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RIYO BOOKS
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読了した作品の感想記事を書きます。作家が作品に込める哲学、思想、主義などを出来る限り汲み取ろうと努めています。ご覧になる方にとって、これらの記事が作品と出会う切っ掛けになれば幸いです。
  • 2026年8月22日
    オズの魔法使い
    オズの魔法使い
    あなたに必要なのは自信だけです。危険を前にして、怖がらない生き物はありません。ほんとうの勇気とは、怖くても危険と向き合うことであって、そういう勇気を、あなたはふんだんにお持ちなのです
  • 2026年8月15日
    痴日 (青空文庫POD(大活字版))
    彼は、片方に彌生の腕を執り、左には、何も彼も一處くたに下穿までも丸め込んであるといふ鞄を大きく振りながら、歩調を合せて、さへぎるものもない廣々として砂原を颯々と歩きはじめた。
  • 2026年8月8日
    地霊・パンドラの箱
    地霊・パンドラの箱
    この国の現代文学がどうしようもないのは、あまりに文学的すぎるからなんだ。僕らは作家や学者のあいだで問題になるような問題しか扱わない。同業者仲間の見方でしかものが見れない。もう一度力強い偉大な芸術に辿りつくつもりならば、できるだけ、本などは決して読んだこともない人間とつき合うようにしなければ駄目だ。ただただ単純な動物的本能に従って行動するような人間とつきあわなければね。 フランク・ヴェデキント『パンドラの箱』
  • 2026年8月1日
    ミーチャの恋・日射病 他十篇
    愛は、情欲は、魂は、肉体は?いったい何なのだろう?いやそんなものはない──存在するのは、何か別のもの、まったく別のものなんだ!まさにこの手袋の匂い──これだってカーチャじゃないのか?愛、魂、肉体じゃないのか?農夫たちも、車内で働いている人たちも、不恰好な赤ん坊を洗面所に連れていく女性も、コトコトと鳴るランプの淡い焔も、春の荒れ野を覆う薄闇も──すべては愛であり、魂であり、苦しみであり、いまだ語られざる喜びなのだ。
  • 2026年7月25日
    わが夢の女: ボンテンペルリ短篇集 (ちくま文庫 ほ 5-1)
    幾度も私は、両手で頭をかかえ、アンナのことを、ほんとうのアンナのことを考え、実物の美しい彼女を、ふたたび見ようと思うのだが、だめだった。いまだに、だめなのだ。だから私は、いまだに、手紙を書いていないのだ。私は、彼女を失い、彼女は私を失った。きっと、私を恨んでいることだろう。
  • 2026年7月18日
    風知草
    風知草
    十二月はじめに、はじめての大会がもたれることになった。赤旗編韓局という表札と同様に衆目の前でもたれる大会として、それは最初のことであったが、歴史の中では第四回目に当った。 いろいろの大衆的集会も活気にみちてもたれていて、一九四五年の冬は、日本の民主主義の無邪気な発足の姿であった。 木枯の吹く午後おそく、ひろ子は、前後左右ぎっしり職場の若い婦人たちで埋った講堂で、ニュース映画を観ていた。それは「君たちは話すことが出来る」と云う題であった。十月十日に、同志たちが解放される前後を中心として、治安維持法と、その非道な所業、その法律の撤廃を描いた映画であった。山本宣治を殺して出来た治安維持法が、小林多喜二を虐殺し、渡辺政之輔その他たくさんの人々を犠牲とした。
  • 2026年7月11日
    国際エピソード (岩波文庫 赤 313-2)
    ところがベッシー・オールデンがつくった影繪は、肝腎の侯爵の姿と一致しなかった。そしてその不調和が時として彼女を、自分でも譯が解らないくらい、苦しめた。彼が傍にいないときには、不調和は勿論大して目立たなかった。そういう時の彼は高い責任と愛すべき性質とが充分美しく結合したもののように思われた。ところがいったん眼に見えるところに坐って、いつもの快活さと單純さとで笑ったり喋ったりしていることになると、勢い彼女はより正確に測るようになり、ランベス卿の地位は堂々たるものだが、青年自身にはあまり堂々たるところがないことを痛切に感じるのだった。そういう時には彼女の想像は彼から離れて──遠く離れてさまようのだった。
  • 2026年7月4日
    赤毛のアン
    赤毛のアン
    あたしがクイーンを出てくるときには、自分の未来はまっすぐにのびた道のように思えたのよ。いつもさきまで、ずっと見とおせる気がしたの。ところがいま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきによいところがあると思うわ。
  • 2026年6月27日
    気がかりな結末 (1975年) (現代の世界文学)
    それは新しい時代思想を身につけた翻訳者たちで、実務的で敏捷でどんな仕事でもたちまち片づけることのできる人たちだった。そのうちの何人かは三か国語、四か国語を知っていたが、別にそれで本質が変わるものではない。要するに若き実務家たちである!彼らには実現されなかった希望にこだわるような過去もないし、いずれも若々しい爪を光らせて仕事に立ち向かっていく。その上、馬のように筋骨たくましく、きわめて正常なる血圧と頑丈な歯とをそなえている。
  • 2026年6月20日
    斜陽 他一篇
    ああ、何かこの人たちは、間違っている。しかし、この人たちも、私の恋の場合と同じ様に、こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世の中に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。
  • 2026年6月13日
    氷 (ちくま文庫 か 67-1)
    氷 (ちくま文庫 か 67-1)
    少女は強烈な寒さに耐えられず、ずっと震えつづけて、ヴェネツィアンガラスのように砕けていった。その崩壊の過程は実際に見て取ることができた。少女は次第にやせ細り、さらに白く、さらに透明に、亡霊のようになっていった。この変容は何とも興味深いものだった。少女は完全にエッセンスだけの存在となり、動くことすらなくなった。
  • 2026年6月6日
    十五少年漂流記
    十五少年漂流記
    そんな小さなことで──と思うかもしれない。だが、少年たちの生活は社会の縮図である。人間は、子供の時から、一人前の大人のように扱ってもらいたいものなのだ。
  • 2026年5月30日
    盲目の梟
    盲目の梟
    昔の人間の行動や思想、願望や習慣はこのお噺という手段を通じて、後世の人々に伝えられて来たのではあるまいか。このお噺は我々の生存にとって必須欠くべからざるものの一つなのではないか。幾千年となく、人類は同じようなことを喋り、同じようにセックスし、同じように子供じみた悩みを抱いてきたのだ。人間の一生というのは、始めから終わりまで一つの面白可笑しいお話、信じられないほど馬鹿馬鹿しいお噺にすぎないのではないか?私が今書いているのだって自分のお話なのではないか?ものを書くというのは、挫折した願望にとっての排け口であるにすぎない。所期の目的を達し得なかった願望、作家自らが受け継いだ知力の範囲内で抱かれた願望にとっての。
  • 2026年5月23日
    これについて
    これについて
    生きるとは、家庭という名の落し穴に、 生贄として落ちることとは違う。 これからの身内というなら、 少なくとも世界が父親で、 少なくとも母親が大地だ。
  • 2026年5月16日
    父帰る・藤十郎の恋
    父帰る・藤十郎の恋
    新二郎!お前はその人になんぞ世話になったことがあるのか。俺はまだその人から拳骨の一つや二つは貰ったことがあるが、お前は塵一つだって貰ってはいないぞ。お前の小学校の月謝は誰が出したのだ。お前は誰の養育を受けたのじゃ。お前の学校の月謝は、兄さんがしがない給仕の月給から払ってやったのを忘れたのか。お前や、たねのほんとうの父親は俺だ。父親の役目をしたのは俺じゃ。その人を世話したければするがええ。その代り兄さんはお前と口は利かないぞ。
  • 2026年5月9日
    創造者
    創造者
    な黄金の渚の秘宝がわがものであることを知っており、それだけが逆境にある彼の救いだった。 同じく遥かな黄金の渚で朽ちもせず待っているお前の秘宝、 無量の漠々たる人並みの死。
  • 2026年5月2日
    赤い百合 下 (岩波文庫 赤 543-8)
    赤い百合 下 (岩波文庫 赤 543-8)
    十字架が先頭を進んできた。これは慈惠會の信徒たちが覆面をかぶって、松明を手に聖歌を誦しながら、死者を墓場に運んでゆくところだった。イタリアの風習にならって、行列は夜になってから足早やに通ってゆくところだった。十字架も柩も旌旗も、人通りのまれな河岸を飛び跳ねるようにして通って行った。ジャックとテレーズとは塀のもとに身を寄せて、足早やの葬列をやり過した。僧侶や詠歌隊の稚兒や覆面のひとびとが過ぎ、この快樂の地上では迎されぬ、邪魔者の《死神》が一緒に驅けて行った。
  • 2026年5月2日
    赤い百合 上 (岩波文庫 赤 543-7)
    赤い百合 上 (岩波文庫 赤 543-7)
    十字架が先頭を進んできた。これは慈惠會の信徒たちが覆面をかぶって、松明を手に聖歌を誦しながら、死者を墓場に運んでゆくところだった。イタリアの風習にならって、行列は夜になってから足早やに通ってゆくところだった。十字架も柩も旌旗も、人通りのまれな河岸を飛び跳ねるようにして通って行った。ジャックとテレーズとは塀のもとに身を寄せて、足早やの葬列をやり過した。僧侶や詠歌隊の稚兒や覆面のひとびとが過ぎ、この快樂の地上では迎されぬ、邪魔者の《死神》が一緒に驅けて行った。
  • 2026年4月25日
    リュヴェルスの少女時代
    リュヴェルスの少女時代
    その印象は、彼が考えていた以上にずっと大きな淵をもっていた点で際立っていたのだ……その印象は少女の管理の外にあったのである、なぜなら、その印象は致命的なほど重要で意義あるものであり、その印象の意味は、彼女の人生の中に初めて他者が、名前なくあるいは偶然に仮りの名前を持った全く特性のない、憎しみを呼びさまさず、また愛を吹き込まない第三者が入って来たという点にあったからなのだ、しかし、その第三者というのは、殺すなかれ、盗むなかれ等々と語る際に、もろもろの名や意識に呼びかけつつ、戒律がヴィジョンにおいていっているところの存在だったのである。
  • 2026年4月18日
    日輪・春は馬車に乗って 他八篇
    卑弥呼の高座は二人の方へ近か寄って来ると降された。しかし、耶馬台の兵士の中で、彼らの反絵を助けようとするものは誰もなかった。何ぜなら、耶馬台の恐怖を失って、幸福を増し得る者は彼らであったから。彼らは卑弥呼と一緒に剣を握ったまま、血砂にまみれて呻きながら転々する二人の身体を見詰めていた。彼らの顔は、一様に、彼らの美しき不弥の女を守り得る力を、彼女に示さんとする努力のために緊き締っていた。
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