
サブレとポッポの往復書簡
@snowflake
2026年8月6日
堕落論
坂口安吾
読み終わった
かつて読んだ
感想
@ 自宅
大学生の時に授業で坂口安吾を扱ったのを思い出して再読しました。当時はあまりよく理解できなかったんだけど、今読むと。安吾の『堕落論』がなぜ当時の日本で熱狂的な支持を受けたのかが解った気がします。
戦前までの価値観が、玉音放送ひとつで一変した世界。ルース・ベネディクトの『菊と刀』とも重なるけど、日本人が昨日の敵を今日の友と切り替えられたのは、『天皇』という共通の護持する対象がそのまま残ったからだと、個人的に私は考えています。
その上で、敢えて安吾はこう考えたのだと読みました。
『武士道』や『忠と義』に代表されるようなこれまで是とされてきた日本人的視観が、今般の戦争の惨禍を招いてしまった。故に、日本が再び復興するためには、ここから一度離れなくてはいけない、と。
安吾は作中で、戦時中は、常に空襲に怯えながらも、家に鍵を書けなくても、泥棒に入られることもなかったと述懐し、そして、誰も本音を口にはしなかったとも語っています。本当は誰もが『早く戦争なんて終わって欲しい、戦地になんて行きたくない』、と心のなかでは叫んでいたのに。しかし、それが封殺されてきたのは、旧来の日本人的視観が機能していたからに他ならないというのは、安吾に限らず今の私たちならほぼ一様に理解できるところかと思われます。
しかし、太平洋戦争において、欧米・連合軍という『武士道』や『忠と義』の概念の通じない相手に惨敗、全てを失った日本の現実は、一面の焼け野原と手許なく放り出された市井の人々。それは、玉音放送を読み上げた天皇陛下を一様に崇めるという国民精神こそ保たれていても、現実は衣食住も仕事も治安もなにもない、そんな無秩序な世界です。
安吾が、そんな現実を目の当たりにしながら感じたことは『物質的なものは確かに失ったかもしれない。でも、私たちはこうして生き残った。だから、紛い物だった過去が戦争によって無くなった以上、この先は自分自身、自分の気持ちは正直になること、すなわち堕ちきることが復興の鍵になるのではないか』、ということではないかと読みながら考えました。
実際に闇市が並ぶ街の治安は良いとは言えなかっただろうし、雑多な混沌の世界ではあったかもしれない。だけど、統制下にあった戦時中より、不便だけど解放された今の方が、市井の人々の表情はずっとずっと人間らしく、生き生きとしたものとして彼の目には映ったのでしょう。作中でそんな思いを読み取れる箇所もあります。
安吾は今作中において『一度、徹底的に堕落せよ』『忠義の概念から一旦、自分を解き放って、自分の本心を見つめ直せ』と発信することで、戦後の日本で、これからは自分の信念を芯に据えて動く人たちが増えること。そうして、必ず日本は復興していくことに希望を持っていることを、読者、ひいては後世に伝えたかったのではないだろうか。そして同時に、文学にもそうした力が秘められていることについて最後に言及しているところに、本が読みたくて文学部で学んだ私は、どこか安吾に励まされているかのような不思議な感覚も覚えたのでした。
『桜の森の満開の下』も好きなんだけど、長くなったので、これはまた別の機会に書きたいと思います。
