
みつ
@m-tk
2025年3月31日

大人のトラウマを診るということ
青木省三
借りてきた
かつて読んだ
---出来事が大きいか小さいかは別にして、当の本人が精神的に大きな恐怖や苦痛を感じれば、その出来事はトラウマとなり、トラウマ反応を起こす。大切なのは、出来事の程度と「トラウマ(心の傷)」は必ずしも同じではないということである。大きな出来事でも、「トラウマ(心の傷)」は小さいときもあるし、小さな出来事でも、「トラウマ(心の傷)」は大きい時もある。出来事には、生命の危険を伴うものから、そこまでではないが本人にとっては危機的なものまでいろいろある。



みつ
@m-tk
---誤解のないように付言しておきたい。内面に目を向け反応性と理解するという姿勢だけに意味があるのではない。客観的に観察し症状をとらえるという姿勢にも意味があり、両者が両輪のように働いて初めて臨床は成立するものなのである。

みつ
@m-tk
---トラウマ体験は話されないことが多い。患者にとって、トラウマ体験やトラウマ反応は、病気の症状などてはなく人生の悩みや苦しみであり、主治医に「症状として話すようなものではない」と思われていることもある。また、「自分が悪かったから」「自分が弱い人間と思われたくない」「話すのは恥ずかしい」などの、自責の念や恥の感覚をしばしば伴い、話されない場合も多い。
(中略)筆者は、話すかどうかは本人の選択することであり、支援する人が決めることではないと考えている。どんな場合でもそうであるが、患者から合意なしに秘密を奪い取ってはならない。

みつ
@m-tk
---過去の事実そのものは変えられないが、過去に対する意味付けは変えることができる。人は意味付けの中で生きているのでは、意味付けが変わることは、過去が変わることに相当する。それくらい、意味付けへの操作は重要である。