
みつ
@m-tk
2026年7月18日

学ぶこと思うこと
加藤周一
読んでる
借りてきた
── 教師が教えてくれるから学ぶのではない。個人が自分自身で問題を考えていて、その問題を解くために知識が必要だから学ぶのです。そのとき、知識は「知的な道具」に転化されるわけで、自分の見つけた問題を、その道具を使って解こうとするのです。



みつ
@m-tk
── 「学ぶ」対象は「与えられたもの」なのです。「与件」という言葉がありますね。「与えられた条件」ということですが、そういうものを学ぶということ、つまり、歴史や世界について客観的な知識を獲得するということです。そうでなければ、本当に知ったということにはならないのです。

みつ
@m-tk
── 「思う」というのはプロブレマティークの問題、問題性の意識化、です。それがないとものごとを本当に理解したことになりません。そもそも自分で問題を持っていなくて話をただ聞いているだけでは、その知識はただ右から左へと素通りしていくだけでしょう。試験勉強の時には覚えていても、試験が済んだら忘れてしまいます。しかし、自分の問題意識にひっかかってくることだったら、そういうことにはなりませんね。孔子が問題意識がなければ、ものごとをよく理解できないと言ったのは、おそらくそういう意味なのです。

みつ
@m-tk
── しかし問題意識だけがあって知識がないとすれば、それは「危ない」ことになります。「危ない」とは、こういうことをしたいと思ったときに、よく考えずに突入すると、とんでもない結果を生ずることがある、ということです。それを『論語』では「殆い」という言葉で表しているのです。