kotti
@kotti_witchii
2026年8月22日

贖罪の奏鳴曲
中山七里
読み終わった
御子柴シリーズ一作目。
加害者の人権や更生についてはさまざまな論争を引き起こしているけれど、「誰かを救うことで償う」、そんな方法もあるんだと気付かされた。
御子柴の少年院時代の教育担当教官・稲見の言葉。
「償いというのは言葉じゃなくて行動だ。だから懺悔は口にするな。行動で示せ」
「お前は一人の人間を殺した。その埋め合わせをするには別の人間を苦しみから救い出す。それが一番、真っ当な答えだとは思わないか」
一方、御子柴の過去を知った古手川と渡瀬は、こんな会話をする。
「どうして、そこまでしてあの母子を救いたかったんでしょう」
「きっと自分が救われたかったんだろう」
御子柴は、償いたいのか。救われたいのか。あるいは、その両方なのか。
すべてを読んだ私は、御子柴がなぜ弁護士になったのかを知っている。でも、渡瀬や古手川から見えている御子柴は、また違うのだろうなあ、と。
作中には、ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情」が登場する。どんな曲なのだろうと思い、実際に聴きながら読んでみた。それは私を物語に没入させるというより、むしろ「物語」と「私」の境界をはっきりさせる体験だった。
御子柴と一緒に聴く(読む)「熱情」ではなく、御子柴に聴こえる「熱情」と、私に聴こえる「熱情」という、二つの「熱情」が存在することになったからだろうか。