活字畑でつかまえて "心臓を貫かれて" 2026年7月18日

心臓を貫かれて
心臓を貫かれて
マイケル・ギルモア
ついにこの本を読む時がきた。 世界で最も恐ろしい本だ。 どうかフィクションであってくれと思う反面、紛れもない事実である事にどうしようもないほど好奇心を掻き立てられる。 「でも僕はまた知っている。僕が外の世界でうまくやっていけるかもしれないというー言い換えれば一家の伝承からなんとかうまく抜け出せるかもしれないというー思いを植えつけるべく全力を尽くしてくれたのが、母であったことを。またその夢をかなえることができるように手を貸してくれたのも、誰あろう母であった。実際のところ、僕が首尾よくそれを実現できるように、晩年の健康と安全を母がいくらか犠牲にしたことに間違いはあるまい。そしてその返礼に、僕は彼女を見捨てる術を身につけた。ほかの家族全員を見捨てる術を身につけたのと同じように。母は僕が悪しき遺産から逃れて生き延びることを望んだ。僕が彼女の産み出した最良のものであることを望んだ。でもそのために僕は母のもとを去らざるをえないだろうと思っていたし、当然ながらそのことは彼女を傷つけた。旧い世界の要求に従いながら新しい世界に足を踏み入れることは不可能だったし、僕は常に自分は新しい世界をめざす人間であると考えていたのだ。」 「『モルモン書』におけるもっとも激しい瀆神の場面は、コリホルという名のカリスマティックな無神論者にしてキリスト否定者が神の審判官と王の前に立ってこう言い放つところである。「これらの人々はその父祖の行った破戒の故に罪があり、堕落していると汝らは言う。しかし聞け、私はここに告げる。父の罪が故に、子に罪はないのだ」 「プロヴォの多くの小規模農家がそうであるように、ウイルの農場は夫婦子供たちが食べていけるのに十分な程度の果物と野菜を収穫した。でもそれが精一杯だった。牛乳をとるために彼らは乳牛を一頭飼っていた。名前はベッシーといった。僕の母はその牛を激しく憎んでいた。牛と同じ名前を持つなんて、とても我慢できないことだった。もっと具合の悪いことには、彼女の生まれる前から牛にはその名前がついていたのだ。おかげで母はみんなにいやというほどからかわれることになった。それから長いあいだー死にいたるまでー母は自分が飼っていた乳牛と名前を共有しているという指摘に対して、むきになって反論し続けていた。「私のほんとうの名前はベティーなの、ベッシーじゃなくて」と彼女は言ったものだった。「エリザベスの省略なのよ。英国の女王さまから名前をとったわけ」。いったいどっちのエリザベス女王からとったのか尋ねてみるという考えは僕の頭には浮かばなかった。でもそれはたぶん新しいほうのエリザベス女王に違いない。女王が生まれたのは一九二六年で、それはベッシー・ブラウンが生まれた十三年も後のことだったのだけれど。」 「父さん」と彼女はある日の午後言った。父親は鉄床に向かって仕事をして、彼女はそれを見ていた。「私はあのお山を自分のものにできるかしら?私だけの持ち物だって言えるかしら?」  父親はハンマーを振るう手をちょっと休めて、顔をあげて山をちらりと眺めた。それから肩をすくめた。「そりゃ、いいとも」。そしてまたハンマーを振 るい始めた。 「オーケー、お山さん。あなたはあたしのものよ」とべッシーは言った。 「お墓から歩いて離れるときに、僕はうっかり墓石を踏みつけてしまった。それから僕は今度はわざと、次から次へ墓石を踏みつけていった。どうしてそんなことをしたのかよくわからないが、たぶん死に近づくことによって自分が感じた恐怖を、少しでも追い払いたいと思っていたのだろう。子供のよくやるたわいのない行為。でもそれは伯母たちや従兄弟たちに眉をひそめさせ、息をのませた。僕はすぐに厳しい顔をしたモルモンの古老の一人に身体を掴まれ、揺すられ、顔の前に指を突き立てられた。 「おい坊主、死んだ人を踏みつけにしてはならん」と老人は指を突きだすようにして僕に言った。「断じてならん。いいか、おまえは死者の残したものの上に生きているんだ」 「ある夜、一日の雪が降り終えたあとで、プロヴォの農家の裏庭に一頭の白い馬が迷い込んできた。グランドヴューは小さな共同体だったし、そこに住む人々はみんなどの家にどんな子供がいるか知っているように、誰がどんな馬を持っているかちゃんと知っていた。そしてブラウン家の人々はそんな美しい、まるで幽霊のような雌馬を持っている人間を一人も知らなかった。ベッシーと姉妹たちは外に出て、その動物をじっと見ていた。アルタはふらふらと近くに寄って、たてがみを撫でた。メリッサは娘たちが見慣れない馬と一緒にいるのを目にして、家の中に入りなさいとみんなに命令した。そして声をあげて馬を追い払おうとした。でも馬はただ彼女を見ているだけだった。 馬はそこに何時間も立って、冬の月明かりの下で身体を光らせながら、家をじっと見ていた。ウィル・ブラウンは学校の仕事から戻ってくると、馬を追い払った。その夜遅く、ベッシーは両親の話す声を聞いた。「あなたは白馬が訪ねてくるのがどういう意味だか知っているでしょう」と祖母が夫に言った。「それはこの家の誰かがやがて死ぬということなのよ」 「数週間後に最後の亡霊が現われた。「夜に姉妹たちは寝室にいたの」と従姉妹のブレンダは僕に言った。「そのときに暗い部屋の中に白い光が浮かんだ。その光は彼女たちのベッドにどんどん近づいてきた。それはアルタだったの。彼女は少女たちと一緒にベッドに腰掛けて、自分は大丈夫だと言った。痛みも感じないし、すごく幸せなのよ。そのことをみんなに知ってもらいたかっただけなの。あなたたちみんなのことを愛しているわ。それから光は弱くなって、彼女は消えてしまった。でもアルタが坐っていたベッドの場所にはっきりとくぼみが残っていた」 「死刑に対するモルモン教徒たちの姿勢を目にしたことで彼女はまわりの人々を憎むようになった。 少なくとも彼女はこのような集まりをよしとする彼らの僧仰の中に、憎むべきものを見たのだった。いずれにせよ、母は処刑という行為を憎んだ。僕が子供のころ、オレゴン州ポートランドに住んでいたとき、近く行なわれることになっている死刑があると、母は怯え、落ち着きを失い、そのニュースにずっと目を配っていた。母はよく知事に手紙を書いて、死刑の道義性に疑問を呈し、死刑囚の減刑を嘆願した。そして僕を食卓に一緒に坐らせ、知事宛の手紙を書かせたものだった。死刑というのは唯一の予定された殺人であるから1つまりスケジュールに従って行なわれる殺人であるからー逆にいえば阻止することができる唯一の殺人なのだ、というのが母の言い分だった。彼女はそういう論理の道義性を心から言じていたと思う。しかしそれに劣らず、誰かが処刑されるところを人々が見物するという考え方の背後にある恐ろしいものに、母は耐えられなかったのだと思う。自分の家族を処刑に連れていって見物させるような人間は、ある意味で殺人者よりも悪質だと彼女は倍じていた。その人たちは子供たちに殺人の片棒を担がせているのだから。」 「母は最後まで、たとえ世界が彼女をすくみあがらせた日々においても、勇気を失わなかった女性だった。もし勇気がなかったなら、彼女はその最後の日々をとても耐え忍ぶことはできなかっただろうと思う。でも母は希望とは縁の薄い人だった。僕は母の顔に晴れわたった希望が浮かんでいるのを目にした記憶がない。僕にショックを与えたのは、その写真が撮られた日には、彼女の顔には希望が浮かんでいたという事実だった。希望に光り輝いていたというほどではないにせよ(どちらかといえば希望よりはプライドのほうが勝っている)、でも希望を失うことが五十年足らずのあいだに人の顔をどのように変えてしまうものか、見てとることはできた。それらの写真を見て僕は思った。母さんはまったく違った顔で死ぬことだってできたんだなと。それは母に対する僕の悲しみの念を新たにかきたてたばかりではなく、僕自身の顔だって最後にはどんなふうになるかわからないんだという不安をも呼び起こした。」 「とれが正しい答えであるにせよ、ギルモア夫婦の結婚生活は長続きしなかった。数年の後には終わりを告げ、フェイは去り、ハリーは忘れ去られた。ネブラスカを出たあと、フェイがフランク・ギルモアを自分の身近に置いて愛を注いだとは僕には思えない。彼女は息子を小さいころから寄宿舎学校に入れっぱなしにして、たまに同じ屋根の下で暮らすことしかしなかった。愛したあげく土に埋めるよりは、遠くに離れていたほうがいい。フランク・ギルモアはそのようにしてすべての人々に拒絶されることになった。彼は父親をなくして育ち、母親をなくして育った。三十年後にロバートを連れてフェイの家の戸口に姿を見せたとき、彼はこう言いたかったのかもしれない。「さあ、僕をもう一度ここに連れてきたんだよ」と。そしてフランクは自分の息子を押しやった。かつて自分をよそに押しやった母の手の中に。」 「でも父は今では四六時中しらふだった。また以前よりもっと意地悪くなり、暴力的になった。ベッシーは長い間、父の格好の怒りの標的になっていた。それからの数年にわたって、二人のやりあいは目を覆うばかりにすさまじいものになっていった。兄はこう回想する。「その時期には拳骨で殴り合う荒っぽい乱闘が、少なくとも二週間に一回はあったな。母さんはしょっちゅう目のまわりを真黒にして、顔をはれあがらせていた。ボクシングの試合にでも出たみたいに見えることもあった。顔のかたちが変わって、そこかしこが切れて、唇は腫れあがっていた。父さんが容赦なく叩きのめしたんだ。」 「地元のカソリック系小学校を出たあと、兄たちはポートランドにあるジョゼフ・レイン・グレード・スクールに移され、中等部に通うことになった。兄たちと同じクラスにいた連中の多くはやがて人を殺すか、誰かに殺されることになった。そういう類の学校であり、そういう類の土地柄だった。」 「愛とは人をも殺しかねない行為なのだと僕は学んだ。あるいは少なくともときとして、選択とは殺人と同義なのだと。自分が両親のどちらを捨てるかを決め、どちらをより好きか、より愛しているかを明確にすることで、あとの一人を傷つけざるをえないことを僕は承知していた。また実際に僕は、黒白をつけることによって、どちらかの心を殺したものだった。大抵の場合、殺さなくてはならなかったのは母の心だった(僕が母のことを恐れたのも無理はないだろう)。」 「誰かに死刑を宣告することはできる、でも生きることを宣告はできないのだー」 「僕が学ばなくてはならないこと、すべての人々が学んでこなくてはならなかったことがあるーそれは人生は続くということだ。僕らは苦痛を呑み込み、記憶に向かいあい、赦せるものは放していかなくてはならない。ともあれ、そういった真実だけは学べたのだ。しかし問題は人生はなおも続くということだった。死を別にすれば、人生には本当の結末なんてものはない。死は、これで物語が終わったのだということを僕らに教えてくれる。終止符を打った人生に、そこで評価を与えることができる。そのプロットとドラマを要約し、筋書きを語ることができる。これでおしまいと幕を引いてしまう資格があるのは、この物語の中では、ゲイリーと、死者の仲間入りをしたそれ以外の人々ー僕の家族のメンバーや、ゲイリーが殺した人々ーだけだ。彼らだけ が役割を終え、代価を支払ったり、あるいは遺産から逃れたりするのをやめることができた。でも残りの僕らは、最終ページのまだその先まで、人生を生きていかなくてはならない。その人生の中では、死者たちの残した波が収まることは、絶えてないのだ。」
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