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RIYO BOOKS
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読了した作品の感想記事を書きます。作家が作品に込める哲学、思想、主義などを出来る限り汲み取ろうと努めています。ご覧になる方にとって、これらの記事が作品と出会う切っ掛けになれば幸いです。
  • 2025年5月24日
    灰とダイヤモンド 下
    灰とダイヤモンド 下
    いま、われわれの敵は破滅に瀕している。それはヒトラーの徒党であり、人類の敵であり、人類の恥辱なのである。ドイツ軍は解体しつつあり、戦争は終わろうとしている。しかし、諸君、戦争の終結がわれわれの闘争の終結を意味すると思ったら、それは大間違いである。ポーランドのための闘争は、やっと始まったばかりなのだ。
  • 2025年5月24日
    灰とダイヤモンド 上
    灰とダイヤモンド 上
  • 2025年5月17日
    ノーベル賞文学全集〈23〉シュリィ・プリュドム.フレデリック・ミストラル.ジョズエ・カルドゥ (1971年) 詩集(抄) 心の日記抄 ミレイユ 四十唱 カロリーネナ
    ああ!眼はまなざしを失ったのか いやいや、そんなはずはない。 眼はどこかへ動いて廻ったのだ 見えない世界という方へ そして傾く星の群れは 私たちから去る、が空には住んでいるように ひとみには沈む陽が見えても それが死ぬとは真実でない 青くあるいは黒くみな愛されて美しく どこかの広大な暁に向かって開いていて 墓場のずっと向こう側で 人が閉じた眼はまだ見ているのだ。 シュリィ・プリュドム「眼」『雑詩集』
  • 2025年5月10日
    ためいきのとき: 若き夫ジェラール・フィリップの死 (ちくま文庫 ふ 22-1)
    わたくしはまた力をとり戻す時を待っている。その時はやがて来るだろう。生はいまなおわたくしの心をかきたてている。わたくしは切りぬけたいと思う、あなたから解き放されてしまうのではなしに。
  • 2025年5月4日
    シェイクスピア全集(19)
    ならば、この世が俺に与えられる喜びはただ一つ、俺より見栄えのするやつらに向かって命令し、叱りつけ、力をふるうことしかない、だから、王冠を夢見ることを俺の天国にしよう、命あるかぎりこの世は地獄にすぎないと思い決めよう、この出来損ないの体に載った頭が輝かしい栄光の冠で飾られるまでは。
  • 2025年4月26日
    雪国
    雪国
    駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚しさがあって、けれどもかえってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌のように触れて来もするのだった。彼は駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ。そのようなありさまを無心に刺し透す光に似た目が、葉子にありそうな気がして、島村はこの女にも惹かれるのだった。
  • 2025年4月19日
    バラバ
    バラバ
    磔刑男がもどって来たのだ。ゴルゴダの丘の上の彼がもどって来たのだ!その約束どおり、人間を救うため、この世界を滅ぼすために!約束どおりそれを壊滅させ、燃やしてしまうために!いまこそ、彼はその力を示したのだ。そしてバラバが彼を助けようというのだ!悪党バラバ、ゴルゴダ以来の罪深い兄弟である彼は裏切らない!いまは裏切らない!今度は裏切らない!いまは!
  • 2025年4月12日
    権利のための闘争
    権利のための闘争
    ヘルバルトが権利=法概念から排除しようとする闘争の要素は、権利=法の最も本質的な、永遠の内在的要素なのである。闘争は権利=法の永遠の仕事である。労働がなければ財産がないように、闘争がなければ権利=法はない。「額に汗して汝のパンを摂れ」という命題が真実であるのと同様に、「闘争において汝の権利=法を見出せ」という命題も真実である。
  • 2025年4月5日
    オネーギン
    オネーギン
    女性を愛する度合が少なければ少ないほど、それだけ容易にわれわれは女性に好かれ、それだけ確実に女性を、誘惑の網目のなかで滅ぼすものだ。一体むかしの冷淡な漁色家は、至るところで自己喧伝にこれ努め、愛なき快楽にふけりながら、恋の道で名をあげた。だがこうした厳粛な気散じは、光輝ある祖父の時代の猩猩爺ィなればこそふさわしい。ロヴラスたちの名声は、赤い靴の踵や、仰山なかつらの栄誉とともに、今は昔の語り草だ。
  • 2025年3月29日
    蒲団・一兵卒
    蒲団・一兵卒
    何たる節操なき心ぞ、僅かに八年の年月を閲したばかりであるのに、こうも変ろうとは誰が思おう。その桃割姿を丸髷姿にして、楽しく暮したその生活がどうしてこういう荒涼たる生活に変って、どうしてこういう新しい恋を感ずるようになったか。時雄は我ながら時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。けれどその胸にある現在の事実は不思議にも何等の動揺をも受けなかった。
  • 2025年3月22日
    リリオム (1951年) (岩波文庫)
    人生はそんな気樂に終るものじゃあない。死んでしまった今でも、みんなが名前を知っている。顏も覺えている。何時何を言ったかも知っている。何處で何をしたかもだ。目附きや、聲や、握手の仕方がどうだったか、どんな足音をたてたかも、人は覺えている。その當人を思い出す者が一人でもいる限り、未だしなくてはならんことが澤山あるのだ。え、どうだね、お前は知らなかったろう。人間というものはだな、みんなから本當に忘れられてしまうまでは死んだのではないのだぞ。
  • 2025年3月15日
    夢宮殿
    夢宮殿
    あの夜、どういうことがじっさいに起こったのかは、ついに知りえぬままとなる定めにあった。出来事の細部ばかりか、その本質までも見極められず、その周囲にたちこめた霧は、日が経つにつれて薄れるどころか、濃くなってゆく一方であった。
  • 2025年3月8日
    今日は死ぬのにもってこいの日
    今日は死ぬのにもってこいの日
    たとえそれが、一握りの土くれであっても 良いものは、しっかりつかんで離してはいけない。 たとえそれが、野原の一本の木であっても 信じるものは、しっかりつかんで離してはいけない。 たとえそれが、地平の果てにあっても 君がなすべきことは、しっかりつかんで離してはいけない。 たとえ手放すほうがやさしいときでも 人生は、しっかりつかんで離してはいけない。 たとえわたしが、君から去っていったあとでも わたしの手をしっかりつかんで離してはいけない。
  • 2025年3月1日
    芥川龍之介全集(1)
    人間は、時として、充されるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまふ。その愚を晒ふ者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない ──『芋粥』
  • 2025年2月22日
    緋色の研究 (新潮文庫)
    緋色の研究 (新潮文庫)
    いささか美術的な表現をつかったっていいだろう?人生という無色の糸裃には、殺人というまっ赤な糸がまざって巻きこまれている。それを解きほぐして分離し、端から端まで一インチきざみに明るみへさらけだして見せるのが、僕らの任務なんだ。
  • 2025年2月15日
    ボヴァリー夫人 下
    ボヴァリー夫人 下
    でも、でも自分は幸福ではない、ついぞ幸福だったためしがない。人生のこの物足りなさはいったいどこからくるのだろう。そして自分のよりかかるものが立ちどころにくされ潰えてしまうのはなぜだろう?……しかし、この世のどこかに、強く美しい人がいるものなら、熱と風雅にみちみちた頼もしい気だて、天使の姿にやどる詩人の心、み空に向って哀しい祝婚の曲を奏でる青銅絃の竪琴にも似たこころがあるものなら、ふとめぐり会われぬことがどうしてあろう?
  • 2025年2月15日
    ボヴァリー夫人 上 (岩波文庫 赤 538-1)
    ボヴァリー夫人 上 (岩波文庫 赤 538-1)
  • 2025年2月8日
    真昼の暗黒 (岩波文庫)
    真昼の暗黒 (岩波文庫)
    話全体がグロテスクな茶番だ、とルバショフは思った。根底で「革命哲学」を使ったこの詐欺は、所詮、独裁体制を固めるための手段にすぎず、気の重くなるような現象ではあったが、歴史の必然性を示すものであった。茶番を真面目に受け取り、舞台上で起こったことしか見ず、舞台裏の仕掛けを見なかったイサコヴィッチには不運だった。以前は、革命の諸政策は会議で決められたものだが、今では舞台裏で決められてしまう。これもまた、大衆の相対的成熟の法則の論理的帰結である……。
  • 2025年2月1日
    笑う月
    笑う月
    夜空を見上げているとき、視野の周辺にちらと星影がうつり、視線をあらためて向けなおすと、かえって見えなくなってしまう事がある。眼をそらしてやると、再び視界に戻ってくる。網膜の中心部と、周辺部の、機能の分業からくる現象だ。夢と現実にも、どこか似たところがあるように思う。現実は、意識の中心部でより鮮明にとらえられるが、夢は、むしろ周辺部でしかとらえられず、中心に据えることで、かえって正体を見失ってしまいかねない。
  • 2025年1月25日
    白鯨 下
    白鯨 下
    見よ、神々がすべて善で、人間がすべて悪だと信ずる者たちよ。おお、見るがよい、全能の神々が悩める人間を忘却しているというのに、人間は、白痴なりとはいえ、またなすべきことを知らぬとはいえ、なおほのぼのとした慈愛と感謝の気持にみちあふれているのだ。わしは皇帝の手をとったこともあるが、おぬしの黒い手をとって引いてゆくことのほうがはるかに誇らしく思うぞ!
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