ハヤシKYヘイ "発光せえ身体" 2026年7月7日

発光せえ身体
発光せえ身体
少年アヤ,
松橋裕一郎
「わたしの本なんて、だれも読んではくれないのだ。読んでくれないからびんぼうなのだ。」 なんて、アヤちゃんは書くけれど、私はずっと読んでいる。とにかく火の玉が転がり続けるようなエネルギーが文章からほとばしる。目が離せない。 私は、男の子を好きになってしまう気持ちにどう折り合いをつけていいかわからなかった二十代の頃、アヤちゃんの文章に出会えた。同年代の人がこんなにも真正面から自分と向き合っているのかと驚き、自己との悪戦苦闘を、とてつもなく面白い文章にしている事実に衝撃を覚えた。以来、ずっとファンだ。 たぶん、どうにもならない自分の気持ちをアヤちゃんに仮託していたところがある。それでいて、アヤちゃんと自分との生き抜き方の違いが興味深いのだと思う。 会社員として10年ほど働いてきた。学校のルールに沿って勉強するのはわりと得意だったから、その延長で仕事もこなしていけばいいかと思っていたが、近頃限界を感じている。 メーカーで、無茶ぶりのように高められる目標達成のため、効率化だなんだと神経をとがらせる毎日。男ばかりの職場で、自分も健全に働ける均質な歯車なのだと、ゲイであることはクローゼットにして、まぎれこむ。そういう戦法をとってきた。 最近かりかりしすぎて後輩に優しくなれない自分がいて、自分が嫌だった不機嫌でコントロールしようとしてくるおじさんに自身が近づいている気がしてうげーっとなっていた。私にできる最善の方法で生き抜いているつもりだが、そのことが私を余計に生きづらくしているかもしれず、システムに取り込まれている感覚がある。 これに対してびんぼうを貫くアヤちゃんは、経済システムを超越した存在なのだ、とかトンデモ言説をうちたいわけではない。けれど、なんというか、態度が毅然としている。マイノリティに優しくない世間に対して、毅然とした態度でいるように、私からは見える。例えば何かトラブルがあったとして、私はどうしてもへらへらして、なんてことありませんよという顔をせねば、と反射で息を止めてしまうところがある。もっと毅然としていたい。アヤちゃんのように。 そうやってアヤちゃん文章もっと書いてくれ〜とかなんとか、読者のお気楽な期待だけをおしつけていたことで、知らず知らずのうちにアヤちゃんに重圧がのしかかっていたのではないかと心配した。どうか健康でいてほしいと、月並みなことを思ってしまう。同じ時代を生きてくれているという事実だけで、こんなにも心強いのだから。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved