しすい
@shisuibubble
2026年7月25日
母の待つ里
浅田次郎
読み終わった
これを発想するに至った著者の心の流れ。
こんなのがあればいいなあ、と思ったのだろうか。
寂しいと感じた。
著者は自身の母親を評して「美しい」としており、作中においては松永徹にも共通する描写がみられる。松永はサラリーマン社長であるが、一つの地位を築いたという意味では著者と重ねて読むことに違和感は無い。
本文中の方言、私はたまたま地元に近い言葉なので脳内再生されてスッと入るけどそうでない人はたいへん読みにくいのではないだろうか?その点では人を選ぶのかも。
読み進めるにつれて薄寒くなる。とても残酷な話に思えてくる。今の自分の人生の延長線上に、作中で描かれている男たちの人生があるのではないかと思ってしまう。その蓋然性は、おそらく、高い。出来ることは一日一日を「しっかり」生きて積み重ねてゆくことしかないのだが、それが果たして正解になる自信もない。父と、母と、家族と、会って話をすること。そうしたっていつか来る「その時」にはきっと後悔の念は襲ってくるのだろう。そこまでわかっていてなお、母親からのLINEには素っ気ない返事しか返さない自分を自覚している。気恥ずかしさなど捨ててしまえばいいのに。ただでさえ故郷を捨てた自分にはそれなりの結末が待っているのだから、少しでも救われるような振る舞いをするほかない。わかってはいるのだ。
素直にそう思わせてくれる育て方をした両親と祖父母と故郷に感謝を込めて結びとしたい。
