

活字畑でつかまえて
@catcher-in-the-eye
読んだ本を片っ端から忘れてしまうので、せめて感じたことをつかまえたい。
- 2026年4月11日
TVピープル村上春樹読み終わった20数年ぶりの再読。 読了後の感想としてこの短編集には 特筆すべき作品はないように思う。 「TVピープル」 なんなんだこの短編は。 おもしろい。 TVの人格化? テレビは人の生活や意識に無意識に入り込み 引いては人を石化させるもの? 作中で〈僕〉が読んでいた本 ガルシア•マルケスの新しい小説 「飛行機」 飛行機について詩を読むようにひとりごとを言う男。 飛行機は「TVピープル」で2人のTVピープルが 作っていたつながりがある。 「我らの時代のフォークロア」 「今むたいに何かを手に取ったら、隠れ蓑をかぶった広告だとか役に立つ関連情報だとか割引サービス券だとかグレードアップのためのオプションだとか、そういうややこしいものがぞろぞろくっついてくるということはなかった。」 「すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹を抱えておお笑いしたした」 我が人生もかくあれと願う。 「加納クレタ」 おもしろいけどなんだこの終わり方は(笑) マルタさんの話し方がおもしろい。 「ゾンビ」 なんてことはない短編 「眠り」 もっと不気味さが欲しかったかな。 作中で〈私〉が読んでいた本 トルストイ「アンナ•カレーニナ」 ドストエフスキー
- 2026年4月9日
パン屋再襲撃新装版村上春樹読み終わった20数年ぶりの再読。 「パン屋再襲撃」 再襲撃というのがいい。 村上春樹的に言うなれば、何はともあれそれは果たされなければならなかったのだ。 選択肢はないのだ。 つつがなくやり遂げなければいけないことが この世界にはあるということ。 「どうしてこんなことをしなくちゃいけないんですか?」とマクドナルドの店員の女の子が言うが、 そんなこと知ったこっちゃないのだ。 説明するまでもないし、説明できないことなのだ。 そして最も謎で不気味な存在がいちばん身近にいると言うこと。 何者なんだ妻は。 「象の消滅」 これぞ村上春樹作品の傑作中の傑作。 疑いの余地のない名短編である。 おそらく象と飼育員だけがまともで正気なのだ。 象と飼育員が消滅したことでこの世の箍が外れてしまったのかもしれないし、箍が外れたので消滅してしまったのかもしれない。 飼育員の名前は渡辺昇。 「ファミリー•アフェア」 キレキレの名短編。 僕はこの兄である〈僕〉が大好きだ。 「まずい料理を残すっていうのもひとつの見識だと思う」 村上春樹のこういうところに僕は惹かれたのだ。 「そんなにお酒飲んで車を運転できるの?」とその子が心配そうに訊いた。 時代だなぁ。飲酒運転がまかり通っていた時代。 「また近いうちに誘っていいかな?」と僕は訊いた。 「デートに?それともホテルに?」 「両方」と僕は明るく言った。「そういうのは、ほら、表裏一体なんだ。歯ブラシと歯みがきみたいに」 最高である。 「家事を分担してるんだ。彼女が洗濯して、僕が冗談を言う」 これも最高。 「結婚式はやはり秋がいいな」と僕は言った。「まだリスも熊も呼べるし」 いいなぁ。 「お兄さんはまだ結婚するつもりはないんですか?」「チャンスがなくてね。」と僕はフライド•ポテトを口に入れながら言った。「幼い芋の面倒も見なくちゃならなかったし、長い戦争もあったし」 ほんと最高。 妹の婚約者の名前は渡辺昇。 「双子と沈んだ大陸」 「1973年のピンボール」に登場した双子の女の子、渡辺昇という名前の共同経営者、事務の女の子、笠原メイという名前の女の子(ダンス•ダンス•ダンス&ねじまき鳥クロニクル) 「ローマ帝国の崩壊(後略)」 特に感想なし。 「ねじまき鳥と火曜日の女たち」 1985年にはもう「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭部分が短編という形で書かれていたんだな。 それにしても何度読んでも面白い文章だな。 今作では飼い猫の名前がワタナベ•ノボル 作中で〈僕〉が読んでいた本 レン•デイトンの小説 クラレンス•ダロウの伝記 - 2026年4月7日
読み終わった約、20数年ぶりの再読。 当時、ブックオフみたいな古本屋さんで300円くらいで買った記憶がある。 内容は全く覚えていない。 ミュウの「観覧車の話」は 村上春樹作品の中でも特筆すべきエピソードであると思う。 読み進めていくうちに、特に中盤から後半に連れ この作品は傑作だと確信する。 最後、まるでノルウェイの森のように電話ボックスが出てくる。 ノルウェイの森のワタナベくんのように、すみれには自分のいる場所が分からない。 しかし、すみれのいる場所は断然されていない。 生きている電話ボックスだ。 ワタナベくんのいる電話ボックスは世界と断然されていたし、ゆえに自分のいる場所が分からない。 ワタナベくんのいた場所はどこでもなかったし、どこでもよかった。 とにかく隔絶された場所だった。 村上春樹はワタナベくんの先を すみれという人物を使って前に進め世界を押し広げたように思う。 ノルウェイの深くて暗い森を抜けた世界 それが「スプートニクの恋人」だ。 この物語の最後の最後に すみれと〈僕〉はお互いが 一生の旅の連れであることを見出したのだ。 「あまりにもすんなりとすべてを説明する理由なり論理なりには必ず落とし穴がある。それがぼくの経験則だ。誰かが言ったように、一冊の本で説明されることから、説明されないほうがましだ。つまり僕が言いたいのは、あまり急いで結論に飛びつかないほうがいいということだよ。」 「すみれはぼくから離れて「さびしい」と言う。でも彼女のとなりにはミュウがいる。ぼくには誰もいない。ぼくにはーぼくしかいない。いつもと同じように。」 この取り残された感、すごく分かるな。 女性というのは時として本当に遠くに行ってしまうんだ。 ミュウ「わたしにはそのときに理解できたの。わたしたちは素敵な旅の連れであったけれど、結局はそれぞれの軌道を描く孤独な金属の塊に過ぎなかったんだって。遠くから見ると、それは流星のように美しく見える。でも実際の、わたしたちは、ひとりずつそこに閉じこめられたまま、どこに、行くこともできない囚人のようなものに過ぎないわ、ふたつの衛星の軌道がたまたまかさなりあうとき、わたしたちはこうして顔を合わせる。あるいは心を触れ合わせることもできるかもしれない。でもそれは束の間のこと。次の瞬間には、わたしたちはまた絶対の孤独の中にいる。いつか燃え尽きてゼロになってしまうまでね」 すばらしいです。 すみれ「たとえば具体的に言うと、まわりにいる誰かのことを「ああ、この人のことならよく知っている。いちいち考えるまでもないや。大丈夫」と思って安心していると、わたしは(あるいはあなたは)手ひどい裏切りにあうことになるかもしれない。わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、わたしちたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」 すみれ「昔、サム•ペキンパーの監督した『ワイルド•バンチ』が公開されたときに、一人の女性ジャーナリストが記者会見の席で手を挙げて質問した。「いったいどのような理由で、あれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」、彼女は厳しい声でそう尋ねた。出演俳優の一人であるアーネスト•ボーグナインが困惑した顔でそれに答えた。「いいですか、レディー、人が撃たれたら血は流れるものなんです」。この映画が製作されたのはヴェトナム戦争がまとさかりの時代だった。わたしはこの台詞が好きだ。おそらくはそれが現実の根本にあるものだ。分かちがたくあるものを、分かちがたいこととして受け入れ、そして出血すること。銃撃と流血。 いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです。」 すみれ「わたしのそれなりに勤勉なつるはしの先はようやく強固な岩塊を叩く。こつん。わたしはミュウに、わたしが何を求めているかをはっきりと示そうと思う。このような宙ぶらりんの状態をいつまでも続けていくことはできない。どこかの気弱な床屋のように裏庭にしけた穴を掘って、「わたしはミュウを愛している!」とこっそり打ち明けているわけにはいかないのだ。そんなことを続けていたら、わたしは間断なく失われていくことだろう。すべての夜明けと夕暮れが、わたしをひとかけらひとかけら奪っていくことだろう。そしてそのうちわたしという存在は流れに削り尽くされ、「なんにもなし」になってしまうことだろう。」 宙ぶらりんの状態ではいられないと腹をくくるのが村上春樹作品の主人公だ。 すみれ「血は流されなくてはならない。わたしはナイフを研ぎ、犬の喉をどこかで切らなくてはならない。」 村上春樹作品の主人公はある時点で腹をくくり 逃げ場のない状況に自らを追い込んでゆく。 そこには選択肢はない。 ミュウ「強くなることじたいは悪いことじゃないわね。もちろん。でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康ではなない人たちの痛みについて理解しようとしなかった。わたしは、いろんなことがうまくいかなくて困ったり、立ちすくんでいたりする人たちを見ると、それは本人の努力が足りないだけだと考えた。不平をよく口にする人たちを、基本的には怠けものだと考えた。」 作中で〈すみれ〉が読んでいた本 ジャック•ケルアック 「オン•ザ•ロード」「ロンサム•トラヴェラー」 - 2026年4月2日
国境の南、太陽の西村上春樹読み終わった約20年ぶりの再読 「島本さん」という名前を覚えている程度。 一人っ子である事の脅迫症的なまでの描写と 地下でジャズを流すバーの経営。 雑誌「ブルータス」 主人公が村上春樹の自伝的要素の濃い設定だ。 それとは反対に主人公に娘が2人いる設定は興味深い。主人公が子持ち設定は村上作品では珍しいのではないか。 タイトルになぞらえるなら 「現実の有紀子、幻想の島本さん」になるだろうか。 イズミは? イズミは主人公が葬り死神にしたのだろう。 イズミが島本さんを遣わしたとも言える。 小雨の降る日にやってくる島本さん。 それはやはり泣いていたのだろう。 全身で泣いていたんだろう。 結局、主人公にとってあまりにも都合の良すぎる結末ではある。 その点、有紀子さんですら現実的ではない。 まぁ、それを言ったら村上春樹の登場人物などすべからくそうなってしまうわけだが。 かわいそうな僕。かわいそうな僕。かわいそうな僕。 「でも僕は島本さんのそうした外見の奥に潜んでいる温かく、傷つきやすい何かを感じ取ることができた。それはかくれんぼをしている小さな子供のように、奥の方に身を潜めながらも、いつから誰かの目につくことを求めていた。」 なんて素敵な文章。 「ある時間が経ってしまうと、いろんなものごとがもうかちかちに固まってしまうのよ。セメントがバケツの中で固まるみたいに。そしてそうなると、私たちはもうあと戻りできなくなっちゃうのよ。つまりあなたが言いたいのは、もうあなたというセメントはしっかり固まってしまったわけだから、今のあなた以外のあなたはいないんだということでしょう?」 自分というセメント。 「そして僕はガールフレンドを作った。彼女はそれほど綺麗な娘ではなかった。」 なんて失礼な。コラ、村上くんそういうとこだぞ。 「人間というのはある場合には、その人間が存在しているというだけで誰かを傷つけてしまうことになるのだ。」 「でもそのかわりに彼女は僕のペニスを口に含んで、舌を動かしてくれた。」 イズミちゃんそれはしてくれるんかい! 「彼女はー彼女もまたというべきかもしれないがー一緒に町を歩いていて、すれ違った男が思わず振り返るようなタイプではなかった。」 こういう表現、ほんとやめてほしい。嫌悪しかない。 「僕とそのイズミの従姉とはそれから二カ月に亘って脳味噌が溶けてなくなるくらい激しくセックスをし た。」すごい表現だ。 「どうしてあのときに島本さんに思い切って声をかけなかったんだろうと僕はあらためて悔やんだ。あのときの僕には何の制約もなく、捨てるべき何ものもなかったのだ。僕はその場で彼女をしっかりと抱きしめ、二人でそのままどこかに行ってしまうことだってできたのだ。」 やめてくれ!つらすぎる!やめてくれったら! 島本さん「私はここに来るか、あるいはここに来ないかなの。ここに来るときには私はここに来る。ここに来ないときには ー、私は余所にいるの」 僕「中間はないんだね?」 島本さん「中間はないの」と彼女は言った。「何故なら、そこには中間的なものが存在しないからなの」 僕「中間的なものが存在しないところには、中間も存在しない」と僕は言った。 なんですかこの会話(笑) 有紀子「何かに追われているのはあなただけではないのよ。何かを捨てたり、何かを失ったりしているのはあなただけじゃかいのよ。」 よくぞ言ってくれました。 いいかげんにしないよ、ほんとに。 自分に同情するな。 作中で〈僕〉が読んでいた本 中国とヴェトナムとの戦争を扱った本 - 2026年3月29日
ダンス・ダンス・ダンス(下)村上春樹読み終わったなんだかんだ僕とユミヨシさんが晴れて結ばれる流れは気持ちをもっていかれるからさすがです。 うん、いい作品だ。 「ピーク、と僕は思った。そんなものどこにもなかった。振り返ってみると、それは人生ですらないような気がする。」 わかりすぎる。 「年をとると暗示の暗示性というものが少しは理解できるようになる。そしてその暗示性が現実の形を取るまでじっと待つことを覚えるようになる。ペンキぐ乾くのを待つのと同じように。」 まさに村上春樹の「姿勢」そのもののセリフだ。 ただ待つことしかできないという時間がある。 僕「姿勢の問題だよ。様々な物事を愛そうと努めれば、ある程度までは愛せる。気持ち良く生きていこうと努めれば、ある程度までは気持ち良く生きていける」 ユキ「でもそれ以上は駄目なのね?」 僕「それ以上のことは運だ」 まさに。 「待てばいいということだよ」と僕は説明した。 「ゆっくりっしかるべき時が来るのを待てばいいんだ。何かを無理に変えようとせずに、物事が流れていく方向を見ればいいんだ。そして公平な目で物を見ようと努めればいいんだ。そうすればどうすればいいのかが自然に理解できる。みんな忙しすぎる。才能がありすぎて、やるべきことが多すぎる。公平さについて真剣に考えるには自分に対する興味が大きすぎる。」 イエス。 「すごく正常であるということは同時にずれているということでもあるんだ。だからそれはとくに気にしなくていいんだ」 142ページの「その時だった。その時突然何かが僕を打った。」からキキを追走しオフィスに入っていき 六体の人骨を見つけるまでの描写がすごいな。 「それはよかった」と僕は言った。僕が「それはよかった」という台詞を使うのは、他に何ひとつとして肯定的言語表現方法を思いつけず、しかも沈黙が不適当であるという危機的状況に限られている。 わかりすぎる。 五反田くん「いや、違うね。必要というものはそういうものじゃない。自然に生まれるものじゃないんだ。それは人為的に作り出されるものなんだ。」 「でっちあげられるんだ。誰も必要としていないものが、必要なものとしての幻想を与えられるんだ。簡単だよ。情報をどんどん作っていきゃあいいんだ。〈中略〉ある種の人間はそういうものを手に入れることで差異化が達成されると思ってるんだ。みんなとは違うと思うのさ。そうすることによって結局みんなと同じになってることに気がつかないんだ。想像力というものが不足しているんだ。」 「僕はいったいどうすればいいのだろう?でもどうすればいいのかは僕にはわかっていた。とにかく待っていればいいのだ。何かがやってくるのを待てばいいのだ。いつもそうだった。手詰まりになったときには、慌てて動く必要はない。じっと待っていれば、何かが起こる。何かがやってくる。じっと目をこらして、薄明の中で何かが動き始めるのを待っていればいいのだ。僕は経験からそれを学んだ。それはいつか必ず動くのだ。もしそれが必要なものであるなら、それは必ず動く。よろしい、ゆっくり待とう。」 ザ・村上春樹。 「日焼けがたまらなく魅力的だ。まるでカフェ•オ•レの精みたいに見える。背中にかっこいい羽をつけて、スプーンを肩にかつぐと似合いそうだよ。カフェ•オ•レの精。君がカフェ•オ•レの味方になったら、モカとブラジルとコロンビアとキリマンジャロが束になってかかってきても絶対にかなわない。世界中の人間がこぞってカフェ•オ•レを飲む。世界中がカフェ•オ•レの精に魅了される。君の日焼けはそれくらい魅力的だ。」 ノルウェイの森の「春の熊さんくらい好きだよ。」に匹敵する名文句。 「人が死ぬにはそれなりの理由がある。単純そうに見えても単純じゃない。根っこと同じだよ。上に出てる部分はちょっとでも、ひっぱっているとずるずる出てくる。人間の意識というものは深い闇の中で生きているんだ。入り組んでいて、複合的で••••••解析できない部分が多すぎる。本当の理由は本人にしかわからない。本人にだってわかってないかもしれない」 その後の村上春樹作品の長編で都度都度語られるテーゼだ。 「ねえ、ユミヨシさん、僕は君を求めている。僕はとても現実的に君を求めている。僕が何かをこんなに求めるなんて殆どないことなんだ。」 「耳を澄ませば求めているものの声が聞こえる。目をこらせば求められているものの姿が見える」 作中で〈僕〉が読んでいた本 佐藤晴夫の短編 - 2026年3月24日
ダンス・ダンス・ダンス(上)村上春樹読み終わった20数年ぶりの再読。 当時、夢中に読んだ記憶があるが内容は忘れている。 250ページを過ぎると冗長的だなと思うようになる。これは「羊をめぐる冒険」では感じなかったことだ。具体的に言うと僕が映画「初恋」を繰り返し観に行き、五反田くんとキキのベッドシーンの執拗な描写がそう思わせる。 上巻を読み終え、うんおもしろいかな。 おそらくこの作品から村上春樹は物語について長編という器について、より深く考え自覚的になっていったんだろうな。 登場人物が多くなることでキャラクターの書き分けのむずかしさを感じた。 「僕は平均的な人間だとは言えないかもしれないが、でも変わった人間ではない。僕は僕なりにしごくまともな人間なのだ。とてもストレートだ。矢のごとストレートだ。僕は僕としてごく必然的に、ごく自然に存在している。それはもう自明の事実なので、他人が僕という存在をどう捉えたとしても僕はそれほど気にはしない。他人が僕をどのように見なそうと、それは僕には関係のない問題だった。それは僕の問題というよりはむしろ彼らの問題なのだ。」 村上春樹だなぁと思う。こういうところに憧れるんた。 「幸か不幸か一般的に物事というのは端っこに行けば行くほど、その質の差が目立たなくなってくる。」 これは面白いなぁ。ほんとそうだ。 クソはクソ。地獄は地獄。 「クリント•イーストウッドの出てくる西部劇だった。クリント•イーストウッドはただの一度も笑わなかった。微笑みさえしなかった。苦笑さえしなかった。僕が何度笑いかけてみても、彼は動じなかった。」素晴らしい。 「僕は誰とも結びついていない。それが僕の問題なのだ。」 「そして久し振りにじっと鏡の中の自分の顔を眺めた。大した発見はなかったし、別に勇気も湧いてこなかった。いつもの僕はの顔だった。」 おもしろい表現だなぁ。 「これといって取り出して見せることのできるものじゃないし、見せることのできるものは、そんなの大した傷じゃない」 村上先生! 「僕は彼女を見ながら、あの子と寝ようと思えば寝られたんだ、と思った。時々そういう風に自分を勇気づける必要があった。」 村上さんったら。 「それに僕は時々無意識に何かをじっと見つめすぎる傾向があるんだ。いろんなものをじっと見ちゃうんだ」 これすごく分かるなぁ。 羊男「戦争というのは必ずあるんだ。いつでも必ずある。ないということはないんだ。ないように見えても必ずある。人間というのはね、心底では殺しあうのが好きなんだ。そしてみんなで殺し疲れるまで殺しあうんだ。殺し疲れるとしばらく休む。それからまた殺しあいを始める。決まってるんだ。誰も信用できないし、何も変わらない。だからどうしようもないんだ。そういうのが嫌だったら別の世界に逃げるしかないんだよ。」 2026年現在、その通りになったよ羊男。 僕「ねぇ、何故僕のためにわざわざそんなことをするんだ?わざわざ僕一人のために?」 羊男「ここがあんたのための世界だからだよ。」と羊男は当然のことのように言った。「何も難しく考えることなんてないのさ。あんたが求めれば、それはあるんだよ。問題はね、ここがあんたのための場所だってことなんだよ。わかるかい?それを理解しなくちゃ駄目だよ。それは本当に特別なことなんだよ。」 セラピーとしての村上春樹。 ユキが音楽を聴くことについて 僕「みんなはそれを逃避と呼ぶ。でも別にそれはそれでいいんだ。僕の人生は僕のものだし、君の人生は君のものだ。何を求めるかさえはっきりしていれば、君は君の好きなように生きればいいんだ。人が何と言おうと知ったことじゃない。そんな奴らは大鰐に食われて死ねばいいんだ。僕は昔、君くらいの歳の時にそう考えていた。今でもやはりそう考えている。それはあるいは僕が人間的に成長していないからかもしれない。あるいは僕が恒久的に正しいのかもしれない。まだよくわからない。なかなか解答が出てこない。」 これぞ村上春樹の真骨頂。 「僕にとっての愛とは不器用な肉体を与えられた純粋な概念で、それは地下ケーブルやら電線やらをぐしゃぐしゃと通ってやっとの思いでどこかと結びついているものだった。すごく不完全なものなのだ。ときどき混線もする。番号もわからなくなる。間違い電話がかかってくることもある。でもそれは僕のせいではない。我々がこの肉体の中に存在している限り、永遠にそうなのだ。原理的にそうなのだ。」 五反田くん「ねぇ、女を呼ばないか?」 僕「僕は何でも構わないよ。君の好きにすればいい」 よく言われるが村上春樹の主人公の受動性。 たしかにこの受身は腹が立つ。 作中で〈僕〉が読んでいた本 ジャック•ロンドンの伝記 「ジャック•ロンドンの波瀾万丈の生涯に比べれば、僕の人生なんて樫の木のてっぺんのほらで胡桃を枕にうとうとと春をまっているリスみたいに平穏そのものに見えた。少なくとも一時的にはそういう気がした。伝記というのはそういうものなのだ。いったい何処の誰が平和にこともなく生きて死んでいった川崎市立図書館員の伝記を読むだろう?要するに我々は代償行為を求めているのだ。」 スペイン戦争についての本 フォークナー「響きと怒り」 エド•マクベインの87分署シリーズ カフカ「審判」 - 2026年3月20日
羊をめぐる冒険 (講談社文庫)村上春樹鼠3部作の最終章。 再読。 内容はほぼ覚えてない。 村上春樹の描いた羊男のイラストは覚えているが。 🐏上巻🐏 「君の好きな角度から話すよ」 「正直に話して。それがいちばん好きな角度だから」 たまりませんなぁ。 「テーブルには空になった五枚の皿が並んでいた。五枚の皿は滅亡した惑星群みたいに見えた。」 こんな表現ができる人間がいるのか。 「つまり、あなたの人生が退屈なんじゃなくて、退屈な人生を求めているのがあなたじゃないかってね。それは間違ってる?」 すばらしい。 羊をめぐる冒険が始まるくだりの あまりにも見事な切れ味に溜息が出る。 「しかし大抵の人間は自分自身をよくあるケースだと考えたりはしない。」 「部屋は一種不可解な沈黙に覆われていた。広い屋敷に入ると時折これに似た沈黙に出会うことがある。広さに比べてそこに含まれる人間の数が少なすぎることから生ずる沈黙だ。」 素晴らしい。 「正直さと真実との関係は船のへさきと船尾の関係に似ている。まず最初に正直さが現われ、最後には真実が現われる。その時間的な差異は船の規模に正比例する。巨大な事物の真実は現われにくい。我々が生涯を終えた後になってやっと現われるということもある。」これもまた素晴らしい。 🐏下巻🐏 いるかホテルの前身が緬羊会館だったくだり おもしろいなぁ。 なるほど 「羊をめぐる冒険」って多分、 村上春樹にとっての「ロング•グッドバイ」だったんだな。 おそらく鼠(羊男)がテリー•レノックスなんだ。 そしてスティーヴン•キングの「シャイニング」から も設定を得ている。 最後の爆発なんてまさにそう。 それにしても傑作。 作中で〈僕〉が読んでいた本 エラリー•クイーン プルースト「失われた時を求めて」 「シャーロック•ホームズの冒険」 - 2026年3月16日
傑作。 鼠3部作の2作目. おそらく初読から20年以上ぶりの再読。 「風の歌を聴け」はけっこう覚えていたけど 今作の内容はほぼ忘れていた。 『風の歌を聴け』と比べると情感があり より人間味が出てきたぶん 親しみがある。 「高い窓からルーベンスの絵のように差しこんだ日の光が、テーブルのまん中にくっきりと明と暗の境界線を引いている。テーブルに置いた僕の右手は光の中に、そして左手は翳の中にあった。」 あまりにも素晴らしすぎる文章。 これだけで100点。 「何もかもが同じことの繰り返しにすぎない、そんな気がした。限りのないデジャ•ヴュ、繰り返すたびに悪くなっていく。」 これもまた素晴らしい。 その後の村上作品で重要なモチーフとなる「井戸」が出てくる。すべてはここからか。 電車に轢かれ何千という肉片となった井戸掘り職人。 そして直子という名のガールフレンド。 鼠が大学を辞めた理由もいいな。 「中庭の芝生の刈り方が気に入らなかったんだ」 「お互い好きになれなかったんだ。俺の方も大学の方ももね」 「良い質問にはいつも答がない。」 鼠の孤独がただただ痛ましいまでに切ない。 でも他人に簡単に分かられてたまるかという孤独だ。一人で抱え込むしかない。 そしてジェイ。 実は彼がいちばん孤独なんじゃないか、と思う。 双子は一体なんだったんだろうな。 工業製品のようだし 未来の世界の猫型ロボットのようだ。 死んでるような気もする。 「僕」がゴミ捨て場から拾ってきた人形。 それにしても傑作。 それは間違いない。 作中で〈僕〉が読んでいた本 カント「純粋理性批判」 以上。 - 2026年3月14日
村上春樹のデビュー作。 おそらく再再読くらいかな。 ありとあらゆる者が ありとあらゆる場所で 引用しバカにしまくった おなじみの春樹節からはじまる。 「完璧な文章などといったものは、、、、、」 云々。 「海ばかり見てると人に会いたくなるし、人ばかり見てると海を見たくなる。変なもんさ。」 キレキレの文章である。 本作で鼠と僕が読んでいた本をメモしておこう。 いつか読んでみたい。 読書がカッコいいことであると教えてくれたのは 村上春樹かもな。 〈鼠〉 ヘンリー•ジェームズ(電話帳ほどもあるおそろしく長い小説) モリエール カザンザキス「再び十字架にかけられたキリスト」 〈僕〉 フローベル「感情教育」 熱いトタン屋根の猫 ミシュレ「魔女」 - 2026年3月12日
職業としての小説家(新潮文庫)村上春樹いやぁ この人の小説を書くことについて書かれた文章を読むと、肉体に贅肉がついていないように思考にも贅肉がついていないということがよく分かる。 簡潔。 シンプル。 やわらかさがある強い意思とでもいおうか。 ただただ潔く気持ちがいい。 僕「村上さん一緒に走りましょうよ。」 村「いや、僕には僕のペースがあり君には君のペースがある。それは互いに交わらないんだ。だからゴールで落ち合おう。」 村上春樹とはそういう人だ。 だからこそ信じられる。 馴れ合わないし、じゃれ合わない。 こちらはただ 黙々と走る彼の背を見つめながら やはり黙々と走るのみだ。 - 2026年3月9日
シャイニング 下スティーヴン・キング,深町眞理子読み終わったなんと 村上春樹作品でおなじみの壁抜けが出てくる。 クールなきゅうりという比喩も出てくる。 イメージの奔流、 シンボルの奔流が怒涛すぎて ついていけないくらいすごい。 なるほどなぁ 父権的なるものが燃やし尽くされてしまうということか。 ジャックが管理人(支配する•目を光らせる•掌握する)という設定も良くできている。 ほんと完璧といって差し支えない物語だけど あえてダメ出しをするなら 上巻の後半でジャックがホテルの地下室で読み耽った謎の億万長者ダーウェントの人物像が下巻でもっと広がるとよかったな。 仮面舞踏会よりもっといかがわしく欲にまみれた 酒池肉林の醜態と血生臭い事件のオンパレードで ダーウェントがジェフリー•エプスタインのような人物ならもっと面白かった。 でもそうなると ダニーが幼すぎてあまりにも刺激が強すぎるんだけど。 でも傑作。 それなのになぜか他のキングの作品は もう読まなくてもいいかなと思ってしまうのは 何故だろう? - 2026年3月6日
シャイニング 上スティーヴン・キング,深町眞理子読み終わった初スティーヴン•キング 映画「シャイニング」は未視聴。 第一部の雇用面接から引き込まれる。 冬シーズンは積雪により長期間シーズンオフに入るホテルの管理人の職にありつきたい訳あり?な感じのジャック•トランスと ホテル〈景観荘〉の抜け目ない支配人アルマン(ジャック曰く鼻持ちならん気どり屋のげす野郎)とのやり取り。 ジャックの妻ウェンディと その子どもダニー。 ダニーには〈かがやき〉という特殊能力(予知夢•既知夢)がある。 そんなダニーが予知夢で見た「レッドラム」「レドラム」の謎。 ダニーの予知夢に現れる友だちトニーの謎。 ジャックがホテルの地下で 身元不明のスクラップブックを見つけ 様々な切り抜きの記事に目を通し ホテルの陰惨な過去が明るみになるくだりが面白すぎる。 新聞記事や雑誌の記事が挟まれる構成は おそらく村上春樹が影響を受けていると思われる。 すずめばちの巣とボイラーの圧力のメタファーが素晴らしい。 上巻、完璧。 - 2026年2月25日
三体2 黒暗森林 上上原かおり,劉慈欣,大森望,泊功,立原透耶かつて読んだあまりにも駄作すぎる。 1が傑作だったために残念。 村上春樹に憧れてんのか知らんが女性が全然描けていない。 可哀想な僕とそれを包み込む聖母のような女性。 まるで村上春樹トリビュート•村上春樹リミックスのような作品だ。 タイトルからして「森林」が入っているから 「ノルウェイの森」を意識したのか知らないが ほんとやめてくれ。 女性に全然血が通っていない。 うんざりだ。 こんな駄作を持ち上げてはいけない。 徹底的に腐すべきだ。 でもまちがいなく1は傑作だった。 三体シリーズは1だけがよかった。 2がいちばん駄作。凡作。 唾棄すべき作品だ。 - 2026年2月25日
老人と海ヘミングウェイ,福田恆存読み終わったおそらく誰もが知っているタイトルで 読んだことない選手権、第一位の作品ではないか。 老人は食べるのが面倒で 早朝のコーヒーが一日の全食糧という もはや仙人のような境地だ。 砂漠のように枯れ切っているが 瞳の光だけは死んでいない。 孤独な老人ゆえに ひたすらモノローグが続く。 海岸線が消え去るほどの沖合いで 大物の獲物とのモノローグが続く。 終わりの見えない獲物との駆け引きで 老人は獲物と同化し 獲物視点で自分を見つめるようになる。 なんなんだこの作品は。 禅問答のようだが 退屈といえば退屈。 というかけっこう苦痛。 何度ももういいかなと本を閉じてスマホをいじる。 「退屈の海」 この物語の最大の欠点は 50ページに及ぶ最大の獲物との駆け引きよりも (訳がどうこうではなく描写がいかんせん分かりにくい) 獲物を仕留めたあと都度都度襲いくる 鮫との死闘の方が面白いということだ。 鮫との闘いは分かりやすい暴力(棍棒で叩きまくる•銛で仕留める等)で畳み掛けるから臨場感があり面白い。 しかし ラストは美しい。 老人はもう死んでいるのか。 老人の精神は 少年に伝承されたはずだ。 少年もまた独りで 沖合いに出なければいけない日がくる。 それとも もっと大きな男となり 大船の船長となり 大航海に繰り出すのかもしれない。 夜空の星々でいちばん光る サンチャゴの星に見守られながら。
- 2026年2月22日
日はまた昇るアーネスト・ヘミングウェイ,高見浩読み終わった読んだのは大久保康雄訳 ヘミングウェイというと マッチョなイメージがあり ずっと読む気になれずにいました。 ところがどっこい とても繊細な心の機微を描いていて びっくりしました。 やはり読まずぎらいはダメですね。 反省。 サリンジャーやフィッツジェラルド、カポーティ その列に加わる作家と出会えてうれしいです。 物語的には「グレート•ギャツビー」のようで ニック•キャラウェイのような語り手 ジェイク視点で語られます。 ニック•キャラウェイは ひたすらギャツビーについて語りますが ジェイク視点で語られるロバート•コーンは ギャツビーのようにカリスマ性がないので あまりにもさびしいし、かわいそうで 身につまされます。 そのことを裏付けるように ロバート•コーンの登場場面も限られています。 それにロバート•コーンのことを誰ひとり 評価しないのです。 容赦なしです。 でも僕はロバート•コーンが大好きです。 彼のような人こそ報われてほしいし 報われる世界であってほしいです。 「日はまた昇る」 ロバート•コーンの人生に幸多からんことを! - 2026年2月19日
武器よさらばアーネスト・ヘミングウェイ,大久保康雄読み終わった主人公と従軍牧師とのささやかな友情と会話がいい。 従軍牧師は宿舎では大尉や兵士たちにいじられ からかわる日々を送っている。 戦地で命がけの任務にあたる兵士にとっては そのような虐げる存在が必要だという残酷さ。 たしかに戦地の従軍牧師というのは肩身が狭く 無力な存在だ。 しかし牧師をからかう彼らとて戦闘兵ではなく衛生兵なのだ。 そして敵の砲弾で負傷し入院した主人公と 当直勤務のキャザリンの深夜の逢瀬。 戦争と恋。 おそらく主人公とキャザリンの会話は 村上春樹も影響を受けているのではないか。 それにしても坦々と語られていくヘミングウェイの筆致が心地良い。 銃殺直前の逃亡劇と、 バーテンダー、グッジョブ👍からの ボードでの逃避行もいいな。 手のひらがズル剥けになりながらオールを漕ぎ続けいざスペインへ。 キャザリンについていうと 主人公にとってあまりにも都合のいい存在になっているのは否めない。 キャザリンは主人公のすべてを受け入れる女性として描かれているが、それは本当に愛なのか? すべてを受け入れるのが「愛」というのは 美しいし分からないでもないが 都合の良さと紙一重というか 女性に母的なるもの娼婦的なるものを 投影しすぎではないか。 結局、キャザリンが身籠っていた赤子の後を追うように亡くなってしまう点も 物語の悲劇性より男の身勝手さを感じてしまう。 植えた種の責任放棄だ。 主人公はラスト 息を引き取ったキャザリンのそばにいるべきだろ う。クールにホテルへ引き返している場合ではな い。 キャザリンは 過酷な戦地で主人公が生み出した幻影なのではないだろうか。 - 2026年2月18日
完全版 はだしのゲン (全7巻)中沢啓治かつて読んだ僕は中岡元の孫だ この世界に生きる人なら 誰もがゲンの子どもたちだ ゲンが麦のように強く強く生きたように 僕たちはゲンのように強く強く生きなければ ゲンのように怒る時にはちゃんと怒らなければ 理不尽には徹底的に抵抗しなければ ゲンのように ゲンのように ゲンが乗り込んだ電車の行く末は 僕たちが握っている。 ゲンは僕たちに 未来を託したんだ。 中沢啓治さん ありがとう。 - 2026年2月17日
中国行きのスロウ・ボート村上春樹かつて読んだ「午後の最後の芝生」が本当に素晴らしいです。 100パーセントの短編小説です。 僕はこの短編に憧れて 芝刈りをするためにゴルフ場で働いたことがあります。 村上春樹は「自分の本文は長編小説」だと言っていますが、ここだけのはなし短編小説の方が素晴らしいです。 ここだけのはなしですよ🤫 村上さんに怒られちゃいますからね。 絶対にここだけのはなしです。 - 2026年2月17日
うたかたの日々ボリス・ヴィアン,Boris Vian,伊東守男かつて読んだ僕は一生懸命な男の子が大好きだ。 だからこの小説は最高なんだ。 僕もコランみたいに 愛する人のために生きたいよ。 そして死ぬ。 それだけだよ それだけ それがすべてだよ。 恋恋恋恋恋恋恋恋 愛愛愛愛愛愛愛愛 生生生生生生生生 死死死死死死死死 そんな物語です。 伊東守男さんの翻訳が最高にすばらしいです。 でもね 人生なんて不条理さ 人間なんて愚かなもんさ ただただただただ状況や環境に振り回されるだけ だから真面目に生きるなんてクソ喰らえ! 気にくわねぇ、気に入らねぇってツバ吐いちまえ! そんなボリス•ヴィアンの声が聞こえてきます。 糞糞糞糞糞糞糞糞 糞糞糞糞糞糞糞糞 そんなもんです そんなもんなんすよ だから本当は僕たちって 自由なんすよ! 本当に本当に自由なんすよ! 本当は本当は! - 2026年2月17日
新編 銀河鉄道の夜宮沢賢治かつて読んだほんたうに信じられない かつて宮沢賢治がこの世界に存在していたことが。 この人は次元がちがいすぎる。 見聞きしているものが異次元すぎる。 ほんたうのさいはいを求めて生きた人。 それは誰よりも苦しむ道でもある。 それは生死を賭したたたかひでもある。 燃焼しかない。 燃焼に次ぐ燃焼。 ずっとずっと燃え続ける蠍のような人。 ほんたうに信じられない。 でも僕はほんたうに信じた方がいい。 ほんたうに信じた道を行けばいい。 ジョバンニが云う 「僕たちしっかりやろうねぇ。」 お気づきだろうか? 「しっかりやろうねぇ。」の軽やかさ この語尾の「ねぇ。」がいいんだよねぇ。 「しっかりやろう。」ではなく 「しっかりやろうねぇ。」 ねぇねぇねぇと語りかけてくる 宮沢賢治の人懐っこさ。 宮沢賢治は軽やかさを忘れない人だったと思う。 だからこそ銀河鉄道は 読者の頭の中を縦横無尽に 駆けることができたんだよねぇ。
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