ヤマダ! "パースペクティブ" 2026年7月24日

ヤマダ!
ヤマダ!
@ts_o_tw
2026年7月24日
パースペクティブ
10首くらいのコンパクトな連作を読んだ時に得られる閃光みたいな満足感も大好きだが、100首以上の連作や歌集によってもたらされる歌や人との距離感というか、ぐっと近づけたかと思ったら全然それはまだ浅瀬で、という体感も大好きで、この歌集の著者はきっと電車が好きな人だと思う。 以下印象に残った歌を書き記しておく。 ● 〈どこまでが理想の暮らしの範疇かりんごの皮に貼りつくひかり〉(P10) 理想が無限に広がってゆくことは喜ばしいことなのか恐ろしいことなのか分からない。夢は大きいほうがいいとも言うが、欲望に際限がないことの果てしない苦しみを想像してしまう。 ない欲望、ない理想を我々に抱かせるあれこれが街や画面の中に溢れていて、自分の言葉が分からなくなることがある。疑い始めたらきりがないのも分かっていて、流行りの洋服が着たいのか、流行りの洋服を着たいと思わされているのか、考えるのはやめたくない。 つややかなのに鈍いひかりをたたえたりんごの皮を剥いてシンクに落ちた時のぺたんとした滑稽な音が妙にキッチンに響いて、そういうちょっとした瞬間にこそ人生とか理想とか壮大なことに思いを馳せてしまう。 ● 〈たそがれの避難経路を独力で逃げ切ることは厳しいだろう〉(P19) ここで「逃げ切ることは厳しい」とされてるのは作中主体(私)のことだと読んだが、自分が逃げ切れないことを「厳しいだろう」と推定するおかしいくらいの他人事さ。諦念を感じる歌に思えるが、ここに「独力で」という言葉が置かれていることの意味!独力ではきっと逃げきれない、では独力でなければ。 ● 〈朝の光がひかるものだけひからせて昨夜(ゆうべ)からある水の常温〉(P118) 眠れないまま朝になった日の、自分だけ朝に馴染めていなくて、夜がだらしなく続いてしまっただけの虚しさを思い出す。朝の光がなんでも平等に照らしてくれるわけではないという事実に気づく瞬間は、派手な悲しみや怒りはなく、常温の水を飲んだ時の無抵抗で無感動な体の反応のような理解がある。 ● 〈砂浜を歩く速度がまちまちで 一瞬 友達のように見える〉(P126) 全ての人間関係にこの情景を見る。偶然同じ砂浜を、偶然同じスピードで歩く瞬間があり、それがあなたと私が出会ったということで、それぞれが自分の速度を保ったから離れ離れなることもあれば、同じ景色を見ていたいからどちらかが(あるいは両者が)速度を調整することもあるだろうし、足を挫いたり、波にさらわれたりもするかもしれないし、隣を歩いているのに片方は足元の砂粒のいじらしい輝きばかり見つめていて、もう片方は沈む夕日に釘付けになっているのかもしれない。
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