
句読点
@books_qutoten
2026年8月21日

読み終わった
ものすごい本だった。緒方さんの生い立ち、水俣病闘争で最前線で闘っていた頃のこと、そこから一人離脱し、「狂って」過ごした期間を経てたどり着いた「チッソは私であった」という境地とそれからのこと。水俣から東京まで木造船で命懸けの航海をしたこと、石牟礼道子さんとのこと。全編にわたって、緒方さんの熊本弁混じりの語りことばで綴られる。読書したというよりも、目の前に緒方さんがいて、その言葉をじっと座って聴いているかのようなそんな読書体験だった。
「一体この自分とは何者か。どこから来てどこへゆくのか、である。それまでの、加害者たちの責任を問う水俣病から自らの「人間の責任」が問われる水俣病へのどんでん返しが起きた。そのとき初めて、「私もまたもう一人のチッソであった」ことを自らに認めたのである。それは同時に、水俣病の怨念から解き放たれた瞬間でもあった。その大逆転は、マグマの圧力が高まりやがて火山の爆発、噴火に至るように必然的な運動であり、私といういのちのビッグバンであったように思う。幼少から背負わされた「課題としての水俣病は、我が内なる精神の運動であった」。今後も精神運動としての活火山でありたいと思っている。」(「はじめに」より。)
どんなことが語られたかということは短い言葉でまとめることもできるけれど、それでは絶対に伝わり切らないものがある。ひとつひとつの言葉がすべてつながり合っているから、その流れの中でしか理解できないことがある。頭で理解しても仕方がない。すぐに言葉にはできない心の動き、言葉によって心が「ぐわんと揺れた」と感じること。じっくりと最後まで耳を傾けることでしか伝わってこないものがある。
何度も読み直すことになるだろうと思う。その度にいろいろなことがまたわかってくるだろうと思う。
世の中のさまざまな理不尽なことに対しての怒りや恨みでいっぱいになっている人、どうすればいいのか道を見失いそうな人、もう何やったって無理だと絶望しそうになっている人、そういう人が読んだらきっといろいろ気づくことがあると思うし、勇気ももらえると思う。怒りや恨みを火山のマグマのように高めていき、中途半端なところで妥協しないで、爆発させて、社会が忘れさせようとしてもずっと記憶し続け、終わりがない問いに変えて向き合い続けていくことの勇気を。
最後の栗原彬さんとの対談で、それまで語られてきたことが全部繋がっていく感覚をぜひ味わってほしい。
水俣には是非とも行かねばと思う。緒方さんが彫った石仏に会いに行かねば。
