ナナミ
@nanami373
2026年7月12日

GOAT
チョン・セラン,
小川哲,
尾崎世界観,
市川沙央,
西加奈子
読み終わった
言語化が上手いという称賛はあんまり好きじゃないけど、韓国の作家さんの言語化って容赦がなくて好きかもしれない。例の、もう少しこう何というか手心というか…のネットミームが頭に浮かぶ。曖昧とか余情とかにオモムキを感じる軟弱な精神が蹂躙される爽快感。ひたすら自分の胸に内省のナイフを刺していくような、その開腹?の潔さが心地いい。
僕は、グラスを落とした人が無事だったのを自分の目で見ながらも怪我はないかと優しく声をかける人でもなければ、面会できないとわかっていても車を飛ばして病院に行き、廊下の固い椅子で夜を明かす人でもない。
これ、すごいよな。チョン・ヨンス「未来のかけら」。この小説?エッセイ?が私の一番だった。一番、好き、というと語弊があるけど、一番刺さった。忘れがたい。抽象を具体で説明するセンスがすごいのかも。自殺未遂の母瀕死、というシチュエーションを考え合わせると、この精密な分析の容赦のなさがまた凄みを増す。怖い。でも自己嫌悪のベタつきがないの、開き直りですらなく、なんか、開腹。腹を掻っ捌いてみせる潔さがすごい。怖い。自分の感情持続力を過信せず、翌朝のために「母さんの病院に行くこと」ってアラームかけるのもエグい本質描写。私たちにはこういうところがあるが、確かにあるが、もう少し何というかこう手心というか。せめて露悪であってくれよ。
母さんはたぶん大丈夫だろうという言葉。母と同じく、僕にも僕なりに信じていることがあった。それは、母が描く大丈夫な未来が、永遠にやってこないということだ。過去が大丈夫な姿で僕たちにやってこないように、未来も僕たちが望む姿で訪れてはくれない。しかし、それでも楽観が可能な理由は、未来はいつまでも未来にとどまっているからだ。未来はどこにでもある。失敗した過去の中にも、だから未来形で存在する限り、僕はその言葉を信じる。信じることにする。
この切れ味の鋭さに浸っていたから、訳者の方の結びの言葉から感じる和の心に、なんとも言えない不誠実感じてしまった。これを愛と呼ばずして、何と言おう。本当に?本当にそう思ってる?なんかよくわからんままにフワッとそれらしい言葉で包んでない?これ読んで出てくる感想マジでそれ???
小説じゃないけど、チョン・セランの「私たちは愛を失ったことがあるだろうか?」もすごくよかった。「愛を分解したらどうなるだろうか」「いくら分解しても分解しきれない純粋な愛が、果たしてあるのか?」「愛とは、作動するかどうかわからない中古家電のようなものだ」
冷静で内省的なのに刺激的な言葉がするする心に染み渡っていく。締めの一文がまたイカしている。冷笑に届かない薄い居心地の悪さと、嫉妬よりかは憧れに近い気持ちが、見事に言い当てられている。
それでも誰かが、いくら分解しても分解しきれない愛を見つけて目の前に差し出してくれたら説得されたい気持ちが、私にも何グラムかは残っている。ああ、それが愛だったんですね、気がつきませんでしたと同調したがる脆い部分は、外部との摩擦で生じたものだろうか、それとも生来のものだろうか。
お話としては長塚圭史「老いと建築」が一番好きだった。麻布競馬場「違う海にいる」も。30代手前のあの郷愁に郷愁を覚える年齢になった立場から言うと、言うてそれほど一生会わないわけではない。慶應卒は違うの?知らんけど。
文芸雑誌(という語感で想像するほど固いものじゃない気がするが)初めて買ったけど、いいな。好きなものだけ読めない塩梅が、馴染まなさそうなものの中に煌めきを発見できるゆとりが、職場と家の中間たる電車の中で読むのにちょうどいい。死んだ顔でスマホ画面を眺めながら10時過ぎの中央線下りに揺られているサラリーマンが志賀直哉小説うめーなと思ってるシチュエーションが客観的に面白い。シリーズ刊行されてるみたいだから、また気が向いた時に買うね。
