eric
@eric
2025年3月28日

読み終わった
Phaさんの「パーティーが終わって、中年が始まる」を読んだ時は、コミュニティを作りつつも、新自由主義から離れていた著者が、このまま逃げ切りたいという気持ちが伝わってきた。
その後、すずひらさんの「会社をやめて生き方を変えてからの3年間」を読んだ時は、資本主義から離れてやりたい事をするという強い自己分析を感じた。
そしてこの「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」には、新自由主義の分断の中で生きていくのは基本的にずっと生きづらい。時に資本主義の価値に心を乗っ取られ、時に血が通った関係と没頭によって、それを打破すると結んでいる。血の通った関係とは、例えば読書なども著者との血の通った関係という。
13年前に読んだphaさんのニートの歩き方、記憶はおぼろげだけど、プログラミングなどの没頭できるものがあれば生きていけるとか書いてあったような…
それらの著者たちの考えがずっと頭の中にあって、感化されて、もやもやして、この若林正恭さんの「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」で、一つの円のようにまとまって腹にストンと落ちた気がする。
20年前の自分は社畜だった。5年くらい前に疲れ果てて、読書の合間に仕事したいと思うようになった。今は育児を優先して資本主義から7割くらい離れてしまった。
時に資本主義のカフェなどの恩恵に惹かれ、時に育児や読書に没頭しながら生きたいと思いつつ、やっぱり新自由主義の分断からは逃げ切りたいと、まだどこか対峙できない自分がいる。
それでも若林さんはこう示す。これからもずっと生きづらいだろうし、これからも大切な価値にたくさん出会うだろうという諦念と感謝が生まれた。
めんどくさいけど走ってみるかと走り出すと、外に目を向けられるようになっていった。すると他人への興味が急激に湧いてきた。人それぞれの欠陥と武器を兼ね備えた個性は、どれもエモーショナルで、学ぶところが必ずあった。外はクソみたいなことで溢れていたし、没頭できる新しいことでも溢れていた。
自分はまだやみくもに外に飛び出す勇気はない。育児で時間もないけど。石橋を叩いて慎重に取捨選択しつつも、まずは歩いてみようと思う。
