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しすい
@shisuibubble
感想メモ用
  • 2026年7月30日
  • 2026年7月29日
    フェルマーの最終定理
    フェルマーの最終定理
  • 2026年7月25日
    母の待つ里
    母の待つ里
    これを発想するに至った著者の心の流れ。 こんなのがあればいいなあ、と思ったのだろうか。 寂しいと感じた。 著者は自身の母親を評して「美しい」としており、作中においては松永徹にも共通する描写がみられる。松永はサラリーマン社長であるが、一つの地位を築いたという意味では著者と重ねて読むことに違和感は無い。 本文中の方言、私はたまたま地元に近い言葉なので脳内再生されてスッと入るけどそうでない人はたいへん読みにくいのではないだろうか?その点では人を選ぶのかも。 読み進めるにつれて薄寒くなる。とても残酷な話に思えてくる。今の自分の人生の延長線上に、作中で描かれている男たちの人生があるのではないかと思ってしまう。その蓋然性は、おそらく、高い。出来ることは一日一日を「しっかり」生きて積み重ねてゆくことしかないのだが、それが果たして正解になる自信もない。父と、母と、家族と、会って話をすること。そうしたっていつか来る「その時」にはきっと後悔の念は襲ってくるのだろう。そこまでわかっていてなお、母親からのLINEには素っ気ない返事しか返さない自分を自覚している。気恥ずかしさなど捨ててしまえばいいのに。ただでさえ故郷を捨てた自分にはそれなりの結末が待っているのだから、少しでも救われるような振る舞いをするほかない。わかってはいるのだ。 素直にそう思わせてくれる育て方をした両親と祖父母と故郷に感謝を込めて結びとしたい。
  • 2026年7月24日
    わたしはわたしで
    『モップと洗剤』 チャラチャラせんと生きてくことの大事さみたいなものについて、こんな書き方をするんだ。いろんな書き方があるなあ。 『わたしはわたしで』 おまえが消えて喜ぶものにおまえのオールをまかせるなってことよね。 『遡上』 いいですね〜大好きこういうの もっと若い頃に読んでも意味わからんかったろうな。 本って読めば読むほど一度の読書から得られるものが変化・増幅していくのでやりがいがある。
  • 2026年7月23日
    楽園
    楽園
  • 2026年7月19日
    文学入門 改訂 (講談社文芸文庫 いD 21)
    //YouTubeの動画埋め込む。 p27 芸術作品の形式というものが、その時の社会の構造を反映するのは、そのような社会の中で生きる人の生きがいを現わすためには、芸術作品がその構造において、その社会の形を模倣せざるをえないからである。 p38 社会の実情を無視して形式だけを改めても、その作品はよい結果を産まない。そしてある時、その社会の本当の変化を反映した新しい作品を書く才能のある人間が出て、改革的な作品を書くのである。 →新しさを求める意味がわかった。人と人との繋がりの新しい形態を敏感に察知して作品上に写し取った人がえらいんだ。でも例えば芥川賞とかの選考委員やってるのって一番若くて四十代後半なわけで、それで若い世代の新しいつながり(があるとして)の実相をどう評価できているのだろう。そういうもんだと言われればそうなのか。今さらVRって新しくも何ともなくね?と思ったもので。 p45 内面的にも外面的にも新しい生活を作り出そうとする衝動が、爆発的にいろいろな形をとったのがロマンティシズムである。 →へーそうなんだ。 p51 福沢諭吉の自伝おもろすぎるだろ。「今あの人と当時のこと語り合ったらばかおもろいだろうな」って感覚があるのがすごい。福沢諭吉と自分の感覚が地続きであることに感動する。 p56 本当は人間はセックス自体を笑うのではなくて、セックスを押し隠している気取り方を笑っているのである。 →なんで下ネタで笑っちゃうのかを解説してくれており助かる。 p56 文学における笑いには、無意味な形式や制度や約束のために無理な生き方をしている人間を批評するところの批判的な笑いがもっとも多い。しかし、それが笑いの文学の最上のものなのではない。(中略)われわれ人間はこのような哀れなものだが、それでも人生はやっぱり生きるに価する、という感じで許容する態度を取る時に現われる笑いがある。 →さくらももこのエッセイとかあたしンちに通ずるな。松本人志のコントやバカリズムの脚本にも同じものを感じる。 p116 (前略)滑稽で哀れで、人間性の弱い点がまざまざとはっきり見て取れる。そのような作家たちの身の上話が多く小説として、書かれた。この系統の小説を自然主義的私小説というのである。 →弱者男性の自分語りってことか。めっちゃわかりやすい。ツイッターじゃん。 p117 これらのものは、文士が社会から離れて、文士の仲間だけの一種の荒々しい修行僧の団体のような特殊社会を形成して、その中にあってだれがより真実な生活をするか、だれがもっと本当のことを言うか、というような、真実比べのような空気が文壇を支配してきたために生まれたのである。 →よく知らんけどツイッターの浪人界隈とかこんな感じじゃない?私が学生の頃のツイ廃たちにも近いかもしれない(そういえばツイ廃の文学部率は異常だった)。あと裏笑い狙いの地下芸人にも通ずる。 p204 恋愛とか、革命とか、殺人とか、裏切りなどという複雑な事件を、小説を読む読者は面白いと感ずる。しかし、本当は、その事件が面白いのではなく、その事件の一つ一つが起るごとに、そこに、その作者の持っている思想がテーマの形で反復して演奏され、しかも、それが全部連絡のある必然性を持っていることを面白いと思うのである。 →ドパガキの対極みたいな考え方だ。そりゃ本流行んないわけだ。 p205 小説は、(中略)生命というものを、それがある枠にはめられること(社会的在り方)や、失われることに抵抗する(死と生の自覚)形で描き出すものである。 →そうだよね。言い切ってくれてありがとう。こういう風に説明してくれると助かる。小説ってなんなんだよと思っていたので、非常にありがたい。 p206 どのような秩序も、常に人間の生命というものにとっては、まだ不満である。 →これもありがたい。たとえ革命が成ったとて、ニューオーダーに対する不満は必ず立ち上がってくると。それは文学が不滅であることの証明でもあり、少しからず希望を感じる話である。てかこの辺りの頁、確実にこの本の大トロだ。
  • 2026年7月15日
    金閣寺
    金閣寺
    また弱い者の話だ。 p57 いいなあ。瞬間的な美しさがあったんだ。リアルタイムで今生きているこの瞬間が「いい」ものだという感覚。生の喜びだ。現実の金閣は「私」にとって不滅故に瞬間の美を備えないと感じられていたところ、空襲が現実味を帯びたことで永遠性が消滅し、かえってその美は形而上の金閣の美に近づいたように感じられた。実際問題上の永遠性が失われることにより、かえって本当の永遠性を獲得することになるのか。死んだら美談だけが語り継がれて本物よりも善い人物像が残るみたいなもんか。 p273 「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」
  • 2026年7月14日
    プレゼント
    プレゼント
    いさか 昔読んで合わないと思ってたけど、案外おもしろく読めた。こういうやり方もあるのね。そう考えるとまだまだ可能性ってあるのかもしれない。 えくに まったく意味がわからなかった。精進します。 みやべ まさか宮部みゆきがこの世界観を書くとはね。生きてればこういうこともあるのか。それはそうと、自ら「バーテン」と名乗るバーテンダーがいるのだろうか? まちだ たまらん。この本買ってよかった。 よねざわ 殺人的な猛暑ってもう言葉狩られたのかな? なしき 途中までつまんなかったけど最後少しいい意味でふわっとして終わった。 おんだ なんかよくわかんね〜なと思いながら読み終わって巻末の著作一覧見てたら『六番目の小夜子』か!となった。ガキの頃観てて栗山千明が美しいことしか覚えてない。
  • 2026年7月13日
    ボッコちゃん(新潮文庫)
    『月の光』、なんだかよい。
  • 2026年7月12日
    発注いただきました!
  • 2026年7月3日
    ルビンの壺が割れた
  • 2026年7月2日
    イン・ザ・メガチャーチ
    p84 やけに冷静な絢子。現実逃避と取ることもできるが、ふじみりんたろうを好きな気持ちよりもいづみさんとの繋がりに重きを置いていたのでは。いつからか。 p111 血液型、不明。細かい。 p148 自分の代わりに努力してくれる存在の死によって自らの存在が揺らぐ。実存を他人に仮託することの危うさや傲慢さ。身勝手さ。推すことのローリスクハイリターンであること。 p150 他人への興味の無さ、わかるなあー。 雑談を継続することで少なくとも敵意はないことを示し、あるいは親密度を上げていくこと。逆に雑談をしないということは即ち、相手と積極的に親密になりたくないという表明であること。それらのメリデメを総合して検討することすらしたくないほどどうでもいい。 p163 結局みんなやることないんだよな。暇なんだよ人生。目の前の仕事とか家族とか趣味とかに時間を費やす価値があると思い込まないとやってらんないから。あと自分が死んでも残るものを残そうとする。時間を費やしたものが死んで終わりだといやだから。 p235 「洗脳」 いづみさんが息を呑む。 →これこれ、朝井リョウの真骨頂がこの2行に凝集している。悪意でもって世界を面白がるこの性格の悪さは発揮しようと思ってもなかなか出来るものではない。好き。 p261 「写真一枚で一晩しんどくなれる人たち」 好きすぎる。 これの元ネタ、推し活じゃなくて本当はTwitterで政治ネタで一生ケンカしてる人たちなんじゃないのか。終わることのない物語性がそこにはある。
  • 2026年6月30日
    ハンチバック
    ハンチバック
    共感を拒絶する小説。 読んだ直後に思ったのは、「気まずいな、書くことないな」である。ちなみに私は身体的健常者。 この本への反応として多いのが、文化的で人権意識が高い自覚のあるいわゆる知識人層が、自分自身の意識されざるマチズモを暴かれてびっくりしちゃったって感じに見える。自分は理解ある感じで振る舞っていたのに、後ろから当事者に刺されたような。その結果として新たな知見がひらかれたと評価するものもあれば、憤慨して拒絶するものもある、ような。 この本で感銘を受けられる人は一定水準の人権意識を持ち合わせていると思う。言い換えると、世間一般のゆるふわ人権界隈がフリとして効いているというか。「何がいいのかワカンネ」的な人は、もうほんとにただの昭和ジジイか、弱者側だと思う。弱い人同士って連帯するより敵対しがちに見えるから。
  • 2026年6月26日
    武道館
    武道館
    お上手な小説。 アイドルにとっての武道館とはなんなのか。 個人にとって自分がアイドルであるということの意味。 柵を身体性が凌駕する瞬間。 不可逆な成長。知るということは甘い呪いだ。 自分にとっての武道館はなんだろう。 アイドルが恋愛をすることが本人の自由だとして、その代償としてアイドルとしての立場を失うことも自らの責任であるとして、ファンの気持ちの行き場はどうしたらいいのだろう。そういうものだと覚悟してファンになるしかないのか。そうではないものという幻想こそが偶像としてのアイドルではないのか。その幻想を追っている時間を買っているのであって、幻想が終わったこと自体は甘んじて受け入れるべきなのか。なぜファンはアイドルに処女性を求めるのか。 これが10年以上前に書けていたということ。 それからの10年でアイドル業界は、それまでの10年に負けないくらい変容したように思う。 男性アイドルは多様化し、女性アイドルはパターンが収束しつつある(ように見える……)という、逆ベクトルの動きを見せているのが興味深い。 何を選び取るのかという問いは、何を捨てるのかという問いでもある。 何を犠牲にして何を得るのか。何かを得るには犠牲が必要なのか。それは本当か。
  • 1900年1月1日
    小僧の神様・城の崎にて
  • 1900年1月1日
    死せる魂
    死せる魂
    伊藤整の文学入門で知った。この時代のロシアで社会を風刺した小説なんて書いていいの?青空文庫で拾い読みして面白そうなので新訳を読んでみたい。
  • 1900年1月1日
    楽園
    楽園
  • 1900年1月1日
    わたしはわたしで
  • 1900年1月1日
    母の待つ里
    母の待つ里
  • 1900年1月1日
    折れた竜骨<上>
    ・走狗となった者は半月から3ヶ月の間に呪死する。 ・走狗は標的を殺したことを忘れる。故に、殺人を隠すために嘘をつくことはない。 →アミーナを信頼できない語り手とするにはうってつけの設定。 ・走狗は操られているが、考える力を奪われているわけではない。殺人者が自分だと気づかれぬよう策を弄することもできる。どこまでやるかは暗黒騎士の指示に拠る。 ・指示された殺人を別の人間に仮託することはしない。 ・暗黒騎士が話せる言葉はイングランド語とアラビア語である。 ・ニコラはその両方を理解できない。故にニコラは走狗ではない。 ・ファルクが操られていないという根拠が弱い。自己言及でしかない。
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