
ジクロロ
@jirowcrew
2026年7月25日

マホメット
井筒俊彦
かつて読んだ
惨々として何一つなぐさめもない沙漠の真只中でも、そこに住む沙漠の男の子(おのこ)たちの精神は仲々に派手で華麗だった。凄まじい野心の情熱が放惑なまでに沸騰する彼らの胸の裡には、その情熱の嵐を立派に集定して、収拾すべからざる溷濁と粗暴で野卑な惑乱に陥らせないだけの独特なモラルが厳然と支配していた。それは正しく沙漠の騎士道と呼ばれるにふさわしいものであった。そしてマホメットの興した宗教運動は、元来その当初においては、ほかならぬこの騎士道的モラルへの果敵な挑戦であり、それへの真正面からの衝突だったのである。
……
この騎士道時代を後世のイスラーム数徒は彼ら自身の立場から見て「無道時代」Jahilyah(ジャーヒリーヤ)と呼ぶ。騎士道は彼(マホメット)らから見れば人の履み行うべき道ではなく、従ってそのようなモラルによって支配されていた時代は無道の時代、無軌道の時代なのである。
……
とはいえ、その反面においては勿論マホメットの仕事もただ無道時代との断絶だけを意味するものではなかった。全て史上の大改革には、時代に対する断絶面と連続面とがある。イスラームがあれほど輝かしい成功を収めたについては、やはり無道時代自体の中にこの新世界観を受容すべき素地が出来上っていたものと考えなければならない。そして私はこの素地を、無道時代の最後を華かに彩る青年層の、すでに限界に達した精神状況の裡に求めることができると思うのである。
(二 砂漠の騎士道)
「この騎士道時代を後世のイスラーム数徒は彼ら自身の立場から見て「無道時代」Jahilyah(ジャーヒリーヤ)と呼ぶ。」
道を作れ。
そんな預言があり、その呼びかけ(コーリング)に耳を傾け、その世界観を実現したからこそ、「無道時代」と命名される時代が歴史として残る。
去年をまた上回るようなこの夏の暑さの最中にあって、ここに書かれているマホメットの業績は真に迫ってくるところがある。
「そして私はこの素地を、無道時代の最後を華かに彩る青年層の、すでに限界に達した精神状況の裡に求めることができると思うのである。」
マホメットが青年時に感じた砂漠世界の厳しさと、それに相矛盾する上の世代の堕落。環境が厳しくなれば、その中で生き残りかつ快楽を貪れるのはごく一握りの権力者と富裕層、そしてそれらの維持のために「血のつながり」が重視されている現実に、マホメットは憤りを感じていた。その声にならない同世代の憤りを「呼びかけ」として外部化されたのが預言であり、神の声であったのかもしれない。
「汝らは、祖先の歩んできた途が明らかに蒙昧頑愚の途であることを知りながら、しかもなお過去に執着することをやめないのか」
若きマホメットは宗教家というよりも、実践的な革命家そのものであるように思える。
現代という時代のあり方においても「無道時代」に似た形容を耳にする機会が多くなっている。
環境問題に際し、まずは自分自身が「無道」であるからこそ、何も変わらないのだろうと読みながら気づく。イスラム教は厳しい戒律をもつ。その厳しさは現代においては善し悪しあるものの、当時は切実なものなのだったのだろうと思われる。
連日の耐え難い暑さの最中、自分自身の「戒律」についてあらためて考え直してみる必要がある。そんなことをこの再読がもたらす。蝉の声がいちだんと激しく聞こえる。これもまたひとつの「呼びかけ」なのかもしれない。

