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ナナミ
@nanami373
  • 2026年6月28日
    雪の練習生(新潮文庫)
    外国の児童文学みたい、と思ったけど、それは私が人生で一番読書家だった10歳までの頃に好んで読んでいたのがそのジャンルだったからかもしれない。これは私たちが子どもの頃のあの、言葉にならなかった言葉たちで書かれた小説だ!と思って、甘酸っぱい郷愁にかられて大事にクリッピングしたくなるような秀逸なフレーズが多い。 だけど大人にそう思わせる時点で、やはり子ども向けの小説ではないのかもしれない。子どもの私が読んでも楽しめるとは思うけど、文章を本から切り抜きたくなるような熱っぽさではない気がする。子どもを救うための子どもの感受性の言語化じゃなくて、子ども時代の懐かしく輝かしいとりとめなさ、言語と言語以外のものを同時並行させて世界を知っていくあの感じを、大人に思い出させて泣きたいような気持ちにさせるお話。 クヌートが世界を獲得していく描写が瑞々しくて、小熊ってよりエイリアンみたいで、素敵。 赤ん坊を産み育てる側としての参画によって赤ん坊を追体験していない大人の私は、乳の甘い匂いなんて覚えてもないけど、なんとなくつんと酸っぱいような不思議な記憶がよみがえる気がしている。 母親の記憶がない。母親はどこへ行ってしまったのだろう。食べ物をくれるのはいつもイワンだった。 人生に1ミリも重ならないのに(そもそも私はシロクマではなく指延長類だから)懐かしいの不思議だ。 ところで私はこの本が愛の物語として紹介されているのを見てそれ前提で読んだけど、そういう補助線なしにこの小説を読んだら、これを愛の物語だとする結論に辿り着いただろうか。10歳の私はどうだろう。辿り着かなっかた気がするな。でも今の私はいい大人なので、異種間愛がヘキ!とかいうオタクっぽいワードを使わなくても、あの死の接吻が与える妙に官能的な友情や、マティアスは絶対にわたしを見捨てないという気持ちを与えてくれた、から始まる名パラグラフに、それを感じられていた気がする。
  • 2026年6月14日
    ChatGPTの頭の中
    ChatGPTの頭の中
    ハウツーじゃなくて仕組みを知りたいんけどプログラミング言語の話は頭が痛くなるので文系にも面白みを感じられるように語ってくれ という需要で大当たりの一冊だった。 冒頭の ChatGPTは基本的に、そこまでに出力された内容の「順当な続き」を出力しようと試みるということだ。ここでいう「順当」とは、「億単位のウェブページなどに書かれている内容を見たうえで人間が書きそうだと予測される」という意味である。 の段階で、へぇ〜そうなんのレベルだったけど、面白くて電車の中で一気読みした。 その、確立的に次に来る単語を引っ張ってきているだけでChatGPTは自ら生成したモノの意味を理解していない、ということについて腹落ちしたのが画像識別の説明だった。学習素材としてその画像の特徴(猫とは耳が尖っておりひげがあり…)を整理するよりも、区別しやすい猫写真を用意する方が有効。それって人間の判断のメカニズムとはちょっと違う感じがするけどどうなんだろ。 「どうして」かはわからないけど経験的になんか上手く動いてる、その「どうして」を解き明かすことができたら、そもそも人が言語処理一般をどうこなしているかの理論の確立ができたり、「言語の法則」「思考の法則」を新たに発見できるかもね、のあたりは、ロマンあるな〜と思って読んでいた。コミュニケーションは圧縮されてET的な伝達ができるようにのかもしれない。言語の壁をなくしてくれ。 一番面白かったのは意味文法と世界モデルの話。象が月に旅行した、という文章は意味文法的には合格だけど、少なくとも21世紀の現実世界ではありえないよね。意味文法には土台が必要だよねって話。 構文文法の中心は、単語から言葉を組み立てることにある。一方、意味文法には必ず、なんらかの「世界モデル」が関わってくる。実在する単語から作られた言葉を上層として重ねるとき、その土台となる「骨組み」として機能するのが「世界モデル」である。 チャッピーのこと知りたいと思って読んだのに、我々の脳、不思議〜おもしろーいに行き着くのがなかなかだった。チャッピーのことも知れた。
  • 2026年6月13日
    時計館の殺人<新装改訂版>(下)
    意味もなく人間が死なないのがミステリ というわけでもないんだなあと、日頃同ジャンルを読まない私は思った。不意の殺人はミステリ小説の中にも存在するのだなあ。そりゃそうだ、現実に存在するんだから。などと、子どもの頃にテレビで観たコナンとか金田一とか思い浮かべる。そんな感じだったっけね?とか思ってたから、最後の解説で膝を打った。 しかし死者たちの中で何人が、本来の「動機」に基づいて殺されただろうか。最初から「犯人」が殺そうと考えていた人物は何人だったろう。 彼らは、時計館において決して犯してはならないタブーを犯した。古峨倫典の祈りに背いたのだ。それは死に値する罪であり、ゆえに彼らは殺さねばならなかった。 論拠の美しさに感嘆してしまった。事実ベースな論理より感情の筋道がキチッとはまるのが好きなんだなあと自己分析が進んだ。連続殺人って感情ぶつぎれ祭りだから。 ラストのシーンが綺麗だった。崩壊のトリックと描写が綺麗。これは映像化されるのわかるわあ。
  • 2026年5月31日
    死ねばいいのに
    映画化の広告で流れてきて、妙に見過ごせない心のざわめきを感じKindleで読み始める。あ、これ読んだことあるわ、と気付いたのは母親に会いにいく段。非読書家の人生の中で、特に読書をしなかった年間1.2冊読めばいい方の時期に読んだ本なのに忘れるかね。すっかり忘れて同じ理由で同じ本に手を伸ばしたの面白い。過去の私と気が合う。これが、死ねばいいのに、って言葉の訴求力の強さかもしれない。中央線はいまだに転落防止柵がなくて、中野駅の1号車の停車位置に立って近づいてくるヘッドライトを眺めていると吸い込まれそうになる。その前前前段階くらいの、吸い込まれそうになる心境ってどんなだろうなァ、怖いなァ、くらいの感じ。言葉を選ばずに言えば興味がある。他人に、あるいは自分に、死ねばいいのに、って言葉をぶつける暴力性。暴力性。私はそれをそう感じるけど、ワタライくんのそれは、なんというかもっとぬるっとしてる。強制、提案、可能性の提示、みたいなコミュニケーション要素は薄くて、なんか、発見。発見しちゃった。じゃあ死ねばいいのに。ぬるっと、その言葉は気が付いたら隣にある。あまりに自然だからぎょっとするのも違う気がする。それを他人にあるいは自分に、発するのってどんな気持ちだろう。 母親が、あさみ、と泣くところで、なんか不思議と縋りつきたくなるような馴れ馴れしさを感じてしまう。20代の私がこの本を手に取ったきっかけはきっと昨日と変わらないとわかるけど、母親の回だけ記憶が濃かった理由については、なんだか想像するしかない。気持ちの悪い想像。今、物語の中の娘より物語の中の母に年齢が近くなっても、現実の私は永遠に娘だから、そういうエモさが心に残るのかもしれない。母という概念に無条件に平伏するような感覚は、私と実母の二者関係ではなく、社会的な後ろめたさだからくだらない感情です。理解できる機会を喪失したから母性は永遠に神聖です。永遠に神聖であることがいよいよ確定しましたよ、10年前の私。また10年経って、読んだことすっかり忘れてタイトルに心をざわつかせて読み始めた時、また母親のシーンでこの本読んだことあるって思い出すのかな。
  • 2026年4月30日
    帰ってきたヒトラー 下
    帰ってきたヒトラー 下
    これは…読み進めていいものなのか?とXのタイムラインの偏った意見を眺めている時のようなゾワゾワくる感じ 著者による原注といったりきたりしながら読んでいたので、その都度「正解の態度」を答え合わせして安心しながら読む不思議な読書体験だった 人が好意的に見ている人間に対して発揮する善意の解釈力、怖い いろんな政党から誘いの電話がかかってくるシーンもゾッとした すべてがそういう解釈も一理あるよね、の範囲に収まってしまうなら、人間の営みに真実なんてないのか 物事の軸というものが、好悪の匙加減に影響される解釈なんかで揺らぐ脆弱なものに思える 「記事の内容が理解不能であればあるほど、読者はその記事を高尚だとみなす」という状況が今もあるからにちがいない。そして読者は、内容を理解できずとも文章からポジティブな調子が感じとれれば、それを大切なものだと推論するのだ。 ここはとても身につまされる 意地悪だなあ 書評のインタビューを読むと、この本の目的が簡潔にわかりやすい 不安な気持ちになった地に足のつかない読書体験を、「正解」って言ってもらえたような安心感 嘲笑あるいは笑いを通じて過去に向かいあい、そのうえで「本当に笑っていいのか?」を問い直したい 解説は一段踏み込んでわかりやすかった 「オレ的な文脈」という概念が秀逸 本、面白かったけど、一番この本読んでよかったを感じたのは以下の文章 「オレ的な文脈」というのは私利私欲への誘導ではない。オレには世界がそのようなシステムとして見えるから仕方ないでしょ、という首尾一貫した観点のことで、だからこそ強靭なのだ。 ヒトラーは徹底的に「オレ文脈」でのみ発言する。ゆえに本来的な意味で会話が噛み合わない。しかし、相手にとって都合のいい誤解をさせるだけの余地も微妙に存在する。その結果、一種の精神的な「商談」が成立してしまう……これは、客観性を呑み込むほどに巧緻な主観を戦術的に活用した、特異で強力なコミュニケーション術といえる。
  • 2026年3月23日
    嵐が丘
    嵐が丘
    嫉妬とも呼ばないような薄い劣等感を抱いていていた大学時代の知り合いが、一番好きな映画として「君に読む物語」を上げていた時の、「あ、ぽい〜〜笑」という感情。高校の古典のおばあちゃん先生が、「あなたは国語が得意なのに恋愛小説の読解はからきしね」と言った時の笑み。小学校5年生の時、少女時代に夢中になって読んだ恋愛小説というふれこみで母親に買い与えられた「嵐が丘」は、当時の私にとって理解不能で、この本を読む唯一の楽しみは残りページが減っていくことってもんだった。3分の2ほど読んで挫折した。この人たちの気持ち、大人になったらわかるんだろうかと考えていた。 結果、私は今、大変苛立っている。かつて登場人物たちの挙動の理解できなさへ抱いた困惑は、こんな支離滅裂を理解してなるものかという怒りに変わった。不愉快!不愉快!不愉快!こんなにままならない不愉快を隣人にしたり顔で微笑むのが恋なら一生読解力オンチで結構。 おまえは俺の苦しみなんかどうでもいいと云ったな。じゃ、ひとつお祈りを唱えてやろう。舌がもつれるまでくりかえしてやる。キャサリン・アーンショウ、俺が生きているうちは、汝が決して安らかに眠らないことを! 人にここまで叫ばせる激情が、あんなに美しいさえない結末で救われてしまうなんて、酷い話だ。なるほど、ハッピーエンドだなあ、と思ってしまう自分の感性にも絶望する。 役者あとがきの、ネリーについての考察が興味深かった。語り手のネリーは、語りによって物語の感情を操っている。だから、睦まじいキャサリンとアーンショウの様子になんて美しいハッピーエンド!とウットリしているのはネリーおばさんなのである。私じゃない。
  • 2026年2月22日
    影響力の武器
    影響力の武器
    上司に勧められて 誰かの利益にかなうように人の心はこう操られているという解説書のようでありながらも、そういう操られやすさを愚かさと冷笑するのではなく、それは生き物が社会を維持して効率的に運用するための大事にすべき知恵だとする目線がしっくりきた 「私たちは思考の近道ができる限り効率的に働いてほしいのです。こうした方法本来の働きが、それを悪用する人間の用いる手口によって鈍ってしまえば、私たちは当然それをあまり使わなくなってしまうでしょうし、決定を迫られるさまざまな出来事にうまく対処するのが難しくなってしまいます」 返報性の法則 恩恵を与えられたらお返しをせずにはいられない気持ち ありがとうの意味のすみません=これでは終わりません 労働力が分担され個々人を高度に能率的な集団へまとめ上げる相互依存性が生み出されるのはこの法則が働いているから 自分が与えてもそれは無駄にはならないという確信が社会を維持している 一貫性の法則 慣れ親しんだ習慣から自動的に一貫性を保とうとしがち(そうするのが賢明でない場面でも!) 思考の近道の提供 情報を取捨選択する時間的精神的労力を割く必要がなくなる 考え続ける辛さから逃げられる ジョシュア・レノルズ卿「考えるという本当の労働を避けるためなら人はどんな手段にも訴える」 コミットメントの法則 自己イメージや将来の行動を変化させるのに最も効果的なのは、何らかの行動を含み、人前で行われ、努力を要するコミットメント 自分で決めたこと
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