
なのか
@soh_nanoka
2026年8月22日

青がゆれる (創元文芸文庫)
雛倉さりえ
読み終わった
うっとりするほど文章が綺麗。六人の登場人物それぞれの視点から、一瞬の鮮烈な体験を描く物語。
…と言えば確かにそのとおりなんですが、センセーショナルなシーンがどれも「これが象徴」だって主張しているから、毳毳しい色味の写真ばかり見すぎて目が慣れる感じがある。
登場人物全員、共感はできませんでした。
ただ理屈は通るし整理がしやすいから、衝撃はあっても痣になりませんね。ショッキングだけど夢にみたり、ふと思い出して頭を抱えたりするようなえぐみは無い。
ページを捲る手が止まらない文章って、「腕を引かれる」か「躓かない」かで、かなり意味が変わると思うんですよ。
換言するなら「手を止められない」のか、「手を止めなくていい」の違いかな。今回のは後者でした。
うっと喉の奥がせり上がるような描写は多いんだけど、文章の喉越しがいいんだよなあ。本当に。
大好きな文章だけど、刺さるかどうかでいうと別問題。
こういうこともあるんだな、といい経験になりました。


なのか
@soh_nanoka
全部一人称視点のお話なんですけど、「なんか登場人物の世界への解像度、ほぼ一緒じゃない?」と思ったんです。
話はみんな全然ちがう、それぞれが傷を負っているのにです。
文章を読む・書くのが好きなキャラクターが多いから、難しい言葉をひょいと使いがちなのはわかる。
高校生という多感な時期に、世界のほんのちょっとした軋みが途轍もない轟音に聞こえたり、隙間から溢れた光がとんでもない極彩色に見えるのも分からんでもない。
でも「高校生、そこまでみんな同じように世界がそう見えるのか…?」という疑問が離れない。
別に高校生が風雅な考えができないとか、ボキャブラリーがどうとか、そういう話をしているんじゃなくて。
嫌な感じでは全く、断じてないんですが、それはそれとして「これが作者の色なんだろうな」と思わせるような書き振りが随所に見られるというか。
世界の見え方にしても、理屈から入るか、体感から入るか、美しさにフォーカスするのか、明るさにフォーカスするのか、暗さにフォーカスするのか、そういういろんな経路があるじゃないですか。
それがみんな画一的に見えるというか。

なのか
@soh_nanoka
押し付けがましさというか、
「ああ、こう見えて欲しいのかな」
と邪推させてしまうようなお仕着せ感・お誂えの自己演出的な挙動ではなくて、本人の内側から「ただ世界がそう見えているだけ」だと書かれているんだと思います。
ただそれが却って象徴性をより顕著にしているようにも見えてしまう。
この目が痛くなるほど鮮やかな感じ。
幻想作品の文章によくわたしは「足元がぐらつく」ような感覚になるんですが、文章の操作が世界そのものの捉え方について、読者の目を疑わせるような書き方になっているからなのかもしれません。
逆にこのキャラクターたちは、彼・彼女ら自身がもとから足元がぐらついている。
鮮やかさも触れたそばから欠けて血が滲みそうな鋭さも、「ああ、思春期のセンシティブな感性だからなのかな」とわりとこちらが地に足つけて読める感じがある。
性描写がやたらめったら多くてかなり執拗なのも、「まあこの年頃ならそういうのに関心もあるよね」くらいで流せそう。
それと何より、傷の前後の現実があまり書かれていない(という印象)。
反骨心だけでは対処できない社会的な制約。
流血で茶褐色に汚れた部屋の始末。
濡れた服、肌に貼り付く潮と砂。
爪の隙間に潜り込む土。
ネグレクトに適応するまでの内心の遷移。
「その前」や「その後」にフォーカスした作品の方がわたしは刺さりやすいので、そういう意味では良くも悪くも「喉越し爽やか」な文章だと思いました。