
勝村巌
@katsumura
2026年8月16日
メソポタミアのボート三人男
高野秀行
読み終わった
新刊が出れば迷わず購入する作家の一人であるノンフィクション作家・高野秀行の最新作。これから長々と感想文を書きますが、こんなもの読まなくても、とにかくめっちゃ面白くて良い本なので、迷わずレジにGOでございます。
本作は、前作『イラク水滸伝』の広大な世界観や探訪記に連なる、メソポタミア湿地帯(アフワール)を巡る一連の旅の連作・姉妹編とも言える一冊である。
早稲田大学探検部出身である高野のモットーは一貫して以下のようなもの。
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かないことを書く」。いいですね。オリジナリティしか生まれてこないモットーだ。他人と同じことをしていても未来は輝かない。
さて、本作でもその精神は遺憾なく発揮されており、チグリス・ユーフラテス川という人類文明の発祥地を「ボートで下る」という、他の人がおよそ取り組まないアプローチによって、従来の歴史書や国際情勢の記述からは決して見えてこない現地の生の姿を捉え直している。
高野の探検の真骨頂は、その破天荒な旅の裏にあるきわめて緻密な事前準備にある。彼は渡航前、渡航先の現地人をまず日本国内で探し出し、彼らから直接言葉を習うプロセスの中で濃密な信頼関係を築き、現地で最も信頼できるキーパーソン(協力者)を紹介してもらう、という独自の手法をとる。
この丁寧なネットワーク構築こそが、危険の伴うフィールドワークを成功させる要となっている。
また、タイトルにある「3人男」の中心を成す高野と、同行者である山田高司の存在が観察の深度をさらに引き上げている。3人目は現地のガイドとなるが、川下りをするのは主に高野と山田の2人。
高野 秀行は国内での事前準備から現場での当事者との生活・言語習得までを徹底するフィールドワークのスペシャリスト。山田 高司は高野より一回り年長のベテラン探検家。「世界で一番川を下った男」と評されるリバーガイド/リバーカヤッカー。極限状態での川下りの知見と、卓越した地理的・地学的な直感を持って同行する。
2026年に刊行された本書だが、現地を訪れたのは2018年頃。行き先はトルコで、中東・メソポタミア地域は張り詰めた政治情勢だった。当時はシリア内戦の混迷やIS(イスラム国)衰退直後の動盪期であり、国家の支配権が極めて複雑に入り組んでいた。
そうした情勢下で際立つのが、「トルコ語」と「クルド語」の使い分けを巡る現場のリアリティである。
公的な検問所やトルコ当局の監視下ではトルコ語が必須となる一方、現地クルド人の集落や信頼関係を深める場面では事前準備で培ったクルド語が威力を発揮する。
しかし、言葉の使い分けは常に円滑に機能するわけではない。相手の政治的立場や所属(トルコ政府寄りか、反体制派のPKK寄りか)を見誤って不適切な言語を選択すれば、一転して猜疑心を買うリスクと背中合わせになる。
この辺りは今回は高野は使い分けの選択に失敗し、あまり言葉をコミュニケーションに役立てることができなかったというところが強調される。一方、ノンバーバルな絵心という武器を持った山田隊長は似顔絵を描くことで人気者になるという描写があり、人間はどこまでいっても視覚的な生き物なのだなと感じた。
言語が単なるコミュニケーションツールを超えて「政治的立場を表明する踏み絵」となる緊張感が、旅の足取りと見事にリンクして描かれている。
探検の重厚な描写の合間に挿入される「食」の記述も本書の大きな魅力である。特に印象的なのが、トルコやクルドのめちゃうまい伝統肉料理カブルガ(Kaburga)を巡る描写だ。
カブルガとは、羊のアバラ骨(スペアリブ)の間にスパイスやナッツで味付けしたライスを詰め込み、じっくりと時間をかけて焼き・蒸し上げる伝統的なロースト料理である。
骨からホロホロと解ける肉の旨味とエキスを吸ったご飯の絶妙な調和はめちゃうまい、の一言に尽きるという。そして、その圧倒的な美味が画面から匂い立つように描かれている。さらに、高野が帰国後に日本のクルド料理屋でこのカブルガを再現してもらうエピソードも大変美味しそうで、食を通じて異文化を身体的に受容する高野のスタンスが存分に表現されていた。
グルメライターとしてもシチュエーションから準備できる、高野の面目躍如と言える部分で、ホントに食べたくなった。
また、本書の臨場感を著しく高めているのが、要所に挿入されている山田隊長による手描きのスケッチである。
リバーカヤッカーならではの卓越した観察眼で捉えられた川の地形、水流の構造、現地の船や道具の細部が克明に描かれており、まさにフィールドワークの息遣いがそのまま紙面に立ち現れている。
このテキストと観察スケッチが見事な調和を見せる様は、かつて文化人類学者・山口昌男がフィールドノートや著作で見せたテキストとイラストスケッチの幸福なマッチングを強く彷彿とさせ、視覚的・造形的にもきわめて魅力的な誌面構成となっている。
さらに、本書において特に感銘を受けたのが、「川下りを通じて地域を見ることは、世界を『下から見上げる』ことになり、景観や社会構造の見え方が劇的に変わる」という視点、そして山田の地学的なマクロ視点(流路をプレートテクトニクス的に捉える)と、高野の「見立て」の技術の融合である。
高野はこれまでもイラクの大湿地帯アフワールを水滸伝的と見立てたり、室町時代の応仁の乱などを室町ハードボイルドと見立てたり(これは編集者の仕事かな?)している。その他にも食材に関する様々な面白い見立てもあり、それが高野文体の魅力とも感じている。
この本では高野は現地を、荒川と利根川によってつくられた江戸」の地形に見立て、「江戸ポタミア」として捉え直す。異国の難解な構造を身近な知見へ「見立てる」ことで、読者自身の実感として体感させる文章の構築力は実に見事である。
目次を追うだけでも、誰もやらない川下りを敢行したからこそ見えてくる多様な文化の差異や、現地の人々の逞しい営みが生き生きと活写されていることが伝わる。
しかし物語のラスト、コロナ禍が明けた後に数年ぶりに訪れた現地で、高野はグローバルな合理化と「文明」の波に直面する。ほんの少し前に存在していた固有の暮らしや文化が押し除けられていく現実を目にし、文化の諸行無常を感じさせる終わり方は、切なくも深く心を揺さぶられた。
本作は、単なる冒険記にとどまらず、「言語の政治的使い分け」「身近な対象への見立て」、そして「観察スケッチ(ビジュアル)と文筆(テキスト)による立体的な記録手法」という、他者や異文化を深く理解し表現・伝達するための最高峰のプロセスを示してくれている。
僕の主戦場である美術教育においても、対象にアプローチする際の手順や、スケッチによる観察と文章記述を組み合わせた学び(山口昌男的な知の構築)として、極めて多くの示唆を与えてくれる一冊であった。
長々と書きましたが、真面目なところは置いといて、なんか大の大人が大真面目に変なことにトライしてる微笑ましくも含蓄のある一冊です。
やはり冒険は夏の風物詩。夏のうちに読まれることをお勧めします! が、いつ読んでも面白いでしょう。


