
綾鷹
@ayataka
2026年6月30日
嵐が丘(上)
エミリ・ジェーン・ブロンテ,
小野寺健
三宅香帆さんが紹介されていたので読んでみた!
・さあ、鏡のとこへお出で。おまえはどうなったらいいか、教えてあげよう。その両目のあいだの二本のしわに気がつくかね。それから、その太い眉毛が、弓なりにならずに、まん中で凹んでいるのや、それからその二匹の黒鬼みたいな日が、ぐんと落ちこんでいて、まるで悪魔の手下が、窓をぱっとあけもしないで、蔭からちらちらのぞいているみたいなのに、気がつくかね。おまえが心で願って、やってみなければならぬことはね、その陰気なしわをのばして消すとと、それから、その日ぶたをはっきりとあげて、その黒鬼の性を変えて、物をおそれぬ、きよらかな天使にして、何ひとつ疑ったり悪く思ったりしないで、いつでも、敵ではないと分った人は友だちにすることだよ。心がねじけた野良犬はね、蹴られると、自分が悪いんだから仕方がないと分るらしいのだが、そのくせに、ひどい目にあったことについては、蹴ったものだけじゃなしに、世界じゅうを憎むんだがね、そういう顔つきになってはいけないよ
・あたし、うまくあらわすことができない。だが、おまえだって、まただれだって、自分というものは自分を越えた外にもある、いや、ないはずはない、という心持は持っているだろう。もし、あたしが、ただまるで自分自身の中につつみこまれているものだとしたならば、あたしの生命を創ったりして、何になるの?あたしの、この世界での大きな悲しみは、ヒースクリフの悲しみだった。あたしは、はじめから、その一つ一つを見つめて、かみしめてきた。あたしの人生で考えることは、ただ彼のことだけなのだわ。ほかの何もかも滅びてしまっても、彼がのこっていれば、あたしはどこまでも、生きつづけているだろう。何もかものこっていて、彼が滅びていたならば、この宇宙は絶対の他人になって、あたしがその一部分だなんて感じは、なくなってしまう。あたしのリソトンへの愛は、森の木の葉のようなもので、あたしにはよく分ってることだけど、冬に木が変るように、時がくれば変ってしまうだろう。あたしのヒースクリフへの愛は、足もとの永遠の岩のようなもので、目をほとんど楽しませないかも知れないけれど、なくてはならないものなのだ。あたしはヒ1スクリフなのよ、ネリ!彼は、いつでも、いつでも、あたしの心の中にいる。よろこびとしてではないかも知れぬということは、あたしがあたしにとって、いつもよろこびだといえないと同じだけど、彼はあたし自身と同じ存在なのよ。だから、あたしたちが離ればなれになるなんて、二度といわないでちょうだい。そんなこと、できはしないことよ。そしてー」
彼女は言葉を切って、わたしの上衣のひだに顔をうずめましたが、わたしは力をこめて、それをふりきりました。彼女の愚かしさに、もうがまんできなかったのでした。
・あたし、あなたを離したくない」彼女は、はげしくつづけました。「二人ともが死ぬまで!
あなたが苦しんできたことなんか知らない。あなたのいまの苦しみなんか何とも思わない。苦しむのが当りまえだわ。あたしは苦しんでいる。あなた、あたしを忘れるつもり?あたしが土の館に入ったら、よろこぶの?これから二十年もたってからいうの?『あれはキャスリン・アーソンョウの墓だ。おれはずっと昔に愛していて、先立たれたときは辛かった。だが、過ぎたことだ。あれからたくさんの女を愛してきた。あのころのあの女よりも、おれの子供たちの方がかわいいのだ。おれは、死ぬときがきても、あの女のところへゆくのがうれしいなどとは思わないだろう。子供たちを残してゆくのが悲しいだろう』そんなにいうの、ヒースクリフ?」「やめてくれ、拷問にかけられるようだ。ほくも、君みたいに、気がくるってしまう」彼は、頭をねじって振りはなし、歯ぎしりをしながら、いいました。
しずかに二人を眺めているうち、異様なおきみな感じが迫ってきました。キャスリンが思っていること、つまり、彼女が天国にゆくとしても、この世の肉体とともどもにその精神も投げすててしまわないかぎり、そこは仮りの流刑地でしかないだろうということも、無理はないのです
・「あたしは平和に眠れない」と、うめきながらキャスリンは、この極度の興奮のために、目に見え耳にきこえるほどの、はげしく不規則な自分の心臓の波打ちに、いまさら体の衰弱を意識したのでした。その発作状態がおわるまでは、しばらく口もきかなかったのですが、それから後で、やさしい心持になって、つづけましたー
「ヒースクリフ、あたしは、自分が苦しんだ以上に、あなたを苦しめようとは思わない。ただ、あたしたちはいつまでも決して離れたくない。もし、あたしのいった一言でもが、これからのあなたを悲しくさせるならば、あたしは土の底に入っても、それと同じ悲しみを感じているでしょう。あたしのために、あたしを許して!ここにきて、もう一度ひざまずいてちょうだい。あなたは、いままで一度も、あたしをいじめたことはないわ。そして、もしあなたが、怒ったりするなら、その思い出の方が、あたしのひどい言葉の思い出よりも、いっそういまいましい心残りになるでしょうね。もう一度、ここへきて下さらない?おねがいだから」
・「いまこそ、君がどんなに残酷だったかー残酷で不実だったか、よく分った・どうして、ほくを軽蔑したのか?どうして、自分自身の心を裏切ったのか、キャシ?ぼくは、慰める言葉など一つも持っておらぬ。これは君の当然の報いだ。君は自分で自分を殺したのだ。そうだ、君は、ぼくに接吻したり、泣いたりするのもよかろう、また、ぼくの接吻と涙とをしぼり出すのもよかろう。だが、それはみな君を傷つけてー君を滅ぼしてしまうだけだ。君は、ぼくを愛したそれなら、どんな権利があって、ぼくを捨てたのか。どんな権利で1答えてくれーリントンなどに、つまらぬ浮気をしてみたのか。悲惨も堕落も死滅も、また神か悪魔かがぶっつけてくる何ものの力も、ぼくたちを引きはなすことができなかったものだから、君が、君の意地を通して、はなれてしまったのだ。ぼくが君の心を引き裂いたのではなくて、ー君が自分で、引き裂いたのだ。そしてそれと同時に、ぼくの心も引き裂いてしまった。ほくの体は強いだけに、これはいっそう困ったことなのだ。ぼくが、長生きしたがっているかだと?いったい、君が亡くなって、ぼくにどんな生活があるというのかしおお神さま!自分の魂を墓へ持ってゆかれた後でも、人は生きのこっておれるものでしょうか!」
・「いまこそ、君がどんなに残酷だったか↓残酷で不実だったか、よく分った。どうして、ぼくを軽蔑したのか?どうして、自分自身の心を裏切ったのか、キャン?ぼくは、慰める言葉など一つも持っておらぬ。これは君の、当然の報いだ。君は自分で自分を殺したのだ。そうだ、君は、ぼくに接吻したり、泣いたりするのもよかろう、また、ほくの接吻と涙とをしぼり出すのもよかろう。だが、それはみな君を傷つけて一君を滅ぼしてしまうだけだ。君は、ほくを愛したそれなら、どんな権利があって、ぼくを捨てたのか。どんな権利でー答えてくれーリントンなどに、つまらぬ浮気をしてみたのか。悲惨も堕落も死滅も、また神か悪魔かがぶっつけてくる何ものの力も、ぼくたちを引きはなすことができなかったものだから、君が、君の意地を通して、はなれてしまったのだ。ぼくが君の心を引き裂いたのではなくて、ー君が自分で、引き裂いたのだ。そしてそれと同時に、ぼくの心も引き裂いてしまった。ぼくの体は強いだけに、これはいっそう困ったことなのだ。ぼくが、長生きしたがっているかだと?いったい、君が亡くなって、ぼくにどんな生活があるというのかしおお神さま!自分の魂を墓へ持ってゆかれた後でも、人は生きのこっておれるものでしょうか!」
「放っといて、放っといてください」キャスリンは、すすり泣きました。「あたしが悪かったとしても、そのために、あたしは死んでゆくんです。それで十分じゃありませんか。あなただって、あたしを捨てて行った。それでも、あたしは責めない。あなたを許す。あたしを許してくださ
い!」
「許すことは、苦しい。君のその目を見ることも、このやせ細った手にさわることも、苦しい」と、彼は答えました。「もう一度、接吻させておくれ。ただ、その目は見せないでおくれ。ぼくは、君がぼくに対してしたことを許す。ほくは、ぼくを殺すものを愛する。だが、君を殺すものを、どうして、愛せるものか!」
彼らは、黙りこみましたしたがいに顔をうずめ合わせるようにして、たがいの涙に、顔をぬらしました。しまいには、二人ともさめざめと泣いたようでした。ヒースクリフでさえも、こんなぎりぎりのときには、泣くこともできるものだと思われました。
・「それでしあの人は、ぼくのことを、何もいわなかったか」彼は、おずおずとたずねました。
その問への答は、彼が聞くのに耐えられないようなことがらをしめすだろうと、恐れているかのようでした。
「意識はもどってこなかったのです。あなたが出てゆかれてからは、あのかたは、だれを見ても分らなかったのです」と、わたしはいいました。「顔にうつくしい微笑をうかべて寝たきりで、その最後の思いは、たのしかった子供のころに、さまよって行ったのですよ。あのかたの生命は、やさしい夢の中で閉じました。|来世でも、同じように恵まれて目をさまされますように」「責め苦で目をさませ!」と、彼は、恐ろしいはげしさでさけび、足をふみ鳴らし、制しきれない怒の、とつぜんの発作に、身もだえするのでした。「あいつは最後まで嘘をついた!いまどこにいるって?あそこでないー天国でないー死んでいないのだしいったいどこだ?
おお、君は、ぼくの悩みなんか何とも思わんといった!それでぼくは、ただ一つの祈りをするーこの舌がひからびてしまうまで、くりかえすーキャスリン・アーンショウよ、このほくが生きているかぎり、君が安息することのないように!君は、ぼくが君を殺したといったが一それならば、幽霊になって出ろ!殺されたものは、殺したものを悩ましに出るはずだ。ぼくはずるーぼくは、幽霊が地上を迷いあるいたことがあったと思っている。いつもぼくのところにいてくれーどんな姿でもよろしいしぼくを気ちがいにしてくれ!ただ、ほくを、君を採
せないままに、この奈落の底に放ったらかさないでくれ!おお、神さま、どういっていいか分らない!ぼくは、自分の生命なしに、生きることはできない。自分の魂をしに、生きることはできない!」
彼は頭を節くれだった木の幹に打ちつけ、それから目をあげて、ほえるような声を立てたのですが、それは人間というよりは、刀や槍で突きまくって殺される野獣の声のようでした。木の皮には、あちこち血潮が散っているのが見えましたが、彼の手や額も血にぬれていました。だが多分、わたしが見た、この光景は、夜じゅう何度もしたことの、くりかえしだったのでしょう。それは、わたしの同情心を、ほとんど引きませんでしたしわたしを身ぶるいさせただけでした。
それでも、このまま彼を捨ててゆく心にもなりませんでした。しかし、彼は、ようやく正気をもどして、わたしが彼を眺めていたことに気づいた瞬間に、あっちへゆけと大声でどなりつけましたので、その命令に、わたしはしたがいました。彼の心をしずめることも、慰めることも、わたしの腕にはあまっていました。
・リントン夫人の葬儀は、つぎの金曜日に取り行われることにきまりました。彼女の棺は、蓋をしないままで、花や、香のたかい葉を、まきちらされて、広い応接室におかれました。リントンはねむりもとらず守りながら、昼も夜も、そこで過ごしました。またーこれは、わたしのほかは、だれも知らなかったことですがーヒースクリフも、少くとも夜ごとに、やはり休息もとらずに、外で時を過ごしました。わたしは彼とは一切連絡しなかったのですが、それでも彼が、できることなら家にはいりこみたい腹であることは、分っていました。それで木曜日のこと、日が暮れてしばらくして、御主人が疲れはてて、二、三時間ばかり引きとって休まずにいられなくなったときを見て、わたしは立って一つの窓をあけにゆきましたが、それは、彼の辛抱のよさに心をうどかされて、彼の偶像の、消え去ってゆく面影に、最後の別れの一言をいう機会をあたえてやりたいと思ったからでした。彼は、その機会を、慎重に、そしてすばやく生かすことに、抜かりはありませんでした。その慎重さといえば、彼がきたことが分るような、どんなかすかな物音一つ立たなかったのでした。じっさい、このわたしにしても、彼がいつそこにはいったか分らず、ただ後で、死者の顔のおおいの布がみだれていたのを見て、また、床のうえに、銀糸でむすんだ明るい色の巻毛が落ちていたのを見て、やっと気づいたのでした。巻毛は、しらべてみますと、キャスリンの音にかけていた形見都から抜きとったものだとたしかめました。ヒースクリフは、その小さな箱をあけて中身を取りだして、その代りに自分の黒い巻毛を入れたのです。わたしは、二つの巻毛をよじ合わせて、いっしょに中にしまってやりました。
アーンショウさんは、もちろん妹の遺徴にしたがって墓地にゆくように招きを受けましたが、いいわけの言葉もよこさず、くることもしませんでした。それで、葬列に加わったのは、御主人のほかは、借地人たちと召使たちとだけでした。イザベラは招かれませんでした。
キャスリンを埋めたところが、会堂の中の彫刻のあるリントン家の碑銘の下でもなく、また、外の彼女の生家の墓所ですらもなかったことは、村人たちをおどろかせました。それは、教会の地の片隅の草のしげった斜面に掘られました。そこのところの塀は、大そう低くて、荒野からヒースやこけももが、それにかぶさってはいりこみ、また泥炭の掘りくずがほとんど埋めてしまっているところもありました。いまは、彼女の夫も同じ場所にねむっています。その墓のしるしとしては、簡素な標石が、それぞれの頭のところに立てられ、灰色のありふれた板石が、足のところにおかれています。