
しがない
@ooe
2026年7月13日
読み終わった
読み終えた。まあまあおもしろかった。しかし、レビューを見ると、どうにも政治経済についての感想しかない。いや、この本はそういうものではないだろう、というのが嘆息と共にあった。確かに不況の政治経済に対するカタルシスという側面をこの本は担っている。しかし、たとえ題材が政治経済、革命だとしても、描かれているのは人間と構造ではないか。ぼくはこの下巻でシステムにからめとられるゼロと、システムに愚鈍なトウジという図を見出した。上巻でメンヘラを極めていたゼロはその素描を表に出さない、が、明らかに彼が鬱であることをフルーツは気づいている。そしてトウジも気づいているが、気付かないフリをしている。それは表向き平然と社会人として生きている人間が内面では食べ物の味を感じなくなり、何も楽しくなくなるのと同じである。ここで描かれているのは"システム化することが生きていく"ということである。
上巻ではゼロはメンヘラになり逃避していた、またトウジは狩猟をして遊んでいた。つまり、逃避と遊びこそシステム化から逃れる術だということだ。
逃避は現実を見ようとしないことだが、遊びは現実を鈍感化することだ。
本書の狩猟社の思惑は上巻から示されている(それは弱者の定義を曖昧にしていることからもわかる)ように、遊びの延長線上でしかない。だから最初から幻想でしかない。失敗に終わることは目に見えている。にも関わらず、本書を革命の成功物として評価しているのは読解力が欠けていると言わざる得ない。
キングサーモンやエルクという手に入らなかったものを幻想に追うからこそ幻想には価値があるのであって、そんなものは結局鮭と鹿なのだ。システム化するというのは、ただ鮭と鹿を見ることである。だから本書の締めくくりは革命の終わりを見せずに、鮭と鹿で終わる。
政治経済はあくまで味付けであり、メインディッシュは逃れられないシステムに抗う幻想なのだ。


