
RIYO BOOKS
@riyo_books
2023年5月13日

高野聖
泉鏡花
読み終わった
そこで文章の死活がまたしばしば音調の巧拙に支配せらるる事の少からざるを思うに、文章の生命はたしかにその半以上懸って音調(ふしがあるという意味ではない。)の上にあることを信ずるのである。故に三下りの三味線で二上りを唄うような調子はずれの文章は、既に文章たる価値の一半を失ったものと断言することを得。ただし野良調子を張上げて田園がったり、お座敷へ出て失礼な裸踊りをするようなのは調子に合っても話が違う。ですから僕は水には音あり、樹には声ある文章を書きたいとかせいでいる。
──泉鏡花『おばけずきのいわれ少々と処女作』