

活字畑でつかまえて
@catcher-in-the-eye
読んだ本を片っ端から忘れてしまうので、せめて感じたことをつかまえたい。
- 2026年10月8日
セリーヌの作品〈第1巻〉夜の果てへの旅L=F・セリーヌまだ読んでるこの作品には人間のろくでもなさのすべでが描かれているのではないかと思わせる力がある。 おそらくセリーヌは人間よりももっと大いなるものに噛み付いている。ゆえに人間を全否定しているように思えていたものが翻って全肯定しているようにも思える。お前の今のドン底のありようは、別にお前のせいではなく、何かの気まぐれにすぎないんだよ。と言っているような。 どうせなら夜の果ての景色を見てやろうじゃないか、さぁ世界よ俺を驚嘆させられるか糞野郎!セリーヌがそう言ってるように思えてならない。ゆえに救いがある。救いのない世界なんてハナから当たり前なんだよ!と。 こんな糞みたいな世界に生まれちまった不幸を セリーヌは糞ミソに貶してくれる。 「みんながやってる当り前の仕事にはもうしんからうんざりなんだよ••••••いい年してまだ性懲りもなくてめえが笑う番を待っててよ、その番がきたときにゃあ••••••くればの話だがね••••••もうとうにくたばって土ん中さ••••••そんなのはとんまのやることさその、まっとうな仕事なんてのは••••••だいいちおまえさんだってそんなこたぁ百も承知じゃねえか••••••」 「そうして祭と一緒にまた音楽がやってきた思い出す限りの遠い昔幼なかったころから耳にしてきた音楽だ、あっちでもこっちでも都会の片隅だの田舎の空地だの貧乏人が一週間働いたあと出かけてって腰をおろしてわれに帰るとこで絶えることなく鳴り続けてきた音楽だ。天国だよ!と聞かされる。そうして連中のために音楽が鳴らされる。あっちへ行ったりこっちへ来たりして春でも夏でも音楽は一年前に金持ちどもを踊らせた歌をあるときは陽気にあるときは湿っぽく響かせる。そうそれは機械仕掛けの音楽でそいつがそこら中から降ってくるんだ回転木馬からも自動じゃない自動車からもジェットなんかじゃないジェットコースターからも強くもなきゃマル セーユ出でもない力業師の掛小屋からも髭のない髭女からも寝取られ男の魔術師からもからっぽ卵の射的場裏の安ぴかの手回しオルガンからも。そうそれは一週間働いた人たちをごまかす祭りだ。 そうして瓶詰めビールを飲みに行く、あの泡の立たないやつ!ところが給仕の息がにせの木立の下でそのまた臭いこと。おまけに貰った釣銭の中にはおかしな硬貨が混じっててそのおかしなことと言ったら何週間もたったあとでもまだためつすがめつしたあげく大骨を折って人にそれも物貰いに掴ませるって代物だ。」 「おれは女なんぞ用はねえんだと彼は言ってた、あいつらの素敵なお尻にも、むっちりした太腿にもハート型の唇にも股座(またくまは)にもな、あそこからはいつもなんか出てくるじゃねえか、赤ん坊だとか、病気だとか…・・・・あいつらがにっこりしたからって家賃の代わりんなるわけじゃねえし!だろう? あのおんぼろアパートでももし女がいて月の十五んちに家主に尻まくって見せてやったからって家賃負けてくれるわけじゃねえもんな!」 「やっこさんはもうおれの言うことなんかてんから信じようとしなかった。泣いてた。もう果てまで来ちまってたんだ彼も。もうなに言ってやることもできなかった。人はまったくひとりぼっちになるときがある、おのが身に降りかかりうることの一切のその果てに来ちまったときだ。それは世の果てだ。悲しみさえ、おのれの悲しみさえ自分からはもうなにも答えてくれずだからあとへ引返すしかない、人間たちんとこへ、どんな人間たちだろうと。こうなると贅沢は言っちゃいられない、なにしろ泣くためにだって振出しへもどらなきゃ、人間たちと一緒に引返さなきゃだから。」 「「おれもう自殺したいよ!」苦しみがあんまりひどすぎると思うと彼はそう予告する。それからそれでもなんとかそいつをもちっと先まで背負ってく、まったくなんの役にも立たない手に余る重荷みたいなその苦しみを、訴える相手もいない路上をもちっと先まで。いかにもそいつは大きな複雑な苦しみだった。彼には説明することができなかったろう、その苦しみは彼の教育を超えてた。」 「この男も、おれは知ってたけど、こいつもやっぱり、いつも誰かが現実から救い出してくれることを希ってる生来の卑怯者には違いなかったけど、ところが一方でおれはいったいほんとに卑怯な人間なんてどっかにいるんだろうかと思いはじめてた・・・・・どんな人間にだってそのためになら命を投げ出してもいい、それも即座に喜んでってものがあるんじゃあるまいか。ただいさぎよく死ねる機会が、気に入る機会が必ず現われるとは限らない。 でどっかでのたれ死にってことんなる・・・・・この世にいる限り人間はみんな誰から見ても卑怯者でおまけに臆病者みたいに見えるけどただ自分で納得してるわけじゃない。ただ卑怯に見えるだけなんだ。 ロバンソンも与えられたこの機会には死ぬ気んならなかった。多分別の与えられかたをすれば大いに気に入ったのかもしれない。 言ってみれば死ってのは結婚みたいなもんだ。 この死が彼にはてんで気に入らなかったってだけの話だ。どうしようもないじゃないか。 とすれば彼も諦めてこの屈辱と悲嘆を受容れるしかない。けど今んとこはまだおのが不幸と悲嘆とで心を泥んこに塗たくることにひたすら精を出してた。やがては彼もおのが不幸を整理して、そうすりゃあまた本当の新しい生活がはじまるだろう。そうでもなけりゃ。」 「金持ちはおまんまのために自分で人殺しをする必要がない。連中は、連中流に言えば、人を使う。悪いことは自分じゃしない。金を払う。連中を喜ばすためなら人はなんだってするしそれでみんな御機嫌とくる。貧乏人の女房はすべたなのに連中の女房はきれいだ。これは何百年にも由来する次第の結果だ、化粧なんかの問題じゃない。おいしいものを食べていつも身ぎれいにしてるかわいらしい麗人たち。人間の生活が始まって以来の成果なんてそれだけだ。」 そのほかの人間たちはって言や、みんないくら苦労してもすべったり転んだりとどのつまりはアルコールん中へ落っこちて死体同様生きたまんまのアルコール漬け、成果もへちまもありゃしない。なんてことはもう立派に証明済みだ、どだい大古の昔から色んな動物たちが生まれ、苦しみ、死んでくばかりなのは目の前に見てきたとおりじゃないか、しかもそのあいだほかの動物たちがやってった通りのとこでおんなじ陳腐な挫折を繰り返すほかに、連中にもやっぱり何ひとつ良いことなんてありゃしなかったじゃないか。だいたいそんな仕掛けぐらいとうにわかってるはずじゃないか。はかない生きものの不断の波が世代の沖からひっきりなしにやってきちゃあの目の前でえてくのに、それなのにまだ人は居続けてんだ、なんかを期待して・・・・死を考えることもできずに。 金持の女房、旨いものを食ってきれいに化けてゆっくり休んでる彼女たちは美しくなる。これはほんとだ。つまりはそれだけで充分なんだろう。わからないけど。少なくても生きてくひとつの理由じゃああるだろう。」 「年金を期待する貧乏人にとって待つってことが、通いつめるってことがどんなことか見たことのない人間には、何かを待つってことの、通いつめるってことのなんたるかはわからない。」 「彼らは午後中を何週間でもぶっ通しにみすぼらしい施療院の門口で、雨が降ってるときは敷居際で待ち続ける、パーセンテージへの期待を抱えて、はっきりパチルス性の、本物の痰、〈百パーセント>結核性の痰への望みをかき立てながら。回復は彼らの願いん中じゃあ年金よりずっと後のことだ、そりゃ無論回復のことだって考えちゃいるけど、ほとんどかすんじまってて、年金生活者になりたい、どんなしがないんでもいい、どんな条件でもいい、ただただ年金で暮せるようになりたいという望みに彼らはすっかり目が眩んじまってた。彼らにはこの頑迷な最後の望みを別にしたらもうほかの願いなんぞは取るに足らない小さなものばかりで、だから自分の死でさえもがそれに較べりゃなんかえらくどうでもいいような、せいぜいがスポーツの事故くらいのものんなっちまうわけだ。死なんてせいぜいが何時間か、うまくすりゃ何分間かの問題にすぎないけど、年金となるとこいつは貧乏とおんなじだ、なにしろ一生続く。金持連中の酔い方はまた別で彼らには保障へのこんな熱中ぶりなんて理解できない。金持だってことは、また別の酔いだ、」 「金持を喜ばせるのは簡単だ、たとえば鏡が一枚あったらそれで自分の顔を拝ましとけばいい、世の中に眺めて楽しいものなんて金持よりほかにないからだ。連中を元気づけてやろうと思ったら、十年ごとにレジォン・ドヌール勲章の位をひとつずつ上げてやりゃあいい、年増女のブラジャーの穴みたいなもんだ、そうすりゃあと十年はそれに気をとられてる。」 「番を待つあいだ彼らがおたがい同士、おれがいるとも知らないで話してんのを何度か耳にはさんだことがある。連中おれのことであとからあとから聞くに堪えない悪口と想像も及ばない出鱈目を並べたててた。そんなふうにおれをこきおろすと連中はなにか不思議な勇気が薄いてくるらしかった、それはちっとでも非情でしぶとく邪険になるために、そうして永らえ、持ちこたえるために、是非とも必要な頭気だった。いやまったく、こうしてくさしたりけなしたりんだり脅かしたりするとほんとに彼らは元気が出てくるんだ。」 - 2026年10月6日
セリーヌの作品〈第1巻〉夜の果てへの旅L=F・セリーヌまだ読んでる「勇気を出すんだ、フェルディナン、とおれは自分に言い聞かせて、なんとか気持を奮いたたせようとした。いたる所で閉め出しを食ってりゃあ、きっとそのうちに奴らを人でなしどもを一人残らず、震え上がらせる手を見つけられるだろうぜ、その手は夜の果てにあるに違いない。それで奴らは夜の果てへ行こうとしねえんだきっと、連中は!」それからあとの車ん中の二人の間はなんとも冷たい限りだった。過ぎてく通りという通りは、果てしなく高い石の天辺まで武装した沈黙で、その沈黙のすべてをもって宙吊りの洪水みたいにひとを威圧してた。」 「おれは彼女が好きだった。ほんとうだ、けれどもおれは自分の悪癖の方がもっと大事だった、なんかわからないものを索めていたる所から逃げ出したくなるんだ、おそらくは愚かな思い上がりのせい、優越性みたいなものへの確信のせいだろう。」 「人生、それこそはほんとうの男たちにとってのほんとうの恋人なのに。」 「路地の両側にどれも見分けのつかない住居が並んでた。明け方の小雨に濡れた石畳に朝日があたって青く光る。電車の連れたちは自分の影を抱えて消えてゆく。日の光りに目をつぶって。この影帽子たちに話しかけてもまず答えは返ってこない。疲れきってて。でも彼らはこぼしたりしない。閉店後、夜の間に街中の店という店を、会社を、掃除するのは彼らだ。おれたちほど、昼間の人間ほど不安そうじゃない。たぶん彼らはみんなもう人と物との一番下へたどり着いちまってるからだろう。」 「あなたのそれは、いつでももっと余計に知りたいってのはあなたの病気なのよね、つまり…•・・・どっちにしても、それがあなたの道なんだわ・…!たった一人の道.••一人っきりの旅行者がいちばん遠くまで行けるんだって言うじゃない…••••で、もうじき発つの?」 「おれは誰でも彼でもあとへ残して行っちまうんだ。」 「生涯を通じてひとが追い求めるものはたぶんこれなんだ、ただただこれだけなんだ、この世におさらばするまえにほんとうの自分になるための、もうぎりぎりの悲しみ。」 「彼女を置いてくるなんてよっぽど頭が狂ってたに違いない、それもなんて下劣で残酷な狂いかただ。その代わりぼくはいままでこの魂を守ってきたし、もしあしたあの世のお迎えがきたとしても、おれは確信できる、おれはそのとき決してほかのみんなほど冷たくも、浅ましくも、重たくもないだろう、それはみんなあのアメリカでの何か月かのあいだにモリーが贈物としてくれた優しさと夢のおかげだ。」 「男ってのは流れてくる水を前にしてると物想いに誘われるもんだ。水夫たちみたいに、いわば、永遠の気分を抱いて放尿する。」 「朝はそれで電車が群衆を地下鉄に詰めこみに運んでく。みんながこっから逃げ出してくさまを見てると、アルジャントゥーユの方で何か大災難があって、自分の土地が炎上してるかなんかみたいだ。毎日のように明方をすぎるとおんなじことの繰り返しだ、みんな群をなしてステップや手摺にしがみつく。大敗走だ。これがみんなパリへ雇主のもとへ、飢え死にから救ってくれる人間のもとへ行くためだ、そいつを失うよりこわいことはないんだ、この意気地なしどもには。ところがはした金と引代えに滅茶滅茶汗を絞らされる。十年も二十年もまだその上も汗のにおいがついてまわる。楽じゃない。」 「まったくモリーの言ったとおりだった、彼女の言ったことがやっとわかりはじめてた。教育は人を支える、人に自導心を与える。人生の真諦にわけ入るためにはそこを通過しなきゃならない。以前にはただまわりを回ってただけた。いっぱしの無頼のつもりでいながら愚にもつかないことにすぐつまずく。夢の見すぎだ。言葉の上っつらを滑ってんだ。これじゃ駄目だ。そんなのはつもりだけだ、見てくれだけだ。腹を決めた人間には別のものが必要だ。医学でもってこのおれは、特別才に恵まれてるわけじゃあないけどともかくおかげで人間に、動物に、あらゆるものに近づくことができたんだ。いまやもう人間たちん中へ思い切って入ってくしかない。死が追いかけて来る、急がなくちゃ、それに探してるあいだにも食わなくちゃだし何よりも戦争の下をくぐり抜けなくちゃだ。しなきゃなんないことが山ほどだ。容易じゃない。」 「誰かを要さなくちゃならないんなら、大人よりは子供の方が危険が少ない、ともかく将来おれたちみたいなろくでなしんなるんじゃないよと希うことだけはできる。どうなるかはわかりゃしないけど。 まっさおな顔にいつものように踊ってる純粋な優しいほほ笑みをおれは決して忘れることができない。宇宙をもおおう明るさだ。 二十歳をすぎてまだこういう気の置けない優しさを持ってる人間はめったにいるもんじゃない、動物の優しさだ。こんな世界だと思っちゃいなかったもんな!そうとも!面つきだって変るだろうさ!あたりまえよ!間違えたんだもんな!そこであっというまに冷血漢に早変りだ!二十歳をすぎておれたちの顔に残ってるものはそれだけだ!間違いだけだ!われわれの顔は間違いだ。」 「おれは誰にでも気安すぎた。自分でもそれはよくわかってた。誰も払ってくれなかった。とりわけ好奇心から、おれはロハで診察した。 これは良いことじゃない。人は親切の借りに仕返しをする。ベベールの叔母もみんなとおんなじようにおれの思い上がった無欲さにつけこんだ。それも汚ないまでに濫用した。おれは黙ってだまされてた。みんなの言うなりに。みんなはおれを引き止め、病気のお客たちは、泣きつき、日増しに臆面なしんなってもう思うがままにひとを操るんだった。そればかりか連中ふだんは心の生簀(いけす)ん中に隠してて決して人に見せない醜さを、おれにだけはこれでもかとばかりぶちまけて見せるんだ。いくら大金を積んだってちょっと見られないほどの醜悪さだ。」 「習慣は勇気と違ってさっさと居座る、とりわけおまんまの習慣は。」 「さあ本題にもどろう!とは言ってもきみの知らないことで教えて上げられることなんかつまりありゃしないんだよ!いろんな説が山ほどあるけどどれも覚つかないし、試験結果だって頼りないのばかりだし、結局はどれも選べないってのが理性の命ずるところだな!まあだから、できる限りやってみるんだねきみ!なんかしなきゃなんない以上、できる限りやるしかないさ!だいたいぼくはね、打明けて言うとこのチフスって病気にはもうとてもじゃないけどうんざりんなっちまってんだよ!考えただけでもね!ぼくが若いころこいつに、このチフスに取り組んだころには、この領域に足を突っ込んでる研究者はほんの数えるほどしかいなくってね、だからそれ、おたがいに立てっこするのも簡単だった…・・・•・それがいまじゃどうだ?ラブランドからさえやって来るんだよ!ペルーからも、日毎に増えるばかりさ!あらゆるところから専門家がやって来る!日本じゃもう大量生産だ!もう好い加減手垢のついたこの問題について、ほんの何年かのあいだにわんさと出る突飛な論文で、世界中がまるでもうてんやわんやの有様んなっちまった。ぼくなんかもうなんとか地位を守ってけさえすりゃいいと思ってるよ、そのために学会や雑誌に機会のあるたんびにおんなじ論文を焼き直して報告してる始末さ、その度に抜目なくつまらない手を加えてね、どうでもいいようなことでね…・•••・それにしてもねえきみ、まったくのとこ今日びじゃまるでマンドリンかパンジョーみたいにそこら中チフスだらけだ。 冗談じゃないよほんとに!みんながそれで自分勝手な曲を弾こうってんだから。いやだね、正直な話もうこれ以上あくせく苦労してく気力はないよ、あとはもう隅っこに引っ込んでおとなしい研究をしてけりゃあと思うよ、敵もできなきゃ弟子もできないような研究をね、誰うらやましがる者もないこのつまらん名声だけありゃあそれで満足さ。」 「釣人たちの足もとで水がチャポチャポ音をたててた、腰をおろして連中の釣りを眺めてた。ほんとに、まるっきり急いじゃいなかった、このおれも、釣人たちとおんなじに。どうやらおれはその時期に、たぶんその年齢にきてたんだ、過ぎ去ってく一時間ごとに自分が何を失ってくのかがわかりだしたんだ。ところが人間はまだ時間の路上でぴたりと立ち止まれるような知恵を身につけてないし、それによしんば止まれたにしてからが、若いときからとっ憑かれてたあの胸踊る前進への狂気がなけりゃあ、なにしたら良いかもわかるまい。もう若さはかつてみたいに誇りじゃない、人前で認める勇気こそまだないが、若さってのはたぶんそれだけのことなんじゃあるまいか、老いぬべきいっときの熱気じゃあ。 自分の滑稽な過去のすべてが、あまりにも滑稽とごまかしと盲信でいっぱいだったのに気がついて、人はたぶん若いってことをきっぱりやめようって気になるんだ、やめて若さが自分から離れてくのをやりすごして、遠ざかってくのを見、その空しさをとっくり眺め、あとに残った穴ぽこを手で確かめ、そいつがも一度目の前を過ぎてくのを見た上で、そいつが自分の若さがたしかに行っちまったのを確言して、それから自分が歩き出すんだ、今度は自分が、落着いて、自分ひとりで、ゆっくりと「時」の向こう側へと渡るんだ、そうして人たちや物たちがほんとうにどんなふうなのかを眺めるんだ。」 「河岸の釣人たちの竿にはさっきからなんにもかかっちゃいなかった。もともと魚を捕えようなんて気もたいてなさそうだった。魚たちも連中のことを知ってるに違いない。みんなただ釣ってるふりをしてるだけなんだ、きれいないまはの陽光がまわりにまだちょっぴりぬくみをとどめ、水面に青と金色の細かい光を踊らせてた。風も、対岸の大きな木立ちを渡ってくるのがなんともさわやかだった、生い茂った木の葉を通して身をかがめ、ほほえみかけるやさしい疾風みたいだった。いい気持だった。そうしてたっぷり二時間も、みんな何も捕らず、何もしないでじっとしてた。やがてセーヌが黒ずみ橋の一角が夕焼けで真赤んなった。河岸を行く人びとからみんなは忘れさられてた、おれたちは、岸と水とにはさまれて。 橋の迫持(アーチ)の下から夜が這い出してきてルーヴル宮に沿って昇り、その正面を捕え、闇をまえに燃え上がる窓をひとつまたひとつと捕えてった。それから窓もみんな闇に消えてった。 もう腰を上げるしかない。」 - 2026年9月27日
セリーヌの作品〈第1巻〉夜の果てへの旅L=F・セリーヌ読んでるいやぁ、撃ち抜かれた。 すごい作品だ。これは凄まじすぎる。 徹底的な諧謔精神。 アルシードの姪っ子を想うエピソードに胸を打たれた。 「大佐がでっかい声で訓示をぶった。《勇気を持て!と彼は言った••••••勇気を持て!フランス万歳!》想像力のない奴にとっちゃ、死なんてどうってこたあない、想像力がある奴には、こいつは冗談ごとじゃない。」 「連隊中で死が想像できるのはこのおれ一人きりだってのか?おれの分は、おれの死はおれだけのものにしといて貰いたい、それもできるだけ先のことに願いたい••••••」 「自分の死についてぐらい自分の考えを持ったって良い筈だ。」 「忘れるってのがつまりは一番の敗北だ、とりわけおれたちをくだばらした相手をだ、どこまで人間汚なくなるもんかもわからずおっ死んしまうんじゃあ。墓穴の縁に立った時にゃあ知ったかぶりしたって始まんないけど、かと言って知ってることは忘れちゃならない。この世で見た人間どもの堕落の限りのありったけを一言半句の嘘もなしにしゃべくってやらなきゃだ、それからさ、口を閉じて穴ん中へ入るのは。人間一生の仕事としちゃあ、それだけやりゃあ充分だ。」 「それからおれの馬も一緒にだ、けどこっちはもう苦しみを免じてやるためで、それってのもやっこさん、でっかい図体をして可哀想にもう背中なぞなくなっちまってて、それほどひどい目に遭わされて、まだ残ってる肉と言ったら、鞍の下におれの手のひらくらいの大きさのがただふた切れ、赤剝けんなってじくじくで、血膿が毛布の縁を伝ってベッとり膕(ひかがみ)まで流れてた。それでもそいつに跨って走らなきゃあならなかった、パッカ、パッカ••••••痛さに身をよじりながら走ってた。けど馬ってのは人間どもより遥かに辛抱強い。よろめきながらも走り続けた。夜は外へ放っとくしかなかった。納屋ん中へ入れようもんなら傷口からでる臭気のせいで、そいつがあんまり猛烈でこっちが窒息しちまいそうだった。背に跨がろうとすると、あんまり痛いんでお辞儀でもするみたいに身をかがめ、そうすると腰が膝にくっついちまう。だからまるで驢馬ん乗ろうとしてるみたいだった。」 ⭐︎とんでもない表現だ。これはすごい。やられた。 「このころからだ、士気を昂めるために分隊単位で兵隊の銃殺が始まった。そうして例の憲兵な、奴用の小戦争、ほんとの本物の地獄の戦争の遂行ぶりによって、〈日々命令〉で表彰され出した。」 ⭐︎まるで軍国主義のころの日本の軍隊の話のようだ。戦争は同じ顔をしているということ。 「アステカ人は話によると常日頃、連中の太陽の神殿で、週に八万もの信者の腹を切り裂いてたそうだ、雨を降らして貰うために、そうやって雲の神様に犠牲を捧げてたそうだ。こんなのはちょっとやそっとで信じられる話じゃない、戦争に行くまでは。けど、戦争に行ってみると、すっかりわかる、アステカ人もアステカ人が他人の身体を軽視すんのも、」 ⭐︎これまたすごい話だ。信仰や戦争が炙り出す残虐性。 「明日か、連中にとってもやっぱり、明日は遠い、こんな場合に、明日なんて言葉にたいした意味はない。おれたちみんな誰にとっても、要は一時間でも生き延びることだった、そのたったの一時間生き延びるってのが、こんなに何もかもが人殺しに集中してる世界じゃあ、もうそれだけで奇蹟ってもんだった。」 「やっこさんに教えてもらいたかったこの男にこの予備役がそこにいる間に、どうしておれには勇気がないんだか、このおれにもだ、ほかのみんなみたいに、戦争をする夢気が…・・..だがやっこさんなんにも教えちゃくれなかった、ただもう沢山だと繰り返すばっかりで。」 「どこを見たって小さな窃盗ってやつは、それもとりわけけちくさい食物の窃盗だ、パンとかハムとかチーズとか、そんなのは犯人に間違いなく歴然とした浮名を着せるんだ、徹底的な村八分だ、極刑だ、有無を言わさぬ凌辱だ、贖いがたい恥ってわけだ、なぜかって言えば理由はふたつだ、まずそんな犯罪の犯人はたいていが貧乏人で、この貧乏人て状態がそれだけでもう最大の反社会行為なんだな、それともうひとつはそいつのやったことが社会に対する暗黙の非難を含んでるからさ。貧乏人の盗みは個の悪質なる奪回ってことになるんだな、わかるかい?••·その結果かね?だからけちなこそ泥は、それ、どんな環境ででも極度に厳しく弾圧されるのさ、それもただ社会を護るためだけじゃない、むしろそ いつは、あらゆる不幸な連中に、おとなしく自分の階級の自分の巣に引っ込んでて、何百年たっても未来永劫貧困と死を喜んで受け容れろって言う厳しい忠告なのさ…・・・・」 「ああきみ!こんな世界ははっきり言って巨大な愚弄装置にすぎないんだ、」 「君らのような哀れなお人好しだ、年中汗水垂らしながら、叩かれ、搾り取られてる人生のおばかさんたちに忠告するんだが、この世のお偉方どもがそんな君らを愛しはじめた時は、それは連中が君らを戦場のソーセージにしちまおうとしてるってことだ…•••その徴候なんだ…••••これはもう絶対間違いっこない。まずはちやほやではじまるのさ。」 「ルイ十四世は、少なくともやっこさんは、善良な民衆なんてものをまるで問題にしちゃいなかった。ルイ十五世はって言うと、彼も同じだった。民衆なんて拭き残したうんこぐらいにしか考えちゃいなかった。そりゃあのころはみんなろくな暮しはしちゃいなかったさ、貧た人はろくな暮しなんぞしたためしはない、だけど当今の暴君どもみたいにむきんなって貧乏人のなぶり殺しをしたりはしなかった。哀れな連中がひと息つけるのは、そうさ、お偉方どもに無視されてる間だけなんだな、欲得づくかさもなきゃサディズムででもなけりゃ、連中が民衆のことなんぞ考えるもんか…•••・・哲学者たちだよ、これもついでに覚えとくがいい、普良なる民来に託を並べはじめたのは哲学者連中だよ…・・公教要理よりほかになにも知らない民衆にだよ!連中がおっぱじめたんだ、宣言までしてね、民衆の教育ってやつを・・・いやはや!連中には民衆に教える真理が山ほどあったもんさ!御立派な真理が!それも手垢のついた真理じゃない! きらきら輝くようなやつばっかりだ!みんなぽーっとなっちまった!これだ!と民衆は言いはじめた、まこれだ!まったくその通りだ!みんなこのために命を投げ出そう!民衆ってのは死ぬことしか考えちやいないからね!そういうもんなんだ。デッィトロ万歳!"なんてわめいたもんだ、それから、ブラヴォー、ヴォルテール!”だ。ともかくも哲学者たちだ!それから巧みに勝利を組織したカルノーも万歳だ!みんな万歳だ!とにかく民衆が無知と物神崇拝の中でくたばるのを見殺しにはしない頼もしい連中だ!民衆に「自由」の道を示したんだ!民衆の解放だ!それはすぐさま実行に移された!まずは万人が新聞を読めなくちゃいかん!それが救いだ!それ!急げ!文盲をなくせ!もはや文盲に用はない!必要なのは市民兵だ! 投票をする市民兵だ!字の読める市民兵だ!戦う市民兵だ!行進する市民兵だ!キスを送る市民兵だ! この新療法で善良な民衆はたちまち熟成した。だからつまり、この解放されたという感激だ、こいつをなんかに利用しないって法はないじゃないか?ダントンは伊達に雄弁だったわけじゃない。やっこさんは何度か滔々とまくし立てた、胸に応える弁説だ、歴史に伝わる名演説だ、それでやっこさん瞬く間に民衆を動員しちまった! これが解放された最初の熱狂部隊の初陣となったってわけだ!選挙権を貰って大喜びで国旗をかついだおっさんたちが初めてあのデュムーリエに連れられてフランドルへ鉄砲玉の的んなりに行ったんだ!」 「それからってもの、つまり装置が優れてたんだな、英雄の大量生産が始まった、装置を完備することで加工コストはどんどん安上がりんなってく始末だ。誰でもこの装置を素晴しいものと思った。ビスマルクも、二人のナポレオンも、パレスも女騎士エルザもだ。」 「時間というわれわれの肖像を、受け入れなけりゃならないんだ。」 「臆病者だの勇者だの、そんな言葉に大した意味はありゃしない。こっちじゃ腑抜けであっちじゃ英雄、それもおんなじ一人の人間がだ、こっちでもあっちでも頭ん中は空っぽさ。」 「なんせ世の中芝居だらけなんだからこっちも芝居をしなきゃなんないわけで、ブランルドールは間違っちゃいなかった、実際何が馬鹿面に見えて神経に障るかったって、なんかの拍子に舞台に上がったでくの棒の観客くらいひどいもんはない。いったん舞台に上がったからには、だってそうだろう、調子を合わせてその気んなって芝居をしなきゃあ、覚悟を決めるかさもなきゃ消えるかしなけりゃあ。とりわけ見せ場を欲しがってたのは女どもで、下手な素人役者に対しちゃあ、鬼婆どもめ、情も容赦もありゃあしなかった。戦争ってのはこりゃあもう明らかに、卵巣に作用する、女どもにとっちゃ戦争には英雄がいなくちゃならないわけで、英雄でもなんでもない奴はそれなりの待遇に甘んじるか、さもなきゃもうこの上もない屈辱の運命を忍ばなけりゃあだ。」 「つまるところ彼女の考えは、彼女みたいな平民はなんにつけ苦しむために生まれて来たんで、苦しむのが自分たちのこの世の役目で、近頃こんなに嫌なことばかり起こるのは、それもやっぱり、すっかりそうとは言わないまでも、自分たちが度重なる過ちを犯して来たからだ、平民が・・・・・愚かな過ちをしでかして来たんだ、もちろん、そうとは知らずにしたには違いない、けどそれでも自分たちの罪には変りはない、こんなにして苦しんで、それで自分たちの卑しさを贖わせてもらえるだけだって有難いことと思わなくちゃいけない…•••、手のつけようがない女だった、おふくろは。」 「暑さの絶望的な低迷で人間の積荷はみんな溶けてひとつの泥酔の塊りんなっちまった。デッキの間をのろのろうごめいてる様はまるで水槽の濁り水の底の蛸みたいだった。そのときからだ。白人の嫌らしい性が表に浮き上がってくるのをおれは見た、けしかけられ、解き放たれた、連中のなりふりかまわぬ本性がだ、戦争んときと寸分違わずにだ。八月になるとかいこ蟇や蝮がやっと這い出して来て監獄の罅割れた脇腹を被いつくす、本能が熱帯の蒸風呂に浸されるとあれとおんなじだ。ヨーロッパの冷気ん中じゃあ、北方の控え目な灰色の空の下じゃあ、殺し合いんときででもなけりゃあわが同胞のおぞましい残酷さも推し測るのがせいぜいだけど、熱帯の劣情に煽られた途端に連中の腐敗菌は、肌を侵蝕しはじめるんだ。そのときだ、連中は狂ったみたいに服を脱ぎ捨て、劣情が幅をきかせてわれわれを呑み尽す。生物の本性だ。労働と寒さの締めつけが解かれ、その万力がちょっとでも緩まるとすぐ、「白人」の正体が顕われる、」 「ごく当たり前のいちんちのうちにだって君の死を願う人間が少なくても百人はいるだろう、たとえば急いでんのに君が邪魔んなって地下鉄に乗りそこなった連中も、君の家の前を通る持家のない連中も、君のおしっこが終るのを待ってとちとちしてる連中も、みんなそうだ、つまりは君の子供たちだってそうだし、ほかにもわんさといるわけだ。ひっきりなしにだ。ただ馴れちまってんだ。」 船ん中じゃあこのいらいらが我慢できにくい、さあ、そうなると厄介だ。 「こいつは猥談とおんなじで、武勇談てやつはいつだってどこの国のどんな軍人でもこれを喜ばない奴はない。相手が将校だろうとなかろうと男たちと講和を結ぶには、講和ったってどうせはかない休戦にゃあ違いないけど、それでも大切なことに変りはないんで、つまりそれには、どんな場合だろうと、相手にばかばかしい自慢話を思う存分しゃべくらせるのが一番だ。知性的な自惚れなんてもなあない。そいつは本能だ。それにまたまるっ切り自惚屋じゃない人間なんてのもいるもんじゃない。ごますりのおべんちゃらにも取柄があるのは、だいたいにおいてそれよりほかには人と人とが多少とも喜んで許し合う道はないからだ。この兵隊さんたちの場合もおれは、苦労して想像力を働かせるには及ばなかった。なんのこたあないびっくり仰天したふりをし続けてるだけのこった。戦争の話を根掘り葉掘り聞き出すぐらい簡単なことはない。相棒どもはそいつでパンクしそうだった。まるで病院時代の全盛期に逆戻りしたみたいだった。めいめいの話が終るたんびにおれは、ブランルドールから学んだとおりに、大仰な言薬で讃嘆の意を表わすことを忘れなかった。「いやはやそいつはまったく、歴史の一ページを飾るようなお話ですねぇ!」これくらい便利な紋切型はない。今しがたちょろりと仲間に入りこんだばかりのおれのことを、みんなはだんだん話せる男だと認め始めた。連中がしゃべりだした戦争話のたわごとぶりは、昔さんざん聞かされたのや、も少したってから病院の相棒たちと想像力を競い合ってたときに自分でもしゃべったのとおんなじことだった。」 「いやまさに、おれこそは至福の創造者だった。みんな膝を叩いて喜んでた!この湿っぽい苦しみばかりの世の中で人生を楽しくできるのはおれだけだった!おれほどの聞き上手がいるだろうか? ブラグトン提督丸はおれたちがこんなふうにばか話にふけってる間にもだんだん船足を落として、のろくた潮汁(うしおじる)ん中を進んでた。アトムひとつのそよぎもない空気に包まれて、海岸沿いを進んでるらしかったけど、まるで肥溜めん中を行くみたいに重たげだった。 肥溜めみたいなのは頭の上もおんなじだった。まるで一面黒いどろどろの膏薬だった、そいつをおれは物欲しげに眺めやった。夜ん中へ帰ってくこと、おれはそいつが大好きだった。」 「家ん中から下の方に河の船着場がきらきら照り映えてんのが見えたけど、細かい土埃がもうもうと立ちこめてて、はっきり見定めはつかないままに、活気溢れる騒然とした物音ばかりが、手に取るように聞こえてた。岸壁には黒ん坊の行列が何本も、鞭の下であえぎあえぎ、積荷を満載した船って船の船倉から荷を揚げてるとこだった。罵声を浴びて、てんこ盛りのでっかい籠を頭に、平均をとりながらぐらぐら揺れる危っかしいタラップを登ってくとこは、まるで立ち上がった蟻の行列みたいだった。 そんなのがいくつも不揃いな珠数をつくってぞろぞろ真赤な土埃ん中を行ったり来たりしてた。労働中のそういう恰好ん中には、まだその上に背中に小さな黒い点をくっつけてるのもあった、母親たちだ、母親たちまでが子供の上にまだ余分な重荷の都子キャベツの袋をかつぎに来てたんだ。いったい蟻んこだってこうまでできるもんだろか。」 「いやまったく、このアルシードは崇高の世界をなんの気兼ねもなく、言ってみりゃあ自分の家みたいに歩きまわってた、天使たちと友達づき合いをしてたんだ、この男は、しかもそんな素振りはこれっぽっちも見せずにだ。考えてもいなかった遠い親類の小娘のために拷問にも等しい年月を捧げてきたんだ、単調な酷熱ん中でそのあわれな人生をいちんちいちんちと消し去ってたんだ、無条件で、かけ引なしで、自分の善良な心のほかにはなんの利益もなしに。その遠縁の小娘に全世界を改造することもできるほどの優しさを捧げてたんだ、しかもそんな気配も見せずにだ。 彼はすぐに眠り込んだ、蝋燭の明りの下で。おれはとうとう一度起き上がって、明りをかざしてその顔立ちをつくづく眺めた。誰でもとおんなじように眠ってた。何の変哲もない顔だった。それにしても善人と悪人とを見分ける何かがあったって悪かないだろうに。」 「おれは相手ん中に紛れもない冒険屋の顔立ちを見てとった、輪郭のはっきりした顔、人生のうわべを撫でてくんじゃなくて裸のまま人生ん中へ飛びこんでく強(したた)か者の面接え、たとえばそのでっかいまん丸の鼻にしろ帆みたいにふくらんだ頬にしろだ、ざわざわ波を蹴立てて運命に向かってく帆船だ。けどこいつは運の悪い奴だった。」 「人も物もひとたび過ぎ去るともうまるっきり動かないことは恐ろしいほどだ。時間の墓場ん中へ置き忘れられた生者は死者と一緒にぐっすりと眠り込んでて、おんなじ闇ん中で早くも見分けがつかなくなっちまってて。年を経るにつれてもう呼び起こそうにもどれが生者かどれが死者かもわかんなくなっちまう。」 「行先の当てでもありそうに道を探すふりをしながら、右へ曲がってもちっと明るい通りへ出た、〈Broadway〉って通りだった。標示板にそう名が書いたった。見上げると最上階のはるか上のほうにまだ陽の光もいくらかあって、空のかけらとかもめたちとが見えた。みんなは下のほうの明りん中を歩いてるんだけど、その明りは森ん中とおんなじに病みつかれて灰色で、おかげで通り全体が薄汚れた大きな混ぜ織りの綿布に見えた。 そいつは悲しい傷口みたいだ道ってやつは、いつ果てるとも知らず、その底にはおれたちが、おれたち人間が端から端まで、次から次へと苦しみを求めて、決して見えないその果てに、世界中の道という道の果てに向かって歩いてくんだ。」 「年齢ってやつもまたきっとやって来て、裏切者め、最後の手でもってひとを脅すんだ。人生を踊らせるための音楽はもう自分の中にいくらもない。青春のすべては真実の声を聞かないままにもはや世の果てへ死出の旅に出た。自分の中に充分なだけの熱狂がなくなったら、教えてくれ、外へ出て、どこへ行ったら良い?真実は、永遠に続く死の苦しみだ。この世の真実は死だ。選ばなくちゃならない、死ぬか嘘をつくか。おれはどうしても死ねなかった。」 「そいつは完全に活きてるってわけじゃないスクリーンの中で起きてることは。そん中にはでっかいおぼろな部分が残されてる、貧乏人のための、夢のための、死者のための部分が。あわててそいつを詰めこむんだその夢たちを、小屋を出てから、外で待ちかまえてる人生を切り抜けるために、物たちと人たちとのむごたらしさをもう何日か持ちこたえるために。人は誰でもいちばん心を温めてくれる夢を選ぶ。おれのは、白状しよう、卑猥な夢だった。偉そうな面してたってしょうがない、奇蹟からは手に入るものをものにするまでさ。忘れられないおっぱいとうなじの金髪がスクリーンの休んでるあいだを埋めに出て来て、わが身の孤独を題にした唄を歌った。みんな彼女と一緒に泣かんばかりだった。 これなんだ良いのは!おかげでどれほど力が湧いたこったろう!これで少なくとも、もういまから感じられるんだ、あと二日は肉ん中に勇気が溢れるだろう。」 「哲学するのもまた別の怖がり方にすぎない、それで気が済むのは逃げ腰の屁理屈屋だけだ。」 「金のない人間の一生は長い妄想ん中の長い失意にすぎず、人は何かを本当に知ろうにも何かから解放されようにも、そいつを所有してなきゃ敵わないことなんだ。」 「おれの坐った汚れひとつない溶岩のテーブルは、小さくって足がかくせなかった。そこら中からおれの足がはみ出した。ちょっとのあいだどっか他処へ行ってて欲しかった、自分の足にだ、なにしろガラス窓の向こう側からいましがた通りに残してきた行列の連中に眺められてるんだから。みんなおれたちが食べ終わるのを待って、こんどは自分が席へ着こうとしてるわけだ。まさにそのために、連中の食欲をつなぎとめとくためにこそ、こっちはこんなにおれたちは煌々と照らされ目立たされてんだ、生きた広告ってわけだ。ケーキに載った苺たちはきらきらと無数の光を映しててなかなか口に入れちまう気んなれなかった。 アメリカ商法を逃れるすべはない。」 「おれのいる高いところなら連中になんだって好きなことを怒鳴ってやれる。やってみた。どいつもこいつもうんざりだった。昼間面と向かってじゃあ勇気がなくてなんにも言ってやれないけど、こっからならちっともこわいことはない、おれは連中に向かって叫んだ、<助けてくれ!助けてくれえ!)ただどんな反応があるか見たかっただけだ。なんの反応もありゃしなかった。夜も昼もただやみくもに生きてるんだ人間は。人生のほうは人間にすべてをしてる。自分のたてる音が連中はなんにも聞こえない。構っちゃいないんだ。そうして都会がでかけりゃでかいほど高けりゃ高いほど連中は構っちゃいないんだ。嘘じゃない。おれは試した。もいちど試すには及ばない。」 「人生で係わり合った人びとの身際手さ加減てのは、こっちが年齢とってからその連中のことを考えると、歴然と、というのはつまりあるがままの姿で、鋼鉄のごとく、プラスチックのごとく、時間よりはるかに長持ちしそうな姿で目に見えてくるもんだ。 若いあいだは、どんなに冷たい仕打ちにもどんなに卑劣な裏切りにも、情の気まぐれだとか世馴れないロマンチシスムの徴しだとか、なんとかして納得の理由を見つけ出すもんだ。ところが年齢をとって、どうにかこうにか体温を保ち続けるただそれだけのためにでも、人生どれほどの悪智恵が、むごたらしさが意地悪が必要か、そいつを人生からたたきこまれてはじめて人は納得するわけだ、夢が醒め、過去がどれほど汚物まみれにされてたか見えるようになるわけだ。自分自身をとくと眺めてみさえすりゃわかることだ、自分がどれほど不潔な人間になったかを見るだけで。もう神秘もかまとともおしまいだ、ここまで生きて来た以上もう詩なんか食い尽しちまってんだ。徒の花さ、人生なんて。」 「勇気ってのは許すってことじゃない、どだい人はいつだって許しすぎる!許したってなんの役にも立ちゃしない、それはもう証明済みだ。「下女(おひとよし)」はあらゆる人間の後ろに、最後尾に並ばされてる。これは意味のないこっちゃない。そいつを忘れちゃいけない。いつか夜中に、幸福な人間どもを、彼らが眠ってるあいだに、ほんとに眠らしちまわなきゃならないだろう、いやほんとの話だそうして彼らも彼らの幸福も永久に片づけちまうんだ。 翌日はもう彼らの幸福なんか知ったこっちゃない、もう好きなだけ不幸んなれる、〈下女〉も一緒にだ。いや関話休題。彼女はところで部屋ん中をローラはしどけない部屋着姿で行ったり来たりして、彼女の身体はなんてったってまだおれにはえらく色っぽく思われた。豪勢な肉体ってのはそれだけで強姦の誘いみたいだ、富の、贅沢の核心へのじかの乱暴なそうして密かで甘美な押し入りだ、しかも奪い返される心配もない。」 「語るべき嘘がなくなったら少なくとも二、三世代のあいだきっぱり世界を閉店しなきゃなるまい。嘘がなけりゃあおたがい話すことなんかまずなくなっちまうんだから。」 「もう一度、新しい環境で新しい顔を、これまでとは違ったしゃべりかた嘘のつきかたを覚えなきゃならなかったわけだ。怠惰ってのはほとんど生命とおなじくらい強い。演ずべき新しい茶番のばかさ加減にまず参っちまう、それにやり直すには勇気よりもはるかにたくさんさもしさが必要だ。異国暮しってのは、他処者てっのはつまりそれなんだ、前の国の習慣には見放されたけど、もひとつの、新しい国の習慣に麻薄するとこまではまだいってない、人間の一生に珍らしく頭の冴えたこのいっとき、生活ってもんのほんとうにあるがままの姿が苛酷なまでに見えてくる。」 「戦争はある者を焼きある者を暖めた、中にいるか手前にいるかでそいつは業火にもなりゃ暖炉にもなる。うまくやってくよりほかはない。」 「おれがすっかり変ったと彼女が言ったのもほんとうなんだ。生きてくってことは、そいつは顔をゆがめ、ひしぐ。彼女の顔だってそれで押しひしがれてたけどただちょっぴり、おれよりうんとちょっぴりだけだった。貧乏人は踏みたたこだ。貧因は巨女(おおおんな)で、彼女は世界の汚物を拭うのに雑布代わりにひとの顔を使うんだ。汚れはそのま浸みついちまう。」 - 2026年8月29日
認知症になった蛭子さん蛭子能収蛭子さんが好きなんです。 もうめっちゃくちゃでそれでいて憎めない人柄。 蛭子さんのパートナーいわく「自分ファースト」。 交際し3ヶ月目の2泊3日の佐賀旅行で パートナーをホテルに残し3日連続競艇へ行くクズっぷり。 パートナーは2017〜2019年にかけ4度、救急車で運ばれている。蛭子さんの夜間頻尿の付き添いで睡眠時間が1〜2時間だったという。 要介護認定が下り、ショートステイやデイサービスを利用するようになったことでパートナーの睡眠時間が確保され心にゆとりができ、蛭子さんのことをプーさんのようでかわいいと思えるようになったエピソードがいい。 蛭子さんから「ありがとう」と言われるようになったとも。 なるほどぉ 日中に適度な運動をさせることで良い意味の疲労により夜間の症状が和らぐこともある。 日中、ボーっとテレビを見たり横になっていると疲れず体内時計が狂ってしまう。 蛭子さんはほんと不思議な人だなぁ。 心が軽くなるんです。 あの風貌や体型もあるんだろうな。 そして パートナーやマネージャーが素敵な人で これもまた人徳か。 「うらやましいぞ、このやろう」って 僕の中のビートたけしが突っ込んでいる。 - 2026年7月28日
やくざと芸能となべおさみ読み終わったたまたまブックオフで見つけた本 あまりにも興味をそそられるタイトル そして帯には大好きなたけしさんの推薦文 買わない手はない。 それにしても変な人というか変な本というか 変は変でも偏りのある「偏」な人、「偏人」という感じがする。 「やくざの本当の語源」の章から トンデモ本的な内容になる。 それまでは良かったんだけどなぁ。 だからとばし読みした所もある。 まぁ、そういう読み方もありだ。 でも勉強になった所もあった。 やくざは二つの分類からなる ①博打を業とする博徒。渡世人と呼ばれた。 ②祭礼や盛り場の路面で物を売る香具師(やし)。野 師とも。今で言うテキヤ。 野師とも。 仏教が伝来し仏具を売るため利用されたのが武士 の職を失い浪人となった御家人。この人たちは学 があり常識に長けていたので能書きを並べること ができた。 香具師よ呼ばれるのは武士のプライドが許さない ので自ら野に下った武士「野武士」と名乗る。 しかし世の風は冷たく武士でない者が武士と名乗 るのをゆるさない。 それで「武」を取って「野士」になり「香具師」と 呼ばれるようになった。そして被差別民の中に組 み込まれ表通りで商売は出来ず、祭礼の神社境内 や河原に生活の場を求めた。 当時の江戸の裏店(うらだな)で表向きは半弓を 使った射的屋を商っていたが2階で売春をしてい た。お上への申告書には「的屋(マトヤ)」で出し たが役人は「テキヤ」と勘違いした。 「私が出会ったやくざも、皆、いいかげんには生きてはいなかったと断言出来る。むしろ、私の知るたくさんのいいかげんな堅気よりも、真面目に生き死にしていたと言える。」 「腕っ節や鼻っ柱の強い者は、男を売って生きたのだ。男伊達という世界だ。これがやくざだ。」 「売るものが無い者は困った。長は賢かった。「売るものが無かったら、媚を売れ!」と言ったに違いない。」 「外れ者には、女も大勢居た。女は女を売ったのだ。鬻ぐとは、売るとか商うことだが、春を鬻いでいたはずだ。食うための手段として、粥より高く、色香は代価になったのだ。それは水商売となった。水商売は息抜きだ。息抜きは和みで、和みは金に為ったのだ。こうして吹き溜った人々がもちつもたれつ、生きてきたのだ。」 「ヤクザには「反社会勢力」とか「暴力団」とかいう現代の言葉では引っ括れない千年を越す歴史があります。と申しますのは、「役座」という「座」は、お祭りのための相談会みたいな「寄り合い」から起こったものです。 「神社や寺を中心にした日本式のお祭りは、「五穀豊穣」を祈願したり農耕民族としての儀式的色彩の濃いもので、その時々の支配者が、上手に利用して民を喜ばせながら、年に二度程の無礼講「大イベント」 に育て上げました。無礼講というのは、貴も賤も上下の差もない。祭りの大義名分は「五穀豊穣」ですが、その裏は民百姓の一揆や反乱を防ぐ「ガス抜き」の政策だったのです。それが支配者の真の目的です。盆踊りなども文字通り踊らされて毒気を抜かれたのです。」 「無礼講の催しには支配者の隠し願望、次代の労働力の確保が秘められていた。日本の社殿は山にあり、山は神聖で、女性は不浄とされており山へ入れなかった。祭りの前夜祭たる宵祭からは、宮祭で女性も山に入れた。そして山門を一歩入るや、乱行自由の無秩序です。男女の醜美を隠すために、お面を付けての入山の掟があったり、田園で泥の擦り合いを儀式として組み立てた。」 - 2026年7月25日
呪われた町 下スティーヴン・キング,永井淳読み終わったキングの小説は結末に重きを置いていないように思える。あまりにも過程が面白すぎるから結末はどうでもいいというか。結末なんてだいたい似たようなものになるからね。 「町はあくまでポーカー・フェイスを通してそれらの秘密を守り続けるのだ。町は神の業や人間の業を好むのと同じように、悪魔の業を好んでいる。町は闇を知っている。そして闇はいたるところにあった。」 「完全に眠りに入る前に、彼は大人の特質について考えていたーそれを考えるのは今夜がはじめてではなかった。大人は恐怖を追いはらって眠りを呼びこむために、下剤や酒や睡眠薬をのむ。だいたいが彼らの恐怖というのはひどく平凡で世帯じみている。仕事や金のこと、ジェニーにもっとましな服を買ってやれなかったら先生はどう思うだろうか、女房はおれを愛しているだろうか、おれの友達はだれなのか、といったようなことばかりだ。それらは、あらゆる子供たちが大人に話してもわかってもらえる望みがないままに、暗いベッドの中で抱いて寝なければならない恐怖にくらべたら、まさに散文的としかいいようがない。毎晩のようにベッドの下や地下室にひそみ、目に見えないところを跳楽して彼らをおびやかす怪物と戦わなければならない子供たちのためには、グループ療法も精神分析も地域の社会奉仕もない。くる夜もくる夜も同じ孤独な戦いを続けなければならず、唯一の療法はやがて訪れる想像力の骨化だけである。それが世にいう大人になることなのだ。」 「キャラハンは、癌、心臓発作、あるいはその他の主要な内臓疾患を知らされた患者が最初に示す共通の反応は、人目をはばからぬ感情の露出であることを経験から知っていた。患者は自分自身の肉体という親しい(そして、少なくともそれまでは、完全に理解していたつもりの)友人が、みずからの責任すら果たしえないほどの怠け者であることを知って愕然とする。この最初の反応のすぐあとに続くのは、これほど手ひどく期待を裏切るような相手は、友人の名に価しないという考えである。その結果、こんなやつは友人であろうとなかろうと構わないという結論に達する。彼は自分の肉体という二心ある友人と口をきくことを拒めもしないし、そいつが電話をかけてきたときに居留守をつかうこともできない。こうして病床であれこれ考えた末に辿りつくのは、自分の肉体が実は友人などではなく、彼を酷使してきた横暴な主人を滅ぼすべく決意した執念深い敵だったのではないか、という恐ろしい疑惑である。」 「原稿の東をくず籠に投げこんで、表紙を破って点火用のこよりを作った。ライターでこよりに火をつけて、充分に燃えあがってからタイプ原稿の上に投げた。焔がタイプ用紙の味見をし、味が気に入ったらしく、めらめらと拡がっていった。」
- 2026年7月21日
呪われた町(上)スティーヴン・キング,永井淳読み終わったキング先生の作品にまた戻ってきた。 おもしろいんだよぁキング先生は。 ベンにとってマーステン館はギャツビーにとっての対岸の緑の灯火のようだ。 「人間には二つの種類がある。意のままになる人間とならない人間。世の中には十対一の割合で前者のほうが多い。」 ⭐︎くそーっ!どうせ俺は奴隷労働のキングですよーだ! 「二十七年間の結婚生活で彼女が示した唯一の思いやりは、夫より先に死んだことだった」 ⭐︎さすがキング先生。素晴らしい表現。 「東の空が白みはじめ、ノートン家と町の間に拡がる野原では、露が王様の身代金のダイヤモンドのように輝いていた。」 ⭐︎王様のダイヤモンドではなく、王様の身代金のダイヤモンドとは。身代金とすることでより高価なものに思える表現。さすがキング先生。 「彼女は十七歳で、彼ら夫婦はこの七月に最初の結婚記念日を祝った。六カ月の身重で、グッドイヤー・タイヤの飛行船みたいなおなかを抱えてロイス・マクドゥガルと結婚したとき、結婚生活はキャラハン神父の言葉通りにー祝福された脱出ロー祝福されているかに見えた。ところがいまはそれがうんこの塊としか思えなかった。」 ⭐︎笑ってしまった。 「彼の手が上のほうに滑ってゆくと、彼女の豊かな胸が大きく盛りあがってやわらかく彼の手を迎えた。彼女と知りあってから自分が十六歳の少年に戻ったような気持になったのは、これで二度目だった。頭に血がのぼった十六歳の前には、なんの障害物も見当たらない六車線の道路のように、欲するすべてが横たわっていた。」 ⭐︎六車線の道路というのがいいな。 「マーク•トウェインがいってますよ、小説とはなにもしなかった人間のすべての告白だとね」 「こんな世の中では、坊さんたちがみんな精神科病院通いにならないほうがむしろ不思議というものだ。」 ⭐︎クリシュナムルティという思想家が今は精神科の医者も病んでいるから精神科に通ってもしょうがない。って言ってたな。 「リッチー・ボッディンたちに理解できる唯一の言葉は暴力だけで、おそらく世界じゅうが仲よくやってゆけないのはそのためだろう、とマークは思った。あの日彼は学校から家に帰され、かんかんに腹を立てた父親に、丸めた雑誌で朝打ちのお仕置をくらいかけたとき、ヒトラーの本質はリッチー・ボッディンだったと父親に向かっていった。それを聞くと父親はげらげら笑いだし、母親まで釣られて笑った。おかげで親打ちの刑をまぬがれた。」 「泣かなかったからこそ、いつまでも思い出が残ったのだ。泣くことはすべてを小便と一緒に地面に流してしまうことだった。」 「かつては彼も挑戦にあこがれていた。新米の神父はだれでもそうだった。人種差別、婦人解放、同性愛者解放、貧困、精神の病い、不正等々。だがそうした新米神父たちは彼を不愉快にした。社会的関心に目ざめた神父たちで、一緒にいても不愉快でないのは、ヴェトナム戦争に反対する戦闘的な神父たちだけだった。だがいまは彼らの大義名分も時代遅れになってしまい、彼らは年老いた夫婦がハネムーンや最初の汽車旅行の思い出話をするように、いたずらに座して行進や集会の回顧にふけるだけだった。 しかしキャラハンはもう新米の神父でもなければ年老いた神父でもなかった。気がついたときはもはやみずからの基本原理さえ信じることのできない伝統主義者の役割を演じさせられていた。彼は軍隊をひきいてーなんの軍隊を?神の、正義の、善の、言葉は違っても実質はみな同じだ!悪と戦うことを望んだ。論争と戦列を望み、必要とあればスーパーマーケットの前の寒風の中に立って、レタス・ボイコットやグレープ・ストライキに関するパンフレットを配ることも辞さなかった。彼は悪の欺瞞の皮をひんむいて、その相貌のあらゆる特徴をこの目で見きわめたかった。ムハマッド・アリ対ジョー・フレイザーのように、ヤコブ対天使のように、セルティックス対ニックスのように、あらんかぎりの力を振りしぼって悪と戦いたかった。そしてこの戦いを混じりけのないものにすることを、結合双生児のようにあらゆる社会問題と背中合わせになっている政治によって妨げられないようにすることを望んだ。彼は司祭を志したときからずっとこれらのことを望んでいたが、その使命感に目ざめたのは十四歳の年に、石もて打たれ、死ぬ直前にキリストを見た最初のキリスト教殉教者聖ステパノの物語に感動したときだった。神のために戦うーそして、おそらく命を落とす ー魅力にくらべたら、天国の魅力など物の数ではなかった。ところが現実には戦いなどどこにもなかった。ただ優柔不断な小競り合いがあるだけだった。」 ⭐︎ひゃー、俺もこういう文章を書きたいんだよ! 「三十余年の教師体験から、何人も規律を無視してはゲームに勝てないこと、それを勝ったと思うのは愚かな人間だけだということを知っていた。」 - 2026年7月18日
アメリカン・スクール小島信夫読み終わった確か村上春樹が言及していた 「アメリカン•スクール」だけ読んだ。 戦後、3年目 英語教師一行によるアメリカン•スクール見学譚 伊佐の人間味がいい。 伊佐は英語を(完全な外人の調子で話すのは恥だ。不完全な調子で話すのもはじめてだ)と思っている。その中間で呻吟し揺れているのだ。 なぜなら英語に染まりきることは(おれが別のにんげんになってしまう。おれはそれだけはいやだ!)と思っているからだ。 「英語を話す時には何かもう自分ではなくなる。外国語で話した喜びと興奮が支配してしまう。」事に敏感だからだ。 戦争には負けたが 心だけは、自分の心の領土だけは奪われてなるものかという伊佐の意地。に心を打たれる。 - 2026年7月18日
心臓を貫かれてマイケル・ギルモア読み終わったついにこの本を読む時がきた。 世界で最も恐ろしい本だ。 どうかフィクションであってくれと思う反面、紛れもない事実である事にどうしようもないほど好奇心を掻き立てられる。 「でも僕はまた知っている。僕が外の世界でうまくやっていけるかもしれないというー言い換えれば一家の伝承からなんとかうまく抜け出せるかもしれないというー思いを植えつけるべく全力を尽くしてくれたのが、母であったことを。またその夢をかなえることができるように手を貸してくれたのも、誰あろう母であった。実際のところ、僕が首尾よくそれを実現できるように、晩年の健康と安全を母がいくらか犠牲にしたことに間違いはあるまい。そしてその返礼に、僕は彼女を見捨てる術を身につけた。ほかの家族全員を見捨てる術を身につけたのと同じように。母は僕が悪しき遺産から逃れて生き延びることを望んだ。僕が彼女の産み出した最良のものであることを望んだ。でもそのために僕は母のもとを去らざるをえないだろうと思っていたし、当然ながらそのことは彼女を傷つけた。旧い世界の要求に従いながら新しい世界に足を踏み入れることは不可能だったし、僕は常に自分は新しい世界をめざす人間であると考えていたのだ。」 「『モルモン書』におけるもっとも激しい瀆神の場面は、コリホルという名のカリスマティックな無神論者にしてキリスト否定者が神の審判官と王の前に立ってこう言い放つところである。「これらの人々はその父祖の行った破戒の故に罪があり、堕落していると汝らは言う。しかし聞け、私はここに告げる。父の罪が故に、子に罪はないのだ」 「プロヴォの多くの小規模農家がそうであるように、ウイルの農場は夫婦子供たちが食べていけるのに十分な程度の果物と野菜を収穫した。でもそれが精一杯だった。牛乳をとるために彼らは乳牛を一頭飼っていた。名前はベッシーといった。僕の母はその牛を激しく憎んでいた。牛と同じ名前を持つなんて、とても我慢できないことだった。もっと具合の悪いことには、彼女の生まれる前から牛にはその名前がついていたのだ。おかげで母はみんなにいやというほどからかわれることになった。それから長いあいだー死にいたるまでー母は自分が飼っていた乳牛と名前を共有しているという指摘に対して、むきになって反論し続けていた。「私のほんとうの名前はベティーなの、ベッシーじゃなくて」と彼女は言ったものだった。「エリザベスの省略なのよ。英国の女王さまから名前をとったわけ」。いったいどっちのエリザベス女王からとったのか尋ねてみるという考えは僕の頭には浮かばなかった。でもそれはたぶん新しいほうのエリザベス女王に違いない。女王が生まれたのは一九二六年で、それはベッシー・ブラウンが生まれた十三年も後のことだったのだけれど。」 「父さん」と彼女はある日の午後言った。父親は鉄床に向かって仕事をして、彼女はそれを見ていた。「私はあのお山を自分のものにできるかしら?私だけの持ち物だって言えるかしら?」 父親はハンマーを振るう手をちょっと休めて、顔をあげて山をちらりと眺めた。それから肩をすくめた。「そりゃ、いいとも」。そしてまたハンマーを振 るい始めた。 「オーケー、お山さん。あなたはあたしのものよ」とべッシーは言った。 「お墓から歩いて離れるときに、僕はうっかり墓石を踏みつけてしまった。それから僕は今度はわざと、次から次へ墓石を踏みつけていった。どうしてそんなことをしたのかよくわからないが、たぶん死に近づくことによって自分が感じた恐怖を、少しでも追い払いたいと思っていたのだろう。子供のよくやるたわいのない行為。でもそれは伯母たちや従兄弟たちに眉をひそめさせ、息をのませた。僕はすぐに厳しい顔をしたモルモンの古老の一人に身体を掴まれ、揺すられ、顔の前に指を突き立てられた。 「おい坊主、死んだ人を踏みつけにしてはならん」と老人は指を突きだすようにして僕に言った。「断じてならん。いいか、おまえは死者の残したものの上に生きているんだ」 「ある夜、一日の雪が降り終えたあとで、プロヴォの農家の裏庭に一頭の白い馬が迷い込んできた。グランドヴューは小さな共同体だったし、そこに住む人々はみんなどの家にどんな子供がいるか知っているように、誰がどんな馬を持っているかちゃんと知っていた。そしてブラウン家の人々はそんな美しい、まるで幽霊のような雌馬を持っている人間を一人も知らなかった。ベッシーと姉妹たちは外に出て、その動物をじっと見ていた。アルタはふらふらと近くに寄って、たてがみを撫でた。メリッサは娘たちが見慣れない馬と一緒にいるのを目にして、家の中に入りなさいとみんなに命令した。そして声をあげて馬を追い払おうとした。でも馬はただ彼女を見ているだけだった。 馬はそこに何時間も立って、冬の月明かりの下で身体を光らせながら、家をじっと見ていた。ウィル・ブラウンは学校の仕事から戻ってくると、馬を追い払った。その夜遅く、ベッシーは両親の話す声を聞いた。「あなたは白馬が訪ねてくるのがどういう意味だか知っているでしょう」と祖母が夫に言った。「それはこの家の誰かがやがて死ぬということなのよ」 「数週間後に最後の亡霊が現われた。「夜に姉妹たちは寝室にいたの」と従姉妹のブレンダは僕に言った。「そのときに暗い部屋の中に白い光が浮かんだ。その光は彼女たちのベッドにどんどん近づいてきた。それはアルタだったの。彼女は少女たちと一緒にベッドに腰掛けて、自分は大丈夫だと言った。痛みも感じないし、すごく幸せなのよ。そのことをみんなに知ってもらいたかっただけなの。あなたたちみんなのことを愛しているわ。それから光は弱くなって、彼女は消えてしまった。でもアルタが坐っていたベッドの場所にはっきりとくぼみが残っていた」 「死刑に対するモルモン教徒たちの姿勢を目にしたことで彼女はまわりの人々を憎むようになった。 少なくとも彼女はこのような集まりをよしとする彼らの僧仰の中に、憎むべきものを見たのだった。いずれにせよ、母は処刑という行為を憎んだ。僕が子供のころ、オレゴン州ポートランドに住んでいたとき、近く行なわれることになっている死刑があると、母は怯え、落ち着きを失い、そのニュースにずっと目を配っていた。母はよく知事に手紙を書いて、死刑の道義性に疑問を呈し、死刑囚の減刑を嘆願した。そして僕を食卓に一緒に坐らせ、知事宛の手紙を書かせたものだった。死刑というのは唯一の予定された殺人であるから1つまりスケジュールに従って行なわれる殺人であるからー逆にいえば阻止することができる唯一の殺人なのだ、というのが母の言い分だった。彼女はそういう論理の道義性を心から言じていたと思う。しかしそれに劣らず、誰かが処刑されるところを人々が見物するという考え方の背後にある恐ろしいものに、母は耐えられなかったのだと思う。自分の家族を処刑に連れていって見物させるような人間は、ある意味で殺人者よりも悪質だと彼女は倍じていた。その人たちは子供たちに殺人の片棒を担がせているのだから。」 「母は最後まで、たとえ世界が彼女をすくみあがらせた日々においても、勇気を失わなかった女性だった。もし勇気がなかったなら、彼女はその最後の日々をとても耐え忍ぶことはできなかっただろうと思う。でも母は希望とは縁の薄い人だった。僕は母の顔に晴れわたった希望が浮かんでいるのを目にした記憶がない。僕にショックを与えたのは、その写真が撮られた日には、彼女の顔には希望が浮かんでいたという事実だった。希望に光り輝いていたというほどではないにせよ(どちらかといえば希望よりはプライドのほうが勝っている)、でも希望を失うことが五十年足らずのあいだに人の顔をどのように変えてしまうものか、見てとることはできた。それらの写真を見て僕は思った。母さんはまったく違った顔で死ぬことだってできたんだなと。それは母に対する僕の悲しみの念を新たにかきたてたばかりではなく、僕自身の顔だって最後にはどんなふうになるかわからないんだという不安をも呼び起こした。」 「とれが正しい答えであるにせよ、ギルモア夫婦の結婚生活は長続きしなかった。数年の後には終わりを告げ、フェイは去り、ハリーは忘れ去られた。ネブラスカを出たあと、フェイがフランク・ギルモアを自分の身近に置いて愛を注いだとは僕には思えない。彼女は息子を小さいころから寄宿舎学校に入れっぱなしにして、たまに同じ屋根の下で暮らすことしかしなかった。愛したあげく土に埋めるよりは、遠くに離れていたほうがいい。フランク・ギルモアはそのようにしてすべての人々に拒絶されることになった。彼は父親をなくして育ち、母親をなくして育った。三十年後にロバートを連れてフェイの家の戸口に姿を見せたとき、彼はこう言いたかったのかもしれない。「さあ、僕をもう一度ここに連れてきたんだよ」と。そしてフランクは自分の息子を押しやった。かつて自分をよそに押しやった母の手の中に。」 「でも父は今では四六時中しらふだった。また以前よりもっと意地悪くなり、暴力的になった。ベッシーは長い間、父の格好の怒りの標的になっていた。それからの数年にわたって、二人のやりあいは目を覆うばかりにすさまじいものになっていった。兄はこう回想する。「その時期には拳骨で殴り合う荒っぽい乱闘が、少なくとも二週間に一回はあったな。母さんはしょっちゅう目のまわりを真黒にして、顔をはれあがらせていた。ボクシングの試合にでも出たみたいに見えることもあった。顔のかたちが変わって、そこかしこが切れて、唇は腫れあがっていた。父さんが容赦なく叩きのめしたんだ。」 「地元のカソリック系小学校を出たあと、兄たちはポートランドにあるジョゼフ・レイン・グレード・スクールに移され、中等部に通うことになった。兄たちと同じクラスにいた連中の多くはやがて人を殺すか、誰かに殺されることになった。そういう類の学校であり、そういう類の土地柄だった。」 「愛とは人をも殺しかねない行為なのだと僕は学んだ。あるいは少なくともときとして、選択とは殺人と同義なのだと。自分が両親のどちらを捨てるかを決め、どちらをより好きか、より愛しているかを明確にすることで、あとの一人を傷つけざるをえないことを僕は承知していた。また実際に僕は、黒白をつけることによって、どちらかの心を殺したものだった。大抵の場合、殺さなくてはならなかったのは母の心だった(僕が母のことを恐れたのも無理はないだろう)。」 「誰かに死刑を宣告することはできる、でも生きることを宣告はできないのだー」 「僕が学ばなくてはならないこと、すべての人々が学んでこなくてはならなかったことがあるーそれは人生は続くということだ。僕らは苦痛を呑み込み、記憶に向かいあい、赦せるものは放していかなくてはならない。ともあれ、そういった真実だけは学べたのだ。しかし問題は人生はなおも続くということだった。死を別にすれば、人生には本当の結末なんてものはない。死は、これで物語が終わったのだということを僕らに教えてくれる。終止符を打った人生に、そこで評価を与えることができる。そのプロットとドラマを要約し、筋書きを語ることができる。これでおしまいと幕を引いてしまう資格があるのは、この物語の中では、ゲイリーと、死者の仲間入りをしたそれ以外の人々ー僕の家族のメンバーや、ゲイリーが殺した人々ーだけだ。彼らだけ が役割を終え、代価を支払ったり、あるいは遺産から逃れたりするのをやめることができた。でも残りの僕らは、最終ページのまだその先まで、人生を生きていかなくてはならない。その人生の中では、死者たちの残した波が収まることは、絶えてないのだ。」 - 2026年7月9日
やり残したこと北野武読み終わった - 2026年7月5日
物語北野武読み終わった - 2026年7月1日
シャーロック・ホームズの冒険コナン・ドイル,アーサー・コナン・ドイル,延原謙読み終わった初シャーロック•ホームズ 村上春樹のなんの小説だったか、主人公 がこの作品を読んでいて気になっていた。 けっこうそれは無理があるだろうというトリックがあり、他の作品を読みたいと思わせるまでの水準ではないが、しかしホームズはやはり魅力的だしワトソン君との関係も素晴らしい。 当たり前だがちゃんと工夫が凝らしてあり登場人物や街並の描写など匂い立つような魅力がある。 お気に入りは『ボヘミア醜聞』と『椈屋敷』かな。 『ボヘミアの醜聞』 「一方ホームズのほうは、例の世事に無頓着な気質から、どんな形式での社交をも嫌悪して、独りベーカー街の古巣にふみとどまって古本のなかに埋まり、」 ⭐︎いいねぇ。社交を嫌悪し古本のなかに埋まる生 活。たしかに村上春樹的だ。 「君はただ眼で見るだけで、観察ということをしない。見るのと観察するのとでは大ちがいなんだぜ。」 「まだ材料が一つもない。資料もないのに、ああだこうだと理論的な説明をつけようとするのは、大きな間違いだよ。人は事実に合う理論的な説明を求めようとしないで、理論的な説明に合うように、事実のほうを知らず知らず曲げがちになる。」 ⭐︎なんて含蓄に富んだセリフだ。 ⭐︎くぅ〜 なんてオシャレで機知に富んだ短編なん だ。男などすべて女性の手のひらの上! 『赤髪組合』 ⭐︎うむー、ちょっと無理のあるトリックのような。 だってトンネルを掘るって易々とできる事じゃな いしなぁ。 でも、「赤髪組合」というシュールな組織は村上春 樹に受け継がれているような気がする。 「一般に事件というものは、不可解であればあるだけ、解釈は容易なものだよ。ちょうど平凡な顔というものが見覚えにくいように、平凡で特徴のない犯罪というものこそ、ほんとうに解決がむずかしいものなんだ。」 「彼の気質は極端なゆるみから極端な緊張へ、また極端なゆるみへと移りかわって、その中間に停滞する場合というものがない。私はよく知っているが、だから、彼が幾日も幾日も、わき目には怠情そうに肘掛椅子にへばりついて、即興詩や古版の書物に埋もれているときほど、しんじっ恐るべきはないのだ。そうしているうちにとつぜん、あの活動欲がわきおこり、あのはげしい推理力が、まるで直感かと思われるばかり敏速に働きだし、彼の手法を知らぬ者の眼には人間以上の知能をもっているのではないかとまで、疑わせるにいたるのだ。 この日も私はセント・ジェームズ会館で、彼がすっかり音楽に浸りきっているのを見て、この男に見込まれたやつらにとって、一大危機が迫りつつあるのを感じたのである。」 『花婿失踪事件』 ⭐︎うむー、このトリックもどうだろう? いくら近眼とはいえ変装した義理の父と気付かな いのはちょっと解さない。 恋は盲目といってしまえばそれまでだけどね。 「とるに足らぬ事件のなかにこそ、つねに観察の場があり、原因と結果とを敏速に分析する活きた舞台があり、そこにこそこの仕事のもつ魅力があるのだと思う。」 ⭐︎観察の場、という表現がいいな。 「入口まで来てためらうのは、必ず恋愛問題だ。相談はしたいが、人にうちあけるにはちと恥ずかしい気がする。もっともこれにも差異はある。男にひどい目に合わされたのなら、その女はためらいなぞしていない。その場合の徴候は呼鈴の紐のきれるのが普通だ。」 『ボスコム谷の惨劇』 「あなたの健康状態からみて、何も処置いたしますまい。あなたはほどなく、巡回裁判よりもはるかに高い裁きの廷に立って、ご自分の行為の責を果す覚悟でおいでです。」 『オレンジの種五つ』 ⭐︎犯行の詳細が分かりにくい所があるが、ホームズ が依頼者を救えず死なせてしまった事件の一つな んだろう。 終わり方がカッコいい。 『唇の捩れた男』 「すこしばかり顔を塗って、どろのうえに帽子を置いてすわってさえいれば、一日でそれくらいの金になる途があるのに、一週二ポンドぽっちでこつこつ働いてくすぶっていなければならないとは、どんなに辛いことかお察しくださるでしょう。矜持(ほこり)をすてようか金を得ようかの二途に、私は久しいあいだ苦しみました。結局金銭のほうが勝ちをしめ、記者の職を放棄して、くる日もくる日も最初に選んだ場所に土下座しては、恐ろしい顔で人々の同情をひき銅貨でポケットをふくらますことをはじめたのです。」 ⭐︎わかるよ、わかるよ ほんとコツコツ働いてもちっぽけな金しか稼げな いなら、いっそ生活保護!とか思ってしまう気持 ちと似たようなものだろう。 貧すれば鈍するじゃないが、矜持(ほこり)を捨 ててまで家族を養うためにした乞食商売を誰が笑 えようか。矜持(ほこり)なんてクソ喰らえ!の 時だってあるのだ。 たとえそれで心まで捻れてしまってもね。 『青いガーネット』 「そとは一片の雲もない空に星が冷たくこおりつき、道ゆく人のはく息は白い煙となって、あっちでもこっちでもピストルを発射しているように見えた。」 ⭐︎すごい表現。 すごすぎる。はく息の白さをピストルの煙に見立 てるなんて💨 『まだらの紐』 ⭐︎なるほど。毒蛇か。 でも、真の闇の中でホームズがステッキで毒蛇を 打つことは簡単なことではないし、更に毒蛇がロ イロット氏に遅いかかり死にいたらしめる結末は いまいち腑に落ちない。 『花嫁失踪事件』 ⭐︎いやいや、これ あまりにもセントサイモン卿が気の毒すぎやしな いか。ハティ夫人の裏切り、あんまりだぜ。だま ってずらかるなんて最低じゃないか。最低の裏切 り行為だ。自分勝手がすぎるぜ。 「われわれの子孫もいつかは愚かな君主や失政だらけの大臣から解放されて、世界的に大きな一大国家の市民となる日がくる、」 「ちょっと椅子をよせてそのヴァイオリンをとってくれないか。われわれにのこされた問題は、このもの寂しい秋の夜をいかにしてすごすべきかにあるんだ」 『椈屋敷』 「君の過っている点といえば、おそらく、書くものに血や肉をつけたがるところにある。」 ⭐︎これは至極、金言である。 言葉の贅肉! 「僕が自己の芸術にたいして全幅の公平を要求するのは、それがけっして僕個人の問題ではないー僕というものを超越した問題だからだ。」 ⭐︎これもまた、金言。 ホームズは自分というみみっちいもののために奉 仕しているのではない。 「材料だ、材料だ、材料だよ!粘土がなくて煉瓦が作れるもんか!」 ⭐︎これもまた、金言。 「ヴァイオレット•ハンター嬢に関しては、私はそれを知って失望を感じたのではあるが、ホームズはひとたび彼女が事件の中心でなくなると、それきり何の関心をも見せなかった。」 ⭐︎ホームズのこの冷徹さがいい。 - 2026年6月17日
漫才病棟 (文春文庫 ひ 10-1)ビートたけし読み終わったビートたけしの小説が好きだ。 その中でいちばん好きな作品。 すでに3回は読んでいる。 この作品で直木賞を獲ってよかった。 おそらく芸能人としてビッグになりすぎたぶん 正当な評価は得られなかったのだろう。 たけしの存在に比べれば 直木賞なんて小さい小さい。 自分みたいに とことんパッとしない者にとって たけしのイキきった生き様は 惚れ惚れするほどカッコいい。 結局、中途半端なのだ。 しかしたけしはちがう。 たけし映画については語られど たけし小説については全く語られていない。 だが自分は たけし映画と同じぐらい たけし小説が好きだ。 たけしのように生きたかったな。 - 2026年6月16日
ムーンウォークマイケル・ジャクソン,田中康夫読み終わった映画「Michael/マイケル」を観て再びマイケル熱が再燃したのでずっと読んでみたかった自伝。 「僕の中で何かが変わりつつありました。いや実際、僕はそのことを感じて、ミニバスの中で震えていたのです。僕らは何年もの間、車でシカゴに向かいながら、自分たちがゲイリーを出ていけるほどの腕前なのかどうか考えていました。で、僕らは実際、出かけていたわけです。それから僕らはニューヨークまで車を走らせました。もしそこでうまくやれなければ、地球の隅っこから落っこちっしまうのは確かでした。フィラデルフィアやワシントンで演奏している夜も、ニューヨークには僕らの知らない、僕らを打ち負かすようなバンドやグループがいるんじゃないかと考えずにはいられなかったのです。アポロ劇場でそんな不安を拭い去って初めて、僕らの行く手をさえぎるようなものは何もないんだと信じることができました。今や、僕らはモータウンに向かっていました。ここにも僕らを驚かすものは何もないはずです。いつもしてきたように、僕らが彼らを驚かしてやるだけです。」 カッコいい。ベートーヴェンが貴族たちを自分の音楽で跪かせてやると意気込んだのと同じような熱情。くそ、俺だって! 「14歳になった頃から、僕の容貌は明らかに変わり始めました。背がぐんと伸びたのです。僕に会ったことがない人は、可愛くてちっちゃなマイケル•ジャクソンを紹介されると思って部屋に入ってきて、僕のすぐ傍を通り過ぎて行ってしまうのです。「僕がマイケルです」と言うと、彼らは疑わしそうな顔をしたものでした。マイケルは、可愛くてちっちゃな子供だったはずでした。でも僕は、178㎝に届こうという、ひょろ長い青年になっていたのです。僕は彼らが期待していた人間でも、会いたいて思っていた人間でもありませんでした。思春期というのは、ただでさえ不安定なものですが、体の変化による心の不安は、他人の否定的な反応で、余計に高まってしまうものなのです。みんな、僕が変化するということに、僕の体が他のみんなと同じように自然に変化していくことに、本当に驚いているようでした。」 「それはつらいことでした。みんな僕のことを長い間、可愛いと言っていたのに•••••。いろいろな変化とともに、僕の肌はにきびだらけになってしまったのです。ある朝、鏡を覗くと、それはまさに「オー•ノー?!」でした。」 「僕は、潜在的に、その肌のことで怯えるようになってしまいました。ひどい顔だったので、とてもシャイになって、人に会うのさえ恥ずかしくて仕方なかったのです。」 「容貌のせいで僕は落ち込み始めました。つまり、にきびは人の心を荒ませるほど大きな影響を持つこともあるということです。僕の場合はその影響はかなりひどく、性格を破壊してしまうほどでした。人と話す時でも、その人の顔を見ることができませんでした。うつむくか、視線を反らしてしまうのです。自分には誇れるものなど何もないし、それにもう、外に出かけることもしたくないと思いました。実際、僕は何もしなかったのです。」 「僕は自分がクリエイトしていく仕事に関しては、獲物を狙う猛獣のように客観的になれます。もし、何かがうまくいってなければ、それに気づくこともできます。でも、アルバムとか歌を作り終えると、その作品に自分のエネルギーと神から与えられた才能を一オンス残らず注ぎこんだ自分が残るのです。」 「「オフ•ザ•ウォール」の成功は、1979年のグラミー賞ノミネートが発表された時の衝撃で、屈折したものになりました。その年最も売れたレコードの一枚だったのに、僕はたったの一部門、R&B最優秀ヴォーカル賞にノミネートされただけだったんです。 同業者に無視すれたように思い、傷つきました。」 「僕は落胆し、同時に、次のアルバムのことで頭がいっぱいになりました。僕は「次の機会を待つんだ」と、自分に言い聞かせてたのです。連中は次のアルバムも無視するというわけにはいかないはずです。」 「「オフ•ザ•ウォール」は、ファンには快く受け入れてもらえただけに、グラミー賞のノミネートには傷つきました。この経験で、僕の魂に火がつきました。僕は次のアルバムのこと、今度は何をやるかといったことしか考えられなくなったのです。本当にものすごいアルバムにしたかったのです。」 「「スリラー」を制作する過程で、僕は、一緒に働いている人間に自分の考えていることを理解させることができず、感情的になったり動揺してしまったことが度々ありました。今でも時々そういったことが起きます。僕が考えていることを、人は正しく理解してくれないのです。みんな自分の能力を疑いすぎるのです。自分て自分を疑っていては、最善を尽くすことなどできないんです。自分が信じなかったとしたら、誰が信じてくれるでしょう?前と同じことをするだけではふさな不十分なのです。手に入れられるものは何でも手に入れるよう心がけることだと思います。背伸びをしたり、立派になれということではないのです。僕はそんなことを信じているのではありません。」 「口を開くと、自然に音楽が出てくるのです。こうした能力が持てたことを、光栄に思っています。僕は毎日、神にそのことを感謝しています。神から与えられたものを磨いていくのです。これからも、そうし続けなければならないと感じています。」 - 2026年6月10日
物語ることの反撃リフアト・アルアライール,岡真理,藤井光読み終わったこの短編アンソロジーの編者である リフアト•アルアライールの言葉 「パレスチナの占領は、まず比喩的に、つまりは言葉や物語や詩において行われました。だから、私ちちは書くことによって抵抗すべきなのです。あらゆる努力とペンを使い、私たちの大義を広く伝え、私私たち自身と世界じゅうの人びとに教えるべきなのです。私たち自身の物語を伝えることが抵抗ですー忘却と占領に対する抵抗なのです。抵抗とは騒がしくすることであり、マルコムXが言ったように、「何かを求めているのなら、騒がしくするべき」なのですから。」 あまりにも多くの示唆に富んだ言葉だ。 この姿勢から学ぶ必要がある。 彼は暗殺されている。 『Lは生命のL』 なんて純真で爽快な短編なのだろう。 イスラエル兵によって父を喪った少女は オリーブの木のように強く ターエルの物語の先を生きていかねばならない。 「歳月とは人生の長さかもしれませんが、信念は間違いなく人生の幅を決めます。」 「わたしが生きがいにしているものには、死にがいにするだけの価値があるのだろうか、と自問し始めました。」 「太陽には二時間を与えて、畏敬の念を覚えさせる空でお気に入りの場所に昇れるようにしました。」 太陽に左右される卑小な存在ではなく、太陽の動きを左右させうる大いなる自分であること。 『戦争のある一日』 結末、そうきたか。 まさに物語ることの反撃。 それにしても無念だ。 「眠っている彼がどうして微笑んでいるのか、それは誰ひとりとして理解できなかった。眠っているときだけ、彼は安心や幸せをもたらすものを手にできるのだとは、誰ひとりとして思い当たらなかった。眠ってはいないときに奪われているものを手にできるのだ。」 「(弟)は毛布を肩にかけて引きずりながら近ついてくると、ハムザの横に座った。ハムザは本をざっと眺め始めた。スラックスの裾を膝まで上げていて、脚を投げ出していた。それに目を留めたジハードは、毛布を引っ張って兄の脚にかけた。兄の脚が危ない目に遭いそうだと感じたからだが、何による危険かは分からなかった。脚に毛布をかければ兄の助けになるだろうし、少なくとも兄が集中できるようになる。」 ホッとする可愛らしい描写だと思いきや、実はかなりコワイ描写なのかもしれない。例えば弟はこの先兄が両足を失うことになる姿を予見したのかもしれない。 「ハムザは弟を待っている輝かし未来のことを考えた。それを実現するために惜しまず努力しよう、とそっと言った。」 「言葉を容赦なく貪り食って飢えを和らげた。完全に新しい生命を自分に吹き込んだ。」 『助かって』 1秒前と1秒後 一瞬の閃光で、外でサッカーをしていた友達たちは死に、バルコニーから見下ろしていた自分は生き残ってしまった世界。 『カナリア』 一目惚れというか 公園でお互いの存在を気にかけていた男女が 実は敵同士だったという悲劇、そして死。 『土地の物語』 「「神に与えられた土地」の一部だと言いながら、その土地にある189本のオリーブの木を、ひとりのイスラエル兵がブルドーザーで倒してしまう。そのことを、私は決して理解できないだろう。神が怒るかもしれないとは考えなかったのだろうか。自分が倒しているのは一本の木なのだということに気がつかなかったのだろうか。パレスチナのブルドーザーなんてものが発明されたとして(まあ、そんなこと起きっこないけれど)、たとえば私がハイファにある果樹園にいるとなったら、私はイスラエル人が植えた木を一本たりとも倒さないだろう。そんなことをするパレスチナ人はないない。パレスチナ人にとって、木は神聖なのだし、それを育む土地も神聖なのだ。」 「ガザについて語るとき、ガザはパレスチナのほんの一部なのだということを私は思い出す。パレスチナはガザよりも大きいのだと思い出す。パレスチナは西岸地区だ。パレスチナはラッマッラーだ。パレスチナはナーブルスだ。パレスチナはジェニーンだ。パレスチナはトゥールカリムだ。パレスチナはベツレヘムだ。何よりも、パレスチナはヤーファーであり。ハイファであり、アッカーであり、イスラエルが私たちに忘れさせようとするすべての街なのだ。」 「父さんと土地のあいだにあるのは、壊すことのできない絆だ。パレスチナ人と土地のあいだには、壊すことのできない絆がある。草木を根こそぎ倒して木を伐採することで、イスラエルはその絆を壊して、絶望という自分たちの習わしをパレスチナ人に押しつけようとする。木々を何度でも植え直すことで、パレスチナ人はイスラエルの支配を拒んでいる。「わが土地、わが習わし」と父さんは言う。」 『不眠症への願い』 パレスチナ人作家が書くイスラエル兵の苦悩、心的外傷後ストレスというやつか。 イスラエル兵もまた同じ人間であることを願うばかりだが、実際はどうなのだろうか? 命令だから 仕事だから それはナチスの犯した過ちと同じことである。 厳しい態度で臨みたい。 それは自分への戒めでもある。 『包み』 良作。 ドラマがある。なんて言っていいのか分からないが。 『撃つときはちゃんと殺して』 「アブー•ライラーは三ヶ月後に死んだ。悲しみに暮れてはいても、ほかと比べれば自分たちはまだ運がいい。ライラーはそう思って、自分も家族も納得させようとした。家の壁はまだあるから、テント暮らしで厳しい冬の寒さと夏の暑さに耐えなくていいぶん、一家は幸運だ。」 『イスラエル軍のアパッチヘリコプターが空を切り裂いていく音を耳にすると、あたりを見回し、その弱々しい瞬間に、父親の負傷から始まったあらゆる苦しみを思い出し、歯を食いしばってつぶやいた。「次は、ちゃんと仕事をしなさいよ。爆撃するのなら、最後まで爆撃して。銃を撃つのなら、ちゃんと撃ち殺して」 最も残虐な仕打ちは殺してしまうことではなく、生殺しにすることなのかもしれない。と思わせる。 『家』 捻った展開がおもしろい。 見つかったら即、射殺されるのを覚悟の上で 我が家への束の間の帰還。 頑固親父とあきらめつつ従うしかない息子。 「「家を爆破する」と父親は答えた。「自分の家にしておけないのなら、誰にも渡すものか」」 「「あいつらは俺の家を奪った。俺の歴史、俺の根っこ、それに俺の土地を奪った。そしていまの俺を見てみろ、それを破壊しようとしついる。こんなことをいつまでも続けさせるわけにはいかないし、ろくでもない政治家連中に任せておくわけにもいかない。」」 「おまえの言うとおりだ。家を爆破するなんて狂ってる。だがな、爆弾はそこに置いておくことにした。あいつらに怖がってもらいたい。恐怖のなかで生きてもらいたい。俺たちがつきまとってるんだと感じてもらわないとな。イスラエル人たちには疑問を持ってもらいたい」 『ネバーランド』 この作品はヤバイ。 つらい。 「男の子のところに行ってみると、その子は本を胸のところで開いて、髪の毛のない顔は枕の端にのせ、顔に微笑みはなかった。彼女はそのそばにそっと腰を下ろし、本を手に取った。『ピーター•パン』、けっして大人にならず、終わることのない子どもの日々を、忘れられた少年たちの暮らすネバーランドという小さな島で過ごしている。 彼女は男の子の小さく冷たい両手にその本を戻した。男の子が結末まで読めたことを願った。「しっかり寝てね、ぼ••••••小さなピーター•パン」とつぶやいた。」 『あっというまに失って』 同じパレスチナ人同士であっても 100メートルと離れていない家に住む同士であっても、そこには厳然たる階級の差、貧富の差が横たわる。 『傷痕』 ラストを飾るに相応しい作品だ。 もう言葉がでない。 俺の言葉のすべてが嘘っぱちに思える。 なんて俺は軽いんだろう。 ただただ自分が悔しい。 あまりにも無力で無知で無恥で厚かましい。 「戦争は終わるものだと人は言うが、それはじっさいには違う。戦争はけっして終わらない。」 「どうして置いておきたいの?難民の女性の、大きくて醜くて暗い写真じゃないか。どうして置いておこうとするのかさっぱりわからない」 息子が言っていたのは、陰気な家の玄関扉のそばに、聖なるもののようにかかっていた写真のことだ。その家で私たちにあったのはイメージだけだった。カメラも、畑もないー薄暗い光だけだった。 「これはナクバのときの肖像写真。あれほどの苦しみを味わった人たちのことを、私ちちは覚えておかないといけないの。それに、未来の人たちが私たちの苦しみも覚えていられるよう祈らないといけない」 例えば日本なら原爆がそれにあたる。 改めて強く思う。 「笑顔になってるね」 「うん、大丈夫だよ」 サラームが初めて心からの笑顔を見せたのは、死んでいくときだった。 今度は、息子の後ろには美しい風景はなく、場面を完璧にしたいから笑顔になってほしいと頼むこともなく、カメラもなかった。あるのはただ、薄らいでいく微笑みだけだった。 - 2026年6月4日
ハイファに戻って/太陽の男たちガッサーン・カナファーニー,奴田原睦明,黒田寿郎読み終わった「ガザに地下鉄が走る日」で引用されていたので 興味がわいたカナファーニーの短編集 とんでもない作品群だ。 ただただ圧倒され倒しだった。 『太陽の男たち』 いわゆる密入国もの。 サスペンスフルだ。 「ガザに地下鉄が走る日」で結末は語られていたにも関わらず。 書き出しからしてすばらしい。 まるで映画のファーストカットのようだ。 「おまえ以外の誰もがおまえよりもの知りだ••••••おまえ以外の誰もが」 「この長の十年の間に人々はそれぞれ自分の道を切り拓いてきたが、おまえときたら賤しい主家の追いぼれ犬のように、ただ坐りこんで無為の日々を送ってきたのだ••••••散々待ち侘びて何があったというのか」 主人公、アブー•カイスはどうやら 心根が弱い設定のようだ。 なるほど アブー•カイスはあくまで クウェイトへ密入国を目論む登場人物のうちの一人という設定なのか。 「アブー•カイスがこれまで冒険じみたことをしたことがあると思うか••••••あの男はうまくはいかんぞ•••••このいまわしいお天道さまに賭けたっていいが、こいつはまず絶対に間違いなしだ。」 アブー•カイス、ひどい言われようである。 『悲しいオレンジの実る土地』 主人公たちが難民となった夜、ユダヤ人宅に押し入り「あんたたちはパレスチナへ行けばいいんだ!」と声を荒げたおじさんの凄まじさ。 圧倒されたユダヤ人家族は隣の部屋に移り ようやく屋根とタイル張りの床を獲得する。 まず声を荒げることの重要性。 ん?そんな生易しいものではない。 わずか11ページの凄まじい短編だ。 『路傍の菓子パン』 とんでもない傑作 難民児童学校に赴任した教師とその生徒ハミード少年の短編 お願いだからこの二人の絆だけは 永遠であってくれと願わずにはいられない。 夜中まで上映している映画館の前で 菓子パンを売るハミード少年。 しかし客待ち中に睡魔に襲われ、客を逃してしまうこともある。もちろん勉強に身が入るわけがない。 ため息しかでない。 凄まじい短編だ。 自分の甘さをこれでもかと殴られる。 俺こそが菓子パン野郎だ。 「難民児童学校では、どの生徒も自分の悲劇を決して明かそうとはしないのだった。どの生徒も、それをきつく胸の底にたたみこんでしまっていて、なんだかそこには、そうすることが義務であもあり、掟でもあるという互いの黙約げあるかのようでさえあった。」 「おまえ知ってるか?先生の兄貴もなあ、死んじゃったんだぞ」 「本当?」 「そうだよ、でっかい自動車に轢かれちまったんだ」 『ぼくは嘘をついていたのだ。ぼくは何としてもでも、この小さな子供の悲しみの中に一緒に入りこんでやりたかった。』 胸が苦しい。 「ぼくは自分が彼の生涯におきた悲劇を傍観するだけの、単なる行きずりの者だけで終ることが、どうしてもできなかった。」 俺もそういう人になりたい。 『盗まれたシャツ』 「この溝掘り仕事を終りにして、テントの中に入り冷たい掌を焦げるほど火にかざすことができたら、どんなにいいだろうと彼は思った」 掌を焦げるほど、という表現がすごい。 俺はそこまで切実に火を求めたことがないのだろう。 こちらの脳天をかち割られる作品だ。 『彼岸へ』 とんでもない言葉の掃射。当たり前だ。 パレスチナ人がどれだけのことをその胸に溜め込んできたのか、すべての者を薙ぎ倒すだけの権利が彼らにはある。 『戦闘の時』 「それは、戦争のさなかのことだった。戦争?いや、ちがう。それは戦闘状態そのものだ。つまり敵との間断のない、激戦のさなかのことなのだ。なぜって、戦争にはその間に心を安らげてくれる微風がこころよく吹く時だってあるし、そんなとき兵士たちはほっと息抜きすることができるだろう。それに、休戦とか、停戦とか、前線から退いてとる休暇だってある。ところが戦闘ってやつは、ひっきりなしに弾丸がとびかっている状態のことだろう。」 戦争は微風が吹き抜ける時が僅かながらある。 すごい表現だ。 「それは、戦闘時のことなのだ。ぼくがこう言うのも、きみはそれがどんなものか知らないからなのだ。そのとき、世の中はさかさまにひっくり返っちまっているんだ。誰一人道徳はどうしたなんて、問う者はいないんだ。そんなことを言う奴がいたら、さぞかし滑稽に見えるだろうなぁ。どんなふうにでもいい、どんな手段を使ってでもいいから生きのびること、それこそが、立派に徳を達成することになるんだよ。いいね!人間、死んじまったら徳もへちまもありはしなくなっちまうのさ、そうじゃないかい?」 「さあ、それじゃあ、戦闘時においてきみのすべきことは、第一番目の徳を達成するってこと、つまり自分が生きのびるってことなんだということで、同意してくれるね。それ以外のことは、二の次なのさ。なぜってきみ、戦闘が続けば二番目のものなんてありはしないのさ。きみは一番目の徳を果たして終えてしまうということはないのさ」 ホールデンのような饒舌体がおもしろい。 「戦闘」のメタファーや結末までサリンジャーのようだ。 他の短編に比べて喜劇的な要素があるのが面白いし したたかさを際立たせている。 つまりなんとか生きていかねばという強靭さがある。深刻なだけでは生き延びていけないのだ。 『ハイファに戻って』 これぞ人間ドラマ ただただ感服。 とんでもない高みに達した作品だと思う。 - 2026年6月1日
ガザに地下鉄が走る日岡真理読み終わった世界で最も美しい本のタイトルでありながら 書かれている内容は世界で最もおそろしい現実の落差。 この本のおそろしさは 読んだからにはもう知らないふりはできないということだ。 刊行から更に8年半が過ぎた今も尚、ガザは最悪を更新し続けている。 さぁ、どうする? 「ノーマンとして難民キャンプの泥土のなかで聖地した難民二世の子どもたちは、家族の糊口をしのぐために自分の人生を犠牲にするのではなく、パレスチナを取り戻すために、命を賭して闘うことを選んだのだった。彼らは、「難民」という「人道問題」であることを止め、祖国の解放とそこへの帰還のために銃をとり解放戦士たちとなって、この世界の前に立ち現れることになる。彼らを難民キャンプという砂漠の辺獄に留めおき、その存在を安らかに忘却していた人間たちの喉元に銃を突きつけ、「この世界」の安寧を揺さぶる彼ろを、世界は「テロリスト」と呼んだ。何者でもなかった者たち、人間ならざる者たちが、「人間」として、政治的主体として、この世界に存在を刻みつけた瞬間だった。」 「人間がこの世に誕生するということと、人が国民になるということは、まったく次元を異にすることがらでありながら、「生まれ」と「国民になる」ということのあいだにいささかの隔たりもありえない、そのような暗黙の虚構の上に成り立つ「この世界」において、国民でも市民でもなくか「ただ人間でしかない者」とは人間であって人間ならざる者たち(ノーマン)だ。これら人間ならざる難民たちが暮らす難民キャンプは、それゆえに法外のトポスであり(なぜなら法とは「人間」のためのものだからだ)、この世界が人間に保障する一切の権利が無効とされる場、世界の外部であった。ナクバ以来この七○年間のパレスチナ難民の歴史が集団虐殺の歴史であるのはそのためだ」 「エルサレムは三つの信仰(ユダヤ教•キリスト教•イスラーム教)の聖地であり、この聖地で人々は信仰を異にしつつもアラビア語を話しながら隣人として歴史的に共生してきた。それがエルサレムの街の歴史であり、パレスチナの歴史であり、さらに敷衍(ふえん)すれば中東イスラーム世界のありようだった。イスラームはユダヤ教徒、キリスト教徒を同じ「啓典の民」と見なし、彼らを被保護民として庇護した。千数百年に及ぶ長い歴史の過程で、異教徒に対する迫害がなかったわけではない。しかし、総じて「共生」こそがムスリム社会の原則だった。(中略)エルサレムとは、アラブ•イスラーム世界における、この歴史的共生のシンボルにほかならない。その共生の歴史を暴力的に破壊したのが、近代におけるシオニズムによる侵略であり、イスラエル国家の建設だった。」 「デイル•ヤーシーン(村)の名だけが記憶された背景には、この虐殺がイスラエル建国前に、ユダヤ正規軍ではない民兵組織によって実行された出来事だという点が挙げられる。実行車が極右の軍事組織であったために、シオニスト指導部は自らの責任と切り離して、自分たちの倫理性を担保しながら事件を非難することができた。だが、イスラエル建国後、これら民兵組織は正規軍のハガナーと統合されイスラエル国防軍となる。」 「イスラエル国家の責任が問われる建国後の犯罪行為については、態度を一変させる。(中略)イスラエルのナショナル•ヒストリーにおいては徹底的に隠蔽され、抑圧されることになる。」 「パレスチナ問題について話をするたびに、必ずと言ってよいほど、「ホロコーストを経験したユダヤ人がなぜ、同じようなことをパレスチナ人に?」という質問を受ける。デイル•ヤーシーンの虐殺について述べたイラン•パペの次の文章は、この問いに対するひとつの答えとして読むことができるだろう。 『ユダヤ人といえども、この惑星に暮らす他の人々と異なっているわけではないのだ。ほぼすべての人間集団に対して、他のある人間集団を非人間化することを教え込むことができる。1948年のシオニスト部隊は、パレスチナで、老若男女問わず殺害するという仕事にいたく熱心にいそしんだのである』」 「1923年9月、大地震のあとの関東地方で「朝鮮人」と名指された者たち、1948年の済州島で「アカ」、2001年のアフガニスタンで「アルカイダ」、2003ねんのイラクで「テロリスト」と名指された者たち。そして1948年のパレスチナで、シオニストに「アラブ人」と名指された者たち。これらの者たちは、「これほど全面的に、何かをされようとそれが犯罪として現れることがないほどに自らの権利と特権を奪われることが可能」」になった。それはいったい「どのような法的手続き、政治的装置を手段としてのことだったのか(アガンベン)」 「1923年の東京で、埼玉で、千葉で、神奈川で、「朝鮮人」と名指された者たち。そのような者として名指されたとき、そこは、すべてが可能な「収容所/ノーマンズランド」へと変貌し、彼らはそのヘテロトピア(異化された空間)の囚人、非人間(ノーマン)となって殺された。聞こえないか、私たちがそこを歩く時、私たちの足の下、塗り固められたコンクリートのその下で、今なお無数のノーマンたちの骨が砕ける音がするのを。」 「「テロと報復の連鎖」や「暴力の連鎖」といった枕言葉を冠せられて書かれる記事は、そこで起きている出来事を報道しているようでいてその実、占領者と被占領者があたかも対等な存在であるかのように、両者のあいだの圧倒的な非対称性を覆い隠し、さらにパレスチナ人のテロルが、数十年、違法に続いている占領の暴力によって生み出されているという根源的な事実を隠蔽してしまう。」 「本来、ペンの力によって伝えなければならないのは、自爆を選ばせるまでに若者たちを絶望の淵に追い詰める「占領」とはいったいいかなる暴力なのか、ということであるはずだ」 「パレスチナ人の「テロ」をイスラームにおける「聖戦」に結びつけ、彼らが、私たちには理解しがたい狂信的な信仰ゆえに「自爆テロ」をおこなっているかのようなイメージを社会に流布する。中東で起きることは、すべてイスラームという信仰、イスラームという文化、我々とは本質的に異質な文化に還元されてしまうと、サイードが『イスラーム報道』で批判している、まさにそのとおりの「カヴァリング•イスラーム」だ。」 「テロと報復の連鎖」「暴力の悪循環」などというと、人間の理性による制御がきかなくなった暴力が勝手にインフレを起こして暴走しているかのような印象を受けるが、現実はそうではない。」 「メディアにおけるクリシェの反復はパレスチナで現実に生起している出来事の真の意味ーすなわち占領の暴力ーを隠蔽する「カヴァリング•イスラーム」にほかならない。」 「この世界それ自体が、ノーマンを不断に産出し続ける巨大な構造的暴力装置だ。」 「目を疑うような大量破壊、大量殺戮が今、起きているという事実が、封鎖や占領といった構造的暴力が人間の許容範囲の事態であるかのように錯覚させる効果を生み、それを維持する結果につながってはいまいか。」 「2014年のガザ攻撃のさなか、ジェノサイドのただなかにあったガザの市民社会の代表たちが、無条件停戦を蹴ったハマースを非難する国際社会に対して、「封鎖解除なき停戦などいらない」と題するアピールを発表したのは、私ちちのことを本当に思って停戦を訴えるのであれば、即時停戦だけでなく、封鎖の解除と占領の終結も同時に訴えてほしいと、彼らは国際社会に求めたのだった」 「1980年代の前半に私がパレスチナ問題に関わり始めた当時、国際社会が許しがたいと考えていたパレスチナの占領やアパルトヘイトが、今では占領地のごく当たり前の現実として、特段、問題にされることもなく常態化してしまった。占領のノーマライゼーション(標準化)だ。」 「国際社会は、安保理決議に反し、国際法にも反して半世紀以上にわたって継続するイスラエルの占領を批判したり、その終結のために取り組んだりする代わりに、占領の存在を前提に、占領によって生を破壊され続けるパレスチナ人が占領下でも生活を維持できるよう開発援助することで、むしろ占領継続の共犯者となっている。私たちの税金は、占領という構造的暴力や不正をなくすためではなく、実際はむしろ、私ちちの願いに反して、その暴力と不正を維持し、恒久化することに使われているのだ。2006年に始まる日本政府によるヨルダン渓谷における「平和と繁栄の回廊」構想は、占領を批判することなく、占領を前提に、占領の既成事実化に加担する開発援助の一連だ。」 「イスラエル占領下のパレスチナを訪れた南アフリカのもと活動家たちが異口同音に語るのは、アパルトヘイトの暴力が頂点に達していたときでさえ、パレスチナにおけるイスラエルの占領ほど過酷ではなかったということだ。「日曜日のピクニックのようなものだ」と形容した者もいる。」 マンデラ 「私ちちの自由は、パレスチナ人が自由にならない限り完全なものにはならないということを私たちは熟知している。」 「2016年10月、オバマ大統領とケリー国務長官がイスラエルを公然と批判したが、大統領の任期ぐ3ヶ月を切った「レイム•ダック」でなければイスラエルを批判しえないということだが、その前月にオバマ政権はイスラエルに対し、空軍力強化のために380億ドルという合衆国史上最大額の軍事援助を決定していることも忘れてはならないだろう。」 「日本は2014年、イスラエルのネタニヤフ首相が来日した際、イスラエルと日本の「包括的パートナーシップ構築のための共同宣言」を発表、2015年、武器禁輸三原則を撤廃した政府は現在、イスラエルとの無尽機共同開発計画を推進しようとしている。」 「経済的見地から言えば、軍事産業はイスラエルの基幹産業のひとつだ。広島と長崎が二種類の新型爆弾の破壊力を実地に測るための実験場だったように、ガザもまた新兵器開発のための格好の実験場であり、同時にガザ攻撃は、世界市場にイスラエル製の兵器の性能を宣伝するためのデモンストレーションの役目を果たしている。」 「パレスチナに関しては、法による支配など存在しない。こうして、イスラエルを断罪しないことで国際社会は、メタメッセージを発しているのだ、パレスチナ人など取るに足らないものだ、何をしてもいい、と。」 「従来、平和とは戦争のない状態であると考えられてきた。これに対し、1970年代、「平和学の父」と呼ばれるノルウェーの平和学者、ヨハン•ガルトゥングは、暴力を、戦争など物理的暴力が直接行使される「直接的暴力」、貧困や差別など社会の構造から間接的に生み出される「構造的暴力」、そして直接的暴力や構造的暴力を正当化したりする態度や思想などの「文化的暴力」の三つに分類して平和ん再定義し、戦争という直接的暴力がないだけでは消極的平和に過ぎない、真の平和(積極的平和)とは直接的暴力に加え、構造的暴力がない状態のことだとした。」 - 2026年5月24日
キャリースティーヴン・キング読み終わった傑作。 キャリーの怒り、復讐心に火がつき 爆発が爆発を呼び連鎖し続けすべてを焼き尽くしていく様は、シャイニングにも通じる。 きわめて映像的でもある。 そしてラスト 新たなキャリーが育ちつつあるという結末。 しかしもう誰にも止められない。 優生思想は法律違反であり人権侵害である。 さぁ、どうする人類?と キングは我々に突きつける。 キャリーの学校の校長と いじめっ子のリーダー格、クリス•ハーゲンセンの父親(弁護士)のやり取りが素晴らしい。 とりあえず校長は父親を返り討ちにするが 父親が大人しく引き下がるわけないよなと思う。 この先、なにがしかの復讐が待ち受けているだろうという予感しかない。 キャリーか七学年の時に宿題で書いた短詩 ⭐︎ イエスは壁から見守っている けれどその顔は石のように冷たい もしも彼女がいうように イエスがわたしを愛しているのなら なぜわたしはこんなに孤独なのだろう? ⭐︎ スーザン•スネル「だけど、だれかが本気で ••••••なにか意味のある行動で、彼女に同情しなきゃいけないわ」 スーはキャリーへの贖罪から キャリーを春の舞踏会に誘うよう ボーイフレンドに懇願する。 地獄への道は善意で舗装されているの典型のような 贖罪意識。悪い予感しかない。 「かつがれるのはいやよ」 スーのボーイフレンドに舞踏会に誘われた時のキャリーの気持ちを想うとせつない。 「わたしをいつまでも騙しつづけられると思っているの?」 「いいわ」と、彼女は囁いた。「ありがとう」 このありがとうがまたなんともせつない。 しかしキャリーは釘を刺している。 「きっと恐ろしいことになるわ」と。 「気おくれを感じたけれども断念はしなかった。なせなら、その気になれば店内の人間が悲鳴をあげて外へ逃げだすように仕向けることもできたからである。」キャリー強い(笑) 「ねえ、わかってよママ、わたしだってそろそろ••••••みんなに溶けこむように努力しなきゃ。わたしはママと違うわ。わたしは変り者なの••••••つまり、みんなに変り者だと思われているのよ。だけどそんなのいやだわ。手遅れにならないうちに、なんとかまともな人間になりたいー」 ミセス•ホワイトはキャリーの顔に紅茶を浴びせかけた。 なんという痛切なキャリーの母への吐露。しかし母親はそんなキャリーの痛ましい思いを跳ね返す。 あぁ、母親がいちばんの敵になる不幸。 キャリーを目の敵にするクリスのボーイフレンド一味による豚殺しの凄惨な場面は胸糞が悪い。 豚にポテチを食わせている間にハンマーで脳天をカチ割る。なんともいえない殺戮シーンだ。 第二部の冒頭 「五月二十七日の朝、彼女は自分の部屋ではじめてドレスを着てみた。」 なんて美しいはじまりだろう。 しかし、美しいぶんきっときっと恐ろしい何かが待ち受けている予感しかない。絶望感がある。 「この家にいるかぎり、女の子たちに笑われ、罵られ、物を投げつけられるおそれはなかった。」 キャリーはそれでも前に進もうとした。 自分から変わりたいと思った。 その態度は僕の心を真っ直ぐに打つ。 (お願いだからハッピー•エンドにしてください) だけど僕は知っている。 キャリーのたった一つの願いすら叶えられないということを。 舞踏会で教師ミス•デジャルダンがキャリーに 「いままでのことは••••••もうみんな忘れたわ。」と言うが、キャリーは「わたしは忘れません。」と返す。なぜなら「なによりも自分に対して正直でありたかった」からというのが胸を打つ。 キャリー「卑劣ないたずら わたしの一生そのものが長い卑劣ないたずらだった」 なんて痛切極まりない独白だろう。
- 2026年5月20日
ロングウォークスティーヴン・キング(リチャード・バックマン名義),沼尻素子読み終わったあー、読み始めて数ページですでに面白い。 なんなんだキングという作家は。 まさにストーリーテラーのキング・オブ・キングだ。ひれ伏すしかない。 死のロングウォーク。 単純に理不尽に徴兵されることのメタファーなのかな。 ウォーカーたちはチューブに入った流動食で栄養補給をしているのは、過酷な戦地ではまともな食にすらありつけないことなのかなと。 そして所詮は、死のロングウォークや戦争すら 見物人にとっては娯楽の一つ。 死の消費。 それを裏付けるように「フランスの貴族や貴婦人は、ギロチン見物のあとでセックスしたそうだし、古代ローマ人は剣闘試合の最中に腹一杯食ったそうだ。ロングウォーク見物もお楽しみなんだよ。」というセリフがある。 小さいころロングウォーク見物に行ったギャラティにマクヴリーズが言うセリフ「知らなきゃ許されるんだな?」は強烈だ。 小さいころとは言えお前だってロングウォークを消費し死を消費していたんだと冷や水を浴びせる。 「死は大いに食欲ゃ性欲をそそる」というセリフも凄い。「おれたちが人間だって、どうしていいきれる?」 あぁ、キング先生! 「おれたちは死にたいのさ。だからこうして歩いてる。ほかにどんな理由がある?」 あぁ、キング先生‼︎ 「何か特別な理由があってロングウォークに参加したのか?」 「実はわからないんだ」ギャラティは本当のことをいった。 「おれもそうなんだよ」ベイカーはしばらく考えていた。 なぜ参加したのか本人にもわからないというのがすごくリアルだ。生きている理由がわからないというのにも通じるというか。なんとなく成り行きでそうなってしまったという感じ。 この物語はもしかしたら、ウォーカーたちを見つめる傍観者たちにスポットを当てた作品なのかもしれない。傍観者がいちばん残酷だということ。 「最悪の破壊的な痛みに見舞われながら、これから先自分は存在しないのに、宇宙は今までどおり何事もなく何物にも妨げられずに運行を続ける、と悟るのだ。」名文である。 「もしおれが優勝したとして、何をもらいたいか、全然思いつかないんだ」とマクヴリーズ。 「本当にほしいものなんてなにもない。つまりな、老いぼれて病気で寝たきりのおふくろとか(以下、略)」 「重要な点をついてるな」 「重要な点が抜けてるってことだろ。ロングウォークなんて百パーセント無意味だ。」 これまたリアルなやり取りだ。すごい。 「雲の上のどこかで雷が手をたたいた。前方で青いフォーク形の稲妻が地面に突きささった。」 素晴らしい表現だ。 「本なんて時には読み捨てにするものよ、研究するものじゃないわ、と彼女は教えた。 たしかにもっと気楽に読書と向き合いたいな。 「暗闇。くそったれの暗闇。ギャラティは闇に生き埋めにされたように思った。監禁されてしまった。夜明けは一世紀も先だ。〈中略〉闇の中に六フィートの深さで埋められている。」 これもまた素晴らしい表現だ。闇に生き埋め。 「レイ•ギャラティというこの有機体が死ぬはずはないという、揺るぎない妄信がいぜんとしてある。他の奴は死ぬかもしれない。彼らはギャラティの生涯の映画のエキストラだ。しかしロングランのヒット映画〈レイ•ギャラティ物語〉のスター、レイ•ギャラティは死なない」 かっこよすますキング先生! 終盤になると死のロングウォークが反転して 生のロングウォークになる見事な手腕。 キング先生はとにかく歩き続けろ、それがお前を顔のない群衆ではな輝くメインの星にするんだと焚き付ける。「おれの仕事は、片足をもう片方の足の前に出し続けることだって」と。 「パーカーの殺した兵士の代わりが、知らないまに補充されていた。」 交換可能な兵士たち。 傑作だけど もったいない! ラストの描写が分かりにくい。 よく分からなくて何度か読み返した。 フィクションなんだから 金髪の兵士や少佐に 一矢報いてほしかったな。
- 2026年5月14日
パブロを殺せ: 史上最悪の麻薬王VSコロンビア、アメリカ特殊部隊マーク・ボウデン,Mark Bowden,伏見威蕃「ブレイキング・バッド」があまりにも面白すぎて 劇中に出てきたこの作品が気になって読み出した。 コロンビアの麻薬王、パブロ・エスコバルについての本。 タイトルがすごい 「パブロを殺せ」 図書館で書庫から出してもらうとき かなりヤバイ奴だと思われただろうな。 でも最恐のワルの人柄、手口、成り上がり方等々を 知っておくべきというか なぜか惹かれてしまうカリスマ性を知っておきたかった。 それにしてもパブロが殺しまくる殺しまくる。 おそらくその数、4桁はくだらない。 229ページから5ページに渡って ラジオの独占インタビューが再録されているが 口が上手いというか絶妙にすべてをはぐらかす術に長けまくっている。かなり地頭が良い。当たり前だがかなりのキレ者だ。 結局、言葉の能力に長け 言葉の力でもって人を配下におさめられる。 あらゆる独裁者に備わっている能力をパブロも持ち合わせていたということだ。 結局、なんだか読んでいるのがバカらしくなって 最後まで読むのをやめてしまった。 俺はもしかしたら 現実よりもフィクションの方が好きなのかもしれない。
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