

活字畑でつかまえて
@catcher-in-the-eye
読んだ本を片っ端から忘れてしまうので、せめて感じたことをつかまえたい。
- 2026年5月24日
キャリースティーヴン・キング読み終わった傑作。 キャリーの怒り、復讐心に火がつき 爆発が爆発を呼び連鎖し続けすべてを焼き尽くしていく様は、シャイニングにも通じる。 きわめて映像的でもある。 そしてラスト 新たなキャリーが育ちつつあるという結末。 しかしもう誰にも止められない。 優生思想は法律違反であり人権侵害である。 さぁ、どうする人類?と キングは我々に突きつける。 キャリーの学校の校長と いじめっ子のリーダー格、クリス•ハーゲンセンの父親(弁護士)のやり取りが素晴らしい。 とりあえず校長は父親を返り討ちにするが 父親が大人しく引き下がるわけないよなと思う。 この先、なにがしかの復讐が待ち受けているだろうという予感しかない。 キャリーか七学年の時に宿題で書いた短詩 ⭐︎ イエスは壁から見守っている けれどその顔は石のように冷たい もしも彼女がいうように イエスがわたしを愛しているのなら なぜわたしはこんなに孤独なのだろう? ⭐︎ スーザン•スネル「だけど、だれかが本気で ••••••なにか意味のある行動で、彼女に同情しなきゃいけないわ」 スーはキャリーへの贖罪から キャリーを春の舞踏会に誘うよう ボーイフレンドに懇願する。 地獄への道は善意で舗装されているの典型のような 贖罪意識。悪い予感しかない。 「かつがれるのはいやよ」 スーのボーイフレンドに舞踏会に誘われた時のキャリーの気持ちを想うとせつない。 「わたしをいつまでも騙しつづけられると思っているの?」 「いいわ」と、彼女は囁いた。「ありがとう」 このありがとうがまたなんともせつない。 しかしキャリーは釘を刺している。 「きっと恐ろしいことになるわ」と。 「気おくれを感じたけれども断念はしなかった。なせなら、その気になれば店内の人間が悲鳴をあげて外へ逃げだすように仕向けることもできたからである。」キャリー強い(笑) 「ねえ、わかってよママ、わたしだってそろそろ••••••みんなに溶けこむように努力しなきゃ。わたしはママと違うわ。わたしは変り者なの••••••つまり、みんなに変り者だと思われているのよ。だけどそんなのいやだわ。手遅れにならないうちに、なんとかまともな人間になりたいー」 ミセス•ホワイトはキャリーの顔に紅茶を浴びせかけた。 なんという痛切なキャリーの母への吐露。しかし母親はそんなキャリーの痛ましい思いを跳ね返す。 あぁ、母親がいちばんの敵になる不幸。 キャリーを目の敵にするクリスのボーイフレンド一味による豚殺しの凄惨な場面は胸糞が悪い。 豚にポテチを食わせている間にハンマーで脳天をカチ割る。なんともいえない殺戮シーンだ。 第二部の冒頭 「五月二十七日の朝、彼女は自分の部屋ではじめてドレスを着てみた。」 なんて美しいはじまりだろう。 しかし、美しいぶんきっときっと恐ろしい何かが待ち受けている予感しかない。絶望感がある。 「この家にいるかぎり、女の子たちに笑われ、罵られ、物を投げつけられるおそれはなかった。」 キャリーはそれでも前に進もうとした。 自分から変わりたいと思った。 その態度は僕の心を真っ直ぐに打つ。 (お願いだからハッピー•エンドにしてください) だけど僕は知っている。 キャリーのたった一つの願いすら叶えられないということを。 舞踏会で教師ミス•デジャルダンがキャリーに 「いままでのことは••••••もうみんな忘れたわ。」と言うが、キャリーは「わたしは忘れません。」と返す。なぜなら「なによりも自分に対して正直でありたかった」からというのが胸を打つ。 キャリー「卑劣ないたずら わたしの一生そのものが長い卑劣ないたずらだった」 なんて痛切極まりない独白だろう。
- 2026年5月20日
ロングウォークスティーヴン・キング(リチャード・バックマン名義),沼尻素子読み終わったあー、読み始めて数ページですでに面白い。 なんなんだキングという作家は。 まさにストーリーテラーのキング・オブ・キングだ。ひれ伏すしかない。 死のロングウォーク。 単純に理不尽に徴兵されることのメタファーなのかな。 ウォーカーたちはチューブに入った流動食で栄養補給をしているのは、過酷な戦地ではまともな食にすらありつけないことなのかなと。 そして所詮は、死のロングウォークや戦争すら 見物人にとっては娯楽の一つ。 死の消費。 それを裏付けるように「フランスの貴族や貴婦人は、ギロチン見物のあとでセックスしたそうだし、古代ローマ人は剣闘試合の最中に腹一杯食ったそうだ。ロングウォーク見物もお楽しみなんだよ。」というセリフがある。 小さいころロングウォーク見物に行ったギャラティにマクヴリーズが言うセリフ「知らなきゃ許されるんだな?」は強烈だ。 小さいころとは言えお前だってロングウォークを消費し死を消費していたんだと冷や水を浴びせる。 「死は大いに食欲ゃ性欲をそそる」というセリフも凄い。「おれたちが人間だって、どうしていいきれる?」 あぁ、キング先生! 「おれたちは死にたいのさ。だからこうして歩いてる。ほかにどんな理由がある?」 あぁ、キング先生‼︎ 「何か特別な理由があってロングウォークに参加したのか?」 「実はわからないんだ」ギャラティは本当のことをいった。 「おれもそうなんだよ」ベイカーはしばらく考えていた。 なぜ参加したのか本人にもわからないというのがすごくリアルだ。生きている理由がわからないというのにも通じるというか。なんとなく成り行きでそうなってしまったという感じ。 この物語はもしかしたら、ウォーカーたちを見つめる傍観者たちにスポットを当てた作品なのかもしれない。傍観者がいちばん残酷だということ。 「最悪の破壊的な痛みに見舞われながら、これから先自分は存在しないのに、宇宙は今までどおり何事もなく何物にも妨げられずに運行を続ける、と悟るのだ。」名文である。 「もしおれが優勝したとして、何をもらいたいか、全然思いつかないんだ」とマクヴリーズ。 「本当にほしいものなんてなにもない。つまりな、老いぼれて病気で寝たきりのおふくろとか(以下、略)」 「重要な点をついてるな」 「重要な点が抜けてるってことだろ。ロングウォークなんて百パーセント無意味だ。」 これまたリアルなやり取りだ。すごい。 「雲の上のどこかで雷が手をたたいた。前方で青いフォーク形の稲妻が地面に突きささった。」 素晴らしい表現だ。 「本なんて時には読み捨てにするものよ、研究するものじゃないわ、と彼女は教えた。 たしかにもっと気楽に読書と向き合いたいな。 「暗闇。くそったれの暗闇。ギャラティは闇に生き埋めにされたように思った。監禁されてしまった。夜明けは一世紀も先だ。〈中略〉闇の中に六フィートの深さで埋められている。」 これもまた素晴らしい表現だ。闇に生き埋め。 「レイ•ギャラティというこの有機体が死ぬはずはないという、揺るぎない妄信がいぜんとしてある。他の奴は死ぬかもしれない。彼らはギャラティの生涯の映画のエキストラだ。しかしロングランのヒット映画〈レイ•ギャラティ物語〉のスター、レイ•ギャラティは死なない」 かっこよすますキング先生! 終盤になると死のロングウォークが反転して 生のロングウォークになる見事な手腕。 キング先生はとにかく歩き続けろ、それがお前を顔のない群衆ではな輝くメインの星にするんだと焚き付ける。「おれの仕事は、片足をもう片方の足の前に出し続けることだって」と。 「パーカーの殺した兵士の代わりが、知らないまに補充されていた。」 交換可能な兵士たち。 傑作だけど もったいない! ラストの描写が分かりにくい。 よく分からなくて何度か読み返した。 フィクションなんだから 金髪の兵士や少佐に 一矢報いてほしかったな。
- 2026年5月14日
パブロを殺せ: 史上最悪の麻薬王VSコロンビア、アメリカ特殊部隊マーク・ボウデン,Mark Bowden,伏見威蕃「ブレイキング・バッド」があまりにも面白すぎて 劇中に出てきたこの作品が気になって読み出した。 コロンビアの麻薬王、パブロ・エスコバルについての本。 タイトルがすごい 「パブロを殺せ」 図書館で書庫から出してもらうとき かなりヤバイ奴だと思われただろうな。 でも最恐のワルの人柄、手口、成り上がり方等々を 知っておくべきというか なぜか惹かれてしまうカリスマ性を知っておきたかった。 それにしてもパブロが殺しまくる殺しまくる。 おそらくその数、4桁はくだらない。 229ページから5ページに渡って ラジオの独占インタビューが再録されているが 口が上手いというか絶妙にすべてをはぐらかす術に長けまくっている。かなり地頭が良い。当たり前だがかなりのキレ者だ。 結局、言葉の能力に長け 言葉の力でもって人を配下におさめられる。 あらゆる独裁者に備わっている能力をパブロも持ち合わせていたということだ。 結局、なんだか読んでいるのがバカらしくなって 最後まで読むのをやめてしまった。 俺はもしかしたら 現実よりもフィクションの方が好きなのかもしれない。 - 2026年5月7日
ドグラ・マグラ(上)夢野久作読み終わった「ドグラ•マグラ」 とんでもない読書体験。 これだから読書はやめられない。 こんな気持ちを味わうために読書をしているのだ。 圧巻の大作。 維新前後までは切支丹伴天連(キリシタンバテレン)の使う幻魔術の長崎地方の方言。一種の廃語同様の言葉で、単に手品とかトリックの意味がある。 「堂廻目眩(どうめぐりめぐらみ)」 「戸惑面喰(とまどいめんくらい)」という字を当て 「ドグラ•マグラ」と読ませてもいい、そのような意味の全部を引っくるめたような言葉。 「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記が載っているドグラ•マグラ 正木先生の遺稿 「地球表面上は狂人の一大解放治療場」 「この地球表面上に棲息している人間の一人として精神異状者でないものはない」 「キチガイ地獄外道祭文」の 精神病棟は満員ばかりというのは 現代では特養や介護施設に当たるか。 あらゆる施設は人手不足で受け入れ人数が限られ 商売は立ち行かず破綻する。 あるいは金欠や人間不審で要介護者を外に出せずに 介護者が疲弊し続けるシステムや病巣。 そんな地獄めぐり。 正木博士 「すなわちこの地球表面上は、昔々の大昔の、歴史にも伝説にも残っていない以前から、狂人の一大解放治療場になっているので、太陽はその院長、空気はその看護婦、土はその賄係りに見立てられ得るのだ。」 「実際のところをいうとこの地球表面上に生きとし生ける人間は、一人残らず精神的の片輪者ばかりと断言して差支えないのである。曲ったり、くねったり、大き過ぎたり、小さ過ぎたり、又は智慧や情慾が多過ぎたり、足りなかったりする、所謂、精神的の片輪者ばかりで、押すな押すなの満員状態を呈していると考えても、断然間違いはないのである。早い話がなくて七癖、あって四十八癖というではないか。」 「頭の働らきの不叶いなところを持っていない者は無い。すなわち精神日者と五十歩百歩の人間でない者は居ないのだ。」 「太陽は、これ等無限の精神病患者の大群を、地上一面に生み付けて、永久に無言の解放治療を続けている。そうするとその禽獣、虫ケラ以下の半狂人である人類たちは、永い年月のうちに自然と自分たちがキチガイの大群である事を自覚し初めて、宗教とか、道徳とか、法律とか、又は赤い主義とか青い主義とかいう御丁寧なものを作って「お互いに無茶を止しましょう••••••変な真似をやめましょう」をやっている。だから吾輩もその小さな模型を作って、僭越ながら太陽氏になり代って「無薬の解放治療」を試みている。「人類全部がキチガイ」という観察点に立脚した、ホントウの科学的な精神病の研究治療を試みているのだ。」 「まず人間の脳髄の作用から研究し直して「脳髄は物を考える処」という従来の迷信的な学説をドン底から訂正する。」 「但し念のためにお断りしておくが、その実験をやっている吾輩ばかりが、精神に異状の無い、太平無事のデクノ坊だと誤診されては迷惑だよ。」 「だから地上のほかの狂人は治療るとも、吾輩の精神異状だけは永遠に全快しないだろうと思う。これだけは慥かに保証出来る。云々。」 アンポンタン•ポカン博士曰く、脳髄の罪悪史五項 「人間を神様以上のものと自惚れさせた」 「人間を大自然に反抗させた」 「人間を禽獣の世界に逐い返した」 「人類を物質と本能ばかりの虚無世界に狂い廻らせた」 「人類を自滅の斜面(スロープ)へ逐い落した」 「かくして物の見事に人間世界から神様を抹消(ノックアウト)した「物を考える脳髄」は、引き続いて人間を大自然界に反逆させた。そうして人間のための唯物文化を創造さか初めた。脳髄はまず人間のためにアラユル武器を考え出して殺し合いを容易にしてやった。あらゆる医術を開拓して自然の健康法に反逆させ、病人を殖し、産児制限を自由自在にしてやった。あらゆる器械を走らせて世界を狭くしてやった。あらゆる光を工夫し出して、太陽と、月と、星を駆逐してやった。そうして自然の児である人間を片っ端から、鉄と石の理詰めの家に潜り込ませた。瓦斯と電気の中に呼吸させて動脈を硬化させた。鉛と土で化粧させて器械人形(ロボット)と遊戯させた。そうしてアルコールと、ニコチンと、阿片と、消化剤と、強心剤と、催眠薬と、媚薬と、貞操消毒剤と、毒薬の使い方を教えて、そんなもののゴチャゴチャが生み出す不自然の倒錯美をホントウの人類文化と思い込ませた。••••••不自然なしには一日も生存できないように、人類を習慣づけてしまった。」 「人間世界から「神様」をタタキ出し、次いで「自然」を駆逐し去った「物を考える脳髄」は、同時に人類の増殖と、進化向上と、慰安幸福とを約束する一切の自然な心理のあらわれを、人間世界から奪い去った。すなわち父母の愛、同胞の愛、恋愛、貞操、信義、羞恥、義理、人情、誠意、良心なぞの一切合切を「唯物科学的に見て不合理である。だから不自然である。」という錯覚の下に否定させて、物質と野獣的本能ばかりの個人主義の世界を現出させた。そうして人類文化を日に日に無中心化させ、自瀆化させ、神経衰弱化させ、精神異状化させて、遂に全人類を精神的に自滅、自殺化させた虚無世界の十字街頭に、赤い灯、青い灯を慕うノンセンスの幽霊ばかりを彷迷わせるようになってしまった。「物を考える脳髄」は、かくして知らず識らずの裡に、人類をめつさせようとしているのだ。」 「胎児の夢」以降は読み進めるのがキツイ部分もあったが、しかしそれは自分が文語体を読み慣れていないという事もある。 そして後半の 呉青秀のエピソードからとんでもない面白さになる。青天井を突き抜けるほどの面白さだ。 「すなわち、まずその時の呉青秀の心理的要素を包んでいる『忠君愛国の観念』という、表面的な意識を一枚引っ剝いで見ると、その下から第一番に現われて来るのは燃え立つような名誉慾だ。その次には焦げ付くような芸術慾••••••その又ドン底には沸騰点を突破した愛慾、兼、性慾と、この四つの欲望の徹底したものが一つに固まり合って、超人間的な高熱を発していた。つまるところ、呉青秀のスバラシイ忠君愛国精神の正体は、やはりスバラシク下等深刻な、変態性慾の固まりに過ぎなかった事が、ザラリと判明して来るのだ」 すげぇー。 呉一郎の好きな小説家 ポー スチブンソン ホーソン 図書館の書庫から出してもらったドグラ•マグラがボロボロで怨念がこもってみたいでよかった。
- 2026年4月23日
東京奇譚集村上春樹読み終わった『偶然の恋人』 主人公と姉が 10年ぶりの再会にしては 距離がいくらなんでも近くなりすぎではないか。 乳房切除手術を控えているにせよ耳にキスとは。 あと姉の旦那(傲慢な俗物であり同性愛差別主義者)は実際に付き合ってみると思っていたほど嫌なやつじゃなかったというのは都合が良すぎる。 これがもし長編ならその旦那との対決みたいな構図になるのかも。 作中で〈彼〉が読んでいた本 チャールズ•ディッケンズ「荒涼館」 『ハナレイ•ベイ』 サチさんがあまりにも自立した女性で 見知らぬ土地で自ら運転したった一人で 亡き息子に関する煩雑な手続きをこなしていくんだから尋常じゃない。 「大義がどうであれ、戦争における死は、それぞれの側にある怒りや憎しみによってもたらされたものです。でも自然はそうではない。自然には側のようなものはありません。〈中略〉息子さんは大義や怒りや憎しみなんかとは無縁に、自然の循環の中に戻っていったのだと」 「女の子とうまくやる方法は三つしかない。ひとつ、相手の話を黙って聞いてやること。ふたつ、着ている服をほめること、三つ、できるだけおいしいものを食べさせること。簡単でしょ。それだけやって駄目なら、とりあえずあきらめた方がいい」 はい、サチさん! いや、村上春樹大先生! 『どこであれそれが見つかりそうな場所で』 これはいい短編だな。 この作品は読み進めるほどに どんな結末に持っていくのだろうと 好奇心が掻き立てられる。 「我慢強さと注意深さ」が必要とされる作業。 まさに村上春樹的だ。 「クルミザワさん」という名前 相変わらずのネーミングセンスだ。 『日々移動する腎臓のかたちをした石』 主人公が小説家という設定。 5年間で4回、芥川賞の候補になっている。 「観察して、観察して、観察して、判断をできるだけあとまわしにするのが、正しい小説家のあり方なんだ」 「私の印象ではあなたはいつか、もっと長い大柄な小説を書くことになると思う。そしてそれによって、もっと重みのある作家になっていくような気が する。時間は多少かかるかもしれないけれど」 芥川賞候補、長い大柄な小説への移行 自己言及的だ。 「淳平くんって、すごく好きな女の人がほかにいるんでしょ?どうしても忘れられない人っていうか」 村上春樹はずっと『ノルウェイの森』的世界から抜け出せないでいる。直子の亡霊に付き纏われているというより、生きている側が亡霊に付き纏っている。 『品川猿』 猿も人間も等しく病んでいるということ。 名前に付帯する呪いについて。 それにしても村上春樹という人は 人の心に巣食う闇や病や呪いを 深い所で感じられる作家だ。 まるでカウンセラー坂木哲子は村上春樹そのもののようだ。 初期の作品では 名前を持たない登場人物を書いていた作家が 名前に付帯する呪いについて書いた素晴らしい作品だ。 - 2026年4月20日
レキシントンの幽霊村上春樹読み終わった『レキシントンの幽霊』 いい短編だな。 すらっと読めるのに深い読後感。 さすが短編の名手である。 この作品はちょっと言葉にできないな。 ただ感じた方がいいし感じたままがいい。 眠りは言葉を超えているし言葉なんて寄せ付けないから。 ただ眠ることで死者と一体になる。 「つまりある種のものごとは、別のかたちをとるんだ。それは別のかたちをとらずにはいられないんだ。」 『緑色の獣』 これもいい短編だな。 土の中の深い深い所からプロポーズしにやってきた緑色の獣。 緑色の獣が鼻の先を細くして鍵穴に突っ込み、ドアの鍵を開ける所はふつうにこわい。 獣はプロポーズをしにきたのだが 勝手に鍵を開けてしまっては人間の世界では犯罪行為でありストーカーである。 主人公は獣がとても傷つきやすい出来たてのマシュマロのような心を持っていると分かった途端、残虐性が爆発し歯止めがきかなくなる。 本当の獣はどちらなのか 考えさせられる。 『沈黙』 傑作中の傑作。 大沢さん。いいな。 「忘れたいものは忘れられないんです」 自分にとっての青木を思わずにいはいられない作品だ。 そして フィッツジェラルドの『グレート•ギャツビー』で ギャツビーの死後、ニック•キャラウェイが 道でバッタリ会ったブキャナン夫妻に感じる嫌悪と あまりにも子供じみた「不注意な人間」がもたらす害悪を描いた場面を想起させる。 大沢さんがいうように そんな子供じみた不注意な人間たちに 「負けるわけにはいかない」 「人生そのものに負けるわけにはいかない」し 「自分が軽蔑し侮辱するものに簡単に押し潰されるわけにはいかない」んだということに尽きる。 凄まじい作品だ。 『氷男』 詩的でいい作品だ。 まるで氷男のようにつかめない作品だ。 決定的な一言というものがある。 その場が凍りついてしまう一言が。 その相手を凍りつかせてしまう一言が。 発した言葉は取り返しがつかない。 氷山のように聳え立つ。 我々は自らがめぐらせた氷の世界で生きていくしかないのか。 『トニー滝谷』 どうしたらこんなに流麗な文章が書けるんだろうな。 淀みない文章の極致。 『七番目の男』 ちょっと宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』っぽいかなと思ったけど、やっぱりちがうかも。 凄まじい表現力をもった短編だ。 「波は音もなく、何の気配もなく、そのなめらかな舌先を私たちのすぐ足もとにまでこっそりと延ばしていました。」 「波は向きを転じ、荒くれた叫びを残しながら、全速力で沖に向かって引いていくところでした。まるで地の果てで誰かが巨大な絨毯を思いきり引っ張ったみたいに見えました。」 こんな表現が可能なんだな。すごい。 『めきらやなぎと、眠る女』 オリジナル「めくらやなぎと眠る女」に手を入れ原稿量を約4割減らした改訂作品。 バスに居合わせ老人たちの不気味さがなくなってしまっているのが残念だ。 病院の食堂で無意識に灰皿の中で 砂糖とミルクを吸殻で泥のように混ぜる描写もなくっている。あれがよかったのに! たしかにオリジナルの方は タイトルにめきらやなぎが入っているのに 他のエピソードが粒揃いすぎて奥に引っ込んでしまっている印象があった。 そのタイトルである必然性が感じられなかった。 しかし改訂版の方だと このタイトルであることに納得がいく。 だが、やはりオリジナルに比べると作品の魅力が劣ってしまっている。 めくらやなぎは『星の王子さま』の バオバブの木のようだと思った。 まさに村上春樹的というか 人は怠ってきたこと遠回しにしてきたこと逃げてきたことといずれ向き合うことになるし それは取り返しのつかない事態を引き起こし 決定的に自分を、いや大切な人を 損なってしまうかもしれないということ。 - 2026年4月17日
カンガルー日和 (講談社文庫)村上春樹読み終わった再読。 いい短編集だ。 村上春樹の貧乏なころが反映されていたり 『とんがり焼の盛衰』のように当時の文壇を皮肉った話もあり、自伝的な要素の濃い短編集だと思う。 『カンガルー日和』 母親カンガルーではないもう一匹の雌が謎だ。 恋人の機嫌を損ねないよう振る舞う男の気持ちがよく分かる。 『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』 世界でいちばん素敵なタイトルをもつ作品だ。 タイトルで勝っている。 それでよし。 谷川俊太郎の詩集「夜中に台所で僕は君に話しかけたかった」も素敵なタイトルだ。 なんとなく長いタイトルで思い出した。 それだけ。 『眠い』 この短編、なんかいいな。 村上春樹作品の〈僕〉は、いい加減で投げやりでひねくれ者だと面白い。 結婚式という盛大な茶番における眠るという潜在的反抗。 『タクシーに乗った吸血鬼』 読み終えてこのタイトルが気になった。 「タクシー運転手の吸血鬼」ではなく 「タクシーに乗った吸血鬼」。 ということはこれ、乗客の〈僕〉が吸血鬼ということではないだろうか。 「悪いことというのは往々にして重なるものである。これはもちろん一般論だ。しかしもし実際に幾つか悪いことが重なってしまえば、これはもう一般論なんかじゃない。待ち合わせていた女の子とはすれ違う、上着のボタンはとれてしまう、電車の中で会いたくもない知り合いに会ってしまう、虫歯が痛み始める、雨が降り始める、タクシーに乗れば交通事故で道路は渋滞という有様だ。そんな時にもし、悪いことは重なるもんだよ、なんて言う奴がいたら、僕はきっと殴り倒してしまうに違いない。あなただってきっとそうだろう。一般論なんて結局はそういうものだ。」 名文である。 「幽霊というのはつまり肉体的存在に対するアンチ•テーゼだな」と僕は口から出まかせを言った。そういうのはとても得意なのだ。 「ふうん」 「しかし吸血鬼というのは、肉体を軸にした価値転換だ」 「つまりアンチ•テーゼは認めるが、価値転換は認めない、と」 「ややこしいまのを認めると、もうキリがないからさ」 「お客さん、インテリですね」 さすが村上春樹。 「どうしてタクシーの運転手やってるの?」 「吸血鬼という概念に捉われたくないからです。マントをかぶったり、馬車に乗ったり、城に住んだりって、そんなな良くないですよ。私はちゃんと税金だって納めるし、印鑑登録だってします。ディスコにだって行くし、パチンコもします。」 いいなぁ。 『彼女の町と、彼女の緬羊』 たしかにローカルのテレビ局が紹介する我が町って 不思議な感興を呼び起こす。 チェックアウトを済ませるまでのほんの一瞬の興味。 『あしか祭り』 自分もまたあしかのように自分ルネサンス、引いては世界ルネサンスを目指す所存であります。 典型的なあしかレトリックはそのまま村上春樹レトリックである。 『鏡』 これはいい短編だな。そしてこわい。 鏡の中の自分ではない自分が心底自分を憎んでいる。そして鏡の中の自分が、こちら側の自分を支配しようとする。本当に上手い。 「とにかくそうなんだ。幽霊は見ないし、超能力はない。なんというか、実に散文的な人生、というわけさ。」 カッコいい。 『1963/1982年のイパネマ娘』 村上春樹はほんと「イパネマの娘」が好きだよな。 言わずと知れた名盤『ゲッツ•ジルベルト』の一曲目。村上RADIOでも何回かかけている。 僕も影響されてCDを持っている愛聴盤だ。 『バート•バカラックはお好き?』 なになに風ハンバーグ•ステーキがあふれた世界で、ごくあたりまえのハンバーグ•ステーキが食べられない話。実に村上春樹的主題だ。 ごくあたりまえ風ハンバーグ•ステーキまであるが、ごくあたりまえのハンバーグ•ステーキとは似て非なるものである。 それにしても村上春樹風があふれた世界になったのだから皮肉というか、僕はごくあたりまえにごくあたりまえの村上春樹作品が好きなんだ。 だから他の村上春樹風は消えちまえ。 なぜなら醜いから。 「世の中というのは奇妙な場所です。僕が求めているのはごくあたりまえのハンバーグ•ステーキなのに、それがある時にはパイナップル抜きのハワイ風ハンバーグ•ステーキという形でしかもたらされないのです。」 「どうか鋭くあろうと思わないで下さい。文章というのは結局は間にあわせのものなんです。」 『5月の海岸線』 詩だ。 良質な詩だ。 『駄目になった王国』 タイトルがまず素晴らしいな。 引きがある。 この短編はまさに 森田童子の名曲『ぼくたちの失敗』の歌詞 「だめになった僕を見て 君もびっくりしただろう」を思い出さずにはいられない。 女性にコーラをぶっかけられるくらい駄目になった旧友と〈僕〉。 〈僕〉にもコーラの三分の一がかかっているのがミソだ。 つまり〈僕〉も駄目になってしまったということ。 今は三分の一でもやがて三分のニになり 遅かれ早かれぜんぶが駄目になってしまうのだろう。 そう、ぐしょ濡れになった安物の面白くない文庫本のように。 やれやれ。 『32歳のデイドリッパー』 僕は窓際に、彼女は通路側に座っていた。 「席をかわってあげようか」と僕は言う。 「ありがとう」と彼女は言う。「親切なのね」 親切なわけじゃないんだ、僕は苦笑する。君よりはずっと退屈さに慣れているというだけのことなんだよ。 このけだるさがいい。 『とんがり焼の盛衰』 この作品は後に村上春樹自身が当時の「文壇」を皮肉ったものだと明かしている。 ラストの「僕は自分の食べたいものだけを作って、自分で食べる。鴉なんかおたがいにつつきあって死んでしまえばいいんだ。」が強烈である。 Spotifyでは村上春樹によるこの作品の貴重な朗読が聴ける。 『チーズ•ケーキのような形をした僕の貧乏』 「貧乏」という点で『とんがり焼の盛衰』のあとにこの作品があるのに納得がいく。 近い内に、村上春樹夫妻が住んでいた三角地帯にぜひ行きたいと思っている(村上主義者によるYouTubeで紹介されていたから)。 それにしてもいいタイトルだなぁ。 『スパゲティーの年に』 この作品も「貧乏」がテーマだろうか。 安価なスパゲティーを茹で続ける毎日。 しかし村上春樹はそこに紅茶とサラダを添える一工夫がある。 ただでは終わらせてなるものかという気概がある。 しかし人間関係のゴタゴタはうんざりだという諦念がある。 村上春樹作品の影響でパスタを作ったこともあったな。 『かいつぶり』 これも『貧乏』がテーマ。 貧困から抜け出せないループ。 「合言葉」は今だと「パスワード」だな。 やれやれ。パスワードなんてクソ喰らえだ。 そしていつだって時間切れ。 ややこしい規則•システムとやらにファック。 『サウスベイ•ストラット』 村上春樹の神であるチャンドラー的私立探偵もの。 「警官の笑い方はいつも同じだ。年金をもらえる見込みのある人間だけがそういう笑い方をする。」 キレキレである。 『図書館奇譚』 羊音がまた出てきてうれしいしいい短編だな。 地下や闇といった要素がその後の「世界の終わり」につながるような冒険譚だ。 それにしても美少女に救われる話というのが なんとも村上春樹すぎるが。 地下にいる美少女は母の昔の姿なのか。 母が失った少女性か。 「チャンスをつかむためにはまず柔順になったふりをしなくてはならないーとはいってもそれはむずかしいことではなかった。僕はもともとおそろしく柔順な性格なのだ。」 さて、ここで村上春樹が「じゅうじゅん」にどの漢字を当てがったか見てほしい。 村上春樹の「じゅうじゅん」は「従順」ではなく「柔順」なのである。 「従う」順さではなく「柔らかい」順さなのだ。 つまりあそびがある柔順。 村上春樹は「したたか」なのである。 「従順」ではなく「柔順」。 「彼女は小さな唇に指を一本あて、僕に黙るように命令した。僕は黙った。僕は命令に従うのがとても上手いのだ。特殊能力といってもいいくらいだ。」 - 2026年4月14日
中国行きのスロウ・ボート村上春樹読み終わった『中国行きのスロウ•ボート』 再読。 二人めの中国人の女の子の話はなんとも言えない余韻が残る。村上春樹はこういうのがほんとに上手い。 「地球儀の上の黄色い中国。これから先、僕がその場所を訪れることはまずないだろう。それは僕のための中国ではない。ニューヨークにもレニングラードにも僕は行くまい。それは僕のための場所ではない。僕の放浪は地下鉄の車内やタクシーの後部座席で行われる。僕の冒険は歯科医の待合室や銀行の窓口で行われる。僕たちは何処にも行けるし、何処にも行けない。」 『貧乏な叔母さんの話』 これはいい短編だな。 「私にわかっているのは、人は頭の上にお盆を載せたまま空を見上げることはできないってことだけ」と彼女は言った。「あなたのことよ」 「もう少し具体的に言ってもらえないかな」 「今のあなたには何ひとつ救えないんじゃないかって気がするのよ。何ひとつね」 『ニューヨーク炭鉱の悲劇』 すごいなこの短編。 最後の最後いきなりの展開に 炭鉱に閉じ籠められた坑夫たちの闇が眼前に迫り そして自分も物語の中に綴じ込められる。 どこまで狙っているのか分からないが。 「きっと彼は風呂が沸くのを待つあいだ、ヘイグのオン•ザ•ロックを何杯も何杯も喉の奥に流しこみながら、シェービング•クリームの罐をずっと眺めていたのだろう。そしてこんな風に考えたかもしれない。俺はもう二度と髭を剃らなくてもいいんだ、と。」 ザ•リアル。 「夜中の三時に動物園に入ったことあるかい?〈中略〉奇妙な体験だったな。口ではうまく言えないけどさ、まるで地面が方々で音もなく裂けて、そこから何かが這い上がってくるような、そんな気がしたね。そして夜の闇の中をね、地の底から這い上がってきたその目に見えない何かが跳梁しているんだ。冷やりとした空気の塊りみたいなものさ。目には見えない。でも動物たちはそれを感じる。そして俺は動物たちの感じるそれを感じる。結局、俺たちの踏んでいるこの大地は地球の芯まで通じていて、そしてその地球の芯にはとてつもない量の時間が吸い込まれているんだよ。」 名文である。 『カンガルー通信』 村上春樹の文章は時にカンガルーのような軽やかさがあり、この作品はその最たるものだ。 『午後の最後の芝生』 村上春樹の全作品の中で 僕がいちばん好きな作品だ。 今回の再読にあたり読み返そうとも思ったが この作品は殿堂入りだから飛ばすことにした。 以上。 『土の中の彼女の小さな犬』 これもいい短編だな。 村上春樹が小説を書く作業は地下室へ降りていくことだと言っているが、それを思い出した。 その作業には並々ならぬ集中力を要し、地下から戻ってくるのにも並々ならね体力がいること。 彼女の手の匂いをかき消したホテルの人工石鹸。 作中で〈僕〉が読んでいた本 ヘンリー•ライダー•ハガードの冒険小説 『シドニーのグリーン•ストリート』 村上春樹の文章の神様であるチャンドラーを意識した軽い私立探偵もの。 羊男が出てくるのがうれしい。 羊男いわく「この世界には、約三千人の羊男が住んでおります」 いやいや、多いな(笑) 羊男と羊博士の電話番号が電話帳に載ってるのクソウケる🤣最高。 しかも「ひつじおとこ (無職)」「ひつじはかせ (無職)」って(笑) 晴れて羊男になった羊博士。 僕だってなれるものなら羊男になりたい。 そうだ僕は潜在的羊男なのだ。 うん?潜在的羊男?? - 2026年4月11日
TVピープル村上春樹読み終わった20数年ぶりの再読。 読了後の感想としてこの短編集には 特筆すべき作品はないように思う。 「TVピープル」 なんなんだこの短編は。 おもしろい。 TVの人格化? テレビは人の生活や意識に無意識に入り込み 引いては人を石化させるもの? 作中で〈僕〉が読んでいた本 ガルシア•マルケスの新しい小説 「飛行機」 飛行機について詩を読むようにひとりごとを言う男。 飛行機は「TVピープル」で2人のTVピープルが 作っていたつながりがある。 「我らの時代のフォークロア」 「今むたいに何かを手に取ったら、隠れ蓑をかぶった広告だとか役に立つ関連情報だとか割引サービス券だとかグレードアップのためのオプションだとか、そういうややこしいものがぞろぞろくっついてくるということはなかった。」 「すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑いしたした」 我が人生もかくあれと願う。 「加納クレタ」 おもしろいけどなんだこの終わり方は(笑) マルタさんの話し方がおもしろい。 「ゾンビ」 なんてことはない短編 「眠り」 もっと不気味さが欲しかったかな。 作中で〈私〉が読んでいた本 トルストイ「アンナ•カレーニナ」 ドストエフスキー
- 2026年4月9日
パン屋再襲撃新装版村上春樹読み終わった20数年ぶりの再読。 「パン屋再襲撃」 再襲撃というのがいい。 村上春樹的に言うなれば、何はともあれそれは果たされなければならなかったのだ。 選択肢はないのだ。 つつがなくやり遂げなければいけないことが この世界にはあるということ。 「どうしてこんなことをしなくちゃいけないんですか?」とマクドナルドの店員の女の子が言うが、 そんなこと知ったこっちゃないのだ。 説明するまでもないし、説明できないことなのだ。 そして最も謎で不気味な存在がいちばん身近にいると言うこと。 何者なんだ妻は。 「象の消滅」 これぞ村上春樹作品の傑作中の傑作。 疑いの余地のない名短編である。 おそらく象と飼育員だけがまともで正気なのだ。 象と飼育員が消滅したことでこの世の箍が外れてしまったのかもしれないし、箍が外れたので消滅してしまったのかもしれない。 飼育員の名前は渡辺昇。 「ファミリー•アフェア」 キレキレの名短編。 僕はこの兄である〈僕〉が大好きだ。 「まずい料理を残すっていうのもひとつの見識だと思う」 村上春樹のこういうところに僕は惹かれたのだ。 「そんなにお酒飲んで車を運転できるの?」とその子が心配そうに訊いた。 時代だなぁ。飲酒運転がまかり通っていた時代。 「また近いうちに誘っていいかな?」と僕は訊いた。 「デートに?それともホテルに?」 「両方」と僕は明るく言った。「そういうのは、ほら、表裏一体なんだ。歯ブラシと歯みがきみたいに」 最高である。 「家事を分担してるんだ。彼女が洗濯して、僕が冗談を言う」 これも最高。 「結婚式はやはり秋がいいな」と僕は言った。「まだリスも熊も呼べるし」 いいなぁ。 「お兄さんはまだ結婚するつもりはないんですか?」「チャンスがなくてね。」と僕はフライド•ポテトを口に入れながら言った。「幼い芋の面倒も見なくちゃならなかったし、長い戦争もあったし」 ほんと最高。 妹の婚約者の名前は渡辺昇。 「双子と沈んだ大陸」 「1973年のピンボール」に登場した双子の女の子、渡辺昇という名前の共同経営者、事務の女の子、笠原メイという名前の女の子(ダンス•ダンス•ダンス&ねじまき鳥クロニクル) 「ローマ帝国の崩壊(後略)」 特に感想なし。 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」 1985年にはもう「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭部分が短編という形で書かれていたんだな。 それにしても何度読んでも面白い文章だな。 今作では飼い猫の名前がワタナベ•ノボル 作中で〈僕〉が読んでいた本 レン•デイトンの小説 クラレンス•ダロウの伝記 - 2026年4月7日
読み終わった約、20数年ぶりの再読。 当時、ブックオフみたいな古本屋さんで300円くらいで買った記憶がある。 内容は全く覚えていない。 ミュウの「観覧車の話」は 村上春樹作品の中でも特筆すべきエピソードであると思う。 読み進めていくうちに、特に中盤から後半に連れ この作品は傑作だと確信する。 最後、まるでノルウェイの森のように電話ボックスが出てくる。 ノルウェイの森のワタナベくんのように、すみれには自分のいる場所が分からない。 しかし、すみれのいる場所は断然されていない。 生きている電話ボックスだ。 ワタナベくんのいる電話ボックスは世界と断然されていたし、ゆえに自分のいる場所が分からない。 ワタナベくんのいた場所はどこでもなかったし、どこでもよかった。 とにかく隔絶された場所だった。 村上春樹はワタナベくんの先を すみれという人物を使って前に進め世界を押し広げたように思う。 ノルウェイの深くて暗い森を抜けた世界 それが「スプートニクの恋人」だ。 この物語の最後の最後に すみれと〈僕〉はお互いが 一生の旅の連れであることを見出したのだ。 「あまりにもすんなりとすべてを説明する理由なり論理なりには必ず落とし穴がある。それがぼくの経験則だ。誰かが言ったように、一冊の本で説明されることから、説明されないほうがましだ。つまり僕が言いたいのは、あまり急いで結論に飛びつかないほうがいいということだよ。」 「すみれはぼくから離れて「さびしい」と言う。でも彼女のとなりにはミュウがいる。ぼくには誰もいない。ぼくにはーぼくしかいない。いつもと同じように。」 この取り残された感、すごく分かるな。 女性というのは時として本当に遠くに行ってしまうんだ。 ミュウ「わたしにはそのときに理解できたの。わたしたちは素敵な旅の連れであったけれど、結局はそれぞれの軌道を描く孤独な金属の塊に過ぎなかったんだって。遠くから見ると、それは流星のように美しく見える。でも実際の、わたしたちは、ひとりずつそこに閉じこめられたまま、どこに、行くこともできない囚人のようなものに過ぎないわ、ふたつの衛星の軌道がたまたまかさなりあうとき、わたしたちはこうして顔を合わせる。あるいは心を触れ合わせることもできるかもしれない。でもそれは束の間のこと。次の瞬間には、わたしたちはまた絶対の孤独の中にいる。いつか燃え尽きてゼロになってしまうまでね」 すばらしいです。 すみれ「たとえば具体的に言うと、まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことならよく知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると、わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、わたしちたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」 すみれ「昔、サム•ペキンパーの監督した『ワイルド•バンチ』が公開されたときに、一人の女性ジャーナリストが記者会見の席で手を挙げて質問した。「いったいどのような理由で、あれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」、彼女は厳しい声でそう尋ねた。出演俳優の一人であるアーネスト•ボーグナインが困惑した顔でそれに答えた。「いいですか、レディー、人が撃たれたら血は流れるものなんです」。この映画が製作されたのはヴェトナム戦争がまとさかりの時代だった。わたしはこの台詞が好きだ。おそらくはそれが現実の根本にあるものだ。分かちがたくあるものを、分かちがたいこととして受け入れ、そして出血すること。銃撃と流血。 いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです。」 すみれ「わたしのそれなりに勤勉なつるはしの先はようやく強固な岩塊を叩く。こつん。わたしはミュウに、わたしが何を求めているかをはっきりと示そうと思う。このような宙ぶらりんの状態をいつまでも続けていくことはできない。どこかの気弱な床屋のように裏庭にしけた穴を掘って、「わたしはミュウを愛している!」とこっそり打ち明けているわけにはいかないのだ。そんなことを続けていたら、わたしは間断なく失われていくことだろう。すべての夜明けと夕暮れが、わたしをひとかけらひとかけら奪っていくことだろう。そしてそのうちわたしという存在は流れに削り尽くされ、「なんにもなし」になってしまうことだろう。」 宙ぶらりんの状態ではいられないと腹をくくるのが村上春樹作品の主人公だ。 すみれ「血は流されなくてはならない。わたしはナイフを研ぎ、犬の喉をどこかで切らなくてはならない。」 村上春樹作品の主人公はある時点で腹をくくり 逃げ場のない状況に自らを追い込んでゆく。 そこには選択肢はない。 ミュウ「強くなることじたいは悪いことじゃないわね。もちろん。でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康ではなない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、立ちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。」 作中で〈すみれ〉が読んでいた本 ジャック•ケルアック 「オン•ザ•ロード」「ロンサム•トラヴェラー」 - 2026年4月2日
国境の南、太陽の西村上春樹読み終わった約20年ぶりの再読 「島本さん」という名前を覚えている程度。 一人っ子である事の脅迫症的なまでの描写と 地下でジャズを流すバーの経営。 雑誌「ブルータス」 主人公が村上春樹の自伝的要素の濃い設定だ。 それとは反対に主人公に娘が2人いる設定は興味深い。主人公が子持ち設定は村上作品では珍しいのではないか。 タイトルになぞらえるなら 「現実の有紀子、幻想の島本さん」になるだろうか。 イズミは? イズミは主人公が葬り死神にしたのだろう。 イズミが島本さんを遣わしたとも言える。 小雨の降る日にやってくる島本さん。 それはやはり泣いていたのだろう。 全身で泣いていたんだろう。 結局、主人公にとってあまりにも都合の良すぎる結末ではある。 その点、有紀子さんですら現実的ではない。 まぁ、それを言ったら村上春樹の登場人物などすべからくそうなってしまうわけだが。 かわいそうな僕。かわいそうな僕。かわいそうな僕。 「でも僕は島本さんのそうした外見の奥に潜んでいる温かく、傷つきやすい何かを感じ取ることができた。それはかくれんぼをしている小さな子供のように、奥の方に身を潜めながらも、いつから誰かの目につくことを求めていた。」 なんて素敵な文章。 「ある時間が経ってしまうと、いろんなものごとがもうかちかちに固まってしまうのよ。セメントがバケツの中で固まるみたいに。そしてそうなると、私たちはもうあと戻りできなくなっちゃうのよ。つまりあなたが言いたいのは、もうあなたというセメントはしっかり固まってしまったわけだから、今のあなた以外のあなたはいないんだということでしょう?」 自分というセメント。 「そして僕はガールフレンドを作った。彼女はそれほど綺麗な娘ではなかった。」 なんて失礼な。コラ、村上くんそういうとこだぞ。 「人間というのはある場合には、その人間が存在しているというだけで誰かを傷つけてしまうことになるのだ。」 「でもそのかわりに彼女は僕のペニスを口に含んで、舌を動かしてくれた。」 イズミちゃんそれはしてくれるんかい! 「彼女はー彼女もまたというべきかもしれないがー一緒に町を歩いていて、すれ違った男が思わず振り返るようなタイプではなかった。」 こういう表現、ほんとやめてほしい。嫌悪しかない。 「僕とそのイズミの従姉とはそれから二カ月に亘って脳味噌が溶けてなくなるくらい激しくセックスをし た。」すごい表現だ。 「どうしてあのときに島本さんに思い切って声をかけなかったんだろうと僕はあらためて悔やんだ。あのときの僕には何の制約もなく、捨てるべき何ものもなかったのだ。僕はその場で彼女をしっかりと抱きしめ、二人でそのままどこかに行ってしまうことだってできたのだ。」 やめてくれ!つらすぎる!やめてくれったら! 島本さん「私はここに来るか、あるいはここに来ないかなの。ここに来るときには私はここに来る。ここに来ないときには ー、私は余所にいるの」 僕「中間はないんだね?」 島本さん「中間はないの」と彼女は言った。「何故なら、そこには中間的なものが存在しないからなの」 僕「中間的なものが存在しないところには、中間も存在しない」と僕は言った。 なんですかこの会話(笑) 有紀子「何かに追われているのはあなただけではないのよ。何かを捨てたり、何かを失ったりしているのはあなただけじゃかいのよ。」 よくぞ言ってくれました。 いいかげんにしないよ、ほんとに。 自分に同情するな。 作中で〈僕〉が読んでいた本 中国とヴェトナムとの戦争を扱った本 - 2026年3月29日
ダンス・ダンス・ダンス(下)村上春樹読み終わったなんだかんだ僕とユミヨシさんが晴れて結ばれる流れは気持ちをもっていかれるからさすがです。 うん、いい作品だ。 「ピーク、と僕は思った。そんなものどこにもなかった。振り返ってみると、それは人生ですらないような気がする。」 わかりすぎる。 「年をとると暗示の暗示性というものが少しは理解できるようになる。そしてその暗示性が現実の形を取るまでじっと待つことを覚えるようになる。ペンキぐ乾くのを待つのと同じように。」 まさに村上春樹の「姿勢」そのもののセリフだ。 ただ待つことしかできないという時間がある。 僕「姿勢の問題だよ。様々な物事を愛そうと努めれば、ある程度までは愛せる。気持ち良く生きていこうと努めれば、ある程度までは気持ち良く生きていける」 ユキ「でもそれ以上は駄目なのね?」 僕「それ以上のことは運だ」 まさに。 「待てばいいということだよ」と僕は説明した。 「ゆっくりっしかるべき時が来るのを待てばいいんだ。何かを無理に変えようとせずに、物事が流れていく方向を見ればいいんだ。そして公平な目で物を見ようと努めればいいんだ。そうすればどうすればいいのかが自然に理解できる。みんな忙しすぎる。才能がありすぎて、やるべきことが多すぎる。公平さについて真剣に考えるには自分に対する興味が大きすぎる。」 イエス。 「すごく正常であるということは同時にずれているということでもあるんだ。だからそれはとくに気にしなくていいんだ」 142ページの「その時だった。その時突然何かが僕を打った。」からキキを追走しオフィスに入っていき 六体の人骨を見つけるまでの描写がすごいな。 「それはよかった」と僕は言った。僕が「それはよかった」という台詞を使うのは、他に何ひとつとして肯定的言語表現方法を思いつけず、しかも沈黙が不適当であるという危機的状況に限られている。 わかりすぎる。 五反田くん「いや、違うね。必要というものはそういうものじゃない。自然に生まれるものじゃないんだ。それは人為的に作り出されるものなんだ。」 「でっちあげられるんだ。誰も必要としていないものが、必要なものとしての幻想を与えられるんだ。簡単だよ。情報をどんどん作っていきゃあいいんだ。〈中略〉ある種の人間はそういうものを手に入れることで差異化が達成されると思ってるんだ。みんなとは違うと思うのさ。そうすることによって結局みんなと同じになってることに気がつかないんだ。想像力というものが不足しているんだ。」 「僕はいったいどうすればいいのだろう?でもどうすればいいのかは僕にはわかっていた。とにかく待っていればいいのだ。何かがやってくるのを待てばいいのだ。いつもそうだった。手詰まりになったときには、慌てて動く必要はない。じっと待っていれば、何かが起こる。何かがやってくる。じっと目をこらして、薄明の中で何かが動き始めるのを待っていればいいのだ。僕は経験からそれを学んだ。それはいつか必ず動くのだ。もしそれが必要なものであるなら、それは必ず動く。よろしい、ゆっくり待とう。」 ザ・村上春樹。 「日焼けがたまらなく魅力的だ。まるでカフェ•オ•レの精みたいに見える。背中にかっこいい羽をつけて、スプーンを肩にかつぐと似合いそうだよ。カフェ•オ•レの精。君がカフェ•オ•レの味方になったら、モカとブラジルとコロンビアとキリマンジャロが束になってかかってきても絶対にかなわない。世界中の人間がこぞってカフェ•オ•レを飲む。世界中がカフェ•オ•レの精に魅了される。君の日焼けはそれくらい魅力的だ。」 ノルウェイの森の「春の熊さんくらい好きだよ。」に匹敵する名文句。 「人が死ぬにはそれなりの理由がある。単純そうに見えても単純じゃない。根っこと同じだよ。上に出てる部分はちょっとでも、ひっぱっているとずるずる出てくる。人間の意識というものは深い闇の中で生きているんだ。入り組んでいて、複合的で••••••解析できない部分が多すぎる。本当の理由は本人にしかわからない。本人にだってわかってないかもしれない」 その後の村上春樹作品の長編で都度都度語られるテーゼだ。 「ねえ、ユミヨシさん、僕は君を求めている。僕はとても現実的に君を求めている。僕が何かをこんなに求めるなんて殆どないことなんだ。」 「耳を澄ませば求めているものの声が聞こえる。目をこらせば求められているものの姿が見える」 作中で〈僕〉が読んでいた本 佐藤晴夫の短編 - 2026年3月24日
ダンス・ダンス・ダンス(上)村上春樹読み終わった20数年ぶりの再読。 当時、夢中に読んだ記憶があるが内容は忘れている。 250ページを過ぎると冗長的だなと思うようになる。これは「羊をめぐる冒険」では感じなかったことだ。具体的に言うと僕が映画「初恋」を繰り返し観に行き、五反田くんとキキのベッドシーンの執拗な描写がそう思わせる。 上巻を読み終え、うんおもしろいかな。 おそらくこの作品から村上春樹は物語について長編という器について、より深く考え自覚的になっていったんだろうな。 登場人物が多くなることでキャラクターの書き分けのむずかしさを感じた。 「僕は平均的な人間だとは言えないかもしれないが、でも変わった人間ではない。僕は僕なりにしごくまともな人間なのだ。とてもストレートだ。矢のごとストレートだ。僕は僕としてごく必然的に、ごく自然に存在している。それはもう自明の事実なので、他人が僕という存在をどう捉えたとしても僕はそれほど気にはしない。他人が僕をどのように見なそうと、それは僕には関係のない問題だった。それは僕の問題というよりはむしろ彼らの問題なのだ。」 村上春樹だなぁと思う。こういうところに憧れるんた。 「幸か不幸か一般的に物事というのは端っこに行けば行くほど、その質の差が目立たなくなってくる。」 これは面白いなぁ。ほんとそうだ。 クソはクソ。地獄は地獄。 「クリント•イーストウッドの出てくる西部劇だった。クリント•イーストウッドはただの一度も笑わなかった。微笑みさえしなかった。苦笑さえしなかった。僕が何度笑いかけてみても、彼は動じなかった。」素晴らしい。 「僕は誰とも結びついていない。それが僕の問題なのだ。」 「そして久し振りにじっと鏡の中の自分の顔を眺めた。大した発見はなかったし、別に勇気も湧いてこなかった。いつもの僕はの顔だった。」 おもしろい表現だなぁ。 「これといって取り出して見せることのできるものじゃないし、見せることのできるものは、そんなの大した傷じゃない」 村上先生! 「僕は彼女を見ながら、あの子と寝ようと思えば寝られたんだ、と思った。時々そういう風に自分を勇気づける必要があった。」 村上さんったら。 「それに僕は時々無意識に何かをじっと見つめすぎる傾向があるんだ。いろんなものをじっと見ちゃうんだ」 これすごく分かるなぁ。 羊男「戦争というのは必ずあるんだ。いつでも必ずある。ないということはないんだ。ないように見えても必ずある。人間というのはね、心底では殺しあうのが好きなんだ。そしてみんなで殺し疲れるまで殺しあうんだ。殺し疲れるとしばらく休む。それからまた殺しあいを始める。決まってるんだ。誰も信用できないし、何も変わらない。だからどうしようもないんだ。そういうのが嫌だったら別の世界に逃げるしかないんだよ。」 2026年現在、その通りになったよ羊男。 僕「ねぇ、何故僕のためにわざわざそんなことをするんだ?わざわざ僕一人のために?」 羊男「ここがあんたのための世界だからだよ。」と羊男は当然のことのように言った。「何も難しく考えることなんてないのさ。あんたが求めれば、それはあるんだよ。問題はね、ここがあんたのための場所だってことなんだよ。わかるかい?それを理解しなくちゃ駄目だよ。それは本当に特別なことなんだよ。」 セラピーとしての村上春樹。 ユキが音楽を聴くことについて 僕「みんなはそれを逃避と呼ぶ。でも別にそれはそれでいいんだ。僕の人生は僕のものだし、君の人生は君のものだ。何を求めるかさえはっきりしていれば、君は君の好きなように生きればいいんだ。人が何と言おうと知ったことじゃない。そんな奴らは大鰐に食われて死ねばいいんだ。僕は昔、君くらいの歳の時にそう考えていた。今でもやはりそう考えている。それはあるいは僕が人間的に成長していないからかもしれない。あるいは僕が恒久的に正しいのかもしれない。まだよくわからない。なかなか解答が出てこない。」 これぞ村上春樹の真骨頂。 「僕にとっての愛とは不器用な肉体を与えられた純粋な概念で、それは地下ケーブルやら電線やらをぐしゃぐしゃと通ってやっとの思いでどこかと結びついているものだった。すごく不完全なものなのだ。ときどき混線もする。番号もわからなくなる。間違い電話がかかってくることもある。でもそれは僕のせいではない。我々がこの肉体の中に存在している限り、永遠にそうなのだ。原理的にそうなのだ。」 五反田くん「ねぇ、女を呼ばないか?」 僕「僕は何でも構わないよ。君の好きにすればいい」 よく言われるが村上春樹の主人公の受動性。 たしかにこの受身は腹が立つ。 作中で〈僕〉が読んでいた本 ジャック•ロンドンの伝記 「ジャック•ロンドンの波瀾万丈の生涯に比べれば、僕の人生なんて樫の木のてっぺんのほらで胡桃を枕にうとうとと春をまっているリスみたいに平穏そのものに見えた。少なくとも一時的にはそういう気がした。伝記というのはそういうものなのだ。いったい何処の誰が平和にこともなく生きて死んでいった川崎市立図書館員の伝記を読むだろう?要するに我々は代償行為を求めているのだ。」 スペイン戦争についての本 フォークナー「響きと怒り」 エド•マクベインの87分署シリーズ カフカ「審判」 - 2026年3月20日
羊をめぐる冒険 (講談社文庫)村上春樹鼠3部作の最終章。 再読。 内容はほぼ覚えてない。 村上春樹の描いた羊男のイラストは覚えているが。 🐏上巻🐏 「君の好きな角度から話すよ」 「正直に話して。それがいちばん好きな角度だから」 たまりませんなぁ。 「テーブルには空になった五枚の皿が並んでいた。五枚の皿は滅亡した惑星群みたいに見えた。」 こんな表現ができる人間がいるのか。 「つまり、あなたの人生が退屈なんじゃなくて、退屈な人生を求めているのがあなたじゃないかってね。それは間違ってる?」 すばらしい。 羊をめぐる冒険が始まるくだりの あまりにも見事な切れ味に溜息が出る。 「しかし大抵の人間は自分自身をよくあるケースだと考えたりはしない。」 「部屋は一種不可解な沈黙に覆われていた。広い屋敷に入ると時折これに似た沈黙に出会うことがある。広さに比べてそこに含まれる人間の数が少なすぎることから生ずる沈黙だ。」 素晴らしい。 「正直さと真実との関係は船のへさきと船尾の関係に似ている。まず最初に正直さが現われ、最後には真実が現われる。その時間的な差異は船の規模に正比例する。巨大な事物の真実は現われにくい。我々が生涯を終えた後になってやっと現われるということもある。」これもまた素晴らしい。 🐏下巻🐏 いるかホテルの前身が緬羊会館だったくだり おもしろいなぁ。 なるほど 「羊をめぐる冒険」って多分、 村上春樹にとっての「ロング•グッドバイ」だったんだな。 おそらく鼠(羊男)がテリー•レノックスなんだ。 そしてスティーヴン•キングの「シャイニング」から も設定を得ている。 最後の爆発なんてまさにそう。 それにしても傑作。 作中で〈僕〉が読んでいた本 エラリー•クイーン プルースト「失われた時を求めて」 「シャーロック•ホームズの冒険」 - 2026年3月16日
傑作。 鼠3部作の2作目. おそらく初読から20年以上ぶりの再読。 「風の歌を聴け」はけっこう覚えていたけど 今作の内容はほぼ忘れていた。 『風の歌を聴け』と比べると情感があり より人間味が出てきたぶん 親しみがある。 「高い窓からルーベンスの絵のように差しこんだ日の光が、テーブルのまん中にくっきりと明と暗の境界線を引いている。テーブルに置いた僕の右手は光の中に、そして左手は翳の中にあった。」 あまりにも素晴らしすぎる文章。 これだけで100点。 「何もかもが同じことの繰り返しにすぎない、そんな気がした。限りのないデジャ•ヴュ、繰り返すたびに悪くなっていく。」 これもまた素晴らしい。 その後の村上作品で重要なモチーフとなる「井戸」が出てくる。すべてはここからか。 電車に轢かれ何千という肉片となった井戸掘り職人。 そして直子という名のガールフレンド。 鼠が大学を辞めた理由もいいな。 「中庭の芝生の刈り方が気に入らなかったんだ」 「お互い好きになれなかったんだ。俺の方も大学の方ももね」 「良い質問にはいつも答がない。」 鼠の孤独がただただ痛ましいまでに切ない。 でも他人に簡単に分かられてたまるかという孤独だ。一人で抱え込むしかない。 そしてジェイ。 実は彼がいちばん孤独なんじゃないか、と思う。 双子は一体なんだったんだろうな。 工業製品のようだし 未来の世界の猫型ロボットのようだ。 死んでるような気もする。 「僕」がゴミ捨て場から拾ってきた人形。 それにしても傑作。 それは間違いない。 作中で〈僕〉が読んでいた本 カント「純粋理性批判」 以上。 - 2026年3月14日
村上春樹のデビュー作。 おそらく再再読くらいかな。 ありとあらゆる者が ありとあらゆる場所で 引用しバカにしまくった おなじみの春樹節からはじまる。 「完璧な文章などといったものは、、、、、」 云々。 「海ばかり見てると人に会いたくなるし、人ばかり見てると海を見たくなる。変なもんさ。」 キレキレの文章である。 本作で鼠と僕が読んでいた本をメモしておこう。 いつか読んでみたい。 読書がカッコいいことであると教えてくれたのは 村上春樹かもな。 〈鼠〉 ヘンリー•ジェームズ(電話帳ほどもあるおそろしく長い小説) モリエール カザンザキス「再び十字架にかけられたキリスト」 〈僕〉 フローベル「感情教育」 熱いトタン屋根の猫 ミシュレ「魔女」 - 2026年3月12日
職業としての小説家(新潮文庫)村上春樹いやぁ この人の小説を書くことについて書かれた文章を読むと、肉体に贅肉がついていないように思考にも贅肉がついていないということがよく分かる。 簡潔。 シンプル。 やわらかさがある強い意思とでもいおうか。 ただただ潔く気持ちがいい。 僕「村上さん一緒に走りましょうよ。」 村「いや、僕には僕のペースがあり君には君のペースがある。それは互いに交わらないんだ。だからゴールで落ち合おう。」 村上春樹とはそういう人だ。 だからこそ信じられる。 馴れ合わないし、じゃれ合わない。 こちらはただ 黙々と走る彼の背を見つめながら やはり黙々と走るのみだ。 - 2026年3月9日
シャイニング 下スティーヴン・キング,深町眞理子読み終わったなんと 村上春樹作品でおなじみの壁抜けが出てくる。 クールなきゅうりという比喩も出てくる。 イメージの奔流、 シンボルの奔流が怒涛すぎて ついていけないくらいすごい。 なるほどなぁ 父権的なるものが燃やし尽くされてしまうということか。 ジャックが管理人(支配する•目を光らせる•掌握する)という設定も良くできている。 ほんと完璧といって差し支えない物語だけど あえてダメ出しをするなら 上巻の後半でジャックがホテルの地下室で読み耽った謎の億万長者ダーウェントの人物像が下巻でもっと広がるとよかったな。 仮面舞踏会よりもっといかがわしく欲にまみれた 酒池肉林の醜態と血生臭い事件のオンパレードで ダーウェントがジェフリー•エプスタインのような人物ならもっと面白かった。 でもそうなると ダニーが幼すぎてあまりにも刺激が強すぎるんだけど。 でも傑作。 それなのになぜか他のキングの作品は もう読まなくてもいいかなと思ってしまうのは 何故だろう? - 2026年3月6日
シャイニング 上スティーヴン・キング,深町眞理子読み終わった初スティーヴン•キング 映画「シャイニング」は未視聴。 第一部の雇用面接から引き込まれる。 冬シーズンは積雪により長期間シーズンオフに入るホテルの管理人の職にありつきたい訳あり?な感じのジャック•トランスと ホテル〈景観荘〉の抜け目ない支配人アルマン(ジャック曰く鼻持ちならん気どり屋のげす野郎)とのやり取り。 ジャックの妻ウェンディと その子どもダニー。 ダニーには〈かがやき〉という特殊能力(予知夢•既知夢)がある。 そんなダニーが予知夢で見た「レッドラム」「レドラム」の謎。 ダニーの予知夢に現れる友だちトニーの謎。 ジャックがホテルの地下で 身元不明のスクラップブックを見つけ 様々な切り抜きの記事に目を通し ホテルの陰惨な過去が明るみになるくだりが面白すぎる。 新聞記事や雑誌の記事が挟まれる構成は おそらく村上春樹が影響を受けていると思われる。 すずめばちの巣とボイラーの圧力のメタファーが素晴らしい。 上巻、完璧。
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