
ゆい
@no1sin
2026年7月25日
読み終わった
>池をめぐって戻り、その像の前に立つ。いろんな事情から、浴衣着姿、薩摩犬を連れた兎狩りの像となったらしい。明治期日本の産物としては異様な、武張ったところのない像。ことによったら日本で一番私の好きな「銅像」かもしれない。
ロンドンで救国の英雄ウィンストン・チャーチルの銅像というものを見たことがあるが、杖をつき、だいぶ身体を傾げて、後ろからだと俯いているかのようにも見える。衰えつつ、何かに耐えている感じ。それを見て、国家としての成熟とはこういうものかと感じ入ったが、東洋の新興国がこういう、またとない、浴衣をはだけた「敗者」の銅像を生んだ、それは「敗者への想像力」の賜で、そう、考えてみれば上野は明治以来、「敗者への想像力」とともに「敗者の想像力」それ自体が、いまも息づく場所なのだった。
地下道の通路の天井の低さ。そこにかつて吹き寄せられた浮浪児たちの群れがそう。バラック・闇市出自のアメ横が、そう。上野駅の温泉旅館よろしくの建て増しだらけの構造が、そう。岡倉天心の東京美術学校と日本美術院が、そう。そして上野公園の「なんでもあり」の姿が、そうだ。敗北は異質なものを呼び寄せ、かき集める。そしてだれもが予想しない形を作る。
西郷どんが死んでから、二一年後にこの銅像は建てられた。勝者が、自分たちの敵だったが、本当は自分たちの生みの親でもあった存在への畏敬と親愛の念を断ちがたく、そのために成った。当初の構想では、建造予定地は皇居内で、姿は大将服。それが政府筋からの大反対で、上野に立つ、こんな「くつろいだ」銅像になったのだという。(P.307)