

サブレとポッポの往復書簡
@snowflake
ページを捲る手触りが好き。
栞紐の色味と手触りも好き。
ノートは手書き。スマホのフリック入力は難しい。
でも、Readsもがんばって使いこなしてみたい。
キーワード的なもの
⭐主軸になるのは優しい気持ちになれる話
⭐ペンとノートと付箋は必携
⭐現代小説、純文学
⭐社会学、心理学、作品や作家の論評・評伝
⭐有川ひろ、小川糸、小川洋子、小池真理子、住野よる、湊かなえ、等
- 2026年8月23日
月とアマリリス町田そのこ読書日記読み終わった学び!心に残る一節@ 自宅読了して覚えた思いは、人の運命というものは、ほんのボタンの掛け違いひとつで、ここまで変わってしまうんだなっていう怖さを改めて認識したということです。 この物語の事件に関与した人物は、誰もが加害者でもあり、同時に被害者でもありました。それは主犯格の人物にも例外なく、犯した罪の程度や過去の生い立ちの差こそあれ、誰もがもしかしたら救わたかもしれない、そんな悲しい過去も同時に抱え持っていました。それが、この物語の大きな不幸であって、始まりでもありました。そして、プロローグが語られます。 物語の後半、二人のみちるが少しずつ心を交わしていく場面では、運命がもたらしたどうしようもない現実とその残酷さが淡々と綴られながらも、そのような中にあって、まるでエピソードの描写にあった満月の光のように、そして、アマリリスの花言葉のように、女性三人がほんの一時だけど、互いに愛情を確かめ合えた場面も描かれます。それがより、どうしようもなく堕ちていくしかなかった彼女たちの運命をより際立たせているかのようで、読みながらやるせなさを覚えずにはいられなかったのも事実です。 一方で最終章、事件後のみちるが、それでも無くならないこうした理不尽な事件に向き合い、何度でも繰り返し伝え続けることを決意したことや、井口や吉永、そして守るべき家族を待つと決めた大浦や鶴代さんといった、巻き込まれてしまった人物を受け止めて存在を示唆してくれた展開から、今が例え理不尽の中にあったとしても、月明かりに照らされたアマリリスは、どこかにきっと存在していると、そんなメッセージを受け取れたかのような気持ちになれました。 - 2026年8月22日
かのこちゃんとマドレーヌ夫人たまこ,万城目学読書日記読み終わった心に残る一節@ 自宅著:万城目学 挿絵:たまこ 猫のマドレーヌが、柴犬の玄三郎から聞いた猫又のお話を入り口にして、小学一年生のかのこちゃんと一緒に様々な不思議な体験をする日常系ファンタシーの小説です。 内容は角川書店から文庫で刊行されているものと全く同じものですが、こちらは児童書カテゴリなので、漢字へのルビと挿絵、そして万城目学さんによるあとがきが追加されています。 大人になるにつれて、私たちは自分の中の『ヘン』を少しずつ手放していきます。 しかし、かのこちゃんやすずちゃんは、まだこの『ヘン』をてらうことなく持っていて、それを明け透けに振る舞うことが出来る子たちです。だからこそ、マドレーヌはかのこちゃんのことが好きで、玄三郎や集会仲間たちにしてあげたのと同じように、二人に彼女がしてあげられることを、猫又の力を借りてしてあげたんだろうなって思います。 読み終えたあと、不思議と静かな優しさが心に満ちていくのを感じました。 幅広い年齢層の方に、お薦め出来る作品です。 (文庫ISBN 9784041006870) - 2026年8月17日
図書館戦争有川浩読書日記読み終わった@ 自宅書籍に対する表現の自由が制限され、検閲が合法化された世界線を舞台に、書籍情報を統制する側と、書籍との接触の自由を守ろうとする図書館側との間で繰り広げられる武装衝突を描いた現代ファンタジーです。 今の日本で当たり前の権利として保証されている知ることの自由、表現することの自由が当たり前でなくなった時、その自由の象徴になるのは書籍であり、最後の砦が誰もが利用することの出来る図書館として描かれているのが印象的です。 主人公の郁は、考えるよりも体が先に動くタイプで、私とまるで正反対。そのためか、彼女の持つ真っ直ぐさと純粋さには、読みながらある種の歯痒さと落ち着かなさを覚えつつ、それでも自分もこうあれたら良いのになぁ、といった少しの妬みの入った羨ましさも感じてしまったり。 中でも刺さったのは、『正論は正しい、しかし正論を武器にするのは正しくない』の部分です。人と人とのやり取りにおいて、正論と感情のバランスが大切なことは、これまでの経験から身に染みてわかっているつもりなんだけど、つい負けないようにと張り合って、結果正論で武装して相手を追い詰めて、結果的に拗らせてしまいがちなので、あいたたた… - 2026年8月16日
子のない夫婦とネコ群ようこ読書日記読み終わった@ 自宅思えば、私も子供の頃から犬や猫が当たり前にいる家庭の中で育ちました。そして、どんなに帰る時間が遅くなっても、天気が悪くなったとしても、飼っていた犬の散歩は決して欠かすことなく、そしてどの子に対しても、側に寄り添って最期を看取ってきた母の芯の強さというものを、改めてこの短編集を読みながら思いました。 今の私は、諸々の事情で生き物を飼うことは出来ないですが、時々外に出た時などに、人馴れした猫が思いがけず体を撫でさせてくれたりすると、固まっていた心もふんわりと和らぎます。そして、散歩、というよりは飼い主さんと走っている犬を見かけると、ふと、子供の頃に自分も同じように一緒に走っていた記憶を思い出して、少しだけ元気になったり、時には切なくなったりすることを、また思い返させてくれた一冊でした。 あと、ひとつひとつが独立した短編集なので、自分や誰かに近しい好きなお話を選んで、読んで聞かせてあげるのも良いかもしれない、って思いました。 - 2026年8月15日
アウシュヴィッツの図書係アントニオ・G.イトゥルベ,小原京子読書日記読み終わった学び!心に残る一節@ 自宅お盆休みに読みたかった本:③ この小説は、第二次世界大戦下のヨーロッパで実際にあった史実が元になっています。 本の所有を禁じられた収容所生活の中で、本の持つ力を信じ、その本を守り抜いて、そして過酷なこの世の地獄を生き抜いた主人公ディタを中心に、人間の想像力がプラスにもマイナスにも与える可能性、そして、なぜナチスがここまで本に対して神経を尖らせたのか、その答えがこの一冊の中で語られています。それは現代に置き換えれば、独裁国家がインターネットを規制することと通じるものとも思えます。 本が持つ力については、私も同じ思いです。事実、仕事がしんどいなって思った時、もう心が折れそうって感じた時、いっそ何もかも投げ出したい!って叫びたくなる時、そんな時には、自分が今でも無理なく読めそうと思える本を手にとって、その世界に飛び込みます。まさに、作中でディタがそうして一日、一日を生き延びたのと同じように。そして、少し、字は汚くなるけど、好きな部分をノートに抜き書きします。収容所でも鉛筆は貴重品として語られていましたが、写経のように読んだ本の好きな場面や心に残った一節をノートに抜き書きすることは、今起きている現実の辛さから、その間少しだけ忘れさせてくれて、実際、書いているうちにスーっと心が穏やかになっていくのを感じられるので、効果はあるんだなぁって。 私も、ディタと同じところがあるとしたら、こうして本の力によって、日々を生き抜いているってことなのかなぁと感じました。 学校で習う世界史では、ナチスの行ったホロコーストはアウシュビッツでの史実が有名だけど、この本を読んで、それだけにとどまらない、様々な迫害政策が行われていたことや、学校では習うことのない収容所の内情についても、改めて学ぶことが出来ました。 特に最終盤のベルゲン=ベルゼン収容所での一連の描写は、読んでいても目を覆いたくなるような地獄がはっきりと思い描ける位に生々しいもので、それだけに連合国軍が突入した場面では、ホッと全身の力が抜ける感覚を覚えました。 - 2026年8月13日
日本のいちばん長い日 決定版半藤一利読書日記読み終わった@ 自宅お盆休みに読みたかった本:② この作品に初めて触れたのは、2015年に上映された映画でした。それから十余年を経て書籍として改めて通読しました。 私たちが学校で習う歴史は、事実と結果を知識として得ることが殆どだってことを、改めて思います。終戦記念日の前日に、もっといえばそれよりもっと前から、緊迫した駆け引きが見えないところで繰り広げられていたんだってこと、そして、いくつもの偶然と幸運が重なったからこその玉音放送だったということ。 とった手段は間違っていたかもしれないけれど、畑中少佐も、本当に根っこの部分は阿南陸相、鈴木首相、そして昭和天皇とも、大切な部分は繋がっていたんじゃないのかなって思いました。ただ、純粋過ぎたんだろうな…って。 そして特にこの二人、阿南惟幾、鈴木貫太郎の人間の深さには感服するばかりです。 この二人がいなかったら、今の日本はなかったでしょうね。 少し難しめの文体や単語が多いので、映画版を先に観ておくと多少読みやすくなるかと思います。 - 2026年8月12日
読書日記読み終わった学び!心に残る一節@ 自宅お盆休みに読みたかった本:① 歴史のifを描いた、フィクションとノンフィクションのハイブリッド小説です。 私も学生時代から、第二次世界大戦以前からの世界情勢にまつわる史実について、関心をもって勉強していましたが、当時はまだ、それぞれの国家の思惑や駆け引き、コミンテルンの暗躍や杉原千畝の為した偉業までは詳しくは知りませんでした。 そして当時の知識の前提として『日本が悪くて、アメリカが正義』という二項対立の価値観が疑いなく存在していました。 その後、折に触れて様々な文献や資料、証言などを見ていく中、そして現在に至るまでの国内、そして国際情勢を見続けて来る中、あの当時、本当に日本だけが悪者だったのかな? もしかしたらドイツも窮鼠という意味では被害者の側面もあったのでは? ベルサイユ条約のあと、あそこまで追い詰めなければ、もしかしたら歴史は変わっていたのではないか? もしあの時ロマノフ朝が倒れていなければ…? 歴史にifはないと、高校生のときに当時の先生から聞かされました。しかし、パラレルワールドの概念があるように、歴史にもifの世界線はあっても不思議ではないのだと考えています。 この小説では触れられていませんが、私はソ連侵攻がなかった世界線について、時々思いを馳せることがあります。 北方領土、千島列島、南樺太、そこには確かに日常を送る日本人がいて、それが令和の今まで、変わらず続いていたら、いったいその世界はどんなだっただろうか、と。 - 2026年8月11日
蹴りたい背中綿矢りさ読書日記読み終わった心に残る一節@ 自宅クラスや部活動の中で浮いてしまうことって、少なくとも中高までの世界では当事者にとって死活問題になりかねないから、私自身を含めて多くの人は絹代のように上手に立ち回って、自己主張よりも周囲との協調を採って、そのフェーズを生き抜こうとする。 ハツ自身も、自分もそうすることが一番楽だってことを頭の中では解ってる。けど、それって何だか違うって感じている。かといって、妥協して回りに迎合すること出来ずに、貫きたい自分自身との間で揺れる毎日を過ごしている。そんな中で、どんなに周囲から浮いていても、まるで意に介さずに我が道を往く『にな川』と接点を持つようになり、立ち位置としては彼に自分と同じ部分を見いだしつつも、同時に、自分にはない何かを持っていることを見いだして、ハツ自身も気付かないうちにそこに嫉妬する。それが、純粋なファンとして、にな川がオリチャンに対して抱く感情。 余計な打算も何も含まず、ただ真っ直ぐに自分の『ファン』としての感情を表出できるということが、実はハツにとっては本当に羨ましくて、同時にあまりにも真っ直ぐすぎたからこそ、そんなの人間関係の中で生きていかなきゃいけないのに、それがまかり通るだなんて、そんなの認めたくないものだって思ったから、だから、にな川に対して、あんな風に接してしまったんじゃないかなぁ。二回目は手加減していたけど。 あの頃の自分って、今振り返ってみても、自分でもよく解らないってところがたくさんあったから、何だかハツに昔の自分を見ているような気持ちで読みました。 あと、何気に作中で絹代ちゃんが、とても大切なことをハツに忠告していたので、そこは自戒としてもきちんと覚えておこうと思います。 『ハツはいつも一気に喋るでしょ、それも聞いてる人間が聞き役に回ることしか出来ないような、自分の話ばかりを。そしたら、聞いてる方は相槌しか打てないでしょ。一方的に喋るのをやめて、会話をしたら、沈黙なんて来ないよ。もしきてもそれは自然な沈黙だから、全然焦らないし』 - 2026年8月11日
失われた地図恩田陸読み終わった感想@ 自宅恩田陸さんの作品の中で、私が初めて読んだSF作品です。いわゆる世間一般といわれる人々には見えないものを見ることが出来て、それらと渡り合える力を持つ風雅一族。この物語はそんな一族として生まれた遼平、鮎観、浩平を中心に、日本各地の其々な過去や因縁を持つ地を回り、『裂け目』と呼ばれる時空の裂け目、現世に起こる災厄の前兆を見つけ出し、そこから溢れ出す過去の怨念や成仏出来ない無念さと対峙し、裂け目を封印し直すことで、近い未来に起こりうる災厄を未然に防いでいくというお話です。 舞台となるのは、どこも過去に何かしらの争いのあった場所や戦争の火種となった曰くのある場所で、現世の人間の欲望に呼応して、過去の怨念が、かつての戦国足軽や幕末の彰義隊、昭和の日本兵の姿となって彼らに襲いかかります。彼らはそれらを一族に伝わる秘伝の封印術と現代の文明力を駆使して立ち向かうのですが、時として窮地にも陥る彼らを救うのもまた、悲しい歴史を持つその場にあった、平和を願う当時の人の思いが力や形になったものでした。 ここまでだと、SF風に事件解決を図るだけの短編集になるのですが、勿論それだけに終わりません。遼平と鮎観の関係性についても折に触れて語られていて、二人の幼少時代にあったある出来事、そしてこの生業に携わる以上、二人が手放さなくてはいけなくなる家族としての平和な時間、それでいながら、二人の子供である俊平が、二人の見えないところでいつも守ってくれていたこと、こうした人間ドラマも丁寧に両立させながら、こうした非現実の世界観を紡いでいるのは上手だなと思いました。 今回は、二回繰り返して読みましたが、それでもまだ、上野公園での『ダイジョウブ』と、六本木交差点での『ダイジョウブ』の繋がりがきちんと腑に落ちきらないことと、錦糸町辺で出てきた『件』が何者なのかが見えないのがもやもやしています。これは私の読解力がまだまだ追い付いていないからなのか、単にSFに読みなれていないのもあるのか、うーむ🤔 - 2026年8月9日
八日目の蝉角田光代読書日記読み終わった心に残る一節@ 自宅第一部は、母としての希和子の視点で話が進み、突如として始まる第二部は、薫の視点から話が再開します。 産みの母、育ての母、どちらも父となる男性に運命を狂わされてしまったんだなって。そして、同じく薫も運命に翻弄された犠牲者で、二人の母と同じような男性に救いを求めてしまう部分に、何とも言えないやるせなさを覚えながら読みました。 第一部の後半、小豆島での束の間の平穏、第二部の最終盤、千草と薫が二人で小豆島へ向かうくだりは、残酷な運命に翻弄され続けるこの物語の中で、ホッと心が弛んで、それこそ瀬戸内の海のような心の凪を覚えました。 そして、希和子、薫、そして千草が一時期過ごしていた施設は、この物語の中で災禍ともいえる男性性を排したある種のユートピアの象徴でもあったのだと解釈しました。 小豆島に渡った二人は、もし、実家に帰った先で何かが起きたとしても、きっとその時は、女手二つで、きっとこの新しい命を一緒に育んでいくのかもしれないな、とか。 薫と千草を優しく見送った希和子もまた、八日目の蝉として、何もかも失った残りの人生に、新しい何かを見いだして生きていって欲しいなと思いながら、読了しました。 - 2026年8月8日
とわの庭小川糸読書日記読み終わった心に残る一節@ 自宅導入で描き出されているのは、とても静かで優しさ溢れる穏やかな世界での母子の日常。そんな、幸せな時間も長くは続かなくて、ある場面からしばらくはとわちゃんにとって後々暗い影を落とす暗黒の年月が続きます。この辺りの展開が本当に生々しく、家の情景ととわちゃんの心情が自分自身の心とシンクロしてしまい、読むのが途中で辛くなってしまった程でした。 しかし、物語の中盤になるとそんな暗闇にも一筋の光が差し込みます。それまではただ、生命的な意味合いでの生存でしかなかったとわちゃんの命は、ゴールデンレトリーバーのジョイ、養護施設で出会った親友のスズちゃん、ピアノが上手なマリさんとの出会いと支え、優しさ、繋がりによって救われます。そして、ここからはこれまでの生存的な意味合いではなく、実存的な意味としての生きる力をとわちゃんは、自分の手で、ゆっくりと、時間を掛けて、少しずつ、だけど着実に取り戻していきます。本文終盤のロバのお話からの描写を借りれば、それはまるで、これまでの暗黒だった年月を少しずつ、少しずつ、井戸の上から、土をかけて、底をかさ上げして、やがては井戸から自分の力で出られるようにと。 幾多の人々との出会いと交流を経て、再び写真館を訪れたとわちゃん。そんな彼女にもたらされた思いがけないサプライズ。読んでいた私に再び込み上げてくる感情の波と涙。 ただ、もしそれをとわちゃんが舌で拭いてくれたとしたら『この涙は、前のとは全く別の味がするね』、なんて言って、笑って返してくれるような気がします。 この『とわの庭』という作品には、確かに前半には暗く、悲しく、胸が締め付けられるようなな展開が続くけれど、その場面があってこそ、後半の光や温もりの場面がよりそれらと対比されて、印象的に伝わってくるんだろうなぁって、読了して感じました。 - 2026年8月7日
ぼくがスカートをはく日まめふく,エイミ・ポロンスキー,松中権,西田佳子読書日記読み終わった心に残る一節実際、この広い世の中には、グレイソンのような性的マイノリティーに属する人たちのことを、ライアンやアミリアのように、そもそも心が受け付けないという人は少なからずいるということは事実で、実際、心無い言葉や好奇の目線というのは、目立たなくはなりましたが、事実として今も存在します。悲しいことですが。 また、そういった世間の心無い偏見から守ろうとする親心から、却って本人の思いをそのまま受け止めてあげられず、その狭間で深く葛藤してしまうサリー叔母さんのような人もいます。 それでも、ペイジーやフィン先生、エヴァン叔父さんのように、グレイソンの回りにもこうして温かくありのままの自分のことを受け止めてくれる人たちもまた確かに存在しています。 またジャックやセバスチャン、校長先生のように、はじめは懐疑的な思いを持っていても、本人の真摯な姿勢を実際に見ることで、これまでの見方や価値観が変わる人たちもいます。 だから、もし自分がグレイソンだったなら、そういう、受け止めてくれる人たちとの繋がりや思いを大切に育みつつ、真摯な姿勢であろうとすること。一方でライアンのような気持ちを持ってしまう人がどうしても存在するということも事実として受け止めた上で、ならばせめて互いが傷つけ合わないよう、互いの心が波立たないだけの距離を保ちつつ共存していけたらいいな、というのが、私の考える多様性の尊重のスタイルです。それは、マイノリティーだからって無条件に全て受け入れて欲しい、ではなくて、時には受け入れられない自由もあっていい。その時は互いに大人の対応をするのみ。 つまり性自認も、その人の持つ個性のひとつだと思うのです。だって、それだけを切り取ったところで、その人の人となりと誰が好きか、自分がどっちかなんてのは、なにも関係がないわけだしね。 グレイソンが演劇の最後、光に包まれたようにとても穏やかな笑顔でペルセポネを演じきったんだろうなって光景が、読了してしばらくの間、目蓋の裏に焼き付いているかのようでした。 あと、裏表紙の鏡に映る二人のグレイソンのイラストも優しげな雰囲気で素敵でした。 - 2026年8月6日
堕落論坂口安吾読み終わったかつて読んだ感想@ 自宅大学生の時に授業で坂口安吾を扱ったのを思い出して再読しました。当時はあまりよく理解できなかったんだけど、今読むと。安吾の『堕落論』がなぜ当時の日本で熱狂的な支持を受けたのかが解った気がします。 戦前までの価値観が、玉音放送ひとつで一変した世界。ルース・ベネディクトの『菊と刀』とも重なるけど、日本人が昨日の敵を今日の友と切り替えられたのは、『天皇』という共通の護持する対象がそのまま残ったからだと、個人的に私は考えています。 その上で、敢えて安吾はこう考えたのだと読みました。 『武士道』や『忠と義』に代表されるようなこれまで是とされてきた日本人的視観が、今般の戦争の惨禍を招いてしまった。故に、日本が再び復興するためには、ここから一度離れなくてはいけない、と。 安吾は作中で、戦時中は、常に空襲に怯えながらも、家に鍵を書けなくても、泥棒に入られることもなかったと述懐し、そして、誰も本音を口にはしなかったとも語っています。本当は誰もが『早く戦争なんて終わって欲しい、戦地になんて行きたくない』、と心のなかでは叫んでいたのに。しかし、それが封殺されてきたのは、旧来の日本人的視観が機能していたからに他ならないというのは、安吾に限らず今の私たちならほぼ一様に理解できるところかと思われます。 しかし、太平洋戦争において、欧米・連合軍という『武士道』や『忠と義』の概念の通じない相手に惨敗、全てを失った日本の現実は、一面の焼け野原と手許なく放り出された市井の人々。それは、玉音放送を読み上げた天皇陛下を一様に崇めるという国民精神こそ保たれていても、現実は衣食住も仕事も治安もなにもない、そんな無秩序な世界です。 安吾が、そんな現実を目の当たりにしながら感じたことは『物質的なものは確かに失ったかもしれない。でも、私たちはこうして生き残った。だから、紛い物だった過去が戦争によって無くなった以上、この先は自分自身、自分の気持ちは正直になること、すなわち堕ちきることが復興の鍵になるのではないか』、ということではないかと読みながら考えました。 実際に闇市が並ぶ街の治安は良いとは言えなかっただろうし、雑多な混沌の世界ではあったかもしれない。だけど、統制下にあった戦時中より、不便だけど解放された今の方が、市井の人々の表情はずっとずっと人間らしく、生き生きとしたものとして彼の目には映ったのでしょう。作中でそんな思いを読み取れる箇所もあります。 安吾は今作中において『一度、徹底的に堕落せよ』『忠義の概念から一旦、自分を解き放って、自分の本心を見つめ直せ』と発信することで、戦後の日本で、これからは自分の信念を芯に据えて動く人たちが増えること。そうして、必ず日本は復興していくことに希望を持っていることを、読者、ひいては後世に伝えたかったのではないだろうか。そして同時に、文学にもそうした力が秘められていることについて最後に言及しているところに、本が読みたくて文学部で学んだ私は、どこか安吾に励まされているかのような不思議な感覚も覚えたのでした。 『桜の森の満開の下』も好きなんだけど、長くなったので、これはまた別の機会に書きたいと思います。 - 2026年8月5日
僕と先輩のマジカル・ライフはやみねかおる読書日記読み終わった@ 自宅これは久しぶりの一気読みでした。面白い! 快人と春奈は幼馴染。二人の物事への考え方や捉え方、判断の基準は正反対。だけど、二人は仲良く同じく学び、そして同じ大学に進学します。そこで出会う今川寮の先輩たち、そして謎に包まれたサークル、あやかし研究会の長曽我部先輩との出会いをきっかけに、二人の回りでは科学や理屈では説明出来ないような不思議な出来事が巻き起こります。 現実主義で生真面目で融通の効かない、言い換えれば不器用な快人が、楽観的でマイペースな春奈や個性の塊みたいな寮の先輩方、そして何から何まで謎だらけの長曽我部先輩たちのペースに何だかんだで絡め取られてしまう辺り(だからこそ不器用って感じるのかも)、読んでいてそのやり取りが愉しくてほほえましかったです。 ミステリーのトリックは、作者のはやみねかおるさんが学校の先生だったからなのかもしれないけど、ちょっと知識寄りに難しめなものが多かった印象です。たとえば野生の猪の習性とか、車を運転している時に運転手が陥りやすい傾向など、あと、酒税法の知識もたまたま昔勉強したから知っていたけれど、これはなかなかアカデミックな仕掛けや伏線だなぁ、って。 最後、続編を匂わせるような作者のあとがきもあって、実際、長曽我部先輩がどんな人なのかは相変わらず最後まで謎に包まれたままなので、もしシリーズの続編があれば読んでみたいなって思いました。 - 2026年8月5日
スイート・ホーム原田マハ読み終わった心に残る一節@ 自宅一軒の洋菓子店『スイート・ホーム』とその家族、そしてそこから繋がる様々な町の人々との中で語られる心温まる連作短編集です。 中でも、陽皆ちゃんと昇さんの馴れ初めの描写が、特に陽皆ちゃんがお店で待ち続けた辺りが本当に切なくて、読みながら涙が出てきてしまいました。 そして、いっこ叔母さんの打ち明けられない遠慮の思いや、浪人中の由芽ちゃんが、ついお母さんにきつく当たってしまって自己嫌悪してしまう思いも、同じような経験を私もしてきたからなのか、まるで自分の人生を追体験しているかのような気持ちになりました。 帯の裏に本文からの抜き書きがあるのですが、それを読んで何かしら心の琴線に触れた方、自信を持ってお薦めできます。 - 2026年8月2日
月曜日の抹茶カフェ青山美智子読み終わった心に残る一節@ 自宅12の短編集全てが、それこそ刺繍の糸やパッチワークのように交差して、繋がりあってひとつの物語となり、『月曜日の抹茶カフェ』としてまとめられています。 1月のお話で撒かれた伏線の種も、12月のお話できちんと回収されて、吉平さんのハンカチの刺繍の描写には、思わずホロリとしてしまいました。 それぞれ月の所感を綴ると取り留めもなくなりそうなので、ひとまず全体を通しての所感。 各月のエピソードも、それぞれ琴線に触れた部分を追々、こちらには追記していければとは思っています。 全体を通して、人の心の温かさというものを、繊細で無数に繋がりあっている縁という名の細い糸で丁寧に紡いで、繋ぎ合わせているなと感じます。 人間は誰しもが考え方も捉え方も同じではなくて、だから同じ出来事に対しても、必ずしも同じように認識するとは限らないし、その目に映る世界も違う。その差異を受け止めた上で、人間は決して一人だけでは生きていないということ。意識に上らない所で誰かと繋がっていて、お互いに影響しあっているということを、隣で優しく話して聞かせてくれたかのような読了感を覚えました。 青山美智子さんの作品は、これが初めて読んだものになりますが、紡がれる文体も素直で読みやすくて、例えるなら、鉢や花壇の地面が如雨露からの水をすうっと吸い込むように、心の全体にも優しい気持ちが染みわたっていくような、そんなホッとするような感覚を覚えました。 まさに、抹茶カフェでおうすを一口、通したみたいな。 (※友人に送った感想に、一部訂正および書き加えて併せて投稿しています) - 2026年7月26日
夜想い住野よる読み終わった買ったまた読みたい@ 自宅不登校だった始、星空中毒に苦しむケイティ、事実の捉え方や自分を含めた状況も違えど、大切な人を失ったことで心に深い傷を抱える二人は共に空想研究会に、そして始は将棋囲碁部にも入部、こうして互いがそれぞれのコミュニティに居場所を置きつつ、学校生活という現実に向き合って、最終的には、友達や理解のある大人たちと共に、かつて現実に自分自身に起きた問題と向き合い、どう受け止めるかについてまで、意を決して自分で決めてることで過去を乗り越えようとします。 タイトルの『夜想い』には、ケイティは事故で失ったツグミを一面の星空の中に見ている、始はかつて父がいた頃の家庭の居場所を、河川敷の蛍の光の中に見ている、そんな二人の心の傷と、夜が危険とされる世界においても、そこにすがらずにいられない本人の辛い思いが、それぞれ込められているように感じます。 と、ここまで感想を書いてみても、歪曲済アイラービュ辺りから感じてましたが、やっぱり今回のよるさんも解釈が難しかったなぁ、と改めて思います。 三歩ちゃん③は三歩ちゃんなので別枠として🤭 人物相関図も複雑で、途中、語り手の視点も何度か変わる上に、何より『信用出来ない語り手』と『空想』という概念が物語全体に絡んでいるので、これまでのよるさんの作品の中でも最難関レベルで手強かったです。きっとこれは十周年というよるさんからの挑戦状なのかも。 と、一回目読了して、何となくの納得感は得られたけど、きちんと腑に落ちた理解というには程遠いという実感なので、一度初読のメモ書きを挟んだ上で、また後日、じっくりと再読したいと思います。
- 2026年7月25日
麦本三歩の好きなもの 第三集住野よる読み終わった心に残る一節@ 自宅読みはじめが平日だったのもあって、今のところお風呂上がりに一編ずつ、ゆっくり読み進めている感じです。 怖い先輩のあとに新しく登場した新たな先輩、三歩ちゃんにとってどんな存在になるのかな~ 本日無事に読了。ふむふむ、なるほど。帯のメッセージはそういう意味だったのかー! 三歩ちゃんをちゃんと貫き通せるところが、そのまま三歩ちゃんらしいって思ったよ。噛み噛みしながら、相手も自分も同じ物差しで、健全に測ろうとするところとかね。 - 2026年7月20日
わたしの日々が、言葉になるまで 小説家に学ぶ言語化のコツ町田そのこ+NHK「わたしの日々が、言葉になるまで」制作班読み終わった@ 自宅気持ちを言葉に変換する。思いを文章に変換する。こういうことって、一朝一夕にはなかなか身にならないんだなぁ。だから、拙くても、少し位おかしくても、まずは言語化するところから始めてみる。そこから、少しずつ推敲して、納得いくまで繰り返して。 そっか、Readsの読書記録もおんなじなんだよね。 だから、気負わず、気負わず。 - 2026年7月20日
歪曲済アイラービュ住野よる読み終わった再読中また読みたい@ 自宅『腹を割ったら血が出るだけさ』に次ぐ、よるさんの送る群像劇です。 様々な人物の視点で、それぞれの世紀末ストーリーが展開されますが、最終的には最初のこなるんとの話に帰結します。 私が特に好きなエピソード、1つ目は一本のタバコから始まった浦安とひよりの奇妙な関係。ひよりに対して彼なりに心を砕き、自身の経験と重ねて、道を踏み外すなと諭す場面が心にじわりと染み入りました。 自分の未来の時間や可能性、守りたいものと天秤に掛けて、それでも手に入れたい未来だったからそれを選んだ。その選択には後悔していないけど、信じ続けて友達でいてくれた室戸を失ったとき、浦安はこの先の人生、恩返しする相手のいない世界で、生きていく理由を無くしてしまった。 そんな彼にとって、ひよりはどんな存在になり得るのだろう。 私も、今まさに、生きている意味も、生きていく理由も、見失い掛けていて…うん。どうしたらいいんだろうね。 そして2つ目。小夜を失った守を見守るという約束を律儀に全うする犬の視点のエピソードも、メタの視点から改めて自分自身を省みているようでもあって、喪失という事実がどれほど大きく人の心に影響を与えるのかを考えさせられます。あと、心が参っている時にふと訪れてくれる友達の存在って大切って下りが好き。私もこの犬にとっての鳩のような存在になれたらいいな。輪廻転生の理から自ら外れる決断をしてでも、小夜と守とずっと家族で在りたかったんだね。本当にいい子ね🐕️ そして3つ目、クライマックス。こなるんとひよりの直接対決。世界滅亡を前にしたとき、手段は違えど、二人はそれぞれ、自分の残りの未来を天秤にかけた上で、これと決めて買い物をしたんだなって思いました。だから、その根っこの部分が同じものだと気付いたとき、最初は殺るか殺られるかだった二人が、一緒にディズニーでチュロスを食べる仲になれたんだねって。 あとたぶん、千葉aka東京って、ひよりちゃんのことだよね? ちょっと確信持てずです。 再読も最終盤、何となくこの作品のベースにあるテーマも見えてきたような気がします。あと、黒ページ部分はストーリー的にはメタなのかな?
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