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ゆい
ゆい
@no1sin
  • 2026年8月21日
    背表紙の学校
    背表紙の学校
    >夕方になっても私は木の上から降りようとせず、父が「もうご飯だから降りておいで、降りてこないと玄関の鍵を閉めちゃうよ」と呼んでいる。一度はそう言われてしぶしぶ降りたが、悔しいので二度とそんな脅しに屈してたまるかと、次のときは家の鍵をポケットに入れて木に登った。夕方になって父が懲りずに同じことを言って呼びにきたので、「もってきたもん!」とポケットから鍵を出して見せびらかすと、父は「そりゃあやられた!」と大笑いした。家に帰ってからもまるで私がものすごい偉業を成し遂げたみたいに「このまえ僕が『鍵を閉めるよ』って言ったもんだから、こんどは鍵を持って木に登ったんだって」と母に報告し、「いやあ、まいったまいった」と楽しそうに笑っている。 ふだんから大人があまり笑わないことに不満を抱いている子供にとって、大人が本気で笑うのは紛れもない大事件だ。生きていることを肯定されたような心持ちになって、「やっぱり大人って、もっと笑えばいいのに」と感じる。(P.195)
  • 2026年8月21日
    背表紙の学校
    背表紙の学校
    > 無関心という 復讐はするな 憎しみは 僕らを破壊する けれども まだ救える 僕らがどちらも 生きていれば 思いだす。あれは新世紀の停滞とも呼ばれていた時代だった。鬱屈としたなにかを感じながらも、みんな決して、なにもしなかったわけではなかった。暴走する政権をどうしたら止められるか、意見を表明したら仕事をクビになるんじゃないか、この社会で子供を育てられるか、身近な周囲の人々と諍いを避けて生きていけるかといった課題が渾然一体となって、「賢く」あろうとした人々に降りかかっていた。けれども政治に抗っても報われない年月が続けば、そんな政治に対する苛立ちを「無関心」で返すほかの道が見つけづらくなる。その果ての残酷な展開に「憎しみ」が根をはろうとする。選挙の不正に抗する市民運動とその弾圧を経て、それまではまだどうにかなっていた市民の対立と決裂が決定的になるのは、五年後、クリミア併合の二〇一四年だ。だから、「まだ救え」たはずだ。でも、どうしたら……? 私は、十五年の時間を戻そうという無謀な試みをしたいわけではない。ただ、この世界にはいまたくさんの「まだ救える」はずの(けれどもとてつもなく危うい)現状がある。それは、私たちのすぐ身近にもある。私たちはそれをわかっていながらあのころのロシア市民のように、停滞のなかで未来を探っている。だから、どうしたらあのころのロシア社会を戦争に突き進む道から救えたのかを考えるのは、断じて無駄なことではない。(P.82)
  • 2026年8月21日
    こうしてあなたたちは時間戦争に負ける
    こうしてあなたたちは時間戦争に負ける
    >神々と子供たちを先頭に、アトランティス人たちは船に乗り込んでいく。大地が揺れ、空が燃える中、最も勇敢な者も、ひとつのことだけに打ち込んできた者も、それぞれの仕事をあとに残したまま島を離れる。ノートも計算式も新しいエンジンも置き去りにされる。船で運ばれるのは住民とアートだけ。新たな数学理論を記したノートは焼け、エンジンは融け、アーチは崩れ落ちて魅となる。 もっとおぞましいアトランティスはいくらでもある。それらに比べれば、この島は取り立ててどうということもない。クリスタルもなければ、飛翔する車も、完璧な政府も、サイキックパワーもない(最後の二つは、いずれにしても存在しない)。それでもなお、あの男性は、通常の平均よりも六世紀も早く、蒸気-風車エンジンを作ったし、こちらの女性は、理性とエクスタティックな瞑想を通して、みずからの数学理論にとって“0”の持つ意義をはっきりと認知した。この羊飼いは、支柱なしのアーチ構造を自分の家の壁に取り入れた。どれもみな、ごくささやかなもので、アイデアも基本的なレベルにとどまっていたから、特に有用なものとは見えない。この地で、それらの価値がわかっている者はいない。しかし、この島が消えてしまいさえしなければ、どこかの誰かが通常の歴史より何世紀か早く、それらの意義に気づいて、世界を根本から変えてしまう可能性もあるのだ。(P.64)
  • 2026年8月15日
    せんそうって
    せんそうって
    終戦記念日に >「戦争を知らない世代」とよく言われる。「戦争を知らない子供たち」という歌もある。それを不遜にもひっくり返してみる。すると「せんそうを知っているわたしたち」がたち現れてくる。 過去に起こったことも、いま起こっていることも、起こりつつあることも、本当は、わたしたちは知っている。そこから、はじめなければならない。(P.16)
  • 2026年8月14日
    そいつはほんとに敵なのか
    自分と真逆の政治主張を持つ人と、少なくとも一定期間仲良くしなければならない、という状況に陥ったので読んだ。 > 簡単にこの動画のことを説明すると、冒頭は東さんがひとりでお酒を飲みながらいろんなメディアの選挙報道を観て話すという趣旨で進むのだが、開始して三時間が経過したころ、「乱入歓迎!」のテロップが表れる。生配信を観ている人たちに、五反田のオフィスに来て一緒に話そうと呼びかけ始めたのだ。実際にひとりふたりとゲンロンにやって来て、東さんは甲斐甲斐しく彼ら(動画に登場するのは一人を除いて外見上男性だったので、その点について批判する声もあった)にお酒を振る舞いながら、今回の参院選で投票した政党や職業などを尋ねていく。新しい人が登場するたび、「自民党に入れました」とか「再生の道です」などと支持政党を発表するのだが、それまでにいなかった政党の支持者が現れると拍手で盛り上がるのがおもしろくて、参政党支持者が現れた時は特に沸いていた。単にバカにした沸き方ではないように感じた。 その時点でもかなりおもしろいのだが、彼らが一人ひとり結構な時間を割いて、その党に投票した理由を話しているのもとてもよかった。さらに踏み込んで自分の出身地や出身校を話す人もいたし、抱えているコンプレックスが見えてくる瞬間もあった。それぞれの抱えるのっぴきならない事情やつらさ、困りごとが垣間見えて、そういうことと、どんな政党を選ぶのかはつながっていると思った。 その動画でわたしが観たものは、身の回りではなかなか起き得ないことだ。違う政党を支持する人たちがこんなふうに友好的に、ユーモアを交えながら一堂に会することができるのか。その光景に、そこにいない自分まで希望を分けてもらった気がした。(P.119)
  • 2026年8月9日
    パプリカ
    パプリカ
  • 2026年8月9日
    野生の暗き岸辺 (小学館文庫)
    野生の暗き岸辺 (小学館文庫)
  • 2026年8月9日
    絶滅しそうな世界の文字
    絶滅しそうな世界の文字
  • 2026年8月9日
    韓国怪物大全
    韓国怪物大全
  • 2026年8月9日
    鬱の本
    鬱の本
  • 2026年8月7日
    フォンターネ 山小屋の生活
    フォンターネ 山小屋の生活
    >早くから父親の許で石積み職人として鍛えられたらしい。学校よりも現場のほうを好み、内省的な性格だった彼は、あるとき深刻な己の限界に気づいた。知っている語彙では自分の思いを表現しきれなかったのだ。 それを聞いて僕は立ち止まった。ほかには誰もいない八月末の森を二人で歩いていたときのことだ。どういうことだ?好奇心を掻き立てられた僕は訊き返した。つまりだな、レミージョが説明した。俺はずっと方言しか話してこなかった。方言ってものはな、土地や道具、作業、家屋の部分、植物や動物に関しては厳密で豊かな語彙があるのに、感情を表現しようとすると、たちまち貧困で曖味になっちまうのさ。そして、こう僕に尋ね返した。悲しいとき、方言でなんて言うか知ってるか? 「長く感じる」って言うんだ。要するに時間の経過のことだ。悲しいときには時間がちっとも過ぎないように感じるだろ? だがな、郷愁で心が痛むときだろうが、独りぼっちで寂しいときだろうが、自分の人生に嫌気が差したときだろうが、そう表現するしかないんだ……。結局レミージョは、その言葉だけでは満足できず、自分の気持ちを表現するには新しい語棄が必要だと思い立ち、それを本の頁に求めるようになった。そうしてむさぼるように本を読んだ。自分のことを語っている言葉を探すために。(P.126)
  • 2026年8月7日
    寝煙草の危険
    寝煙草の危険
    >私が求めているのはポルノだ。ヘレンや『ヴェニスに死す』のタッジオやイッポリートみたいな病人はエロティックで、何か訴えるものがある。そしていつも脇役だった。イッポリートは理想的だ。美しく(ドストエフスキーはわざわざムイシュキン侯爵に「とてもきれいな顔をしている」と言わせていて、私は体がぶるっと展えたものだった)、うら若く、明らかに瀕死で、一途で脆く、ひねくれ者だ。でもしゃべりすぎるくせに、めったに気を失わないし、顔の青白さや汗、咳の描写に私もさすがに辟易した。もっとデータが、明白なエロスが欲しかった。書物のほうがありがたいし、自分が何フェチなのか数え上げるのに役立つ。神経の病気は素通りする。つまり痙攣だとか知的障害だとか麻痺だとかは好みでなく、神経系には明らかに興味が持てない。なぜか腫瘍はどんな種類のものにも目が向かない。癌は汚らしく感じ、社会的に買いかぶられすぎていると思うし、少々俗悪だ(あの奥さん、癌なんですって、と老婦人たちは言った……しかも本人には適当にごまかしてるらしいわ!)。主人公が癌を患う映画も多すぎる(病気の主人公は、"世の鑑”みたいなキャラクターでなければ好きだ)。腎臓病は本当に品がない。腎臓が機能していなければ死ぬのは当然だが、私にはどうでもいいことだ。だって、”腎臓"という言葉自体、なんだか醜悪だ。消化器系みたいな不潔なものは、言うに及ばず。君が何を好むか、何が私をとらえて離さないか、はっきりしている。そして、自分の専門分野がいざわかると、それだけに集中した。私が好きなのは肺の病気(ヘレンやイッポリートほか、そうしたフィクションの結核患者の影響なのは間違いない)と心臓病だ。心臓については無粋な側面もあるが、それは相手が老人(あるいは、コレステロールみたいな困った要素が幅を利かせ始める五十代以降の中年)の場合だけだ。若い病人なら……とても優美だ。まず、一般に、自分でなかなか病気だと気づかない。もし美男美女なら、それはある種ひそかに傷ついている美しさということだ。またほかの病気では余命が読める場合が多いが、心臓病の場合、患者はいつ死ぬかわからない。(P.136)
  • 2026年8月7日
    寝煙草の危険
    寝煙草の危険
    >今も懐かしい。背中を撫でる手、エリナの強いこだわりを笑う声、彼女をなだめようとする無駄な努力、長風呂ぶり、本当のところ食べるのがあまり好きじゃないこと、彼の腰骨、手を動かしながらしゃべる姿。また彼の写真を見られるようになりたいし、エリナより猫ばかり気にかける彼にまた焼きもちをやきたいし、日差しがあるときにはいつもサングラスをかける彼と散歩をしたいし、明け方の電話が恋しいし、寝顔を眺めたいし、よく黙りこくるけれど、あんまり長いこと黙りこくられるとこちらはいらいらしたものだったし、朝になると行かないでとすがりつき、二時間後には帰ってくるとわかっているのに行ってしまうと泣きわめき、彼女のほうはけっして、そう、けっしてそんなふうに何も知らせず、挨拶もなく、無下に彼を置いて出ていったりしやしないのに、だけどもし彼が死んでいたらどうなるかはわからない、彼が死んでいる可能性はある、だって彼の消息を誰も知らないのだから、私に教えないようにしていたのならいざ知らず、だけど隠したりするものかしら、食事も喉を通らずに血を吐くのを見、カバーが裂けるまで枕を噛むのを見、悲嘆に暮れ、酔いつぶれ、メールが来るのを何時間も待って画面を睨み続けるうちに頭ががんがんし目が赤く充血しキーボードに突っ伏して泣くのを見、電話が来るのを待って一歩も外に出ないのを見ていたのに。そして、ありとあらゆるくだらない慰めの言葉に、私がふざけるなと怒鳴るのを聞いていたのに。前に進まなきゃ得るは捨つるにありそれでも人生は続くんだまずはセックスすべきだ男は星の数ほどいるさ君は美人なんだから踊りに行こう誰か紹介するよ。(P.116)
  • 2026年7月31日
    ロシア文学の教室
    >「で、それが『人は誰でも自分を肯定したいし、自分を人に誇れるように人生観を作るものなんだ』っていう説明で、ぜんぶつながるんだ。さっき枚下先生が言ってた、祈禱の料金を喜んで出すのが真の信仰だなんていうふざけた思い込みが司祭の頭のなかで成立しちゃうのも、裁判官たちがろくに罪もない少年をつかまえて、どう考えても子供をこき使ってきた社会のほうがずっと悪いのに偉そうに裁いたり罰を与えたりして平然としてるのも、大人たちがみんな自分の立場や特権を正当化しなきゃやってらんないからなんだよな」(P.352)
  • 2026年7月31日
    ロシア文学の教室
    > 「はい、それはこの小説の本質的なところであり、こういうタイプの小説の内包する問題でもあります。たとえばジャック・ロンドンの『ジョン・バーリコーン』という小説は、自身も子供のときから酒とつきあわざるをえなかったロンドンが酒との闘いを書いた作品で、禁酒キャンペーンにも利用されましたが、読めばどうしたって酒が飲みたくなる。ウィリアム・スタイロンの『見える暗闇』は鬱病を描いた自伝ですが、やはり読んでいるうちに一度は、自分のなかにある『鬱』に共鳴する要素を解き放ち、増幅させてみたいような気になってくる。人の陥る闇や苦悩や病にはどこか魅惑的なところがあり、作者がそれを内側からわかっていればいるほど、小説はその魅惑の部分もおおいに描きだしてしまうわけです。(P.173)
  • 2026年7月31日
    ロシア文学の教室
    >社会を良くしようとする精力的な人々の考えが社会の目指すところと一致して改革が進む時代があり、その社会改革の動向が継続されているゆるやかで緩慢な時代があり、そしてもうひとつ、暴力や虚や残虐が露呈し人間の尊厳の喪失が大多数の人々の一般的な行動規範となる恐ろしい時代というものもある……。(P.109)
  • 2026年7月31日
    トピーカ・スクール
    トピーカ・スクール
    蟹ブックス発、『戦争ゆるさんほんとにやだいいかげんにしろブックフェア』に参加しているジュンク堂福岡店で推薦コメントに惹かれて購入。 良かった。
  • 2026年7月25日
    もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために
    >池をめぐって戻り、その像の前に立つ。いろんな事情から、浴衣着姿、薩摩犬を連れた兎狩りの像となったらしい。明治期日本の産物としては異様な、武張ったところのない像。ことによったら日本で一番私の好きな「銅像」かもしれない。 ロンドンで救国の英雄ウィンストン・チャーチルの銅像というものを見たことがあるが、杖をつき、だいぶ身体を傾げて、後ろからだと俯いているかのようにも見える。衰えつつ、何かに耐えている感じ。それを見て、国家としての成熟とはこういうものかと感じ入ったが、東洋の新興国がこういう、またとない、浴衣をはだけた「敗者」の銅像を生んだ、それは「敗者への想像力」の賜で、そう、考えてみれば上野は明治以来、「敗者への想像力」とともに「敗者の想像力」それ自体が、いまも息づく場所なのだった。 地下道の通路の天井の低さ。そこにかつて吹き寄せられた浮浪児たちの群れがそう。バラック・闇市出自のアメ横が、そう。上野駅の温泉旅館よろしくの建て増しだらけの構造が、そう。岡倉天心の東京美術学校と日本美術院が、そう。そして上野公園の「なんでもあり」の姿が、そうだ。敗北は異質なものを呼び寄せ、かき集める。そしてだれもが予想しない形を作る。 西郷どんが死んでから、二一年後にこの銅像は建てられた。勝者が、自分たちの敵だったが、本当は自分たちの生みの親でもあった存在への畏敬と親愛の念を断ちがたく、そのために成った。当初の構想では、建造予定地は皇居内で、姿は大将服。それが政府筋からの大反対で、上野に立つ、こんな「くつろいだ」銅像になったのだという。(P.307)
  • 2026年7月25日
    庭とエスキース
    >「あんた、入れ歯なんて一度作ったらそれで終わりじゃと思っておるんじゃろう。実際、わしもそう思っておったからな。歯が無くなって、入れ歯にしたとき、ああ、これでこの入れ歯を一生使っていけばいいんじゃなと思った。じゃが、入れ歯は合わんようになるんじゃ。あんたにはわかるまい?」。僕は首を縦に振った。弁造さんは続けた。 「入れ歯を作ってもらうとな、しばらくは調子いいんじゃ。そりゃそうじゃ、歯医者がわざわざ口に合わせて作ってくれるんじゃからな。じゃが、そのうちに合わんようになるんじゃ。年を取っていくと歯茎までが痩せたりと変わっていく。しかも、とどまることなくじゃぞ。だから、こうして生きているうちは入れ歯を作り続けんといかん。あんた、入れ歯ひとつとってもこうなんじゃぞ。入れ歯なんてと馬鹿にしとってもな、そんな簡単なものじゃないんじゃ。生きていくってことは一筋縄で行かん。全く簡単ではないんじゃ」。そう言うと、「ほれ」と大きな口を開けてみせた。 口の中は真っ暗で、どこまでも深い穴のようだった。弁造さんはぱくりと口を閉めると、「年をとるとな、自分が言ってることがようわからんときがある。いくら年寄りでもそんなときは反省せんといかん。じゃがな、死にかけの年寄りに若い者が理詰めで言い負かすのは、もっとほめられんぞ。半分ボケた年寄りでも傷つくんじゃからな」と言って笑い声をあげた。(P.169)
  • 2026年7月25日
    庭とエスキース
    >「あんたな、そんなに深く考えることでもないんじゃ。年寄りが喉を詰まらせて死ぬことなんて、いくらでもあっていいことなんじゃ。それも寿命のひとつじゃ。年寄りじゃもの、いつか死んで当たり前だわ。じゃがな、その前にわしだってな、餅を食いたいさ。わしほどの餅好きなんてそこらにはおらんぞ。昔は餅男って呼ばれたほどじゃったんだぞ。この新聞に出てる爺さんもな、餅食わんで死ねるかと思って食ったのかもしれん。気持ちはようわかる。餅を食わん人生なんて、しょうもないさ。あんたも考えてみい。餅も食えんのじゃぞ。そんなの人生じゃないわい」。弁造さんはいつもよりも甲高い声で笑った。 「ただな、だからといって、餅を詰まらせて簡単に死ぬわけにもいかんとも思うんじゃ。無様に老いて生き続けるのもみっともないが、これはもう生命の話じゃ。何とかして生きてやろうって意地を張ることも悪うない。掃除機を咥えてでもな。同じ死ぬんでもな、最後の最後まで尽くすってことじゃ。それもまたちっぽけじゃが、もしかして餅を食うよりは意味のあることかもしれん。きっと」。弁造さんはもう笑っていなかった。(P.120)
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