
句読点
@books_qutoten
2026年7月9日

読み終わった
ずっとベルクソンのことが気になり続けている。創造的進化(エラン・ヴィタール)とか「純粋持続」とか、大学受験の倫理で単語となんとなくの、ほんとうに付け焼き刃的な断片的な知識はあったものの、本当にその面白さを理解したとは言えなかったベルクソン。小林秀雄が熱心にベルクソンのことを書いていたり、ドゥルーズもかなり影響を受けていたり、ニーチェや実存主義との関わりなどなど、いろいろベルクソンを中心に考えると繋がっていきそうな気配がする、と思って、いよいよベルクソンを読んでみようかと思い、まず手に取った一冊。今書いてて気づいたけど岡本太郎の彫刻作品に「エラン」という作品があったのを思い出した。岡本太郎もパリできっとベルクソンの本読んだりしただろうな。太郎の「芸術は爆発だ」「瞬間瞬間に生きる」と「純粋持続」は同じことを言っているのだと思う。
金森修さんの書き方はとても親しみやすくまずSF映画の話から。「マイノリティ・レポート」や「トータル・リコール」観てみたい。
ベルクソンは自然科学によってあらゆることが分析可能で数値化できる、というような考え方が広まっていく同時代の風潮に対峙して自分の考えを固めていった。自然科学的な知識も相当に研究していたそう。だけどベルクソンが到達したのは、人間の意識は究極的には分析しきれないということ。
普段なにも意識しないときは、人はふつう空間的な時間の捉え方をしているという。しかし本当に時間は空間的(数量的、計量的)に捉えられるのかというと、そうではない時間の流れ方、時間という言い方すらも間違っているかもしれない、時間なんてものから超越した、「純粋持続」というしかない流れがあるという。明確に前と後に切り分けることもできず、輪郭もなく、互いに外在的でもない、ぐちゃぐちゃに混ざり合った、質的な多様性。
外で流れている一般的な時間、計量可能で、分節可能で、後先もはっきりしている時間の流れ方とは全く別の、普段は全く見ることも感じることもない、時間の本当の姿、そうしたものがどんな人の中にも流れている、と。そうした本当の時間の流れの中にいるとき、外の時間の感覚とは全く違う体験ができると。
なんとなくわかるようで、わからない、わかりそうと思った途端にすぐ逃げていってしまうような。でもそういう「本当の時間の流れの中にいる」という体験は何回かしてきている気もする。まさに「時間を忘れる」感じ。それは外の時間、空間的な時間を忘れて、純粋持続の中にいる、ということなんだと思う。面白い本を読んでいる時とか、話が盛り上がって「もうこんな時間か」と時計を見てびっくりするときみたいに。
まだわかったようでわからない感じで、この本の面白さもなかなか言葉にはできないけど、繰り返し読んで、またベルクソン本人の書いた原書にも挑戦してみて、少しずつ深めていきたい。

