粒あん
@neyuki21
2026年8月16日
刑吏の社会史 改版
阿部謹也
読み終わった
刑吏が賎民となった背景には都市の成立(都市法の成立)とキリスト教の普及がある。12世紀以前、処刑は被告によって犯された世界を元に戻すための儀式的要素を帯びていた。そこで重要なのは被告の死ではなく、処刑という行為そのものであった。そもそも、刑罰とは被告が犯した行為に基づくものであった。個人ではなく世界を見て、犯罪によって汚れた世界を回復する行為こそ処刑であった。そこでは刑吏は世界を回復するための、神々との媒介人的存在であったようである。そうした処刑の神聖性は都市の誕生と、キリスト教の普及により徐々に失われていく。キリスト教の影響により家という私的空間までも公の平和の対象となる。キリスト教の普遍的価値を知った支配者層は、私的空間をもキリスト的愛の及ぶ空間と位置付けた。すなわち私的空間は公的空間同様の秩序が求められると共に、同様の神聖性をも持つこととなる。そしてさらには、死を司る存在が刑吏に固定化され、一般民衆とは明確な区別が引かれることとなった。また、大都市においてはかつてのように共同体の全員が処刑に参加するなどは不可能であった。農村など他所から人が流入してくる大都市において、そこに住む住民と他所から来た人間の線引きが求められていた。都市の商工人たちはギルド、ツンフトを結成して自分たちの身分を守ろうとした。集まり同士の諍いが増す中で、自分たちの正当性を主張する手段として純潔性が語られるようになり、それも刑吏の賎民化の要因の一つである。
概して、都市化とキリスト教の上からの普及が刑吏の立場を変えたようである。刑吏のみが死を司る存在となることで、民衆の死への恐怖心さらには刑吏への怖れも積み重なっていったものと思われる。
我々は近現代の価値観で過去の民衆の態度を語ってしまうことがあるが、実際には彼らは我々とは異なる価値観を持っている。我々が忘れてしまった生死観念、神々への畏怖心を中世の人々は持っていただろう。そうした事実を頭に置いておきながら、中世の出来事ひいては歴史を見ていかなければならない。そのような歴史学的視点についても教えてくれる。
