
えい
@shibamoti
2026年7月28日

トレッキングinヒマラヤ カラー版
向一陽,
向晶子
読み終わった
エッセイ
@ 自宅
表題通り、ヒマラヤの山々をトレッキングしたその旅行記。日記的な風情の本だ。4章構成を半分ずつご夫婦で書かれている。写真もありのカラー版。
国内外のさまざまな山を歩いたことがあり、登山に関しては素人よりずっと踏み込んだ経験を持つ筆者たちだが、それでもヒマラヤというのは別格の存在なのだなという印象を抱いた。
ごく素直な内容で、旦那さんの方が山に関して広く詳しい知識を持っているようだ。ご夫婦二人とも気取ったところのない、良い意味でも悪い意味でもごく普通の文を綴られるので、それほど山に詳しくないものでも雰囲気はつかみやすい。
その中で、のどかに見えそうな風景で雪崩に飲まれて人がなくなっていたり、山の上では今も見つかっていない遭難した登山家がたくさんいたりと、淡々と心に堪える話にも触れられている。山に登らなくても人は生きていけるが、山に登りたいと強く思うような人がいるから人間の世界は広がっていったのだろう。
また、トレッキング自体だけでなく、トレッキング中の食事事情や出会った人々、動植物のことも、あれこれと触れられているのが良かった。
章の時系列がぱっと見よく分からないのが残念な点。2章➝3章➝1章➝4章なのかな。それとも1章と4章が逆なのか。何となくで読めはするが、年代が明記してあった方が分かりやすかったかも。
2000年代の初めに本が出版された後、カトマンドゥは大地震で激変したと言うし、他にもさまざまな天災や国際情勢の変化もあり、ヒマラヤ周辺の環境はこの頃からさらに大きく変わっただろう。
文中では、この頃からすでに登山客や家畜が増えたことによる環境破壊への懸念が記されていた。
人が特に悪気もなく、ただほんの少し今より豊かに生きようとするだけで自然環境は大きく変化してしまう。失うのは簡単だが、取り戻すのは非常に難しい。そして貧しさの中を限られた手段で生きて行かなければならない時、環境云々を案じる余裕は人にはないだろう。
筆者たちもほかの旅行者もまた、経済的にゆとりがあるからこそヒマラヤで旅行会社にお膳立てしてもらい登山が出来る。筆者たちがそのことを当たり前に享受して疑問を抱いていないかというと、やはり思うところがありそうだと感じた。
生きる場所の違いは覆せず、人間一人に出来ることはとても少ないが、何かに気づいた時に人はどう動くべきなのか。あるいは動かないべきなのか。この本を読んでみて、そのことに思いを馳せた。
思いのほか色んな方向に思考を動かすきっかけになる本だった。