

サブレとポッポの往復書簡
@snowflake
ページを捲る手触りが好き。
栞紐の色味と手触りも好き。
読書ノートは変わらず手書き派。
スマホのフリック入力は難しいけど、Readsもがんばって使いこなしたい。
キーワード的なもの
⭐主軸になるのは優しい気持ちになれる話
⭐ペンとノートと付箋は必携
⭐現代小説、純文学
⭐社会学、心理学、作品や作家の論評・評伝
⭐有川ひろ、小川糸、小川洋子、小池真理子、住野よる、湊かなえ、等
- 2026年10月10日
木曜日にはココアを青山美智子読書日記読み終わった感想@ 自宅青山美智子さんの代表作ともいえる連作短編集です。 日本とシドニーを舞台に、様々な人たちが、知らず水面下で繋がり、関わり合って、紡がれる12の物語たち。 誰かの優しさがふと恋しくなった時、自分の気持ちに自信が持てなくなってしまった時、この短編集に収められた物語のひとつひとつが、きっと心強い癒しの魔法をかけてくれると思います。 『ちちん ぷいぷい♪』 私の心に残った場面いくつかあげていきます。 ★共感した場面 4作目の『聖者の行進』 話の途中で架かってきた電話に出た理沙に対する、ワタルと泰子のやり取りの一幕。 『「でも僕からしたら、他のお客様のことを考えてお店を出てくださって、マナーのしっかりした人だと思いますよ」 私は虚を突かれた。私が非常識だと思うことが、違う角度から見たら常識的ってこともあるのか。』 相手がお客様でも、卑屈になったり慇懃無礼になるでもなく、自分の感じたことをさりげなく相手に諭せるワタル。そして、驚きつつも、素直に自分になかったものの捉え方を正面から受け止められた泰子は、どちらも素敵な大人だと感じました。 子供の頃、理沙が泰子に何気なく気持ちを伝える場面。 『やっちゃんといると安心するよ。やっちゃんになら何でも話せるよ。だってやっちゃんは、絶対に影で悪口言ったりしないもの。その場かぎりの嘘をつかない人だもの。』 本当にそうだよね、っ思います。 だから自分も、改めて自戒を込めて、決して本人のいないところで、その人の事を悪く言ったり、噂話に出したりは絶対にしまい、と襟を正す気持ちになりました。 ☆素敵だと感じた展開 6作目の『半世紀ロマンス』の中に、クリスマスツリーに飾り付けられた短冊のメッセージに触れるシーン。そこに書かれている『秋の桜』の本当の意味と込められた願いが、その後、話を超えてひとつの線になって最初と最後の二つのお話に繋がっていく展開。 この秋と桜、どちらもそれぞれ二つのの意味が込められていると考えました。 オーストラリアから見れば、日本の桜の咲く季節は現地では秋。そして、日本から見れば、オーストラリアでは春に咲き、桜に当たるとされる花がジャカランダ。 『秋の桜』と書いた短冊に、密かに願いをかけるマコと、それをツリーと共に見守るワタル。当人たちはまだ気が付かないけど、一見何でもないココアという飲み物が、この先の二人を繋ぐ鍵になっている点も含め、優しい世界って、気が付きにくいだけで、実はさりげない日常にちゃんと存在しているんだなぁって、改めて感じられたような気がしました。 - 2026年10月8日
母性湊かなえ読書日記読み終わった感想@ 自宅読みながら、少し不思議な感覚を覚えるのは、この作品独特のその構成にあるのだと思います。 各章で繰り返されるそれぞれの述懐。 ・母性について ・母の手記 ・娘の回想 最後まで読み終えたあと、改めて『母性について』に絞って読み返すと、それこそ『あっ…!』という感じで、点と点が繋がる感覚を得られました。そして、最初は不明瞭だった語り手の姿が、読み終えたのと同時に、はっきりと浮かび上がったのです。 成る程、この物語はそういう構成だったのか!と。 そして、冒頭のゴシップにもしっかりやられました。 途中、所々に違和感を覚えつつも、語り手が見えないままだと、なかなか気付けないものですね。伏線とか、それらの回収場面とかにも。 これも広い意味ではミステリー、なのかな? タイトルの『母性』については、作中でひとつの結論が示されますが、それとは別に自分でも改めて色々と考えさせられました。 - 2026年10月5日
読書日記読み終わった学び!感想@ 自宅今更ですが、私は本を読むことが好きです。 そして、本を読んだ時に感じたこと、考えたこと、気付いたこと、得られたこと、そういったあれやこれやを、他の誰かと分かち合いたいって思うし、もしまだ知らないのなら、それをきっかけに読書の楽しさや本の奥深さを知ってほしいなと思っています。 ただ、現実はなかなか上手くいかなくて。それだけに、自分が本を読むのと同じような感覚のままに、読書や本の魅力を誰かに同じように伝えられたらいいのになと、ずっとぼんやりと思っていました。 だから、少しでもスキルとして、この思いを誰かに伝えるための技法があるのなら、何としても身に付けたい。そう思って、三宅さんのこの本を手に取りました。 私もいつかはシェヘラザードのように、聴いてくれる人に『それで?それで?』と言ってもらえるような、そんな伝え上手になりたいな… と、最後まで読み終えたとき、ちょっぴり前向きな思いを私が抱けていたことに、小さな嬉しさを覚えました。 今はまだまだ拙くても、それでも意識して書き続ければ、きっと、自分が読んだ分だけ、書いた分だけ、誰かに思いを伝えられるようになると信じて。 - 2026年10月4日
変半身(かわりみ)村田沙耶香読書日記読み終わった感想@ 自宅私たちが普段、常識と認識している彼是は、本当に真正なものなのか? これは、村田沙耶香さんが書く作品の中で、ほぼ共通して読者に投げ掛けられる問いのひとつです。 この『変半身(かわりみ)』も、同じ様に、物語の舞台になる離島に伝わる奇妙な祭りの風習に対する、主人公たちの疑問が話の発端となり、物語が展開されます。 故郷の島で、昔から行われていたとされる残酷な祭り。しかしその真実は、一部の人間が捏造した性欲や暴力の捌け口に過ぎない嘘が発端でした。 その後、年月を経た故郷の島では、また別の覚えのない風習がすっかり浸透しています。それらもまた、人為的に改竄された嘘の歴史であり、それを手掛けた人物もまた、彼が盲信する別の人間の手でひらで踊らされているという虚構の連鎖が、当時から変わらず続いていたのです。 そんな故郷の様子に、陸は思わずこう口にします。 『みんな、自分に都合のいい嘘を信じるんだ。人間ってそういう仕組みなのかな?』 人間は生きていくために、例え嘘だと分かっていてでも、自分にとって都合がよいものを選びとっていく。 そして、それがいつしか真実になる。 偽のモドリをまつりあげた健吾や則雄。 モラハラに遭い、島に出戻ったあき姉ちゃん。 日々の生活のため、本当の歴史を捨てた島の人たち 。 そして、当時も今も、ずっと島の家畜であることを受け入れたままの高城くん。 物語の冒頭の、花蓮の発言。 『海で溺れる家畜の絵にしよう』 人間を捨て、自分たちは本当はポーポーなのだという新しい真実を受け入れたことで、この島にいた人間たちが『信仰』という名の逃れられない海の中で溺れていく未来。 その光景が、この時の彼女にはもう、はっきりと見えていたのかもしれません。 その中にはきっと、陸だけでなく、花蓮自身も含まれているのだと思います。 それを示すのが、94ページの彼女の発言です。 『一緒に逃げよう、あの日みたいに。 ~ あの日と逆ね。この島から逃げるんじゃなくて、この島が、人間島の外になるの』 村田さんの作品なので、それなりの覚悟はしていました。 それでも、この言い様のない心地の悪さ。 世界99や生命式で感じたものとはまた違う、嫌な読了感が残りました。 - 2026年10月3日
リズム森絵都読書日記読み終わった感想児童文学@ 自宅ちょっとワルっぽいお兄さん風味の従兄弟の真ちゃんは、確かに中卒だし、金髪だし、バンド一辺倒だしで、決して大人たちの期待に添った生き方とはいえないけど、さゆきがそんな真ちゃんに憧れの思いを抱いてるのには、ちゃんとした理由があります。 それは、自分のやりたい夢をはっきりと持っていること。そのために、ずっとバンドの練習もアルバイトも頑張っていること。 そして、小さな頃から変わらずに、可愛い象のイラスト入りの湯たんぽカバーを使い続けていること。 夏休み最終日、さゆきは真ちゃんのバイクに一緒に乗せてもらいたい一心で、一人では終わらせられないだろう宿題を、友達に助けてもらって(ちょっとズルもして)手分けして初めて終わらせたり、弱虫だけど妹思いの幼なじみのことを放っておけず、いじめのリーダー格の男子にも敢然と立ち向かっていったり、計画的で勉強も出来る姉と、真ちゃんに対する評価を巡って喧嘩をしたり、そんな中学一年生としての日々は、まさに思春期の1ページを切り抜いたかのような瑞々しさに溢れています。 作中、読んでいて心に残ったふたつのシーンがあります。 1つ目は、上京を決めた真ちゃんが、大切にしていたドラムのスティックをさゆきに託す場面と、そこでの彼の言葉。 『これからさゆきがさ、回りの雑音が気になって…親とか、教師とか、友達とかの声が気になってさ、自分の思うように動いたり笑ったり出来なくなったら、その時は、このスティックでリズムをとってみな。さゆきにはさゆきだけのリズムがあるんだから ~ それを大切にしていれば、さゆきはさゆきのままでいられるかもしれない』 この真ちゃんのドラムのスティックを見るたび、手にするたび、さゆきは真ちゃんの言葉を思い出して、自分を信じて進み続けていけるだろうなと思います。 私に置き換えてみると、きっと父が遺してくれた手紙と、これまで書きためてきた読書ノートがそれらの役目を担ってくれているのかな、と考えています。 2つ目は、話の後半、担任の三木先生がさゆきたちのズルを見抜いていながら、敢えて気付かない振りをしつつ、後の然るべきタイミングで 『思い出は、誰かに代わりに書いてもらうのではなく、自分で書くものよ』と諭す場面。 お説教の理由が、ルールだから、ズルをしてごまかしたから、そういう表面上の事柄ではなくて、視点が、こう、もっと本質的で大事な部分に立っていて、なおかつ、さゆきと先生が同じ高さの目線に立ってその事を伝えているのが伝わってきて『ああ、三木先生って、いい先生なんだなぁ』と私に思わせたのだと思います。 こういう大人が近くにいてくれるだけで、きっと当の本人も何となく普段の安心感を覚えるんだろうなと思うのです。 加えて、三木先生が言うとおり、思い出というのは、自分だけのたったひとつのものだから、決して代えが効かないと思うのです。 例えば、読書の感想や批評なども、それと同じことが言えると私は考えていて、要約やあらすじならば確かにAIでも担えるかもしれないけど、読んだ上での感想文やコメント、実際に読んで自分で考え抜いた先に生まれる批評や考察というものは、それは他でもない、自分自身が作り出すものだと思うからなのです。 - 2026年10月3日
クローバーナイト辻村深月読書日記読み終わった感想心に残る一節@ 自宅全体として、保護者(父母)や義父母(祖父母)の視点から書かれていますが、その上で、子供たち(莉枝未ちゃんや琉大ちゃん)の視点に立って自分を振り返ってみると、当時、子供心に感じていた自分の気持ちや、子供だった当時の私に接していた両親、特に母親の気持ちって、実はこんな心境だったのかなぁ、などと思いを馳せることが出来て、ちょっと俯瞰した感覚を持って読み進めていきました。 ああ、そういえば他の友達と比べて、私って習い事は多かったっけなぁ、とか、でもそれって、私が自分でやりたいって言ったわけじゃなくて、殆どどちらかの親が見つけてきたもので、私が自分でやりたいって訴えて始めたものってひとつもなかったかもしれないなぁ、とか。 実際、私自身、やりたくない習い事や課外活動の方が多かったし、それで何度も両親に泣いて訴えた記憶も残っていて。 ただ、親としては、自分たちがそういう習い事をさせてもらえるような環境でなかったから、お父さんに至っては、父(私の祖父)と折り合いが悪く、学業を途中で諦めて仕事に就いたみたいで、その分、子供には自分たちが叶わなかったことをたくさんしてあげよう、っていう新米両親なりの精一杯の愛情だったって理解して、今では受け入れています。 第三章の『お受験の城』を読みながら、私が卒園した幼稚園も、実は縁故だったってお話を、大人になってから知ったことなどを思いだしました。縁故とはいっても、何か試験みたいなものを母親と一緒に受けたような記憶がうっすらと残っています。本当にうっすらと、ですが。 習い事にしろ、就学してからの学校での成績のことにしろ、両親の方針は今思えば確かに厳しくて一方的なところも多々あったと思うけれど、きっと両親には両親なりの私への思いがあってのことも今でこそ頭では理解はできつつ、その源泉にあったものは、自分たちが苦労してきたことや、少ない成功体験への一辺倒な思い込みも少なからずあったのかもしれないなぁ、と、そこそこ選択肢があることを知り、大人になった今では、そう考えたりもするのです。 自分の孫に言葉の遅れがあるのではないかとか、心配する気持ちを理屈だけでは抑えきれない祖母の気持ち。親子という関係に甘えて容赦なく垣根を踏み越えてくる母への怒りとやるせなさを覚えてしまう母の気持ち。当事者ではあるけど、妻と自分の子供の問題に対して、母娘だけの問題にして干渉させようとしない姑の姿勢に対して、疎外感と憤りを覚えてしまう父の気持ち。 当事者ではないけど、それでも私なりにそれぞれの心中を推し量り、多少なりとも慮ることは出来るつもりです。だからこそ、このお話に出てくる家族みんなには、これからも幸せであってほしいし、それぞれの家族、親子関係の中で、三つ葉でも四つ葉でも、それぞれの形のクローバーを育て守っていってほしいと思います。 そして、クローバーナイトというのは、必ずしも親が子に対してだけなるものではなくて、時が来れば、反対に子が親に対してもそうなれるものだと私は思っていて、家族というクローバーの葉が例え1枚でも2枚でもそこにまだあるうちは、私も家族のクローバーナイトでありたいと思うのです。 ただきっと、これを拗らせると親子共依存なんかの問題にもなりかねないんだろうなぁ。 難しいよねえ、他人みたいに割りきれない。親族の問題って、距離が近いからこそ難しいと、もう、ほんっとうに、そう思います。 最後に『クローバーナイト』は白辻村なのか黒辻村なのかと訊かれたとしたら、私は、ほんのちょっと黒寄り、でも白辻村かな、と答えると思います。 - 2026年10月3日
月とアマリリス町田そのこ読書日記読み終わった感想じゅうぶん読んだ心に残る一節@ 自宅初読から一か月、改めて読書ノートを書きつつ、再読しました。 美散も茂美も、そして家原さえも、本当はただ、自分の事を見てほしかった。愛してほしかった。それだけだった。だから、その時の自分が考え得る限りの手を尽くして、愛されようと振る舞った。ただその方法が、たまたま間違っていただけ、気持ちを向けた相手が、たまたま悪意のある人間だっただけ。それでも、運命っていうものは簡単に変わってしまう。良い方にも悪い方にも。更に人間自身、決して心が強いわけでもないし、聡しいわけでもない。時には取り返しのつかない間違いを犯してしまったり、不運に巻き込まれてしまったりもする。かといって、それらは決して、全てを当人たちだけの自己責任と決めつけてしまって、本当にいいのか? どうしようもなく、同じ境遇にあった者同士が共有し合った思い。心の弱さ。自分の力だけでは、もうどうすることもできなかった状況、愛されるためにそうせざるを得なかった事実。これらに対して、全て外の世界の他人事として片づけてしまうのではなく、少しでも当事者たちの抱き続けてきた心、状況、思いを馳せてほしい。声として聞こえないだけで、でも確かにあなたの生きている世界の外に、そうした世界が存在しているということを、いちど想像してほしい。 『月とアマリリス』という作品で、町田そのこさんが伝えたかった思いは、終盤でみちるがまとめあげた事件記事として語られている上述の内容に集約されていると、読み直しながら改めて感じました。 プロローグの回想場面で描かれる美散の心理描写が、七章、八章と終盤になって次々と回収されていくのには、文章そのものはとても丁寧で繊細なのに、同時に勢いも感じられる不思議な感覚を覚えました。 それは、それぞれの『ミチル』が共有する卓球のラリーの思い出を彷彿とさせる、そして帯のキャッチコピー『声なき声が届くなら、今度こそ記者を諦めない』にも通じるかのような怒涛の展開です。 最終盤、小倉の劇場にて、美散の発言の回想から始まる、決意を固めるみちるの心を描いた一節。 『これからは自分自身に誇りを持ち、自分自身を誰よりも愛し慈しんで生きていこう。そこで得た強さと共に、私は私の信じた道を歩む。その道は私一人ではなく、色んな人と共に歩むのだ』 私は、物語全体としての結びと捉えました。 人生、良いも悪いも引っ括めて全て、人は人とは繋がりあっていて、その上で、過去も今も、そして未来も全てが繋がっていくのだ、と。その全てがつまったみちるの、そして読了した私の決意だとも思えたのです。 - 2026年9月30日
読書日記読み終わった心に残る一節@ 自宅今の時代、本と一言でいっても、紙の本から電子書籍まで、私人の未発表作から世間の注目作まで、ひと括りには収まりきらないなっていうのは私も感じていて、だから、こうした有りそうで、無さそうで、でももしかしたら…、の視点で書かれたこの短編集は、物語を目で追いながら、緊迫感や現実味がすぐそこにあるのを感じつつ、ひとつひとつ物語の世界観を味わいながら読めました。 おそらく、この本を通じて著者が伝えたかったのは、『この世界、人の数だけ物語があっていいし、それと同じ数以上に様々な答えがあっていいということ』なのかなと思います。 最終話の『本の泉 泉の本』の中で この世にある無数の作品や物語は、どれも世の中に出る権利は等しいし、それが評価されるもされないも、残るのか残らないのかも、それは作品の持つ質や運だけでは説明しきれない。だからこそ、人々はそれぞれ作品を創り、それぞれそれらについて論を交わすのだ、 という主旨の一節に、その思いが詰まっていると感じたのです。 帯にある問いかけ『本に溢れた世界に希望はあるか?』 読了した私の答えは、この先、取り巻く背景や媒体そのものが変わっても、人が文章を読んで、そこから何かを感じ取って、自分で何故かを考えて、自分の答えを創り出せるうちは、希望はきっと残り続けると思います。 それが、例えディストピアな世界であっても。 以下、個別に印象深かった作品の感想。 『ハンノキのある島で』 まるで読書文化が薄れていってる今に対するアンチテーゼとして、読書隆盛な世界をディストピアな世界感で捉えたら?と突き付けられたかのよう。 『木曜日のルリユール』 小説を創作しながら、そこで同時に批評レビューもしていたかつての自分を重ね合わせて読んだからか、どうしても批評が出来ない聖域が自分の作品だったという部分に、微かな胸の痛みを覚えました。もう原版が手元にないから、当時書いた小説、記憶の中のあらすじ程度しか残っていないのですけどね。 『詩人になれますように』 特に後半、主人公がとっていく動作と反応の描写は生々しいものがあります。 本文中で自問する『私が生きている意味は何だろう?』のくだりの先、死の天使と入れ替わるように、兄のハンドクリームがそこにあるという一節に、ああ、もうきっと大丈夫だっていう不思議な安心感を覚えました。 - 2026年9月27日
推し、燃ゆ宇佐見りん読書日記読み終わった@ 自宅世の中の普通に合わせられない自分でも、推せる対象があるから、現実を頑張れる。推すことで、自分自身の存在理由を肯定できる。きっとあかりはそう自分に言い聞かせながら、ひたすら推し活に全てを注ぎこんできたんだろうなぁ。 自尊心が持てず、家族からは距離を置かれて、推しが引退を発表して、最後のライブを終えたあと、元推しのいると思われるマンションまで辿り着き、そのベランダの光景を見た時、あかりは改めて現実に向き合い続けるしか選択肢が残されていないことを実感したのかもしれない。 自活もままならない家に戻り、部屋の惨状を前にして、それでも、あかりは少し先の現実を考えて、感情をぶつける対象物を、後始末か少しでも楽なようにと、自分で冷静に選んでいる。 この先に待っているのが、たとえ余生のような人生だったとしても、人は生きていくしかない。 投げつけるものを選べたあかりなら、本人がごちたように、這いつくばるような生活かもしれないけど、それでもこれから、生き抜いていけるような気がしました。 - 2026年9月27日
リバース湊かなえ読書日記読み終わった@ 自宅ミステリーだしさらりと。 人は、実は全く接点のない出来事に対しても、自分の心の中に何かしらの後ろめたさがあると、それがあたかもその出来事そのものなのだと、無意識のうちに共通項を探し、認識を紐付けさせようとする。そして開けてはいけなかったはずの箱を、気付けば開けてしまっていた。 絶対に誰かに言えない秘密を共有しあった当事者同士にしか分からない不安と恐怖といった心の動きを、各々の性格タイプを表すように、自然に描かれています。 それが掘り下げて描かれるのが、第二章の合宿場面、そして第三章の居酒屋での一幕です。 タイプがまるで違う谷原にしろ広沢にしろ、変に保身的で賢しい浅見や反省しない村井にしても、持って生まれた人格というのは、いくら年を重ねても根っこは変わらないというのは、良くも悪くもこの小説の中では一貫していると感じました。 ただ、主人公の深瀬だけは、単なるコーヒー好きとか豆に詳しいだけでなく、色々な飲み方を試せる柔軟さも併せて持っていて、何より、きちんと悔恨の思いを持てる人物として描かれているところが、他の当事者とは違うと感じます。 だからかな、広沢ほどとはいかなくても、私のコーヒーや喫茶店好きという点も含めて、深瀬とは仲良くなれそうな気がしました。 - 2026年9月26日
シュレディンガーの密室麻根重次気になる - 2026年9月26日
レゾンデートルの祈りふすい,楪一志読書日記読み終わった感想また読みたい心に残る一節@ 自宅注) 以下、ネタバレを含めて、重めの感想になります。 『レゾンデートル』は、日本語で『存在意義』あるいは『存在理由』を意味するフランス語です。 安楽死制度が合法化された近未来の日本を背景に、様々な理由から自ら安楽死を選んだ当事者と、制度で規定された期間のある限り、当人の思いに、そして自分自身の思いに対して、真剣に、また懸命に向き合い続ける新米アシスター(人名幇助者)の物語が、連作で5編綴られています。 アシスターとなった眞白は、自分なりの使命感と死生観を持って、安楽死希望者たちと面会を重ねて、心の距離を少しずつでも縮めていこうと奮闘します。 彼らは彼女との面談を重ねるうちに、抱える気持ちにもそれぞれ変化が生じてきます。待ち人の言葉を嘘にさせないため、大切な人と分かち合った色を再び見出だし、それぞれ安楽死を取り下げた人たち、生きたい理由より、死んでもいい理由の側にに天秤を傾けた人、最後だからと自分をいっそ変えようと思いがけない行動を起こした人、いつも側に居てくれる眞白の中に、自分の存在理由を見出だした人。生か死か、結末は違えど皆に共通していたのは、自分自身の存在意義を量る天秤を持っていること。違うのは、それが生に傾いていたのか、死に傾いていたのかだけのこと。そして、眞白は天秤の傾きをどちらに向けたいのか、本人たちにその気付きを与えるための役割をアシスターとして担っているんだなっていうのが、私の率直な感想です。 その役割は、エピローグでも改めて語られていて、すごく自然にすとんと腑に落ちた感覚を覚えました。そして同時にタイトルに続く祈りでもあったのかな、とも。 死生観について、眞白と接する日々の中で、改めて生き直すことを決めた人もいれば、それでも安楽死を選んだ人もいた。けれど、その選択を一律に善いか悪いかでジャッジすることは出来ないというのは、読んでいて何度も考えさせられました。 一般的に、私たちが死に対して抱くイメージは、概ね良いものではないことが多いと思います。特に自殺や安楽死のような、自ら死を選ぶような考え方やそれを否定しない姿勢ともなると、無条件に『自殺はみんなで防がないといけないもの』『死ぬことを自分から考えることはタブー』という空気感が現実としてそこにあることは、私自身も感じています。 それでも、この本を読んでいると、自殺や安楽死に限らず、一般的な死と生についてさえも、それを世間の物差しや自分の考える価値基準だけで、善いか悪いかと一律に線引きしてしまうこと自体そもそも無理なのではと、改めて思うのです。それが、例え自死や安楽死といった、自ら死を望んだ行為の結果であったとしても、です。 何故なら、その死にたいや生きたいという思いに至った人の数だけ、自分にはない、当人しか知り得ない背景や事情、歴史があるのだから…。一方的に『自分で自分の死を決めること』は、単純に十把一絡げに否定されるべきではない、と。 だからこそ私はこう思うのです。 死にたいと思う気持ちに対しては『否定してあげる』でもなく『流してあげる』でもなく『そっか、そうなんだね』と、ただ、ありのままに受け止めてあげたいなって。 それは、私自身が、五人の安楽死希望者のそれぞれの気持ち、特に後半三人の気持ちに対して、色々な過去と重ね合わせて、より深く共感したからなのかもしれません。 本作中にある『生きたくても生きられない人だっている。でもそれは安楽死希望者に対しては、決して口にしてはいけない言葉です』というのは、まさにそれを言い当てていると思います。 第三者の視点からみたら、確かにそうかもしれない。でも、当の本人は、安楽死と未来の生を天秤にかけて悩み、苦しんでいるのも事実です。 海璃が最後に眞白に感謝の言葉を掛けたのも、彼の中の天秤の傾きを見て、人には見えない希死念慮の存在を否定せず、事実として受け止めてくれたからだったのかもしれない… もちろん自死を手放しで肯定する気持ちや考え方で言っているのではありません。ただ、実際には、行動に移せなくても、そう思ってしまう気持ちの自由まで、悪意のない善意で、皮肉にも塞がないで欲しいなと思うだけなのです。 あと、エピローグの『お守りを失くした訪問者』 ってことは、きっと御守りのあったところが代わりになって、本人自身のことを守ってくれたんだろうなって、思いがけず嬉しい気持ちになりました。 - 2026年9月22日
夜のピクニック恩田陸読書日記読み終わった感想心に残る一節@ 自宅これは融(とおる)と貴子のダブル主人公の作品。融サイドと貴子サイド、それぞれ視点を切り替えながら物語が進んでいきます。 物語の時間経過を描く情景描写は終始静的で、全体を通して描かれる人物たちの肉体面での過酷さのそれとは対照的です。 融と貴子、このままなら二人は夜の闇のように見えないもの、分からない者としてすれ違ったまま卒業するはずだった。そんな二人が『歩行祭』という学校イベントの中、いつしか時間の流れと伴走するかのように、自分たちでもはっきり見えていなかった自分の心というものが、夜明けに向かって歩き続けるうちに、少しずつもやもやしていた部分が何なのか見えるようになっていき、最後、親友たちとともに無事にゴールした時には、二人とも、相手の存在というものを過去や背景も含めて自然体で受け止められるまでになります。 融と貴子をそれぞれ支える親友の忍、美和子をはじめ、登場人物一人一人の心の動きや感情の向かい方、細かな表情、動作といった人物描写も丁寧に綴られていて、固有名詞の付く登場人物が多いのにも関わらず、ちゃんと人物相関図を頭で思い描きながら読み進められたというのも、物語への没入感に繋がったかなと思っています。 物語中で美和子が融に伝えた『一番の親友から悩みを打ち明けてもらえない淋しさ』は、融の立場からも美和子の立場からも、どちらも共感出来る感情で、美和子側からすると確かに寂しくて、でも逆に融側からすると、気負わせたくない思いと、受け止めてもらえるかわからない怖さも両方あるんだよなぁ、と自分にもちょっと刺さるところがありました。 あと、本筋に絡まないところで挙げると、千秋の静かだけど切ない恋心や、芳岡の老成した人物観は読んでいて、どちらも自分に近い感性を感じました。 - 2026年9月20日
オール・ノット柚木麻子読書日記読み終わった感想@ 自宅生まれた時代や、家庭の事情など、そういった自分だけの力ではどうにもならない要素。これらに恵まれるか恵まれないかって、確かに人生に大きく影響を与えるけれど…必ずしもそれだけでは決まらない。 第一章での主人公の真央の姿は、自分が恵まれない側の人間だと自覚した上で、配られた手札の中で、懸命に自分の人生にとっての最善を尽くそうと前を向き続けようとします。その姿は美しくもあるけれど、同時に、とても壊れやすく危ういとも感じました。何故なら、いつもギリギリだから、全力だから、なにより真央の気持ちにも余白がないから。 そんな真央も四葉と出会い、そこから一族に繋がる様々な人たちとの数奇な出会いが、良い出会いも悪い出会いもひっくるめて、そして、真央自身がこれまでの自分の働き方が必ずしも共通の正解ではなかったということを知り、それもまた真央の器を成長させてくれます。 だからこそ、行動の結果というものが必ずしも正解であるとは限らないし、かといって全てが否定されるものではないという考え方を、真央は改めて腹落ちさせることが出来たのだと思います。 そして、真央は自分のキャリアアップの選択が失敗する可能性も敢えて受け入れた上で、かつて自分が四葉にしてもらったのと同じように、今度は佐々木さんにオールノットを託します。 最終章が、現在より少し先の時間軸として描かれているのは、佐々木さんが真央から、そして舞が四葉からそれぞれ託されたオールノットがここからどうなるのか、私たちの想像に託されているからなのかもしれませんね。 - 2026年9月19日
生命式村田沙耶香読書日記読み終わった感想@ 自宅まるで、現実世界で常識とされている視点や価値観の在り方について『本当にそれは正しいのか?』と、読んでる間ずっと問われ続けられているかのようでした。 作品全体が、現代の常識に対するアンチテーゼとでもいうのでしょうか。これまで疑問にも持たなかった様々な事柄に対しても、右へ倣えと思考停止せず『いや、本当にこれで良いのか?』と、一度は疑う視点を、自分がかなり以前から持っていることは自覚していましたが、村田沙耶香さんの作品に触れてからは、よりその思いを強く抱くようになったかのように思います。 収録作品の中では『魔法のからだ』での、性にまつわる彼是をタブーとも戯れ事ともせず、心身の成長過程として純粋に捉えることが出来る詩穂の描かれ方に。そして『二人家族』の芳子と菊枝が持っている、周囲の表面的な見方などでは揺るがない、確固とした価値観に対して、特に共感を覚えました。 また、この本の最後のお話『孵化』の主人公ハルカの描かれ方は、まるで『世界99』の空子の生き方を彷彿とさせるかのようなものでした。 それでも、人は誰しもが周囲に合わせて何かしらのペルソナを複数使い分けながら生きているものだから、ハルカの選んだ生き方も、そしてマサシとの結末も、決して他人事ではないと思います。 - 2026年9月19日
月の立つ林で青山美智子読書日記読み終わった感想心に残る一節全5話からなる連作短編集。 各編それぞれの主人公の置かれた境遇や起こる出来事、そして心の内側で様々な思いを、月にまつわる様々なエピソードと重ね合わせるようにして、物語は進んでいきます。 連作短編なので、ひとつひとつのお話の中の登場人物それぞれの関係性が、当人たちが見えない形、意識しない形でで繋がりあっていて、この本の中でその象徴になっているのが『新月』です。 第一話の『誰かの朔』では、読みながら、今、この仕事をしている私は、一体誰かのためになってるのだろうか?と考えさせられたり、 第二話の『レゴリス』では、誰もいない場所だからこそ、自分の本音を見せられる、といった一節の中に、こうして『Reads』に読書記録をつけている自分自身を見いだしたり、 第三話の『お天道様』では、同じ職場の年上の同僚の姿が浮かんできて、こっそりとその本心に思いを馳せてみたり 第四話の『ウミガメ』では、人と繋がることを諦めて、捨て鉢のような思いで、一人立ちしようと足掻いていた昔の私を重ね合わせ、 そして、第五話『針金の光』で、誰かへの優しさは、自分が思っている形と同じものとは限らないこと、気がつかないだけで、実はその人なりの優しさってこともあるってこと ああどうしてこんなに、青山美智子さんの書く世界は、私の琴線を捉えて離さないのだろうか… 最後に、ポッドキャストの配信者の正体が明らかになるのですが、その場面まで読み着いた時、まるでパズルのピースがカチッとは嵌まったかのような、清々しさにも似た感覚を覚えました。 きっと、自分もいつかこうして、人からの評価を気にせずに飾らない気持ちを表現したいと思っているからなのかもしれない。 - 2026年9月17日
ポイズンドーター・ホーリーマザー湊かなえ読書日記読み終わった感想@ 自宅人の気持ちのすれ違いの果てにあるもの、それは、決して取り返しのつかないバッドエンド。 例え兄弟姉妹、親子、嫁姑、さらには血縁ではない恋人、友人であっても、その流れは変わらない。 どの話を採ってもそこに在るのは、勘違い、嫉妬、毒親、共依存などという一言ではとうてい語り尽くせない、積もり積もっていく『どうして私が、私だけが』とひたすらに抑圧され、鬱積し続ける語り手たちの捨て鉢のような負の感情たち。 そして、いつしかそれがコップの縁から溢れた瞬間、悲劇は起こるべくして起こる。 どの話も救いのないイヤミスでしたが、思ったほど後味が悪くならなかったのは、最後まで救いのなかった語り手たちの中に、他でもない、読み手である私自身の姿を重ね見たような気がするからだったのでしょうか… - 2026年9月13日
告白湊かなえ読書日記読み終わった感想@ 自宅教室というひとつの舞台、そしてほんの半年の時間軸。それだけでここまで臨場感溢れるミステリーを生み出した湊かなえさんの才能には、感嘆というほかありません。しかもこれがデビュー作だというのですから、尚更です。 全六章からなる連作ものですが、読み始めると第一章から早くもイヤミス特有の怖いもの見たさみたいな予感に包まれて、そのまま一気読みしました。 久し振りのミステリーものだったので、伏線などは意識しながら読み進めていきましたが、それら以上に人間の心理の脆さやエゴについても同時に改めて考えさせられる場面も多かったです。 イヤミス初心者にも程よい読了感かと思います。 - 2026年9月13日
現代語で読む舞姫森鴎外,高木敏光読書日記読み終わった紹介学び!感想また読みたい@ 自宅森鴎外の有名な作品のひとつ『舞姫』をはじめとした、ドイツ三部作とも言われる短編三作が収められています。 原作は旧仮名遣いで書かれていますが、こちらはどれも現代仮名遣いなので、とても読みやすくなっています。 かつて、国語の授業で挫折した人にも、文豪とよばれる人物の作品は難しそうと敬遠していた人にも、機会があれば手にとってみてもらえたらいいなと思いました。 書かれたのは明治時代ですが、内容は現代の青春小説に通じる部分が多くて、『舞姫』の主人公の豊太郎の優柔不断さや回りに流されてしまう性格は、読みながら私自身『わかるわかる!』って共感出来たし、『文つかい』に出てくるドイツ貴族の女の子、イーダが抱く恋愛観を読んだとき感じた気持ちも、こういう思いって、どんなに時間や国を超えたとしても、誰もが考える永遠のテーマになるんだなぁって。ちょっと感慨深くなりました。お見合い結婚は日本だけのものではないし、家と家が繋がるからこそ、当人の気持ちだけで円満に、といかないのは、世界共通の問題なんだなぁって。 以前、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で一世を風靡した文芸評論家の三宅香帆さんも、このうち舞姫について、自身の著書『ニュー日本文学史」の中で取り上げて、鴎外本人のことも含め、作品解説しています。 時には、時代を超えて読み次がれるこうした作品を手にとってみるのも、新しい発見を得られるきっかけになるかもしれませんね。 - 2026年9月12日
ファミリーツリー小川糸読書日記読み終わった感想心に残る一節@ 自宅小川糸さんらしく、運びは全体的に穏やかで優しくありつつも、所々では生々しい描写や、胸が締め付けられるような気持ちになる展開もあり、それでも、生きることっていうのは、改めて奇跡の積み重ねなんだなぁと気付かされます。 流星とリリー(凛々)、二人は幼馴染でもあり、婚姻できる程度の距離感の親族同士という関係性。奔放なリリーに対して、少し後ろに下がってそれを見ているような流星。最初はどこかぎこちなかった二人ですが、ある夏の夜をきっかけに、少しずつそれぞれの物語が動き始めます。 やがて思春期を迎え、小さく芽生えた恋心を大切に育みながら、二人は進学を期にそれぞれ上京します。ここからは長野(穂高・松本)と東京、二つの場面を行き来しながら、二人は様々な経験や価値観に触れることで、時には喧嘩と仲直りを繰り返しながら、少しずつ成長していきます。 タイトルの『ファミリーツリー』に込められた意味は、最後のシーンで、ああ、そういうことだったんだなぁ、と改めて余韻を噛み締めるような、優しい読了感を得られました。
読み込み中...