

ハヤシKYヘイ
@heiheikyo1
きょうへい、と読みます。小説、ミュージカル、おいしいものが好きです。NYブロードウェイ観劇ひとり旅を決行、日記本にまとめたのが2024年ハイライト!/『姉参り・イン・ニューヨーク』
- 2026年9月6日
いい子のあくび高瀬隼子読み終わった - 2026年9月6日
ながい窖手塚治虫読み終わった - 2026年8月16日
ふつうの人が小説家として生活していくには津村記久子読み終わった一時期、小説の新人賞に応募する作品を書いていたこともあったので、作家さんの創作に関する話はそれだけでわくわくする。 今はもう小説を書くバイタリティーがないけれど、働いたりコンテンツを体感したりしながら人生を暮らしいくにあたって、津村さんの語りはひとつの道しるべになるな〜と思った。 関西弁のユーモアの感じとかもいい。 - 2026年8月16日
いつか終わる恋愛の、人生への影響についてひらりさ,鈴木綾読み終わった - 2026年8月2日
リリアン岸政彦読んでる関西人の言葉が優しいのか、岸先生の書く関西弁が優しいのか、わからないけど、とにかく心地いいリズムの会話がくせになる。 あえて場末と書かれる、大阪市の端っこのほうの飲み屋さんあたりを夜、ふらふらと歩く男。ジャズクラブでの演奏や、昼間の音楽教室の講師の仕事など、いくつかを掛け持ちして「食えてはいる」状態ではある。それでも果たしてこのままでいいのか、とか、才能の限界について考える。ジャズの生演奏をやれるお店も、飲みに行くなじみのスナックなんかも、近頃の大阪ではどんどん減っていく。 すぐに眠るでもない夜、あてどなく歩く大阪の街が、おおきな海に重ねて描写されるのが印象的だった。シュノーケルでひとり、海で泳ぐ時に感じる自由さと、孤独さ。街の中で感じる自由さと、孤独さ。シンプルな描写で、街の猥雑さを捉え、気づけばずっと薄く小気味いい音楽が流れているみたいに豊かだと感じる。描かれる街の夜の様子が、思いがけず心に残った。 - 2026年8月2日
ミス・サンシャイン吉田修一読み終わった - 2026年7月31日
「夫婦」不在社会三宅香帆読み終わった - 2026年7月31日
眠れぬおまえに遠くの夜を桐野夏生読み終わった - 2026年7月15日
読み終わった地の文がちょっとやりすぎなくらいの京都弁の語りで、それが心地よく、世界観がくっきり浮かび上がる感じがしてよかった。学生の頃に京都に住んでいたが、ちょっと上の世代、特に何かしらの商売をされている人はたしかにこういう「〜しはる」多め系のしゃべり方やったな〜、みたいな。 本の物語と関係ないけど、個人的に京都時代のバイト先の同僚Iさんのことを思い出した。実家が観光地のお土産物屋さんだとかで、しっかり者のリーダー的存在だった。オペレーションはもちろん、人と働くとは何かを教えてもらった気でいる。先輩だったけど同い年だったから、打ち解けたのちは、地方から来ていた私が調子に乗って「えろおすんまへん」みたいなエセ関西弁の軽口を叩くと「ごめんしとくれやっしゃ」と濃いめの京言葉を返してくれる、そういうやりとりが定番だった。 助け合い、やれる準備は率先して済ませておき、お客様には丁寧に、でも物怖じせず。そしてサービス精神というかユーモアが、前提にある感じ。京都の商売人すべての人格を決めつけるわけではないが、何か彼女が美徳としている「働く理想像」みたいなものを、こっそり学ばさせてもらったような記憶がある。 『ソリティアおじさん〜』を読んで、あの京都の人の言葉の感じを思い出し、無責任な学生バイトの身分だったから楽しめたところもあるだろうな、京都で会社員したり人生を定めるとなったらまた違う感じ方したかもな、とかぼんやり思った。まあ京都は最高なんですが。 バイト先はただのカフェチェーンで、その後私は飲食とまったく違う業界で会社員になって10年以上経つけど、どこか労働姿勢の基礎は、あのバイト時代から変わっていない気がする。 - 2026年7月10日
アンチ・グッドモーニング八木詠美読み終わったたまのミュージカル観劇が趣味の不眠症な会社員が主人公で、ワシやないかいっ!と思って夢中で読んだ。有給をとって訪れた平日の劇場で、開演少し前に、ついチャットツールを見てしまったがためにあれよあれよと資料送付のタスクが生じて、でも大容量のメール送付ができなくてサーバーにアップロードしようにも社内ルールがそういえば変更になっていたから同僚にチャットでお願いして、と思ったらその同僚から別の頼まれごとをされていたのに気づき既読になった瞬間また別の責任を負うことになって、とさすがにここまでプライベート中に切羽詰まった事態に陥ったことはないけれど、想像にかたくなくて、めちゃくちゃ肝が冷えた。 技術進歩とコンプライアンスの浸透によって、効率化され働きやすくなったとされる現代のスタイリッシュ労働が、いかに嘘ばっかりで、毒づくめなのかを告発する本書の文が痛快である。同時に、そんなトキシックな社会システムの中でさしあたって働き続ける必要のある私としては、深い絶望を一緒に突きつけられているようでもあり、ひぇ〜、もうやめて〜、という気分だった。面白かった。 - 2026年7月9日
- 2026年7月7日
発光せえ身体少年アヤ,松橋裕一郎読み終わった「わたしの本なんて、だれも読んではくれないのだ。読んでくれないからびんぼうなのだ。」 なんて、アヤちゃんは書くけれど、私はずっと読んでいる。とにかく火の玉が転がり続けるようなエネルギーが文章からほとばしる。目が離せない。 私は、男の子を好きになってしまう気持ちにどう折り合いをつけていいかわからなかった二十代の頃、アヤちゃんの文章に出会えた。同年代の人がこんなにも真正面から自分と向き合っているのかと驚き、自己との悪戦苦闘を、とてつもなく面白い文章にしている事実に衝撃を覚えた。以来、ずっとファンだ。 たぶん、どうにもならない自分の気持ちをアヤちゃんに仮託していたところがある。それでいて、アヤちゃんと自分との生き抜き方の違いが興味深いのだと思う。 会社員として10年ほど働いてきた。学校のルールに沿って勉強するのはわりと得意だったから、その延長で仕事もこなしていけばいいかと思っていたが、近頃限界を感じている。 メーカーで、無茶ぶりのように高められる目標達成のため、効率化だなんだと神経をとがらせる毎日。男ばかりの職場で、自分も健全に働ける均質な歯車なのだと、ゲイであることはクローゼットにして、まぎれこむ。そういう戦法をとってきた。 最近かりかりしすぎて後輩に優しくなれない自分がいて、自分が嫌だった不機嫌でコントロールしようとしてくるおじさんに自身が近づいている気がしてうげーっとなっていた。私にできる最善の方法で生き抜いているつもりだが、そのことが私を余計に生きづらくしているかもしれず、システムに取り込まれている感覚がある。 これに対してびんぼうを貫くアヤちゃんは、経済システムを超越した存在なのだ、とかトンデモ言説をうちたいわけではない。けれど、なんというか、態度が毅然としている。マイノリティに優しくない世間に対して、毅然とした態度でいるように、私からは見える。例えば何かトラブルがあったとして、私はどうしてもへらへらして、なんてことありませんよという顔をせねば、と反射で息を止めてしまうところがある。もっと毅然としていたい。アヤちゃんのように。 そうやってアヤちゃん文章もっと書いてくれ〜とかなんとか、読者のお気楽な期待だけをおしつけていたことで、知らず知らずのうちにアヤちゃんに重圧がのしかかっていたのではないかと心配した。どうか健康でいてほしいと、月並みなことを思ってしまう。同じ時代を生きてくれているという事実だけで、こんなにも心強いのだから。 - 2026年6月16日
ポルトガル退屈日記 リスボン篇オルタナ旧市街読み終わったコロナ前、前職の出張で3週間ほど、ポルトガルの田舎町に行ったことがある。同行してもらう旅慣れたサービスエンジニアの先輩に、「たぶん終盤の土日付近は余裕ができるはずだから、最後にポルトまで観光しに行こう」と言われ、人生で初めて大西洋が見られるんだ、こりゃ人生観が変わっちゃうかもな、と謎に浮き足立っていた。が、蓋を開けてみたら出張終盤の私は慣れない土地での緊張がピークに達してお腹を壊し、とてもじゃないが観光に行けるコンディションではなかった。そんなわけで結局大西洋は拝めず、人生観も変わらずじまいだった。ことで(私の中では)おなじみのポルトガル。 リスボン観光の描写がどれもよく、行きて〜となる。路面電車のある風景は大好物。からっとした日差し。石畳の街中にある店先では、日陰で人々がのんびり茶やビールをしばいている。なかなか暮れない夕方から、ゆっくり飲み食いしつつ夜へとシフトしていく。 為替も世界情勢も、どんどんヨーロッパに行きづらいほうへと向かっている気がするので、本書を読むことでバーチャル旅情が味わえてよかった。そしてそれだけいっそう、ポルトガルへの旅行欲が俄然高まる。 - 2026年6月16日
ポルトガル限界集落日記浅井晶子読み終わった前職の仕事で、ポルトガルの田舎町へと3週間ほど出張に行ったことがあった。コロナ前のことだ。客先の工場に導入した装置のマシントラブルで、向こうのイースター休暇のうちに修理をするミッションだった。なんとか装置を復旧させて緊張の糸が切れたのだろう。お腹がぶっ壊れて終盤はほぼ物が食べられなくなり、帰国したら5kg痩せていた。ことで(私の中では)おなじみのポルトガル。ユーロ圏の中で比較的に安い物価や、米や魚の多い料理がうまいこと、若い従業員のお母様が焼いて差し入れしてくれたフワフワと甘いカステラ。仕事成分をさっぴいたポルトガルという国の魅力はインパクト大で、いつかまた旅行したいと思ったまま、仕事を辞め、別の仕事に就き、年月が経った。為替や世界情勢的にガンガン行きづらくなっているのが切ない。書店で本書のタイトルを目にした時にビビッと来て即買いした。 私がかつて訪れた街は、車で少し移動すれば国内第三の都市があり、その街中にホテルをとっていた。だから本書に出てくる限界集落は私がイメージするポルトガル像をさらに上回るレベルでのどかで、おおらかだ。大量のぶどうやオリーブがとれ、高品質のワインとオリーブオイルが湯水のように飲める感じとか、豪快な肉料理を近所(といっても限界集落なので距離的に家はめっちゃ離れていたりする)の人と集まって分け合い、語らう感じ。異国情緒、異世界の体験記として面白い。 コロナ禍に突入した頃にドイツからポルトガルへと移住した著者が見た欧州でのコロナ対策の実情なんかも克明に記される。「あの時は大変だったよね」という点においてある種の共感をもって読めるところも、今となっては興味深い。仲良くなった村のおばあさんが具合を悪くした時に、お見舞いしようにもなかなかできなくて、といった場面は胸に迫る。あとこちらの予想に反したお年寄りの活力に逆に勇気づけられたりするところも、なんかわかるな〜と思った。 - 2026年6月2日
お隣さんの置き配がヤバすぎる有手窓,有手窓他読み終わった - 2026年5月16日
かつて核兵器の被害を受け、地震が多く、廃棄物を処理するスペースもない国なのに原発続けようとしてんの、やはり意味わかんなすぎる…… 施設がすでにあるからとかコストの問題とかなんとかいって原発推進するあまり再生エネルギーの研究が世界に遅れをとってどんどん取り返しがつかなくなっている、というのも悲しい。 かといって廃炉するにも技術者が足りない、もはや電力会社だけの問題でなく、やはり政治が変わらないことにはどうにも、という感じらしい。このあたりの事情など、さらにもっと色々知りたくなった。普段、見て見ぬふりをできてしまえている現実がある。安全神話にあぐらをかいているのは自分もそうだ。 出てくる原子力関連の要人がことごとく男性ばかりであることも象徴的に感じられて、印象に残った。 - 2026年5月16日
介護未満の父に起きたことジェーン・スー読み終わったとにかくジェーン・スーの課題解決力に圧倒され続ける。家族といえど密になれば関係がぎくしゃくするのは当然だし、各家庭における適切な距離で、というのを徹底している感じが印象に残った。 スーさんのような上の世代の方がこういう奮闘を本に残してくれているのは道しるべになるから、後輩世代としてはありがたい。 - 2026年5月11日
急に具合が悪くなる宮野真生子,磯野真穂読み終わったかつて読んだ偶然性を扱った九鬼周造を専門とする哲学者・宮野真生子さんと、臨床現場での調査を行う人類学者・磯野真穂さんによる往復書簡。 コロナ禍の直前、本が出てすぐの頃に初読してとても面白かった記憶があるけど、内容のあまりの濃さに咀嚼しきれないところもあった。じっくり再読するチャンスをうかがっていたらいつの間にか2026年。本書を下敷きにした映画の公開が近いということで、GWの課題図書として再読してみたのだった。 ガンを患う宮野さんが、病を抱えて生きる不確定性やリスクの問題を専門的に深めていく。そんな本企画のパートナーとなった磯野さんとは実は出会って1年も満たない状態でこのやりとりを始めていたのだということに、まず驚く。宮野さんと磯野さん、とにかくこの学者2人によるスマートでユーモアに富んだ文章がいい。理知的な文章の往復で互いの思考が深まり、両者の仲も深まるのがわかる。往復書簡という形態の面白さがまずあるわけだが、本書の後半において宮野さんがまさに「急に具合が悪く」なっていくことで、「出会いと別れの急降下」が繰り広げられる。 前提として、私は高校生の時に当時大学生だった姉をガンで亡くしており、病が人を死に至らしめる理不尽さや、それでも周囲の人間の人生は続いていく途方もなさについて、わからないし色々知りたい、という気持ちがうっすらずっとある。お涙頂戴のしめっぽい語りでもなく、ユーモアがあり、客観性に根差した本書の語り口が新鮮で、だから初読時に熱中したのだと思う。 自他共に認める「合理性の鬼」である宮野さんが、治療方針を決めたり身近な人とやりとりする中で「合理的に選ぶ」ことの限界に突き当たる。それはつまり「選択の責任を1人で背負い込む」ことの限界ということで……と思考を広げていく箇所がすごかった。「この薬を使うと何%の確率で〇〇」みたいな言説もそうだし、これは現代の資本主義に基づくリスク管理社会全般に言えることなのだ、とも書いてあり、今回の再読であらためてグッときた。 私は初読時からコロナ禍を経て前職を休職・離職し、現職へと再就職して5年ほどが経過した。それこそ再就職のタイミングでは、どういう仕事なら次は辞めずに続けられるだろうか? とあれやこれや、まだ発生していないはずの事象に対する不安にがんじがらめになっていた。友達に相談したり、自分のやれる範囲でとりあえず飛び込んでみようと考えたりして、まずは1年、と覚悟を決めたのだった。気づいたら続けられている今がある。振り返ることでようやく、あの時の選択によって今の自分が形作られているのかも、と腑に落ちる感覚を得る。6年分、歳をとっただけ初読の時よりも本の内容が染み込んでくれたような気がする。本作でいうところの、偶然性を背負う覚悟をし、選択をした結果、自己のアイデンティティーが明確になったということかもしれない。 そういえば序盤に語られる、宮野さんの選択が印象的だ。治療方針にまつわる様々な決断が難航し「決断疲れ」していた時に、ふと気まぐれに訪れた京都でいい病院との出会いがあり、その後のケアの方針が決まっていったそうだ。私も宮野さんと同じく学生時代を京都で過ごした身なので、なんかやっぱ、京都ってそういうところあるよな~! と勝手に一人盛り上がった。宮野さんいわく、選ぶということには能動的な側面もあれば、たどりついた先で肌に馴染むような落ち着くような、身体感覚に近い受動的な側面もある、とのこと。 そして終盤の、「急に具合が悪く」なってからの2人のやりとりは、何度読んでも圧倒される。序盤の柔軟なやりとりから、明確な体調の悪化によって「患者」と「それ以外の人」という役割固定が進み、必然的に会話は硬直していく。だからこそ、本来タブーであるはずの「死」に関して今どう感じるかという問いを、磯野さんが宮野さんへと投げかけることで生まれていく、終盤の迫力がすさまじい。 色々なマイノリティに対する配慮にしてもそうだけど、役割固定のもと箇条書きの注意項目を気をつけよう、みたいな話ではないのだ。偶然性を互いに背負い、動的な交流に身を投じていくことで、そこに生きた人間同士のやりとりが生まれる。磯野さんから投じられる信頼と問いかけによって、本来息も絶え絶えであるはずの宮野さんが生きるエネルギーをつないでいく、そういう循環が本書には、たしかに刻まれていた。 この先、自分の人生の局面に応じて、読み返したくなる本だ。映画も楽しみ。 - 2026年4月30日
アニータの夫坂本泰紀読み終わった2001年に発覚した青森県住宅供給公社巨額横領事件に関する本。 いわゆる「チリ人妻」に入れあげて14億円を横領してしまい逮捕、刑期を終えた現在の男性を取材した前半部と、 チリにプール付きの豪邸を建てたアニータが現在地元でお騒がせタレント的な地位を築き、色んなビジネスに手を付けつつ9人の子供を育てている、などの情報も詰まった後半部から構成される。 とにかく、なんで14億円も!? と不思議で仕方ない。が、そこは本を読んでもけっこう不思議なまま。 男性はアニータにメロメロだった、というわけでもなく、アニータの前に別のスナックで知り合った女性への貢物などで借金をして最初の横領をし始めていたし、アニータの度重なる送金の催促に不快感を募らせていた。 公社のずさんな管理体制をいいことに、 「アニータがせがむもんだから金を送るしかなかったんですよ」 みたいな感じだったらしい。 貢がれた大金で豪邸を建てたり華やかな方へと邁進し続けるアニータの動きは、いわば細木数子的な文脈で解釈可能だし(ちょうど同時期にネトフリドラマの『地獄に堕ちるわよ』を見ていた)、あけすけな物言いでスカッとする! と支持する声も多いらしい。 ただ横領していた男性の当事者性の薄さというか、主体性が希薄な感じが、どうにもピンと来ず、不思議な感じだった。(やはり同時期に鑑賞した映画『マーティ・シュプリーム』的なクズ男の)その場しのぎの必死さ・きらめきみたいなものは皆無で、個人的にはさっぱり惹かれない人物だが、それだけいっそう、なぜ14億円も? の問いに立ち返る。 ジェンダーの非対称性がなければ起きない構図である。 その二人の人間がたどる顛末もまた、ジェンダーの非対称性によるものなのか、あるいは個人の資質によるところが大きいのか。 果てしない欲望の引力と、満たされない器の空虚さが偶然共鳴し増幅した結果なのか。 膨大な取材を結集した本書を読んでもよくわからないし、理解を超えた人間の底知れなさが面白かった。 - 2026年4月27日
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