Yo "群像 2026年 8月号" 2026年7月10日

Yo
Yo
@otsuki
2026年7月10日
群像 2026年 8月号
私が<未明の闘争>を書いているときのことをどれだけ細かく憶えていてもまったく驚くには当たらない、<未明の闘争>を書くという経験は私しかしてないんだからみんな<未明の闘争>を書いた私にとって外にいる人たちだ、でもその人たちが自分が得意としたり専門としたりすることについて何を憶えているか、というよりも何を忘れないでいるかに思い当たれば私と同じょに細かくいろいろ思い出す、ともかくいろいろ思い出すこと、あったこともなかったことも強弱なしに思い出すことが私にはとてもピンチョンっぽい、私はさっきセンテンスを書ききらずに横にそれていった、まあいつものことだが私はピンチョンのそのような強弱メリハリ濃淡なく同じような強度で並べていく書き方を、今回読むまではそのように意識はしていなかった、意識はしていなかったが自分のを書くときにはまるでそれがわかってるように書いていった、というよりわかってるとはそういうことなのだ、意識化する言語化するということはたいしたことにはならない、ちょっと前に「言語化すれば考えはうまくいく」とかそんなタイトルの本が少し話題になっていたがそれは高校野球の監督が、「考えたことを一回、頭の中で漢字にするようにしろ」と言っただけで高校生がぐっと自分で考えるようになったという話に似ていて、まあその程度のことだ、これは運転免許取得レベルのことだ、私が言ってるのはプロとして、専門として、それに熱中する者として、それを日々つづけている者として何が自然とできているのかという話だ、 /鉄の胡蝶は夢の記憶に歳月は彫るか p336-337 〈重力の虹〉の真性アナログ感は大事だ、人間の神経反応というのか思考過程というのか、そこにパブロフの条件反射が使われるところがノスタルジーがある、ピンチョン自身フロイトを出してくることや時代的にもかろうじてラカンだって出してこれたかもしれない、ユングはむしろ月並みだったのか、パブロフが出てくるところも人間が人間の姿をとどめたまま人間を機械的反応をする機械性を内蔵した存在=システムと言おうとしたというか、ここでシステムという言葉を出してくるのはあんまり<重力の虹>らしくないか、ー 人間が人間の姿をしている、私のかなり雑な印象だし私はまだ上巻の五分の一くらいまでしか読んでない、そこまでの印象だ、これまでの二回の読みやめではそのような感想はなんにも持たなかった、ピンチョンの人間観だとか世界観だとかそこまでは私は考えなかった、自分が何を考えながら読んだのかはまったく記憶がない、登場人物全員が人間の姿をしている、これはしかし重要なことだ、ピンチョンを読みながら世界の変化というか地球の上で進行している変化というかそれをピンチョンが追認しているとは感じないところは私の思い込みだろうか、そんなこともないだろう、今回<重力の虹>を読みながらこの本がする抵抗や共感を感じている、 何に対しての抵抗とか何についての共感とか、その中身は二の次でいい、作品を読みながら、小説じゃなければ聞いたり見たりできない抵抗や共感を感じるのは大事だ、私がこの本の内容に抵抗を感じるんじゃない、この本が何かに対して抵抗している、共感も私の共感じゃない、この本が何かに共感している、無力感とか資本主義への追認とか現状に対するあきらめ、あるいはこれから起こる不幸をしたり顔で予言すること、予言して得意になったりだから私が何度も言ってきた、 /p337 ピンチョンの〈重力の虹〉は人類がまだデジタルを知らない時代のアナログだった、デジタルが生活の全般を覆い全般に浸透している現在というかデジタルが思考のユニットか言語みたいなものになった、人は世界をデジタルで見て聞いて考えるようになった、〈重力の虹〉を読んで感じるのは生物、命はアナログだ、生物はデジタルではない、それを感じさせるところが〈〉重力の虹〉はすごい、でももしかするとピンチョンはもともとその感触の齟齬を狙っていたのかもしれない、そこはどっちにしても〈重力の虹〉は現実として、生物、命はアナログであると書いてあることの全体、書きっぷりの全体でわからせる、これは生物の絶対肯定、人間の絶対肯定だ、思えば〈V〉のときからすでに体のパーツが金属に置き換わってゆくV.なる女性を書いたという時点でピンチョンはアナログであるところの生命を肯定していた、生命はアナログであるんだと読者に気づかせてもいた、 現代医学いや現代思想か、ひとりの人間が不可分というより不可分解=分解不可のものでなくひとりの人間という まとまりのあるイメージは幻想か社会的な取り決めで人間は多くの力に貫かれている、多くの力がしばらくの期間ひとつの個体という姿に見えるのが人間だがそれは幻想なんだと現代思想は言ってきたわけだが、それと同じ平面で考えていいのかともかく(重力の虹)のアナログぶりは人間がひとつの個体であるということを感触のレベルでそう示している、アナログとはそういうものだった、いやピンチョンの書き方がそういう風に私に思わせるのか、人間あらゆる生き物は時間と空間によって線を細かくいっぱい引かれた座標軸の中で生から死までの一定期間この空間に生存するという考えの前提になっているのがデジタルだ、あるいは逆に私は人々は生まれて死ぬまで生存することをそういう座標軸の中にいる、すべてをそういう座標軸の中での点であらわすことができるという考えがしっかり出来上がったその状態がデジタルだ、 自分が生まれるより前に時間と空間の座標軸は厳然としてというより無表情に出来上がっていて自分が死んだあとも時間と空間の座標軸は無表情に在りつづける、 /p371
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