
Wanderer
@Wanderer1211
2026年8月8日
8\8に読了。
最初は、虚栄心や承認欲求に取り憑かれた人間たちを描いた小説なのだと思った。
占い師、トレーダー、漫画家。彼らはそれぞれ、「自分は特別な人間である」という物語をまとっている。そうした物語によって、自分自身の価値を証明しようとしている。
しかし、読み進めるうちに、その物語を外側から眺めている「僕」自身も、彼らとそれほど遠い場所にはいないことに気づかされる。
小説家もまた、虚構をつくる人間だからだ。
もちろん、詐欺師と小説家は同じではない。それでも、「自分についての物語をつくり、それによって自分の価値を確かめようとする」という点では、どこか共通している。
この作品で最も印象に残ったのは、むしろ小説家自身が特別な存在として扱われていないことだった。
小説家というと、普通の人間には見えないものを見抜き、特別な才能によって世界を描き出す、どこか崇高な存在のように考えてしまう。しかし小川哲は、その幻想を自分自身に向けて壊している。
「小説家には特別な才能なんて必要ない」という言葉も、単に小説家を卑下しているのではないのだと思う。小説家を神秘化するな、ということなのだろう。
小説家もまた、承認を欲しがり、虚栄心を抱き、自分をよく見せようとする、ただの人間である。自分だけが人間の本質を見抜いていると思っているなら、その時点で、作品に登場する人々と同じような「自分についての物語」に囚われている。
そう考えると、この作品は他人の虚偽を暴く小説ではなく、他人の虚偽を暴こうとする自分自身をも疑う小説なのだと思う。
そして、「黄金」という言葉の意味も、単なる金銭や成功ではなく、「本当なら自分はもっと何者かになっていたはずだ」という感覚なのではないかと思った。
もっと才能があるはずだった。もっと成功するはずだった。本当の自分は、こんなものではない。
そうした「本来あるべき自分」の物語が、いつしか現実の自分よりも大きくなってしまう。
これは片桐だけの話ではない。
自分自身について考えてみても、「いつかこうなるはずの自分」という未来の像をつくり、その像に現在の自分を照らし合わせてしまうことがある。その意味では、この作品の「君」は片桐だけではなく、読者自身にも向けられているように感じた。
人間は誰でも、自分についての物語をつくって生きている。小説家もその例外ではない。だからこそ、自分だけが真実を見ているような顔をすることはできない。
それでも、人間は物語をつくる。
その矛盾を解消するのではなく、矛盾を抱えたまま書き続ける。
『君が手にするはずだった黄金について』は、そんな小説なのだと思った。
そして読後に残ったのは、「自分は何者なのか」という問いだった。
本当に手にするべき黄金とは、他人から与えられる肩書きや成功なのか。それとも、「こうなるはずだった自分」という物語を手放したあとに残る、今ここにいる自分なのか。
この作品は、その答えを教えてくれない。
だからこそ、読後も自分自身の「黄金」について考えさせられる。