ごうき
@IAMGK
2026年7月9日

命の後で咲いた花
ワカマツ・カオリ,
綾崎隼
読み終わった
「なあ、なつめ。
随分と先に死んじまったお前は今、何処にいるのかな。
今日も何処かで、やっぱり能天気に笑っているのかな。
いつかは俺だって死ぬけど、そしたら最初にお前を探しに行くよ。お前を見つけて、力いっぱい抱き締めるから、もう一度、俺の名前を読んでくれ。」
こういうエンタメを読むのは高校一、二年生ぶりだから、もう7年くらい前になるのか。本当に5年ぶりくらいに、本を読んで泣きそうになった。途中の語り手の転換が良く、見え透いた伏線を裏切るように物語は進行していくが、最後の最後にそれを回収するので鳥肌が立つ。文体も大衆ウケしそうなユーモアあふれるものだったので読みやすかった。語り手の性別によってその文体が変わるのがさすが小説家といった感じである。女性が語り手の時は女性らしい文章だし、男性が語り手の時は男性らしい文章だった。
とはいえ、最初は久しぶりに読むこのエンタメらしい文体に馴染めず、大いに違和感を感じた。やはりエンタメ小説は話の筋がとても大切でありそれを意識して書かれているのも分かるが、それがあまりにも顕著に出過ぎていると、却って違和感を感じる。登場人物そのものが喋っているのではなく、その登場人物のイメージがあり、そのイメージが登場人物の肉体を借りて喋っている感じ。要は登場人物が自律的に言動しているのではなく、物語の筋に登場人物が乗っている、というような感じだ。しかし逆に言えば、物語がサクサク進むので、私のような令和のドパガキでも読みやすい。
また、会話と心理・情景描写のバランスからも最初違和感を感じた。会話は時が流れるが、心理・情景描写はあまり時が流れない。だから、そのバランスが乱れると、無理に時が流れて物語が進行していく感じがある。例えば、「ある展開への導入(情景描写)→展開(登場人物の会話)→その展開の回収(情景描写)」という流れがあったとして、前座の情景描写や後の心理描写が会話に比べて極端に短すぎたりすると、全てがその会話(展開)のために設られた感じがする。
ただし、これらの違和感は読むにつれて次第に消えていった。そうした違和感が気にならなくなるくらい、物語が面白かったのであろう。
あとはあれだな、登場人物が花粉症とか、どうでもいい細かい設定があるのがいいな。そういう設定から生まれる展開や伏線もあるだろうし、第一リアリティが増す。