しいぷ "AIの手を掴むくらいなら溺れ..." 2026年7月5日

AIの手を掴むくらいなら溺れて死ぬ
2章まで読んだ。 以下感想メモで、批判的な箇所が多いけど、本書は概ね読み物として面白いし、著者は遠くない分野の研究者なのでAI×人間論の一般書よりは基本的に正しいことを言っていて、真剣に読むに値するからこういう感想文になっている。 1章。 シャニマスの円香、透、プロデューサーをAIに絡めた論考はユニークで、単純に読んでいて面白い。 AIの限界については都合よく決めているなぁとは思う。 「〇〇による人工知能の定義に従えばこうなる」というのは分かるが、その定義の妥当性を検討する必要がある。 まず、環境によって答えが変わり、かつ途中で環境が変化するような問題設定とそれに対応できる手法というのは古典的な最適化アルゴリズムでもよくある問題設定だし、ノーフリーランチ定理的な意味ではある最適化モデルは何らかの専門化は行われているけれど、それを環境に応じて変更することはできるので、AIの限界ではない。 物理的な身体を持つAIであれば、初期状態において認識できない外部も、人間が肉眼で見れない赤外線を可視化する道具を発明したように、認識できるように作り変えることができるだろう。作ろうと思い立つために初期状態で予想していることも必要条件ではない。 それでもAIにも限界はあるかもしれない。しかし地球の資源の範囲でしか自然資源を持たず、チューリング完全の範囲でしか計算可能でなく、光速は越えられず、絶対零度より低い温度のものを作れないとして、それは仕事を奪われることを恐れる人間の救いにになるだろうか? とはいえ、私も「AIによって仕事がなくなる」ことを恐れる必要はないと考えている。 現在の人類には、解決したい問題が山ほどあって、それがどんなAIの進歩を仮定しても、私たちの寿命が尽きるまでに全て綺麗さっぱり解決する見込みは全くないからだ。 SDGsの169のターゲットを全て達成し、あらゆる科学研究が全て完了し、地球や太陽のあらゆるリスクに対処して住めない星になる前に太陽系外に旅立ち、宇宙の熱的死をも乗り越えて未来永劫なにも為すべき仕事がないなどという未来は、少なくとも100年以内には100%来ないのだから。 「AIによってある人の単純労働が失われる」というのはこれまでもあったしこれからもあるだろうけれど、雇用や尊厳について再設計し続ける必要があるという、既存の課題でしかない。 2章。 西洋のrobot概念からすると、ドラえもんはロボットではなく、「ドラえもんを作」ろうとする人が友だちロボットを作っているのは誤りだという指摘は面白い。 でも日本のロボット漫画の定義にrobotの原義を適用する必要ないよなぁという気もする。我々はドラえもん的な存在もロボットの一種として認識しているので。 スパローの仮説はよく引用されるけれど、エログロコンテンツの有害性が実証に失敗してきたのと同様で、まぁ誤った仮説の可能性が高いのだろうなと。近年のスパローは「実証できないとしても、そもそもシミュレーションすること自体が道徳的に問題」と粘っているが、これはよく分からない。シミュレーションがダメならロボでなく脳内で完結するシミュレーションもダメなのだろうけれど、真っ当で説得力のある規範倫理として整合的に成立させられる気がしない。
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