱりそうだった。 この、ミステリーを読んでいて「やっぱりそうだった」「私の推理は合っていた」と思う感覚、それを誰かに言いたくなる感情って、ファイア・ドームの論点である「噂は、軽薄で残酷な娯楽だ」と同じロジックなんじゃないかと思っている。 やっぱりそうだった、私の思った通りだった。 他の人は気づかなかったかもしれないけれと、私は気づいたという優越感。点と点を結びつける線を見つけた興奮。 ミステリーを読んでいつも思うのは、どこまで読者に悟らせるかを、作者はかなり綿密に考えているんじゃないかということ。 私は気づけた、ともしかしたらほとんどの読者が思っているのではないかということ。全て、計算されているのでは。 そこまで思っていても、やはり、「やっぱりあいつが犯人だったんだ」と言いたくなる。この感情は何なのだろう。 ----- どんな願いや思いを込めても、受け手に土壌がなければ、人はたとえそれが事実であっても、事実を事実の通りに受け止められない。読み手の気持ちまで、こちらは支配できない。 ----- ラスト、本間先生の視点の独白で、やりきれなさがまた募った。そうなんだよな、みんな、自分の正義で動いているんだよな。はたから見たら、それがどんなに理解できない論理であっても。 本間先生にも彼なりの、正義が、理由があって、それを知ったら、彼のとった行動に少し理解がおよんでしまう。 あと、子供たちの素直さがまぶしい。
  • 2026年7月26日
    ファイア・ドーム(下)
    大きな事件は人を魅了してしまう。 ----- 人の興味とは関心とは、一体、何なのだろうか? ----- 美冬の疑問。友達や両親への違和感。うまく言えないけど、わかる気がする。 人は、興味のあるものしか見ない。それ以外のことについては、驚くほどの無関心さがある。たとえ、子どもや友だちに関するものであっても。興味のある情報だけしか認識しない。 「自分ごと」という言葉がある。記事を書くときは、いかに、読者に自分のことだと思ってもらえるかどうかに気を配る。自分ごとになる情報とならない情報の差異はなんだろうか。
  • 2026年7月26日
    ファイア・ドーム(下)
    4章終わり。 やっぱり、あいつだった。
  • 2026年7月26日
    ファイア・ドーム(下)
    一気に読み終わらないと、他のことが手につかない。そう思って、週末を捧げることにした。 第四章。 透真の書いた記事。噂はどうして広がったのか。止められなかったのか。その噂を広げた人々は、そのことを覚えてすらいないのではないか。 それは、あなたではないか。とまでは書かれていないけれど、十分読み取れると感じた。 この記事を読んで思い出したこと。ライティングスクールで、「点と点が結びつくことをみんな自分で発見したいんだ。そこが一番興奮するところだから。だから、線は書かない方がいい」という話をきいたこと。 たしか、有名なゲーム開発者がそういった趣旨の発信をしていたとか。良いゲームは、点だけが置かれていると。 『地元だから知っている』『知り合いが関係者かだから聞いた』25年前の事件の時のように、狭いコミュニティで噂が瞬く間にひろがったのは、点を自分が持っている興奮、知っている情報が結びつく興奮、もあるのではないか。
  • 2026年7月26日
    ファイア・ドーム(上)
    ここで終わるの……!  嫌な予感がどんどん現実になっていく途中すぎる。すっごいドキドキする。
  • 2026年7月25日
    ファイア・ドーム(上)
    第三章。 一つの事件の裏に、人生を変えられた人たち、傷ついた人たちがこんなにたくさんいるのか。思い至ったことがなかった。心優しい人ほど、その人は何も悪くないのに、自分を責めてしまう。 同じ受付嬢だった人も、もしかしたら狙われたのは自分だったかもしれないという恐怖よりも、自分が助かってしまった、申し訳ない気持ちの方が勝るものなのだろうか。 わからない。わからないけど、被害者の身を案じたり、偲んだりするとき、自分の非を探してしまうものなのかもしれない。それが詫びになるというか。 うーん、詫びじゃないな。弔い、かな。
  • 2026年7月25日
    ファイア・ドーム(上)
    第二章終わり。 めちゃめちゃ怖い。 悪意を持って書かれる記事も、エスカレートする世間の反応も。悪気なく言いふらす人も。悪気がないことは、悪だと思う。患者の情報をほいほいしゃべっちゃダメだよ。個人事業主だから仕方ない、みんなそんなもんだから、とかそういう問題じゃない。 今のところ、記者と院長がとても嫌だ。
  • 2026年7月25日
    ファイア・ドーム(上)
    「悪意を持った特定の誰かが流したものではなく、地方社会の中で、どこからともなく自然発生したもの」 「──狭い地方社会の中で起こった全国規模の重大事件に、県民全員が飛びつき、参加したいという思いを持ったことの表れ。」 ----- とても、想像がつく。 ----- 「自分たちの住んでいる土地は、傷ついた人をさらに傷つけてしまう土地。」
  • 2026年7月24日
    レシート日記
    レシート日記
  • 2026年7月24日
    さみしい夜にはペンを持て
    そうかー、日記は読みものになるのか。忘れた頃に読む、読みもの。 いま、バレットジャーナルに日記を書いていて、やることとか、メモとかいろんなものが放り込んであるノートに書いているけど、日記専用のノートにした方が、読みものになりそうな気がしてきた。 ただ、ノートを増やしたくない気持ちもあるんだよなぁ。 ひとくちに日記と言っても、書く目的も、内容も人によって違う。書くタイミングも、書く分量も違う。 どんな日記にしたいか、自分で決めていい。 古賀及子さんも言ってた。「十人いたら十通りの日々なのはもちろん、日記の考え方、書き方もそれぞれだ」と。 それから、こうも言っている。 「日記と秘匿の濃淡は、公開するかしないかではなく、書き手それぞれの日記観からくる手つきに依る」と。 タコジローの日記は、おじさんとイカリくんに見せているので、完全に自分だけが読む日記ではない。それでも、自分との対話に支障はないのだろうか。 どうして古賀史健さんは、タコジローの日記をイカリくんに見せるようにしたのだろう。 単に、日記が続くようにするため? 私だったら、人に見せる日記と、完全に自分だけが読む日記では、書く内容が変わってくる。
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