
ood
@noellll
2026年8月23日
暇と退屈の倫理学
國分功一郎
読み終わった
読み始めたきっかけ
何となく退屈で打ち込めることがない時期に悩んでたから。退屈の正体が知りたかった。
300ページくらい読んで、前提部分の学術的な文論に飽きてしまったことがあり、読むのに3ヶ月くらいかかったが、最後200ページくらい一気に読み進められた。
人間は環世界を行き来する能力が比較的に高いがゆえに、なんとなく退屈の状態になりやすい。
↑環世界の概念が目から鱗で面白かった。自分の認識の枠組みから抜けることで新たな発見や驚きがあることを改めて実感して感動した。
結論に至るまでの考察材料部分がすごく多いが
最後まで何度も反復して遡ってくれるので、理解できなくてわからなくなるといったようなことは比較的少ない。
結論およびあとがきで作者が述べているように
この哲学書は読み手への「主張」や「正解」の提示ではなく、自身の経験など本書を通じて「問いかけ」および「考える」ことを促すことを目的としており、結論までの過程を丁寧に説明するための分量と理解した。
・退屈の正体
→人間だからゆえに感じるもの
人間:
環世界を比較的行き来する能力が高い生物
「思考することができる」生物
暇と退屈を分解する
本書前半部分で社会的、文明的な観点から歴史を辿ることで丁寧に解説されている。
暇と退屈、なんとなく感覚で使い分けてるところもあり、そう言うことかーと思いつつ読み進めた。
ハイデガーの退屈の第三系形式
退屈に関して、人類の歴史と組み合わせながら
1〜3系式の3分類で退屈の種類を分解。
核とする部分は人間の歴史が終わった段階から、
自由を獲得した人間は第2形式的な退屈を感じるようになった。
(1=3形式的退屈への逃避は愚劣である)
ちなみに、人間の歴史の終わりが哲学が必要となくなった理由となっていることがなるほどと思った。
作者の意図していない部分もあるが、自分は人間がゆえに感じてしまう退屈への対処法以下のようにを落とし込んだ。
人間は生まれた瞬間から、不安定である。
それは環世界が変わりやすく、またそもそも環世界を確定して生きていくことを前提とした生物でないからである。
なぜなら、人間は考えることができる生物だからだ。
生きていくうちで、人間は考えることを逃避するという環世界的目的とは矛盾して、考えることができてしまうゆえにどこかに安住し続けるのは退屈を生み出してしまう。
その生じる「退屈」に対して人間は人生を楽しむことを考えて学び、考えることに「とらわれる」状態にし続けてくれる「何か」(楽しみという観点で見た不法侵入者)に出会えることを(個々人が意識的にそうではなくても生物的に)待っているのである。