

ヤマダ!
@ts_o_tw
誠実-切実
- 2026年6月27日
暮らしの民藝 選び方・愉しみ方萩原健太郎気になる - 2026年6月27日
- 2026年6月27日
- 2026年6月23日
- 2026年6月21日
まだ読んでるカウンセリングを受ける人を患者ではなくことをユーザーと呼称するのを知らなかったが、読んでみてとても納得感があった。 ユーザーとカウンセラーの両者が能動的にカウンセリングに臨む必要がある。自ら取り組んで解決したい問題があり、そのために専門家の力を借りる。 花屋でブーケを作ってもらうのにも似ている。どんな場面か、どんな関係性の相手なのか、どういう気持ちを込めたいのか、受け取った時どう感じてもらいたいのか、自身の状況や意図がなるべく伝わるように言葉を尽くし、それを専門知識と経験でもってひとつの花束という形にしてもらうみたいな。 花束に限らず、プロに頼んでオーダーメイドの何かを作ってもらうという行為とカウンセリングは近い気がする。そう思うとカウンセリングってすごく創造的な営みだ。 - 2026年6月13日
腐敗性物質平出隆,田村隆一買った - 2026年6月13日
明るくていい部屋金川晋吾読み終わった@ 文喫 六本木全裸の百瀬さんがお風呂場と洗濯機の間の床に座り込んで詰め替え用のワイドハイターをボトルに注いでいる写真が大好き。表に出さないだけで生活ってこのくらい滑稽な瞬間がたくさんある。 知人に「お風呂入ろうと思って服全部脱いだタイミングで溜め込んだ洗い物が目に入ってしまい仕方なく全裸で皿洗いしてる瞬間ありますよね」と同意を求めたら「え、ないです」と返され、私の生活がとりわけて滑稽なのかもしれないと不安になっていたので安心安心。 床に落ちてるチラシを踏んで滑ってこけたり、洗濯物を溜めすぎて洗濯カゴが変形して戻らなくなったり、トイレットペーパーキッチンペーパーティッシュペーパーが全部同時に切れてあらゆる種類の紙を抱えて帰る羽目になったりね! - 2026年6月13日
ヴィンテージマンションに暮らす別冊太陽編集部読み終わった@ 文喫 六本木見てるだけでたのしい。たっぷりと確保されたエントランスとか、採光のために段違いになった低層マンションとかを見ると、「建物にお金をかけることができた時代……」と生まれる前に想いを馳せてしまう。ポップな配色のタイルとか、ちょっとしたドアノブとかの作りでさえ洒落てる。 博多の天神地下街を初めて訪れた時、ヨーロッパの街みたいな雰囲気、天井や壁が黒を基調としたシックな造作であることに驚いたが、福岡の建築についてまとめた本を読むと「建設中にオイルショックがあり、予算が2倍に跳ね上がったがなんとか質を落とさないよう増資して建てた」ということが書いてあり、こだわっているだけあって納得のクオリティだなあと思った。 ルポ秀和レジデンスも読みたい! - 2026年6月13日
- 2026年6月13日
ことばを学ぶとはどういうことか松田真希子読んでる第二言語学習には様々な「呪い」がつきまとう。「かっこよく流暢に話せるようになりたい」という理想はモチベーションにもなるが、達成できなかった時には自責の材料になる。 ネイティブ/非ネイティブの間に発生する権力勾配。 「ことば」は本来所有したり、売り買いできるものではないが、英会話教室のレッスンはことばを「誰でも獲得できるもの」にし、教材やカリキュラムという形式にすることで販売している。 - 2026年6月11日
再読中P56 〈肝臓ははんぶんこしようエチカからだくらいは軽いのがいい〉 そうだそうだ、からだは軽いのがいい。普段使いのコート、旅用の鞄、足取り、お別れの挨拶、軽いほうがいいもの色々。 「からだくらいは」というのはつまり、重たいものばかりなんだからせめてからだくらいは、という切実な気持ちの表れで、重いもの代表としてこころという得体のしれないものがあり、そのくせうっとうしいくらいの存在感でからだの中心に居座るようなやつ。 でも肝臓がはんぶんになってしまうのはいただけない。飲めるお酒の量が半分になってしまうわけだから。 ● P121〈なんでも教えてくれた人はもういなくて木の? たくさん生えた? 場所? を歩く〉 柴田聡子の「雑感」の中の「頼りにしていた人が死んで途方に暮れている」という歌詞を思い出す。 でも「なんでも教えてくれた人」が死んでしまうことより、生きたままなんでも知っている人じゃなくなるほうが怖いのかもしれない。「なんでも教えてくれた人」が「なんでも教えてくれた人」のまま消えてしまうことはある側面から見ると幸福だ。 - 2026年6月11日
鶏まみれ繁延あづさ気になる - 2026年6月10日
彼女のカロート荻世いをら買った - 2026年6月10日
- 2026年6月7日
- 2026年6月4日
女のいない男たち村上春樹読み終わった村上春樹の作品の主人公は、自分のことを全然理解していないのに、口ぶりだけ理解しているような感じがずっとあり、滑稽で面白い。 空虚というか、とんでもない盲点や思考と思考の間の明確な欠落があるのに、そのことに気づいていないように見える。 ● 改めて保坂和志と村上春樹の共通点として「文体への固執」があることを強く意識しながら読んだ。『新潮』2025年10月号掲載の町屋良平による批評「小説の死後ー(にも書かれる散文のために)ー保坂和志、私、青木淳吾」において、保坂の作品の政治性として、現状では名付けられていない、見えざる弱者と連帯するという態度が指摘されていたが、それと対比されるのが社会問題の共有とその先の問いから始まるジャーナリズム的側面が強い作品であり、こちらではすでに名付けられているがいまだ社会から尊厳を脅かされる者たちの語りを描く。 町屋は保坂のスタンスを「”私”の一個の苦しみだけが、他者の一個の苦しみに寄り添えるという立場を取る」とし、一個の苦しみはすなわち一個の文体であるため、保坂や保坂から影響を受けた作家は自分の文体へ執着する。 そしてその文体への執着という特徴は、保坂に影響を与えた春樹の作品にも色濃く表れていると感じた。保坂と樫村晴香の対談内で、樫村は自身と保坂の作品には異なる角度からの「自閉症的」側面があると指摘した。保坂作品における過剰とも取れる緻密な描写はもちろんのこと、個の苦しみ=個の文体への執着がその中核となっているはずだ。 春樹の作品に対して「ミソジニー的だ」という批判がしばしば行われるが、ミソジニーというよりかは徹底的な文体への執着(すなわち作中においては主体の自己への執着といってもいい)があり、その主体がほぼ男性であるがゆえの視点の欠落であり、女性性以外のあらゆるものも取りこぼされているという感じ。全ての視点を拾い上げることは無理で、「”私”の一個の苦しみだけが、他者の一個の苦しみに寄り添える」というスタンスには同意できる部分もあるので、「こいつは女性について言及する時に身体的特徴に触れないでいることはできないのかよ」と時たまむかつきながらも楽しく読んでいる。 (これを「文体派」と呼ぶなら青木淳吾とかはめちゃくちゃそうだし、柴崎友香もそっち寄りな気がする。朝井リョウとかは真逆だよね〜〜〜) でももちろん「自分だけの生きづらさを生きろ」みたいなのは明確に男性優位主義であった近代までの文学の流れを汲んでいるし、保坂よりも春樹作品に顕著な「自分だけが自分の痛みや傷に気づけていない男」的な像もめちゃ男性性だよね~~と思う。「男性」ではなく「男性性」。 個人的にはジャーナリズム的小説と保坂的な文体小説(と名付けてみる)だと、後者のほうが好みではあるが、単なるロマンチシズムの発露になりかねないという懸念はあり、町屋の言うように適切に批判できるくらい読み込むべきなのだと思う。 ● そういえばこの間ホン・サンスを観た時に一緒に見た友人が「なんかちょっと保坂っぽいよね」と言っていて、それは普通だったら部分的に見せて終りにしてしまう地味な会話をフルで撮って流していたり、人間模様の中に突如、印象的に差し挟まれる鶏小屋や山の景色だったりだと思うが、上映後のトークで荘子itが「でもホン・サンスみたいなことをやろうとした人は大体みんな失敗するんですよね」といって、「つまり個の文体ってことね!」と思った。保坂もホン・サンスも、自分だけの文体を獲得しているから面白いわけであって、その文体を模倣することには何の意味もない。 【結論】 自分の文体、ゲットしたいぜ。 - 2026年6月1日
アネモネ・雨滴森島章人読み始めた〈生者も死者も多すぎて苦(くる)し 町抜けて火口湖にたましひの秤置かむ〉 下の句の「町抜けて」の疾走感。「火口湖」というモチーフの静謐で緊張感のある美しさ。 ● ひとに「一番好きな歌集教えてください!」と無茶なお願いをして教えてもらったのですぐに注文した。 出先で開いたら1ページ目からすごくよかったのでゆっくり読むために一度閉じる。 - 2026年6月1日
女のいない男たち村上春樹読み始めた来たる「急に具合が悪くなる」公開、に向けた濱口竜介監督作品特集上映、に向けた原作読むぞの姿勢。予習の予習。 すでにBunkamuraで中編を何本かまとめて上映するプログラムを観た。「ふむ、背景でぼやけているがこのカフェはたくさん本があるな」と思いながら見ていたら初台ほうのフヅクエが出てきてあ!となった。 「親密さ」「ハッピーアワー」「PASSION」はもう一度観たい。 - 2026年6月1日
風の歌を聴け村上春樹読み終わったP50 「離婚した女の人とこれまでに話したことある?」 「いいえ。でも神経痛の牛には会ったことがある。」 こういうのでゲラゲラ笑うために村上春樹を読んでいる! ● 高校生の頃、初めて読んだ村上春樹の作品が運悪く『ノルウェーの森』で、上巻の半分あたりで放り出して以来すっかり食わず嫌いしていたが、ここ数年は2時間強の移動では春樹を読むことにしている。 ボサノヴァのフランス語を、どうせきっと愛とかについてだろうなと決め打ちして、言語ではなく音として浴び流している時みたいな 飲み屋で隣合った、話だけは面白いろくでもなさそうな大人の昔話に大げさに笑ってみせながら、仲間と目配せしている時みたいな お酒を飲んで踊ってる時の、ただ気持ちのいい音楽が流れているので自然に体を動かしているみたいな、そういう軽薄な楽しみがあり、大人になってようやくそれを楽しめるようになった。 宇都宮行きの湘南新宿ライン内にて。 - 2026年5月30日
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